一人きりで、霧の中。

じわりと体の表面が熱くなり、体の芯は逆に冷えていくような、そんな感覚。

……くそっ。なんで上手くいかないっ

苛立たしげに呟きながら、頭を振って再び思考操作を試みる。失敗。試みる。失敗。試みる。

失敗。

……っ!!

焦りと苛立ちがピークに達そうとした、まさにその瞬間、ケイの眼前に音もなく、半透明のウィンドウが現れた。

無機質な白色の画面には、いつものように、現在時刻とGMコール、そしてログアウトの表示が三つ、浮かんでいた。

目線でのカーソルコントロールを試みると、これまでの無反応が嘘だったかのように、メニュー画面は快適な操作性を示す。

まるで、いつも通りだった。

……よかった

それを見たケイは、ほっと安堵のため息をつく。

正直なところ、状況が不気味すぎて、『心霊現象にでも巻き込まれてしまったのではないか』、と。

そんな他愛もない妄想が、心の中で膨れ上がって、どうしようもなくなっていたのだ。

……ゲームの中なのにな

強がるように鼻で笑いながら、ケイは『Logout』のボタンに手を伸ばし。

触れた。

ノ” カ” ワ” ケ” イ” イ” チ”

その瞬間、ケイの真後ろから。

ひび割れたような低音の声が、吐き気を催すような強烈な殺気が、

!??

何故に本名、不気味な声、凄まじい殺気、意味が分からずに、転がるようにしてケイは立ち上がり、地面を蹴って距離を取り、振り返りながら弓を構え、矢をつがえ、弦を引き絞り、

しかしそこで動きを止めた。

人がいた。

まるで死人のように、真っ白な肌。

なぜか全裸だった。いや、股間に生殖器が見当たらないあたり、全裸といっていいものか。まるで宇宙人のように。つるつるとした体。

頭部には、一切毛髪は見当たらなかった。というよりも、人形(ヒトガタ)はしているが、これを人と呼んでいいものか。

顔はのっぺらぼうのように、まっさらで。

ただ、目のあるところに、黒い穴が二つ。

一瞬の思考の空白、 何だコイツは という、純粋な疑問が脳裏を駆け巡る。

と、人形(ヒトガタ)の顔、ちょうど、口に当たる部分が、ぐぱりと横に裂けて、

ヨ” ン” タ”

ぐわんと、視界が揺れた。

がくりと、その場に膝を

そこで、意識が途絶えた。

3.

ぼんやりと、夢を見ていた。

幼い頃に、友達と外で遊んでいる夢。

無邪気に、楽しそうに。

鬼ごっこだろうか。走り回る自分の姿。

さらりと砂のように。

溶けて消えた。

白い部屋。

窓の外を眺めていた。

翼を広げた鳥が、羽ばたいていく。

青い空に描く軌跡を、ただ目で追った。

清潔なベッドの上。ぴくりとも動かずに。

動けずに。

そっと瞳を閉じる。

視界が青く染まる。

たゆたう水色の世界。

息は苦しくない。

そ(・)う(・)い(・)う(・)風(・)に(・)、出(・)来(・)て(・)い(・)る(・)。

怖くはなかった。

沈んでいく。自分の内側へと。

深く、深く―

†††

―しばらく、歩き続けたと思う。

目の前に、鏡があった。

何も映っていない、鏡。

いや。

目を凝らせば、見えてくる。

浮かび上がってくる。

黒い髪、黒い目。

精緻な装飾を凝らした革鎧。

羽根飾りのついた兜。

腰にはひと振りのサーベルに、矢筒。

そして左手には、朱塗りの、強弓。

……俺だ

ぽつりと呟いた言葉は、確かに響いた。

それと認識した瞬間、はっきりと形を成す。

ケイ。

かつて、自分が名付けた。

そして、今までを共に生きてきた。

……俺の、身体(からだ)

ぐっと、拳に力を込めた。

絶えず収縮する筋肉の躍動を。

全身を駆け巡る血潮の流れを。

末端まで広がる神経の瞬きを。

強く、感じ取る。

いつの間にか、目の前の鏡は消え去っていた。

代わりに、真っ直ぐと道が伸びている。

心なしか、自分の周囲がにぎやかに感じた。

元気に駆け回る馬の姿や。

羽衣をまとった少女の姿。

まるで走馬灯のように。

それらの影を、幻視した。

行こう、と。

誰に言うとでもなく、呟いて。

その一歩を、踏み出した。

4. アンドレイ

―ケイ! ケイっ!

声がする。

起きろ! おいケイ! 起きろってば!

ぐらぐらと、三半規管が身体の揺れを訴える。

どこか懐かしい感覚だ。

幼い頃、船に乗って酷く酔ったときのそれに似ていた。

……やめろ、揺さぶるな

吐き気をこらえて呻きながら、うっすらと目を開ける。

!! 目が覚めたのか!

視界に飛び込んできたのは、オレンジ色の―これは、夕焼けに染まった空だろうか。そして、自分を心配げに見下ろす、黒い影。

金髪碧眼。黒鉄の額当てに、全身を覆う黒装束。

ひとりの”NINJA”が、そこにいた。

……ここは?

