背中側に座るアイリーンが後方を見張っているので、負担は幾分か軽減されているものの、殺気の感知はやはりケイの領分だ。いずれにせよ全方位に気を払う必要があり、しかも実際に、危険に曝されるのは自分たちの命となると、精神的な重圧もひとしおだった。
流石にそろそろ、集中力が持たない。
ゆえにこの休息は、サスケだけではなく、ケイにも必要なものといえた。ビスケットをかじる今も、ケイはもちろん警戒を続けているが、移動しながら次々と現れる地形に注意を払い続けるのと、一点に留まって周囲を警戒するのとでは、心理的負担が全く違う。
―あと十分ほど休憩したら、出発するか。
小川の澄んだ水を眺めながら、ぼんやりと考えていると、横でアイリーンが立ち上がる気配。
……ケイ、大丈夫か?
こちらを覗き込むように。視界に、アイリーンの心配げな顔が大写しになる。
……問題ない。気を張ってたから、ちょっと疲れただけだ
はは、と小さく笑って見せると、 ……そっか と呟いたアイリーンは、表情を曇らせたまま木の根の上に座り直した。
しばし、互いが互いの様子を探り合うような、そんな沈黙が流れる。
なんとなく気まずくなってしまった空気を誤魔化すように、視線を泳がせたケイは、首元に垂らした白い顔布をそっと撫でつけた。
それは、盗賊との戦闘で駄目になった元の一枚の代わりに、シンシアが出立前に贈ってくれたものだ。シンプルな白い布地に、一筋の赤い模様。彼女は裁縫が得意らしく、左端の頬にあたる部分には、赤い糸を使った可憐な花の刺繍が施してある。
これで可愛い雰囲気になりますよ、というのはシンシアの言だが―たしかに、刺繍そのものはよく出来ており、とても可愛らしいのだが、一応は戦装束である顔布にチャーミングな装飾を施すあたり、何か独特な彼女のセンスを感じる。
マンデルから忠告を受けた以上、ケイが顔布を使う時が来るとすれば、それは殆どの場合、対人戦闘を意味するのだが―。
小さく溜息をついて頭を振ったケイは、薬液が乾いてパリパリになった頬の包帯を撫でながら、ちらりと横を見やる。
木の根に腰かけるアイリーンは、足の爪先を伸ばしたり曲げたりしながら、頭上を見上げて木漏れ日に目を細めていた。風避けのマントに、刺繍の入った頭のスカーフ、さらさらと風に揺れるポニーテール。黒革の籠手に、革のベスト、ベージュのチュニックからすらりと伸びる脚は、“NINJA”の黒装束と脛当てに包まれている。
手足の防具を着けている、背中にサーベルを背負っている、という二点を除けば、『余所行きに少しおめかしした村娘』という印象だ。しかし、そんな可憐な旅装束に、ケイはむしろ渋い顔をする。
……なあ、アイリーン
ん? どした?
やっぱり、鎖帷子、着ておかないか?
革鎧の隙間から覗く鎖帷子を、じゃらじゃらと鳴らしてみせた。
―軽装過ぎる。
ケイが今、最も懸念しているのは、他でもないアイリーンの防御力の低さだ。
革防具はおろか、布防具と呼べるものすら着けず、普段着のままでいるのは余りにも無防備なのではないかと。言外にそう指摘するケイに、対するアイリーンはなんとも微妙な表情で答えた。
……やめとく。重いし、サイズ合わないし、重いし、重いし……
いや、しかしなぁ。この間みたいに矢で射られたらと思うと……
アレは油断してただけだ! 今なら避けるなり弾くなりできるさ!
……本当か?
できるって!
……本当に?
なんだよその目は! いや、説得力がない自覚はあるけどさッ!
