飛竜狩りに同道する場合、ケイの懸案事項の一つがサスケの秣(まぐさ)だった。これまでの旅路では、文字通り道草を食わせたり、宿場街で調達する分で事足りたが、今回の目的地は東部の辺境だ。
公国は東に行くにつれ草原から荒原へと変わっていき、さらに大人数の兵団がともに移動することを考えると、現地調達では絶対に足りない。秣をかなりの量、事前に用意しておかないとサスケは飢え死にしてしまう。
行軍速度が非常に遅いであろうことを鑑みれば、ケイが徒歩でついていく手もあったが、それではケイの強みである騎射が活かせなくなる。
件の下級役人にも『歩いてくりゃいいじゃん』という旨のことを言われたが―おそらくは調整を面倒くさがったのだ―飛竜を相手取るには機動力が欠かせないと、“森大蜥蜴(グリーンサラマンデル)“を狩った経験を混じえながら滾々と語った結果、『じゃあ後でコーンウェル商会と交渉してくるわ……』と根負けしたわけだ。
『あの役人が怠け者じゃなくて良かった』
『すこぶる働き者だったさ。話はすぐにまとまったよ。商会が追加で供出する分には、いくらでもどうぞ、とのことだった』
ホランドは肩をすくめる。要は、コーンウェル商会が独自に支援する分には、国の財布は痛まないので好きにしろ、ということだ。
役人も言っていたが、今回の狩りは成功報酬だ。最低限の食事などは軍が手配するものの、快適な旅路を望むならば諸々の経費は自腹となる。
目覚ましい活躍をした者には、帰還後にそれ相応の名誉と褒美を。
ただし労災は下りない―死んだらそれまでだ。
『ありがとう。苦労をかけることになる』
『なに。我が商会の腕利き魔術師を失うわけにはいかないからね』
ケイとホランドは、ぎこちなく微笑みあった。
『……なあ、旦那。どうしても行かないと駄目なのか?』
と、黙りこくっていたアイリーンが、縋るような目で尋ねる。
ホランドは困惑したように口をつぐむ。ケイは、アイリーンが自分と同じような言い方をしたのが可笑しくて、小さく笑った。半ば諦めたように。
『…………せめて、都市からの要請、くらいならばまだ、辞退する手もあったかもしれない。……だけど今回は、……王命だ。しかも名指しでの』
ホランドは苦しげに言葉を絞り出す。『とんでもない!』などと声を荒らげないあたり、これでも精一杯アイリーンの心情に寄り添った回答と言えるだろう。
『あまり、私の立場から無責任なことは言えないが』
沈痛の面持ちのアイリーンに、ホランドは慌てたように言葉を付け足した。
『先々代の陛下の飛竜狩りを思えば、ケイくんはそれほど心配しなくてもいいんじゃないかと思うんだ』
『ほう』
『……というと?』
ケイもアイリーンも、身を乗り出す。
『基本的に、ほとんど軍が矢面に立つんだよ。少なくとも先々代の狩りでは、告死鳥の魔術師と斥候が飛竜を一頭だけ釣って、魔術兵団と攻城兵器でタコ殴りにしたそうだ。従軍した兵士と、後方の支援部隊にはほとんど被害が出なかったらしい―』
対飛竜戦術はゲーム内のそれとは大差ないようだったが、ホランドの話を聞く限り、どうやら投じられるリソース量が桁違いだった。
具体的には、魔術師及び魔道具の数。
数百人単位で、魔術師たちが一斉に術を行使する。これはゲーム内では見られなかった光景だ。
ゲームでは、周年イベントの飛竜狩りはお祭り騒ぎのようなもので、数千人の廃人プレイヤーたちが一堂に会し飛竜に挑んだものの、その中で『魔術師』と呼べるプレイヤーはごくごく少数に過ぎなかった。
なぜかと言うと、飛竜を倒したあとは素材を巡るバトルロイヤルになだれ込むのが恒例だったため、ほとんど全員が『失っても怖くない』キャラ&装備を選択していたからだ。
その点、魔術師は触媒やら魔道具やら高価なアイテムを所持していることが多く、火事場強(・)盗(・)の被害に遭いやすい。1周年のイベントではそこそこ見かけた魔術師プレイヤーも、翌年には開き直って腰布に棍棒のみの蛮族スタイルで参戦していたくらいだ。
『百人単位の魔術師、か……』
個々の力量はゲームの廃人より劣るだろうが、その数は質を補って余りある。極めて強力に統率された兵団がどれほどの威力を発揮するか、冷静に考えれば、ケイたちもおぼろげに推察することはできた。
―案外、いけるか?
