が、そんな理屈など知る由もない残りの三人からすれば、それは未知との遭遇、異次元の恐怖であった。
クソッ、化け物めッ!
叫んだ一人が矢をつがえ、弓を一息に引き絞り、放つ。
しかし、それはケイを命中することなく僅かに横に逸れ、代わりに反撃の一矢を呼び寄せた。ドパッ、と水気のある音を立てて首が千切れ飛び、血飛沫が吹き上がる。
ヒッイィイイイィィィッッ!
だっダメだっ逃げ―ッッ!
残りの二人が泡を食って手綱を引き急制動をかけるが、反時計回りに旋回しつつ弓を構えていたケイに、それは悪手以外の何物でもなかった。
カン、カァンと。
それぞれの馬が体勢を整えるよりも速く。
飛来した矢によって、二人の騎手の頭が弾け飛んだ。
……こんなもんか
どちゃっ、と馬上から滑り落ちる遺体を尻目に、ぽつりと呟く。
ケイが最初の一矢を放ってから、おおよそ二十秒。
草原の民の襲撃者、八騎を相手取った戦闘は、終了した。
しかしケイは、それでも気を抜かずに、馬上から、明らかに死亡していると分かる死体以外に、一本ずつ矢を打ちこんでいく。止めの一撃。前回、盗賊を逃がしてしまった反省からだ。例えひと目で瀕死と分かる状態であったとしても、確実に息の根を止める。
また、生き残った馬も同様に、反抗的な態度、及び逃走の意志が見受けられた場合は、容赦なく射殺する。馬は賢い動物だ。下手に生かしたまま逃すと、草原の民の居住地まで戻って仲間を呼んできかねない。『こちら』に来たとき、離れ離れであったケイとアイリーンを、引き合わせてくれたミカヅキのように。
淡々と、機械的に後始末を進めていたケイだったが。
ある一人の草原の民の戦士を見て、その動きを止める。
倒れ伏した愛馬の横で、地面にへたり込んだ一人の戦士―ケイが、回避運動を先読みして矢を命中させた、顔布の戦士だった。
見れば、落馬の衝撃でやられたのか、右腕と左脚が、妙な方向にねじ曲がっていた。
重度の骨折―しかし、死に至るほどではない。そんな状態。
地面に座り込んだまま、痛みを堪えるように荒い呼吸で、涙目になりながらも戦士はキッとケイを睨みつけた。
……女、か
ぽつりと。思わず、といった様子で、ケイの口から言葉が漏れる。
顔布の戦士は、ケイよりも少し年下程度の、若い女だった。
顔には当然のように、草原の民特有の、黒い紋様が刺青で彫り込まれている。しかし、それでも目鼻の作りがはっきり分かる、アジア系の濃い顔立ちの美人だった。よくよく見れば、革の胸当てを押し上げる胸のふくらみや、女性らしい曲線を描く腰つきが目に入る。
ずぐん、と。
血の匂いに麻痺した脳髄の奥で、何か痺れるような甘い感覚が鎌首をもたげるのを、ケイはおぼろげに自覚した。
…………
恐ろしく無表情のまま、じっとこちらを見つめるケイに何を思ったのかは知らないが、身体を引きずるようにずるずると後退した女は、左手で腰の湾刀を抜き放ち、ケイに向けて構える。
ふるふると揺れる刃先、ケイを睨みつける釣り上がったまなじりから、涙が一筋こぼれ落ちた。
くっ……、こっ、殺せッ!
震える声で、叫ぶ。
―言われるまでも、ないことだった。
我に返ったように。
無言のまま矢をつがえたケイは、女の顔面に向けて無造作に一撃を叩き込んだ。
ズチュッ、という湿った音を立て、矢じりが女の右目に深く深く潜り込む。耳と鼻から血を噴き出した女は、糸が切れた操り人形のように仰向けにひっくり返り、そのままカクカクと細かく身体を痙攣させた。命の残滓と呼ぶには、あまりに滑稽な姿。
まるで酔っ払いでもしたかのように、ぐらぐらと視界が揺れている。戦闘時とは異なる、妙に大きく聴こえる心臓の鼓動。この、胸を締め付ける感覚が何なのか、判断しかねたケイは、ただ空を見上げて深呼吸を繰り返した。
……ケーイ!
と、遠くから、アイリーンの声。弾かれたように前を見やれば、木立の方から、心配げな表情のアイリーンがぱたぱたと駆けてきている。
……終わった、のか?
