加えて、ゲーム内のマップの探索が進むにつれ、 深部(アビス) と呼ばれる森や高山の奥地で、老衰して死に場所を選ぶ”飛竜”の姿が確認されるようになった。狩りに大規模な戦力を動員するよりも、 深部 の探索に人員を割いた方がコスパが良いと判明したので、近年では”飛竜”狩りをわざわざ決行する傭兵団(クラン)は減少傾向にある。
余談だが、ケイの”竜鱗通し”の材料は、サービス開始三周年記念の”飛竜”狩りイベントで手に入れたものだ。
普段はいがみ合う傭兵団(クラン)同士も、忌み嫌われるPKすらも、皆が手を取り合って一致団結し、果敢に”飛竜”に立ち向かっていくのがこのイベントの醍醐味だ。長年の確執を水に流し、同じ戦場に立つ戦友として助け合い、あるいは肩を並べて一心に剣を振るう。オンラインゲームの原点、ひとつの世界のプレイヤーとして共に戦う高揚が、連帯感が、そこにはあった―
“飛竜”を倒すまでは。
“飛竜”が息絶えると同時に、その連帯感にひびが入り、呆気なく砕け散って崩壊するのは、このイベントのお約束だ。
お友達ごっこは終わりだぜ と暴れ出すPKたち、竜の血を飲もうと殺到するプレイヤーの群れ、それらを横殴りになぎ倒す弩砲(バリスタ)や投石機(カタパルト)の砲弾。敵対組織に向けて攻撃魔術がぶっ放され、矢の雨が降り注ぎ、竜の上によじ登って意味もなく雄叫びを上げていたプレイヤーが飛来した投斧(ハチェット)に打ち倒される。
そんな混沌とした空気をよそに、ケイは竜の血を口にし、翼の腱を剥ぎ取り、ついでに隣のプレイヤーをぶち殺して翼の皮膜を奪い取り、いつの間にか死んでいたアンドレイの遺体を担いで、その場から脱出することに成功した。
それが、十日ほど前の出来事だ。幸いなことにイベント以降、ケイは一度も死亡していない。“竜鱗通し”の使用感を鑑みるに、竜の血の効能は、『こちら』の世界にも持ちこされているようだった。
(アイリーンの言うとおり、俺はかなりラッキーだったな……)
ケイの元々の筋力では、“竜鱗通し”はどうにか実戦でも扱えるというレベルで、ショートボウのような気軽な運用は到底望むべくもなかった。
竜の血の身体強化は死ぬまで有効だが、再受肉(リスポーン)の存在しない『こちら』では、それで十二分に役に立つ。
(俺は充分ラッキーだ……無い物ねだりをしても仕方がない、か)
とりあえず今は、自分のできるベストを尽くそう、とケイはひとり頷く。
結局その後、さらに十分ほどのんびりしたところで、ケイたちは再び出発した。
サスケの背中に揺られながら、ケイはちらりと後ろを見やり、
そうだ、アイリーン。次の町に着いたら、盾を買おう
盾? 何に使うんだ?
決まってるだろ、お前のためだよ。飛び道具対策だ
……え~
ケイは前方を見張っていたが、声だけでアイリーンの嫌そうな顔が容易に想像できたので苦笑する。
いらねーよ、重いし……
邪魔な時は捨てればいいだろ
え~……
あとレザーアーマーも買おう、最低限の胸部だけ守るヤツ。お前の胸のサイズに合うのがあればいいな
んー、小柄な男向けのヤツなら、普通に使えると思う……って、だからいらねーっての!!