なんなら試してみるかウラーッ、とサーベルの柄に手をかけるアイリーンを まあまあ と落ち着かせながら、ケイは唸る。
たしかに、アイリーンの技量ならば、視界圏内から飛来する矢に対応することは、そう難しくないだろう。それは『アンドレイ』の時代から付き合いがあるので分かる。受動感気(パッシブセンス)が苦手といっても、あからさまな攻撃は探知できるわけだし、見てから捌くなり避けるなりするだけの反射神経もあるはずだ。ケイが全方位に受動(パッシブ)の網を張っており、アイリーンは一方向にだけ集中していればよい現状、よほどの事態でなければ遅れを取ることもないとは、ケイも思う。
思うのだが。
う~む、しかし、どうにも不安なんだよな……
気持ちはわかるけどさ……でもオレから機動力とったら、何も残らないだろ? 特に女の身体に戻ってから、さらに筋力落ちたっぽいし。体重も軽くなったみたいだから、ただ動く分には問題ないんだけどさ……
気だるげにゆっくり立ち上がったアイリーンが、 よっ と身をかがめて垂直に跳び上がる。
ふわりと。
まるで重力を感じさせない動きで頭上の木の枝を掴み、くるりと逆上がりの要領で回転して、枝の上に降り立つ。
ケイが足を掛ければ、確実に折れてしまうであろう細さの枝。しかしアイリーンは、僅かに木の葉を揺らしただけだった。
アイリーンの身体能力の秘訣は、何と言ってもその体重の軽さにある。筋力の強さの割に、体重が異様に軽いのだ。
キャラクターの『生まれ』は細身な体格の『森林の民』を選び、三つの紋章枠のひとつをどマイナーな『身体軽量化』で潰してまで減量、さらに『身体強化』『筋力強化』の紋章で最低限の筋力を確保し、各種戦闘系のマスタリーによって運動能力の底上げを図る。
そうして誕生したのが、極限までに機動力に特化した軽戦士、“NINJA”アンドレイだ。防御はまさしく紙そのものだが、身軽さにおいては他の追随を許さぬ、まさしく浪漫の塊。
ゲーム内では、型にさえはまれば爆発的な強さを発揮するキャラクターであったが―しかし、話が現実となると、そうも言っていられなくなる。
……ゲームの中なら、矢が刺さろうが腕がもげようが動けていたが……現実だとそうもいかないぞ
そりゃあ分かってるけどさ。でも仮に、防具のおかげで生き残れたとしても、重さのせいで逃げ切れずに捕まって嬲りモノ、なんてのは御免だぞ?
それは……まぁな。難しいところだ……
ぽりぽりと頭をかきながら、ケイは困り顔。だがそこで、アイリーンの『嬲りモノ』という言葉で、ふと考える。
―仮に、強盗や追剥の類がケイたちに襲撃を仕掛けるのであれば、ひと目で美人と分かるアイリーンよりもむしろ、ケイを優先的に攻撃するのではないだろうか。
そして初日に遭遇した盗賊たちも、最初の一矢はケイに放ってきたことを思い出した。
(初撃がアイリーンに行かないんなら、機動力があった方がいいか……)
不意打ちでも初手を凌げれば、アイリーンはその機動力で逃げ切れるし、撹乱や攻撃に回ることもできる。ケイは鎖帷子を着けたままなので生存率が上がる。
……そうだな。身軽なままでいる方がベターか
うん、オレもそう思う
木の上で腕を組み、うんうんと頷いたアイリーンは、どこか視線を遠くして小さく溜息をついた。
あぁ。……こんなことなら、“竜鱗(ドラゴンスケイル)“着けてくりゃ良かったなぁ……
“竜鱗鎧《ドラゴンスケイルメイル》”―飛竜の鱗を縫い付けて作る、今のアイリーンが装備できる防具の中で、おそらく最高の防御力を誇る鎧だ。布地をベースとしているため動きを阻害せず、鉄よりも堅牢な飛竜の鱗はしかし羽のように軽い。デッドウェイトが命取りとなる軽戦士にとって、それは最高の相性を持つ鎧といえた。
飛竜の鱗は極めて貴重な素材なので、充分な量を確保できずに、『アンドレイ』は胸から胴の一部を守れる程度の鎧しか作れなかったが、それでも他の追随を許さないその性能から、どんなサイズであれ”竜鱗鎧”は軽戦士垂涎の一品であった。
ゲーム内でアンドレイは、その鎧を後生大事に銀行に預けており、紛失(ドロップ)の心配がない武道大会や特定のイベント以外では、決して持ち出すことはなかった。
今の状況下であの鎧があれば、どれほど頼もしかっただろうかと、ケイは考える。
こんな状況になるなんざ、予想できる奴はいないだろ。仕方がないことだ
まぁーな。その点ケイはラッキーだったな……良い弓持ってて
違いない。……どうだ、鱗取りに、“飛竜”でも狩りに行くか?
