そんなケイたちをよそに、ホランドとハイデマリーは、キノコを入れない方向で決着を付けたらしい。今夜のメインのリゾットが、ようやく完成した。
腹を鳴らしながら、木の器を片手に、焚き火の周囲に集まる隊商の面々。ケイたちも同様に用意していた器にリゾットをついでもらって、テントの傍の木の下で食べ始める。
しかしアレだな、たまに単語が通じないもんだな
もしゃもしゃとリゾットをかき込みながら、アイリーン。当たり前だが、ケイもアイリーンも、今現在話しているのは英語だ。
ああ。ゲームの中だと考えもしなかったが、同じ英語といっても、言語として成立の仕方が違うんだろう
頷いて答えたケイに、アイリーンは自前のサラミを齧りつつ、ふむと一息ついて首を傾げた。
『トラウマ』って、ラテン語起源だっけ?
いや、たしかギリシア語だったと思う。ゲーム内に、ギリシア語圏はなかったからな……多分ギリシア語そのものが存在しないんじゃないか
DEMONDAL は、北欧のデベロッパが開発したゲームであり、運営会社はイギリス資本であった。プレイヤー人口の八割以上はヨーロッパ圏の住人だったため、ゲームの主言語は英語に設定されていたが、それと同時に雪原の民(ロスキ)、高原の民(フランセ)、海原の民(エスパニャ)など、幾つかのヨーロッパ言語に対応したエリア・民族も実装されていたのだ。
だけど、旦那らが話すフランス語って、起源を辿ればラテン語だろ。んでもって、ラテン語も元を辿れば、ギリシア語に行きつくんじゃなかったっけ?
うーむ。『トラウマ』みたいにダイレクトな形じゃないにせよ、英語にもギリシア語起源の語彙は多い筈だからな。こっちの言語がどういう形で成立したのか、言語学的に興味はあるな……
ウルヴァーンの図書館で、そういうのも調べてみたら、面白いかも知れないぜ?
時間があったら挑戦してみたいところだ……が、学術的な英語は俺にはちょっと難しいんだよな
器の中身を食べきって、ケイは小さく溜息をついた。
ケイは、後天的な英語話者だ。
VR技術の黎明期、世界中の似たような境遇の患者たちと交流するために、ケイは比較的幼い頃より、コツコツと英語を学んできた。おかげで、というべきか、普通の日本人の子供よりも遥かに、生きた英語や、その他のヨーロッパ言語に触れる機会があったのだ。英語に限っていえば、日常生活に支障のないレベルで、訛りなどもなく流暢に喋れるようになっている。しかし、基本的に実地での叩き上げによる語学力ゆえに、殆ど縁の無い学術的な英語は苦手としていた。
俺はバイリンガルじゃないからな……アイリーンが羨ましいよ
バイリンガルっつっても、オレも、英語は完璧ってワケじゃないんだぜ?
羨望の眼差しを向けるケイに、照れたような表情で肩をすくめるアイリーン。
あくまで、オレの母語はロシア語だからな……はぁ、ロシア語が懐かしいぜ
おどけた様子で、わざとらしく、アイリーンは溜息をついて見せる。
そこに、唐突に。
―Тогда давай поговорим на русском со мной
背後から投げかけられた言葉。
弾かれたように二人は振り返る。
……お前は、
ケイは、言葉を呑みこんだ。
そこにいたのは、薄く笑みを浮かべて、木の幹に寄りかかった金髪の男。
―昼下がり、馬車の修理の際に見かけた、あの青年だった。
Ты говоришь на русском языке!?
驚きの表情で、アイリーンが問いかける。
Да, я русский
したり顔で頷く青年。アイリーンはさらに、
Я удивлена! Я не дубала, что есть русский в этом караване
Ага, но это правда. Меня зовут Алексей, а Ты?