ぽこぽこと、抗議の拳が背中を叩く。ははは、と声を上げて笑いながら、ケイはひとり、弓を握る手に力を込めた。
†††
それから、しばらくして。
相も変わらず、周囲への索敵に神経を擦り減らすケイに、見かねたアイリーンが、街道を北に外れることを提案した。
曰く、小川を併走するように草原を突っ切って行けば道に迷う心配もなく、それでいて視界が開けるので、不意打ちを受ける可能性もぐっと減る、と。
よくよく考えてみればその通りで、ケイたちは馬車を抱えているわけでもなし、必ずしも整備された街道の上を行く必要はない。
アイリーンの助言通り道を北側に外れたケイは、草原の大地が描く緩やかな丘陵を眺めながら、しばしの心休まる旅路を満喫していた。
―しかし。
安らかなる時は、唐突に終わりを告げる。
あっ
後方を見張っていたアイリーンが、小さく声を上げた。 どうした と振り返ったケイは、見やる。
左手後方。距離は、五百メートルほどの彼方か。
草原の丘を越えて、続々と姿を現す黒い騎馬。
その数、八騎。
…………
二人の沈黙が、緊張を孕んだ。片手で輪を作り、それを望遠鏡のように覗き込みながら、ケイはさらに目を凝らす。
黒い騎馬を駆る者たち―細やかな紋様と、羽根飾りで彩られた革鎧。アジア系を彷彿とさせる濃い顔立ちには、独特なうねりを描く黒い刺青。何人かは、顔布を着けているようだった。
間違いない。草原の民だ。
不意に、脳裏にマンデルの言葉が甦る。
『―盗賊まがいの不義を働く草原の民もいると聞く』
ぐっ、と内臓を掴まれたかのような不安感が、腹の奥底から湧き上がる。
件の草原の民もケイたちの姿に気づいたらしく、数人がこちらを向いて、何やら言葉を交わしているのが見えた。
……絡まれたら厄介だ。街道に戻るぞ
う、うん
こくこくと、アイリーンが不安げに何度も頷く気配を背に、ケイはサスケを加速させて街道の方へと手綱を引いた。
ちらりと後ろを振り返ると、草原の民は、何故か、こちらへ馬首を巡らせ、
なんか、追ってきてるんだけど
そう言うアイリーンの声は、微かに震えている。それをよそにケイの瞳は、彼らが矢筒の口の覆いを取り外しているところを、捉えた。
…………
ハァッ、ハァッという、サスケの苦しそうな呼吸音が響く。
……連中、なかなか良い馬に乗ってやがる
舌打ち交じりのケイの言葉は、苦々しい。度々、振り返って確認するごとに、少しずつ彼我の距離が近づいていた。サスケにかなり無理をさせているにも関わらず―やはり、超過重量が、不味い。
オ、オレのせいだ、街道から外れようなんて、言ったから……
落ち着け、お前のせいじゃない
顔面蒼白なアイリーンに、間髪いれずケイは声をかける。
街道にいたら、気付かずに奇襲されていた可能性もある。早い段階で見つけられて、むしろ良かったぐらいだ
口ではそう言うものの、本当にそうだったかは、分からない。
ぺろりと唇を舐めたケイは、首に垂らしていた顔布をずり上げつつ、鋭い視線で周囲を見回した。顔布の赤い花の刺繍が、ひらひらと風に揺れる―。
そしてふと、前方に生い茂る木立に目を止めたケイは、
……アイリーン
っ、うん
前、見えるか。あの木立
うん
あそこで、悪いが、ちょっと降りてくれ
……えっ?
困惑の声。
もちろん、置いてくわけじゃないぞ。サスケを楽にしてやりたくてな
戦うのか?
ああ。連中は、どうやらヤル気のようだからな
ふん、とケイが小さく鼻を鳴らすと、アイリーンは、 そうか、分かった、……分かった と呟いた。
オレは……どうする。隠れとけばいいのか?
そうだ。連中に気付かれないよう降りて、じっとしておいてくれ。あとは俺が何とかする
…………
アイリーンは、何も言わない。そうしている間にも、目の前に木立が迫る。
そろそろだ、準備しろ。速度緩めるぞ
いや、大丈夫だ。速度はそのままで突っ切ってくれ
きっぱりとしたアイリーンの返答は、声こそは硬かったものの、それでも芯のしっかりと入ったものだった。
お前が身軽でよかったよ、鎖帷子を着てなくて正解だったな
そーだろ? だから何度もそう言ってるじゃねーか
全くだ。次の町に着いたら、一杯おごるぜ、相棒
ケイの軽口に、アイリーンは ハッ と笑い声を返す。
楽しみにしてるよ、相棒
がさりと、サスケが茂みを突き破り、木立に突入した。
狭まる視界。
木々の幹に、緑の葉に、ケイたちの姿が覆い隠される。
行けッ
あいよッ!
