そうです。“港湾都市キテネ”―ケイ殿は、キテネはご存じで? 私は数度しか訪れたことがありませんが、あそこは良い街でした。特に歓楽街

ぐへへ、とダニーの顔がだらしなく崩れる。気色の悪い笑みを浮かべる小太りの男から、つっと目を逸らしてケイは、

村長。差し支えなければ、この周辺の地図など見せてくれまいか

地図……ですか。少々お待ち下され

よっこいせ、と立ち上がったベネットが、テーブルの上の燭台を手に取って奥の部屋へと消えていく。

……あいにくと、大まかなものしかございませんが

構わない。ありがとう

戻ってきたベネットから羊皮紙を受け取り、テーブルの上に広げる。

……なるほど

たしかに、大(・)ま(・)か(・)な(・)地図だった。

随分と昔に描き出されたものなのだろう。古びた羊皮紙の上、タアフの村を中心に周辺の大雑把な地形、そして家や城などのマークがぽつりぽつりと描かれている。

東のこれが、サティナの街か。北の城がウルヴァーン、西の港がキテネ……。この家のマークは、周辺の村か?

そうなりますな。ミリア村、マザフ村、ラネザ村……

……距離はどうなっている? ある程度、正しいのだろうか

正しさとしては概ね……といったところですかな。例えば、東の街サティナには、歩いても半日もかかりませんがの。倍の距離があるキテネまでは、1日はかかりましょう

ふむ……なるほど、ありがとう

改めて地図に視線を落とす。

タアフ‐サティナ間が半日として、それぞれの街との距離を考えると、キテネまでは徒歩で1日、北に少し離れたウルヴァーンまでは3日といったところか。

もちろん、その途中には森や山谷などの障害となる地形が広がっているため、実際に行こうとするともう少し時間がかかるだろうが。

要塞都市ウルヴァーンと港湾都市キテネの、地図上での距離を測る。

ウルヴァーン‐キテネ間は、歩くと大体3、4日か

地図に従えば、そうなりますな

行商人の護衛に話を聞いたことがありますが、ウルヴァーンからキテネまでは、馬で早駆けすれば半日ほどの距離だそうですよ

妄想の世界から帰ってきたダニーが、横から口を挟んだ。ウルヴァーン‐キテネ間の馬での所要時間は、ケイが一番知りたかった情報でもあった。

なるほど、ありがとう

顎を撫でながら、考え込む。

(ゲームに比べて、色々とスケールが大きくなってるな……)

要塞村が要塞都市に。港町が港湾都市に。そして、ゲームでは馬で30分ほどだった道程が、半日がかりに。

30分の道のりが12時間の道のりに変わったからといって、単純にマップの広さが24倍になった、とはいえないのが馬という移動手段の面白いところだ。

自動車とは違い、馬はトップスピードのまま走り続けることはできない。30分間だけ走るのと、半日を通して走るのとでは、その移動可能距離に大きな差が出てくる。

ゲーム内では、バウザーホースの性能に物を言わせ、ミカヅキたちは通常の馬の駈足(ギャロップ)に匹敵する速度で、30分間ノンストップで駆け続けることが出来た。標準的な馬の駈足は、時速30km。つまり、ゲームにおけるウルヴァーン‐キテネ間の実質的な距離は、おおよそ15km弱となる。

しかし半日を通して走り続けるとなると、どんな馬でも、バウザーホースですらも、ずっと駈足を維持することはできない。途中で休憩を挟んだり、ペース配分のため速度を落としたりする必要が出てくる。そういったロスを加味すると、『この世界』でのウルヴァーン‐キテネ間の距離は、おおよそ150km強と考えられる。

つまり、ゲーム内と『この世界』のスケール感の差は、比率にして10倍といったところではなかろうか。

(ゲームの DEMONDAL のマップ全体が10倍になったとして……『ここ』は最大で、ブリテン諸島くらいの面積になるわけか?)