周囲に散在する死体を前に、青白い顔のアイリーンは、呟くようにして問うた。
ああ。全滅だ
顔布の位置を直しながら、明後日の方向に目をやったケイは、簡潔に答える。
そ、そっか……。うっ
風の向きが変わり、風下になったアイリーンに、鮮血の香りが一気に吹き付けた。口元を押さえ、思わず俯いたアイリーンが、さらに足元に転がっていた女の死体を見て目を見開く。
……女?
……ああ。顔布をしてたから、そうとは気付かなかった。だから、手加減も出来なかった
目を逸らしたまま、ケイは早口でそう言った。
アイリーンと目を合わせるのが、怖かった。
…………
……俺は、他を見てくる
沈黙に耐えかねて、そそくさと、ケイは他の死体の場所へと移動し、物品漁りを開始した。金目の物を集めていると、数分としないうちにアイリーンが側にやってきて、近くの死体にしゃがみこんだ。
……オレも、手伝う
いや、いい。アイリーンはしなくてもいい
紙のように白い顔のアイリーン。明らかに無理をしているのがバレバレだったので、ケイは軽い感じを演出しつつ、その提案を却下した。
でっでも、ケイだけにやらせるなんて、そんな、
あー、それじゃあアレだ、馬が逃げないように見張っといてくれないか。サスケの近くにいるヤツら
もっしゃもっしゃと、近くで草を食むサスケを指差して、ケイ。サスケの周囲では、三頭の馬が尻尾を振りながら、サスケと同じように草を食んでいる。草原の民の乗騎の中でも、特に従順な性格の馬だ。
この三頭は生かして連れて行くことにしたので、アイリーンにはその見張りを担当してもらうこととなった。
……なあ、ケイ
ん?
草原の民の矢筒から質のいい矢を選別していると、アイリーンが声をかけてくる。
何だ?
『こっち』の世界だと、女も、普通に戦うのかな
……さあな。分からん
分からない、としか言いようがなかった。真面目に答えるにはデータが少なすぎるし、今のアイリーンには、答えたくなかった。
ただ、まあ……男だろうが女だろうが、死ぬときは死ぬんだろうな、『こっち』の世界は……
ケイが独り言のように呟くと、アイリーンは そっか と短く返した。
最終的に、多数の質の良い矢に、まずまずの量の銀貨銅貨、そして装飾品など金目の物を手に入れたケイたちは、捕えた馬にも可能な限り生活物資や武具なども載せてから、再び東へ向けて出発した。
ケイはサスケに、アイリーンは特に性格が穏やかな一頭に乗り、他二頭は荷物の運搬役に用いることになった。
道中、あまり会話もないままに、街道に併走するようにして草原を突っ切ること、一時間弱。
丘陵地帯から平地に移り、視界が開けてきたところで、巨大な川―“モルラ川”と、大きな城壁を持つ街が見えてきた。
近隣の村々の生産物が集積され、多くの商人や職人でにぎわう街。
ケイとアイリーンは、城郭都市”サティナ”に到着した。
2013/09/12 交易都市→城郭都市に変更
幕間. Laneza
―どうにも、寂れた村だった。
ダリヤ平原の遥か南、森の奥に切り開かれたささやかな土地。
そこに、ひっそりと隠れるようにして、“ラネザ”の村はあった。
人口五十人に満たないこの小さな村は、極限にまで過疎化が進んだ限界集落だ。過去の戦役で村を連れ出された若者たちは、奇しくも従軍を経て外の世界を知り、あまりにも閉塞的な生まれ故郷に嫌気がさして、その殆どが村には帰って来なかった。
村に戻ってきたのは、外での生活の口が見つからなかった者と、戦死者の遺品だけ。
残った住人のみでの村の再興には限界があり、元々大した特色もなく、しかも街道から大きく外れていたラネザの村は、あっという間に廃れていった。
時代から取り残された村。
税務官ですら、税の徴収に来るのを忘れてしまうような、辺境の地。
ここ十年で人口はさらに落ち込み、住民の半分以上が老人となってしまった今、ラネザ村の消失は、時間の問題と言えた。村人たちに、それを自力で解決する方法は残されていない。交通の便も金回りも極端に悪いこの村を、わざわざ訪ねる物好きなど、そもそも存在しなかった。
―彼(・)ら(・)を除いては。