たんっ、とアイリーンがサスケの背中を蹴り、空中に浮かびあがった。
勢いもそのままに、革の手袋でしっかりと木の枝をつかみ、そのままくるりと身体を回転させつつ、ぱっと手を離した。
水平方向の運動エネルギーを回転で相殺し、別の枝へと跳び移ったアイリーンは、体勢が安定すると同時に素早い動きで、さらに樹上へと登っていく。
(……見事だな)
横目でそれを見送ったケイは、こんな状況下にあっても、感嘆の念を禁じえない。あれほどの勢いで跳び移ったにも関わらず、樹木は風にそよいだ程度しか揺れていなかった。この視界の悪さならば、ケイ並の視力でもない限り、絶対にバレることはない、と確信する。
続いてケイが、鞍に括りつけられていた荷物を次々に取り外していくと、見る見るうちにサスケの足取りが軽くなっていった。
木立を、抜ける。
ぶわりと、広がる視界。
何も遮る物のない、草原の大地。
どうやら襲撃者たる草原の民は、ケイが木立の中に居座る可能性を考慮していたらしい、二手に分かれて木立を挟み込み、包囲するようにして前進していた。
その数は、変わらず八騎のまま。アイリーンには気付いていないようだと、ケイはひとまず安心する。彼らは真っ直ぐに突き抜けたケイの姿を確認するや否や、小魚の群れがそうするように、再び合流して追いかけてきた。
カヒュッ、カカヒュッカヒュンと、乾いた連続音。
鈍い殺気を背中で感じ取り、弾かれるように振り返ったケイは、己の”受動感気(パッシブセンス)“の導くままに左手を振るう。
パシッ、という音を立てて、ケイに命中するはずだった矢が、朱色の弓に叩き落とされた。他の矢は近くをかすめ飛びつつも、ケイ・サスケ両者とも害することなく、草原の大地に突き刺さる。
(―射かけて、来たな?)
心の中で、問いかけた。
こちらから、先制攻撃を仕掛けるつもりは、なかった。なぜなら、本当に敵かどうか、分からなかったからだ。
しかし他でもない彼ら自身が、彼らの意志を、立ち位置を表明した。ならば、それに対する返答は、ひとつしかあるまい。
ばくん、ばくんと、心臓の鼓動の音。熱い血潮が全身を駆け巡り、頭の中は燃え滾るようだった。それでいて世界は冷たく、鋭く、どこまでもフラットに収束していく。
右手で、矢筒から一気に、三本の矢を引き抜いた。
上体を逸らし、仰向けに寝転がるようにして、サスケの背に身を横たえる。
遥か後方、天地逆転した視界の中で、ケイの瞳に八騎の敵が映り込んだ。
迷いなど、在る筈もない。
かき鳴らす、まるで楽器のように、左手の強弓。蒼穹に響き渡る死神の音色、三重奏。
草原の民の戦士たちは、閃く銀色の光を知覚した。
瞬間。
先頭から順番に、三人が吹き飛んだ。
―え?
呆気に取られた後続の、一瞬の思考の停止は、ケイに上体を起こし次の矢をつがえる時間を与えた。
馬鹿なッ!
草原の民の一人、壮年の戦士が愕然とした表情で叫び、そしてそれが最期の言葉となった。馬の頭部を貫通した矢がその胸に突き立ち、馬上から身体を吹き飛ばしたのだ。
ッ、散れェ―ッ!!
顔布で表情を隠した戦士のひとりが、逼迫した声で仲間たちに叫ぶ。動きに変化をつけなければ、ただのよい的であると。
それとほぼ同時、カァンッ! と小気味よく響く、快音。
弓の音を耳にして、慌てた顔布の戦士は乱暴に手綱を引いた。主(あるじ)の唐突な指示にも、よく躾けられた草原の民の馬は応える。身体を傾け、速度を殺さずに左へ転進、見事な回避運動を取って見せた。
―そして、そこへ吸い込まれるように、突き立つ矢。
苦痛のいななきと共に崩れ落ちる騎馬、馬上から投げ出された騎手は、 えっ とただ間の抜けた声を上げた。
―なんで。回避運動を取ってたのに。
呆然としたまま、地面に勢いよく叩きつけられる。パキバキィッ、と派手に骨が折れ砕ける音、ごろごろと転がりながら後方へ、景色と共に流れ去っていく。
そ、んな
一部始終を見ていた残りの戦士たちの全身から、どっと冷や汗が噴き出た。
弓(・)の(・)音(・)が(・)鳴(・)っ(・)て(・)か(・)ら(・)の回避であったにも関わらず、矢は狙いを違わずに、標的へ突き刺さった。
これでは―これでは、まるで、未来が見えているかのようではないか。
残りの三人ともが、得体の知れない恐怖に捕らわれて身震いする。
だが、ケイからすれば、それは大したことではない、ただのテクニックだった。
単純に、視たのだ。
散れ と叫んだ直後、顔布の戦士の瞳が左へ動いたのを。
そして手綱を握る左腕の筋肉が、右腕よりも先に硬直するのを。
視線や筋肉の動きから、次の手を予測する。
そんな、近接格闘ならば誰もが使うような技術を、ケイはただ単に、その強力な視力をもって、弓の射程範囲にまで拡張しただけに過ぎない。