Меня зовут Эйлин
Эйлин? звучит по-английски
Именно так. Это потому, что мои родители англичане…
喜色満面で、ロシア語会話を繰り広げるアイリーンと青年。
…………
ひとり、取り残されたケイは、その顔に紛れもなく困惑の表情を浮かべていた。
―っと、すまん、ケイ、
ほどなく、ケイが置いてけぼりを食らっているのに気付き、アイリーンが英語に戻す。
いやいや、その……、驚いたな。雪原の民なのか
ぎこちなく笑みを浮かべながら、ケイは金髪の青年を見やった。
ああそうだ。あんたとは、昼にはもう会ったよな
ニヤッ、と口の端を釣り上げて、青年はケイに手を差し出す。
よろしく、おれの名前はアレクセイ。雪原の民の戦士だ
……俺は、ケイという。よろしく頼む
ぐっ、とアレクセイの手を握り、簡単に自己紹介を済ませる。アレクセイは、かなり握力が強かった。
アレクセイも、護衛なのか?
いや、おれは戦士だが、護衛として雇われてはいない。ただ、ピエールの旦那とは個人的な知り合いでな、ウルヴァーンまで馬車に乗せて貰えることになったのさ
そうか、なるほど……
曖昧に頷きつつ、ケイは次の話題を探そうとする。
しかし、それよりも早く、アレクセイがアイリーンに向き直った。
Но я был удивлен, потому что я никогда не думал, что такая красивая девушка находится здесь
…Хватит шутить
Я серьезно. На самом деле удивительно
再び始まる、異言語の応酬。流れるような会話に、口を挟む余地は感じられない。
楽しげに話す二人をただただ眺めながら、ケイは無言のまま、顔に愛想笑いのようなものを張り付けていた。
おーいケイ、ちょっといいか
と、その時、焚き火の向こう側から、ダグマルがケイを呼んだ。
すまんが、今日の夜番と仕事の件で話がある。ちょっと来てくれ
あ、ああ、分かった
上司の呼出とあっては仕方ない、ケイはやおら立ち上がる。そして、迷ったように視線を揺らして、アイリーンの方を向いた。
―それじゃあ、ちょっと行ってくる
Честно говоря, Я не принадлежу к… あ、うん。Я не принадлежу к никакому клану в этом регионе….
ちら、とケイを見やり、しかしアレクセイとの会話を継続するアイリーン。
ケイは、一瞬だけ―アレクセイが、面白がるような表情を向けてきた気がした。
…………
何とも言えない、疎外感のようなもの。
それを、ぐっと、腹の奥底に追いやって、ケイは二人に背を向けた。
†††
ぱちぱちと爆ぜる焚き火の明かりを、エッダはつまらなさそうな顔で眺める。
…………
ちら、と焚き火の向こう側に目をやった。
小さな木の下で、親しげに語り合うひと組の男女。
アイリーンと、アレクセイ。
……魔法、見せてくれるって言ったのに
ちぇ、と唇を尖らせる。実は先ほどからエッダは、魔法が披露される時間を待っているのだが、アイリーンたちの話が一向に終わる気配を見せない。
直接頼みに行こうか……とは思うものの、アイリーンと話している革鎧の青年が、どうにも恐ろしく感じられた。顔つきのせいか、雰囲気のせいか。あるいは―どうやら彼が、雪原の民であるらしいためか。
(でも、お姉ちゃんは、別に怖くないもんな)
雪原の民の言葉を、流暢に話すアイリーン。それでも彼女には、『優しいお姉さん』という印象しか抱かなかった。
だが、その相手の男は、何だか怖い。粗野な獣というか、そんな雰囲気を感じる。
(……もう一人のお兄ちゃんは、怖くないのにな)
昼からアイリーンとずっと一緒に居た黒髪の青年は、まだ優しい瞳をしていたのに、と。
しかし、その黒髪の青年も、今はテントの中にいる。
先ほどダグマルと話しているのを小耳に挟んだが、彼は今晩、遅くに夜番を担当するらしい。それに備えて、早目に睡眠を取るとのことだった。
寝る前にアイリーンに挨拶をするも、あまり相手にしてもらえず、すごすごと寂しげにテントに入っていく様は、まるで餌を取り損ねて巣穴に戻る熊のようだった。
(お兄ちゃんとお姉ちゃんは、どういう『関係』なんだろう?)
ふと、エッダはそんなことを考えた。
― 友達 なのか。
―あるいは、 恋人 なのか。
ただの友達にしては親しげだったわ、とエッダはにらむ。ませた興味と、純粋な好奇心のままに、エッダは二人の仲を夢想する。
……うーん
首を傾げて空を見上げるも、そうしている間に眠気が襲ってきて、最終的には ま、いいや と軽く流した。
……エッダや。そろそろ、おねむかい?