弓を持ち上げてケイがそう言うと、アイリーンは ハッ と乾いた笑みを返した。
冗談。命がいくつあっても足りねーよ……。今のケイがあと100人と、オレが50人くらいいたら考えるかな。あと弩砲(バリスタ)と投石機(カタパルト)が最低5機ずつは欲しい
それに水系統の純魔術師(ピュア・メイジ)もな
あーそっか、魔術師も必要か……
無理だな……と。
二人揃って遠い目をする。
“飛竜”は、空飛ぶ宝の山だ。
骨や鱗は防具に。
牙や爪は武器に。
眼球は高位の魔術触媒に。
内臓は魔法薬や霊薬の材料に。
中でも”飛竜”の血には、飲めば身体能力が強化されるという、プレイヤーが死亡しない限り半永久的に持続するバフ効果があるので、生産職から戦闘職まで全てのプレイヤーがその恩恵を求めてやまない。
しかし、 DEMONDAL のサービス開始から三年。プレイヤーの手による”飛竜”の討伐は、未だに片手で数えられる程度しか確認されていない。
その数、僅か五頭。
大手の傭兵団(クラン)が連合を組んで討伐に成功した三頭と、 DEMONDAL サービス開始二周年記念、三周年記念のイベントでそれぞれ討伐された二頭のみだ。
何故、これほどまでに少ないのか―理由はいくつかあるが、最も大きいのは、まず”飛竜”が強すぎることだろう。
でかい、空を飛ぶ、火を吐く。
“飛竜”の特徴を端的に表せばこうなるが、その強さは、もはや凶悪というレベルではない。
まず、“森大蜥蜴(グリーンサラマンデル)“並の巨体は、それ自体が既に凶器だ。さらに全身が最高の防具の代名詞たる”竜鱗”で覆われており、弱点らしい弱点といえば眼球や鼻の穴、鱗が存在しない口腔くらいしか存在しない。
そこに加えて、飛行能力と、炎の吐息(ブレス)だ。
“飛竜”は戦闘中、滅多に地上には降りて来ない。獲物が息絶えるか、腹にため込んだ可燃性の粘液が底を突くまで、目標の上空を旋回しつつブレスを浴びせ続けるという、その優位性を最大限発揮できる戦い方を好む。
つまり、どうにかして”飛竜”を空から叩き落とさなければ、ブレスに蹂躙されるのみで、そもそも『戦い』にすらならない。
そこで必要とされるのが、弩砲(バリスタ)や投石機(カタパルト)といった攻城兵器だ。囮役が”飛竜”を射線上に誘い込み、投網やロープを投射して翼に絡みつかせ、地面に叩き落としてタコ殴りというのが、“飛竜”狩りの定石とされている。これは、落下時に大きなダメージを期待できるので、かなり有効な戦術だ。ある傭兵団(クラン)が討伐した一頭に至っては、勢いよく頭から地面に突っ込んだ結果、首の骨が折れて即死したらしい。
しかし、有効な戦術であるといっても、飛行中の”飛竜”に原始的な兵器を命中させるのは容易ではなく、そもそも命中したところで上手いこと翼が封じられる保証はない。攻城兵器の攻撃が不発に終わり、再装填を終える前に全てが焼き尽くされ、撤退せざるを得なくなった、というのはよく聞く話だ。
そして、地に堕ちたところで竜は竜、翼が封じられても炎の吐息(ブレス)は健在で、その火力は地上戦においても如何なく発揮される。例え地上戦力が充実していても、水系統の魔術師の加護がなければ、全員仲良く消し炭にされて終わりだ。
“飛竜”を引き付けられる優秀な囮役。
対空弾幕を張るに足る十分な数の攻城兵器。
攻城兵器を運用できるだけの人員。
地上で”飛竜”と交戦する屈強な戦士団。
“飛竜”のブレスを軽減できるだけの、豊富な魔力を持つ水系統の魔術師。
そしてこれらを揃えられる組織力・資金力をもってして、ようやく、“飛竜”と戦うためのスタートラインに立てる。
ワープ魔法やチャットの類が存在しない DEMONDAL では、まず頭数をかき集めて集団行動を取るだけでも一苦労だ。さらに、大勢のプレイヤーがお祭り気分で集う周年記念のイベントならばともかく、平時の”飛竜”狩りでは敵対組織の妨害や嫌がらせも予想され、道中では他モンスター(“森大蜥蜴”、“大熊”)や盗賊NPCなどとも遭遇しうるので、いずれにせよ一筋縄ではいかない。
“飛竜”狩りを企画して、それを実行に移せるだけのプレイヤー集団は、ゲーム内にも数えるほどしか存在しないのが現状だ。