ブリテン諸島。要はイギリス。馬では縦断するのにも一苦労するレベルの広大さだが、それでも『世界』というくくりから見ると、その程度の面積では小さすぎる。

ここが DEMONDAL に限りなく似ている異世界であるならば、おそらくゲーム内では行けなかった海や山脈の向こう側に、設定上のみ存在していたエリアや大陸が存在していると考えるべきだ。

…………

思案顔で黙りこくるケイに声をかけるのも躊躇われ、沈黙がその場に降りる。

アイリーンが回復したら、まず『村』から『都市』へとスケールアップしたウルヴァーンに見に行ってみるべきか……などと考えていたケイだが、

外から聴こえてきた微かな音に、ふっと顔を上げる。

……誰か来てるな

マンデルもケイとほぼ同時に気づいたらしく、振り向いて扉の外へと意識を向けていた。

ざっざっざっ、と何者かが、小走りで村長の家に接近する足音。

―失礼しますっ!

バンッと家の扉が乱暴に押し開かれる。

扉の外、顔面蒼白で息を荒げていたのは、そばかす顔の若い女だった。

ティナ、どうしたんじゃ。そんなに慌てて

村長! 大変なんです!

ベネットの問いかけにヒステリックな叫びを返した女は、ばっとケイの方に向き直り、

旅の御方! 大変なんですッ! すぐに来てください!! 早くッ

今にも泣きそうな顔で、ぐいぐいと袖を引っ張ってケイを外に連れ出そうとする。

ま、待たんかティナ! 何があったんじゃ、説明せいッ!

ベネットが一喝すると、半狂乱だった女は一瞬黙り込み、

お連れの方が、アイリーン様が、―

おずおずとケイの方を見やる。

息を、―息を、されてないんです!

†††

血相を変えて、走る。

アイリーンッ!

どばんッ、と扉を蹴破らんばかりの勢いで、その狭い部屋に飛び込んだ。

中には、二人。小さな寝台に横たえられたアイリーンと、その前でおろおろとうろたえるクローネン。

どけェッ!!

狼狽して何かを言おうとするクローネンを乱暴に突き飛ばし、アイリーンに駆け寄る。

アイリーン……ッ! おいっ、しっかりしろ、アイリーン!

ぺしぺし、と軽く頬をはたくが、全く反応がない。口の上に手をかざすも、―呼気は、感じられなかった。

ランプの暖色の光に照らされてなお、アイリーンの顔は紙のように白い。まるで人形を目の前にしているような嫌な感覚。胸が早鐘を撞くように軋む。

まさか、なぜ。顔色が悪いとは思っていたが、傷はもう完治しているはずなのに―

―くそっ!

左胸に耳を押し当てた。

…………

何も聴こえない……、いや。

とくん、と小さな、今にも消えそうな、鼓動。

まだ生きてる……!

腰のポシェットをまさぐり、ポーションの小瓶を取り出した。焦りに震える手をなだめすかし、コルクを抜いて、アイリーンの口に流し込む。

数秒。

……けふっ

顔を歪めたアイリーンが、僅かに身じろぎしてむせた。その頬に、僅かに赤みが戻る。

なっ、息を吹き返した……!?

まるで神の奇跡でも目の当たりにしたかのように、驚愕の声を漏らすクローネン。そこへ、ぎょろりと振り返ったケイの鋭い視線が突き刺さる。

……貴様、何をした

おっおれは何もしていない!!

地獄の底から響いてくるような底冷えのする声、そしてじりじりと空気が焼けつくような濃密な殺気に、震え上がったクローネンが無実を訴える。

事実、クローネンは、何(・)も(・)し(・)て(・)い(・)な(・)い(・)。

おれはただっ、その娘が汗をかいてたからっ、ね、熱もあるようだったし、布を濡らして熱冷ましにしようと……

手の中の、濡れた手拭いをケイに見せる。

ほっ、本当に少しの間だったんだ! 元々、体調は悪そうだったが、少し目を離して、戻ってきたら、どんどん弱っていって……ティナがあんたを呼びに行った頃には、呼吸も、もう、ほとんど……

しどろもどろになりながら、弁明するクローネン。

その狼狽っぷりを見て、逆に少し冷静さを取り戻したケイは、クローネンが何かをしたわけではなさそうだ、と考えを改めた。アイリーンに追加でポーションを飲ませつつ、

……すまない。少し、動転していた

いや、わかってくれたんなら、いいんだが

おっかない殺気をひっこめたケイに、クローネンがほっと胸を撫で下ろす。

(……それにしても、何でこんなことに)