魔術師がどのような精霊と契約しているか、また使用される魔道具がどの系統のものかにも依るが、一般的な契約精霊である”妖精”の眠りの術も、百人単位で重ねがけした場合は飛竜の抵抗(レジスト)を十分に打ち破れるのでは、などと考えるうちに、ケイも少しばかり前向きになってきた。希望的観測の感は否めなかったが。
『主役はあくまで兵団だから、ケイくんの出番は……正直、自分から前に出ない限りないんじゃないかなぁ。単騎で”森大蜥蜴”を二頭相手取るよりは、よほど安全だと私は思うけどね』
ホランドの遠慮ない物言いに、思わず苦笑する。
『そういう意味だと、ケイくんより、お友達の”流浪の魔術師”殿の方が危ない立場なんじゃないか。……彼はまず間違いなく、サティナの軍団に組み込まれるだろうから。最前線だよ』
そう言って、ホランドは物憂げに小さくため息をつく。
『あ~……』
ケイは、同郷の日系人の顔を思い浮かべた。サティナの領主のもとで厄介になっている彼は、なるほど、お誂え向きなことに氷の魔術師だ。飛竜狩りにも引っ張り出されるに違いない―困り顔が目に浮かぶようだった。
―結局、アイリーンは納得したとは言い難かったが、ケイたちは少しばかり気を取り直して商会を辞した。
『……なあに、心配いらないさ。アイリーン』
帰り道、ケイはあえて気楽な調子で言う。
『いざとなったら……俺たちには切り札がある』
トン、と胸元を叩いた。
服の下、首からチェーンで吊り下げているのは―飾り気のない指輪。
『本当にヤバくなったら、この”ランプの精”にお願いするよ』
一つだけ、何でも願いを叶えてくれるという、“魔の森”の大悪魔に。
『だから、大丈夫だ。俺(・)は(・)絶(・)対(・)に(・)生(・)き(・)て(・)帰(・)る(・)』
アイリーンの手を引きながら、ケイはニッと笑ってみせた。
『…………うん』
アイリーンも小さく笑ってうなずく。
それでも彼女の手は、可哀想なほどに震えて、冷たくなっていた―
†††
あの日の指先を思い出しながら、ケイはアイリーンの手を握りしめる。
あれから、またたく間に時間が過ぎ去っていった。それでいて、頼りないロウソクの火が、ジリジリと芯を焦がしていくかのように、気が気でない一ヶ月だった。
ほんの僅かでも、ぬくもりを与えられただろうか。残せて行けるだろうか。
それを確かめるより先に、冬の到来を告げる風が熱を奪っていく。
カァン、カァンと遠くで鐘が鳴る。
出陣のときが近いことを知らせる鐘の音が。
商会の使用人が、厩からサスケを連れてきた。 今日も寒いね とばかりに鼻を寄せてくるサスケを撫で、鞍に荷物を載せる。矢筒。携帯食料。飲水の革袋。寝床にもなる毛皮、などなど……。
……行かなきゃ、な
無言のアイリーンとともに道を行く。
左手でサスケの手綱を引き、右手はアイリーンとつないだまま。指と指を絡めて、しっかりと握りしめる。恋人つなぎと呼ぶには、それはあまりに切ないものだった。
昨夜は、別れを惜しんで語り明かした。
それでもまだまだ語り足りなく感じる。
なのに、今は言葉が出てこない。
傍らのうつむきがちなアイリーンを見るに―彼女もどうやら、同じだった。
飛竜狩りに馳せ参じるんだってな! 頑張れよ!
武勇伝、楽しみにしてるぞー!
無事に帰ってこいよ、英雄!
道端で、顔見知りとなった町の住民たちが声をかけてくる。
ケイは少し硬い笑顔で、それに応えた。
ケイさん……どうか、ご無事で
お兄ちゃん、気をつけて、ね!