森を貫く一本道、ずるずると身体を引きずるようにして、互いで互いの身体を支え合いながら、のろのろと歩く二人組の姿があった。
一人は、右肩にどす黒く変色した包帯を巻いた、背の高い茶髪の男。
もう一人は、顔の下半分を黒布で覆い、杖代わりの木の棒にすがりつくようにしながら、ぎこちなく歩くやつれた男だ。
二人ともが、全身黒ずくめだった。足には黒染めの革の脛当て、腕には同じく黒革の小手。右肩を負傷した男は長剣を、もう一人は血塗れの短剣を、それぞれに腰に差しているが、それ以外には何も荷物を持たなかった。その身一つで、命からがら逃げ出してきた―そんな、印象。
人目を避けるようにして、男たちは薄暗い森の中を進む。過疎化の進んだ村には、殆ど人影は見えなかった。しかしそれでも、何人かの村人は彼らの姿を見咎め、―そのまま何も見なかったことにするかのように、目を逸らす。
そんな村人たちに構うことなく、男たちは歩き続けた。村外れに向かって森を抜けると、やがて開けた空間に出る。
そこは、墓地であった。
ぽつぽつと等間隔で並ぶ、草花に覆われた盛り土。墓標代わりに打ちつけられた木の棒、その間を縫うように、よろよろと墓守の家に向かった。
墓守の家―堅牢な造りの、大きな家だ。村の小さな木造の家々とは違い、質の良い石材でしっかりと基礎が組まれている。寂れた過疎集落の墓守にしては、分不相応なまでに贅沢な住処。
二人組のうち、右肩を負傷していた方が、なけなしの力を振り絞るように、左手で玄関のドアノッカーを打ち鳴らす。
一定のリズムを持って叩かれるそれは、明らかに符丁とわかる特殊なノックだった。家の中でガタガタと椅子を引く音が響き、扉が僅かに開かれる。
隙間から外を窺うように顔を出したのは、灰色の髪に長いあごひげを蓄えた、まるで隠者のような老人だ。立っているのもやっと、と言わんばかりにボロボロな状態の二人組を見て、老人は僅かな動揺を顔に浮かべつつ、ひとまず彼らを中へと招き入れる。
パヴエル? それに―そっちはラトか? どうしたんじゃその格好は
……隊長が、死んだ。俺たち以外は、皆、やられた……
居間に入ると同時に老人が問いかけ、右肩を負傷した茶髪の男―パヴエルが、喘ぐように答えた。 何だと…… と眉をひそめる老人をよそに、短髪の男は右肩を押さえながら、壁に背を預けてずるずると床に座り込む。木の棒にすがりながらよろよろと歩くもうひとりの男―ラトは、 ぉぉぉぅ…… と苦痛の呻きを上げながら、居間の椅子にゆっくりと腰を下ろした。
信じられん……。モリセットめ、あやつ、くたばりおったか……
…………
パヴエル、一体何があった。モリセット(あやつ)はそうそうヘマをするような男ではなかろう? 襲う相手を間違えたか? それとも、逆に襲撃を受けたのか?
…………
老人の問いに、しかし『パヴエル』と呼ばれた短髪の男は、俯いたまま答えない。
おい、パヴエル?
若干慌てた老人が、しゃがんでパヴエルの顔を覗き込むと、どうやら話を始める前に気を失ってしまったらしい。
首筋に手を当て、パヴエルの呼吸と脈があることを確かめた老人はしかし、それがごくごく弱いものであると気付いて これは不味いぞ とやおら立ち上がった。
ロミオー! こっち来い!
ぱんぱんと手を叩きながら声を上げる。 はいッ! と奥の部屋から返事が聞こえ、茶色の癖っ毛を跳ねさせた小間使いの少年が、居間にひょっこりと顔を出した。
ロミオ、ギスラン先生を呼んでこい。急患が二人だ、そう伝えろ
わっ、わかりました
居間の負傷者二名にぎょっとした顔をしつつ、ロミオと呼ばれた少年が駆け足で家を飛び出していく。
しかし……モリセットが死んだか……
あごひげを撫でながら、虚空を睨むようにしていた老人だったが、ふと、黙ったまま椅子に座り、昏(くら)い目で床をじっと見つめるラトに目を止めた。
……ラト、お前もずいぶんやつれてるな。一瞬、誰だか判らなかったぞ。どこを怪我した? 足をやられたのか?
……
その問いかけに、ラトはゆっくりと、顔を覆っていた布を取り外した。布の下から露わになった『傷』に、老人は口元を押さえ うっ と数歩後ずさる。
でろり、と。