無意識に噛みしめた下唇が白くなる。顔色が戻ってきた代わりに、再び額に汗を浮かべ始めたアイリーンを前に、疑念が再び湧き上がってきた。

傷は、完全に治っている。それは間違いない。

腰の矢筒からアイリーンが射られた矢を抜いて観察するも、矢じりが体内に取り残されたまま、ということもありえなさそうだ。

(ポーションが足りてない? いや、一瓶飲ませれば生命力は完全に回復するはずだ、それに完全に回復していなかったとしても、瀕死の状態にまで追い込まれる理由が―)

―瀕死の状態にまで、追い込まれる。

はっ、と顔を上げたケイは、右手に握った襲撃者の『矢』を凝視した。

―全くもう、こんな夜中になんだってんだい

―すまんの、しかし事態が事態での

と、部屋の外がにわかに騒がしくなる。

ぎぃっと扉が開き、杖をついてローブを羽織った老婆が、中に入ってきた。

まったく旅人なんざ、とんだ迷惑―ひぇぇぇええぇっっ!!!

入ってきて早々、ぶつぶつ文句を言っていた老婆は、ケイと視線を合わせた瞬間に奇声を上げて腰を抜かしその場に尻もちをついた。

アンカ婆さん、どうした!?

あっ、あんらまぁ、これは……

慌てて駆け寄るクローネンに構わず、へたり込んだ老婆は目を見開いて、そのしわくちゃな顔に驚愕の表情を浮かべている。

婆様、どうしたんじゃ

遅れて、やや疲れ顔のベネットが部屋に入ってきた。

こ、こちらが旅の御方かい? ベネット

そうじゃ、そうじゃ。……ケイ殿、この婆様はうちの村の薬師ですじゃ

ヒッ、ヒヒヒッ、薬師なんて大層なもんじゃない、ただの呪い師さね。アンカ、と申しますじゃ、お見知りおきを……旅の御方

クローネンの手を借りてよろよろと起き上がり、おぼつかない足取りで薬師の老婆は寝台に近づく。

……この娘っ子は、いったい何がどうなっとるんかえ?

実は……

クローネンが、大雑把に状況を伝える。

ふむ……旅の御方、何か心当たりは

……つい先ほど、賊に矢で射られた

アンカの婆様に、ケイは賊が放った矢を渡した。

これは……。しかし、どこを射られたのか、傷跡が見当たらんが……

ここだ

矢を撫でながら不思議そうな顔をするアンカに、アイリーンの胸元を示して見せる。ポーションによって修復され、新しい皮膚が白く残った傷跡。

これで治療した

それは……!?

ケイの手の中の、瓶に僅かに残された水色の液体。視線を釘付けにしたアンカが、はっと息を呑む。

ご存じか。ハイポーションだ

高等魔法薬(ハイ・ポーション)ですと!!

オウム返しに、しわがれ声で叫んだアンカが、再びへなへなとその場にへたり込む。

……あんまり驚かさんで下され、旅の御方。心の臓が止まるかと思いましたわい

あ、ああ、すまない……っと、失礼

そこまで驚くようなことか、と怪訝に思いつつ、また顔色が悪くなってきたアイリーンの口にすかさずポーションを垂らす。

しかし、この矢で、この症状……

唸るように言ったアンカが、アイリーンの額に浮いた汗を指先で拭いとり、口に含む。

……苦い

賊は、イグナーツ盗賊団である可能性が高いそうじゃ

……なるほどの

すっ、とケイを見据えたアンカは、 旅の御方、 と姿勢を正して切り出した。

この娘の症状、これは……この矢に、『毒』が塗られていたのではないかと

…………

ケイの口から、重々しい吐息が漏れる。

やはりそうなるか、と。

そうなってしまうか、と。

リアル路線を謳う DEMONDAL には、当然のように毒も存在した。

即効性のものから遅行性のもの、即死させるものから体を麻痺させるものまで、何種類もの毒薬があり、それは対人戦闘や狩りなどで積極的に利用されていた。

しかし、その毒の大半は、空気に触れるとあっという間に劣化してしまう性質のものが多く、有効活用するためには使用する直前まで密閉容器に保存しておかなければならない、という制約があった。

強力ではあるが、その扱いには細心の注意が求められ、それでいて手間がかかる。

それが、 DEMONDAL のゲーム内における、『毒』の立ち位置であった。

ケイの場合は、素の弓の攻撃力が高すぎるのと、いちいち矢を放つ前に矢じりに毒を塗布する手間がわずらわしいのとで、ほとんど毒を利用してこなかった。

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