ふわり、と暖かいものに包まれる。
……おばあちゃん
振り返るまでもなく、分かる。だぼだぼのローブ、皺だらけの細い腕、ふんわりとしたお日様の残り香。背後から、ハイデマリーに抱き締められているのだ。
まだ、眠くないもん
ふぇっふぇ、そうかいそうかい
強がるエッダに、ハイデマリーは、ただ小さく笑った。
……ねえ、おばあちゃん
ううん?
雪原の民っていうけど、『雪原』ってどんなところなの?
……そうだねぇ
膝の上に座るエッダの髪を撫でながら、ハイデマリーはしばし考える。
雪原は、“公都”ウルヴァーンよりさらに北、国境を超えた『北の大地』に広がる地域で、山々に囲まれた険しい土地じゃよ。まあ、とてもとても、寒いところじゃ。夏は涼しいが、冬は長く、厳しい。そこに住まう人々、雪原の民は、その環境にも負けない強い人々と聞く
へぇ。でもなんで、その人たちは、そんな寒いところに住んでるの?
遥かな太古の時代には、緑豊かな土地であったとか……何故、今も住み続けているか、といえば、やはり先祖から受け継いできた土地だから、かのう
ふぅん
……ああ。それに、彼らの使う秘術も関係するかもしれん
ひじゅつ?
―『紋章』、と呼ばれておる。多大な命の危険を代償に、獣の魂をその身に宿し、人とは思えぬような力を発揮する業、らしいんじゃが。詳しいことは、わたしも知らないよ
魔法みたいなものなのかな
エッダの独り言のような問いに、ハイデマリーは小さく唸る。
雪原の民の一族でも、限られた人間しか使えぬそうじゃ。ただし、その使い手に『紋章』を贈られた戦士は、普通の戦士とは比べ物にならないほどに強くなる、ということだけは確かじゃの
知ってるの?
昔、のぅ。一度だけ、『紋章』を刻まれたという、雪原の民の戦士に会ったことがある。それはそれは、鬼神の如き強さじゃった。『北の大地』には、そんな戦士がごろごろいるんだとか
ハイデマリーの言葉に、エッダは目を輝かせた。
すごいなー、行ってみたい
ふぇっふぇ、それは少し、危ないかもしれんのぅ
指でエッダの巻き毛をとかすようにして、ハイデマリーはゆっくりと頭を撫でる。
かの”戦役”より昔、その『紋章』の秘術を巡って、公国は雪原の民に戦争を仕掛けたんじゃ。今では、“戦役”のせいで、公国内では殆ど忘れられておるがの。殴った側はすっかり忘れても、殴られた側はその痛みを忘れない―かの地では未だに、公国に対する深い恨みが残っていると聞く
そう、なんだ
曖昧に頷いたエッダは、
……むずかしいね
ぽつりと、小さく呟いた。
そうだね、エッダには、少し難しいかもしれん。みんな、大人のすることじゃよ
……じゃあ、わたしも、大人になったらするの?
ふぇっふぇっふぇ。それは、エッダ次第だねぇ
頭を撫でられる心地よさに、身を任せたエッダは、ふぁ、と小さくあくびをする。
さあさ、エッダや。夜はもう遅い……そろそろお眠りなさい
……まだ眠くないもん
ふぇっふぇ、そうかい
ハイデマリーは、ただ小さく笑った。
夜は暖かく、深く、全てを包みゆく。
その闇の中に、おだやかな眠りを誘い、
しずかに、ゆったりと、すぎていった。
はい、というわけで隊商護衛編スタートです!
23. 言語
翌朝。
隊商は再び、予定よりも少し遅れて出発した。
原因は言わずもがな、ピエールの馬車だ。村の鍛冶屋に手を借りて入念に修理した結果、普通に速度を出しても問題ないレベルまで直ったものの、代わりにかなり時間を食ってしまったのだ。
何かあったら今度は置いていくぞ―というのは、隊商の長(シェフ)たるホランドの言葉である。
ガラガラガラと、車輪の転がる音。
サスケの背に揺られるケイは、何の因果か、ピエールの馬車の横にいた。