木工職人のモンタンと妻のキスカ、その娘リリーも、街の正門にケイを見送りに来ていた。
ありがとう。……行ってくるよ
モンタンと握手を交わし、リリーの頭を撫でてから、改めて向き直る。
アイリーン。
世界で一番、愛しい人。
言葉もなく、二人は抱きしめ合い、口づけを交わした。
思えば―この世界に来てからは、いつも一緒だった。
片時も離れずにいたい。その気持ちは今も変わらない。
互いが、互いのいない日々を想像できない。
それなのに、
ケイは行く。
アイリーン
その頬に手を添えて、名前を呼んだ。
……行ってくるよ。必ず無事で戻る
アイリーンは、愛しげにケイの手に頬ずりして、頷いた。
……待ってる。絶対に待ってるから
ケイの緊張をほぐすように、微笑みを浮かべて。
……これほど、離れがたく感じたことはない。
だが、ケイは手を離した。
ブルルッ、といななくサスケに、颯爽とまたがる。
これ以上の迷いを振り払うように。
横腹をポンと軽く蹴ると、忠実な俊馬は滑るように駆け出した。
サティナの城門を抜けると―視界が一気にひらける。
朝焼けを浴びて輝く草原が、風にそよいで波打っていた。
そこに、公国の赤い旗がはためく。
おびただしい数の軍勢が、展開している。
ドン、ドンと太鼓が打ち鳴らされ、高らかにラッパの音が響いた。
巨獣が目覚めるかのごとく、軍勢は緩やかに動き出す。
ケ―イ!!
背後から、かすかな叫び声。
弾かれたように振り返れば、アイリーンが手を振っていた。
ケイの目は、二人の距離を物ともせず、しかと捉える。
青い瞳から溢れ出した涙が、風に散らされていく。
わななく唇から漏れる言葉は、もはや意味をなさない。
だが―これ以上ないほど、気持ちは伝わってきた。
せめて、己の心も届くように。
必ず戻る
ぐっと手を掲げてみせ、ケイは前へ向き直った。
公国の歴史に刻まれる、飛竜狩りが―
ここに、始まった。
飛竜狩り編、開幕。
102. 合流
(これほどの人数が行軍してるところは、初めて見たかもしれないな)
パッカパッカとサスケを駆けさせながら、ケイは胸の内でひとりごちた。
ゲーム内でもイベントや傭兵団(クラン)同士の戦争で大勢のプレイヤーが集まることはあったが、どんなに多くても千人がせいぜいだった。
対して、眼前に集結した軍勢は万単位だ。統一された装備で隊列をなし、歩みを進めるさまは相当な威圧感がある。街道沿いには近隣住民が見物に出ていて、お祭り騒ぎの様相を呈していた。
飛竜狩りに出陣する公国軍―きっとこの光景は絵画として残され、後世に語り継がれていくのだろうな、とケイは他人事のように思う。
そしてこのとんでもない大所帯は、とんでもなく動きが鈍い。この人員を飢えさせないだけの物資を運ぶ、大量の荷馬車が同道しているからだ。軍が自前で用意した補給部隊に加え、それを補助する形で大商会の馬車も続く。
勇ましく行軍する兵士たちも、そのほとんどが陣地構築のための工兵か、物資を守る警備兵だろう。彼らの任務は、飛竜を相手取る魔術兵団と、バリスタや投石機といった攻城兵器群を無事に現地まで送り届けることだ。工兵はそのまま戦う羽目になるかもしれないが。
(それにしてもちょっと多すぎるんじゃないか……)
いくらなんでも、こんな大所帯に襲いかかるならず者はいないと思うのだが―警備の人員はもっと減らせなかったのだろうか? ひょっとすると、公国の支配に反感を抱く草原の民に対しての示威行動も兼ねているのかもしれない。
(だとしたらご苦労なことだ)
この飛竜狩りのためだけにどれほどの物資が消費されるのか、考えるだけで頭が痛くなりそうだ。それを可能とする公国の力を内外にアピールする目的があるのだろうが、いくら年若い次期公王の箔付けのためとはいえ、ケイとしては、費用対効果的にどうなんだと思わずにいられない。特に、お上の事情に巻き込まれた身としては―
そんなことを馬上でつらつらと考えるうち、竜の紋章が刻まれた赤い旗が見えてきた。ウルヴァーンの本隊だ。
最後尾あたりを歩く歩兵隊のうち、そこそこ偉そうだが、気位はそこまで高くなさそうな隊長格の兵士に声をかける。
狩人のケイだ。公王陛下の命により、飛竜狩りに馳せ参じた
自分で口に出しておいてなんだが、多分に皮肉な響きが混じってしまった。ここに来て不満たらたらな様子を見せるのは得策ではない、グッとわだかまる内心を飲み込んで誠実な公国市民の仮面をかぶる。
―義勇隊に合流したいのだが、何処か?