自分が仰向けに倒れていることに気付き、ケイはゆっくりと上体を起こす。

周囲を見回した。茜色に染まる、一面の草原。

振り返ると、背後にはごつごつとした、大きな岩山がそびえ立っている。

草原はともかくとして、この岩山には見覚えがない。

……どこだ、ここ

オレにも分からねえんだ!

寝起きのように霞みがかった思考のまま、ぽつりと呟いたケイの言葉に、NINJAが反応する。きついロシア訛りの英語。

気付いたらここにいて……でっ、でも、見てくれよケイ! ほらこれッ! どう考えてもおかしいんだ!

NINJAはそう言って、足元の草を引っこ抜いて見せた。

草の根に付着していた土が、ぽろぽろと地面に零れ落ちる。

……何だと?

あ(・)り(・)え(・)な(・)い(・)。

ぼんやりとしていた頭が、一気に冴えた。驚愕に目を見開いたケイも、手元の草に手を伸ばす。

無造作に引き千切った。

ぶちぶちと、繊維がちぎれる感触が指先に伝わる。

草の青臭さが、土の匂いが、鼻腔をはっきりと刺激した。

指先に付着した草の汁を、舐めとってみる。

もちろん、苦かった。

……そんな、バカな

手の中の草は、引き千切っても消えることはなく。

五感すべてに、その存在を訴えかけてくる。

地面の土も、その粒子の一粒一粒に至るまでが、全て知覚できた。

なっ!? おかしいだろ!?

あ、ああ

必死の形相で詰め寄ってくるNINJAに、少し気圧されながらも、ケイは頷いた。

いくら世界最高峰の物理エンジンを誇る DEMONDAL といえども、土壌や雑草などのオブジェクトへの干渉は、幾つかの例外を除いて大幅に制限されている。そんな微細な物体の運動までを演算しようとすると、情報量が多くなりすぎて処理が追いつかなくなるからだ。

故に、ゲーム内では、特定のアイテムを除いて、植物や地面は『不干渉オブジェクト』、すなわち『破壊不可能』に設定されている。

―設定されている、はずだった。

それがどうだ。

今、ケイの手の中には、ちぎられた葉がたしかに存在している。

ぶわり、と草原の風が吹きつけて、手の平から草を吹き飛ばした。

ざあぁ、と草擦れの音を立てて、湿り気のある草と土の匂いが運ばれてくる。

くるくると風に舞う草を、ケイはただ呆然と目で追った。

視線を上にやれば、茜色に染まる岩山。

その岩肌が所々、きらきらと瞬いているように見える。

露出した鉱石の一部が、夕日の光を反射しているのだ。

さらに頭上を仰げば、夕暮れの空に雲がたなびいている。

ゆっくりと形を変えていくそれは、断じてグラフィックの使い回しなどではない。

風によって為される、自然の造形。

かつてないほどに、圧倒的な。

圧倒的すぎる、情報量だった。

―そう、それはまるで、

現実(リアル)……

ありえない、と真っ先に理性は否定する。

もしここが現実であるならば。

この体は、何なのだ。

籠手も革鎧も、腰のサーベルも。

足元に放り出されていた朱塗の弓も、全てが『ケイ』のものだ。

ひょっとすれば、いや、ひょっとしなくとも、顔も『ケイ』のままだろう。

……メニュー画面が出てこないんだ。何度やっても

傍らで、NINJAが震える声でそう言った。

何かを堪えるかのように拳を握りながら、俯いてじっと地面を見ている。

…………

困惑の表情で、ケイはNINJAを見た。

メニュー画面が出てこない、という情報も大切だが。

この黒装束に身を包んだ人物も、ケイの混乱を助長させる一因であった。

……? ど、どうしたんだよ、ケイ

黙りこくるケイに、そして他(・)人(・)を(・)見(・)る(・)か(・)の(・)よ(・)う(・)な(・)よそよそしい視線に、NINJAが気付く。

いや、その―

言い出そうとして、口をつぐむ。

逡巡することしばし。

……何だよ、どうしたんだ?

う、うぅむ

意を決して、ケイは問いかけた。

お前、―誰だ

……は?

なに言ってんだコイツ、と。

呆気にとられたNINJAの口から、間抜けな声が出る。

―おいおい、ショックで頭がイッちまったのか? 勘弁してくれよケイ! いや、気持ちは分かるけどな?

こいつは参ったぜ、と言わんばかりに、ぺちんと額を叩いて見せ、

アンドレイ! “NINJA”のアンドレイだ! ……忘れたとか、言わないよな?

雨の日に捨てられた子犬のような、不安げな顔でケイの表情を伺う。

アンドレイ。

予想できていた答えだ。

(いや、それは分かるんだが)

違う、俺が聞きたいのはそこじゃない、とケイは眉間を押さえる。

ケイのことを『ケイ』と親しげに呼び、かつ、全身黒ずくめで背中にサーベルを背負っている人物など、ケイの交友関係の中には一人しか存在しない。というより、 DEMONDAL の全プレイヤーの中でも、一人しかいないだろう。

しかし、それでも。

目の前の”NINJA”と、ケイの知る『アンドレイ』とでは、決(・)定(・)的(・)に(・)、異(・)な(・)る(・)点(・)が(・)あ(・)る(・)。

……OK, 『アンドレイ』

顔を上げたケイの視線が、真っ直ぐに『アンドレイ』を捉える。

真剣な眼差し。

な、何だよ

その、気を悪くしないで欲しいんだが

おう

ひとつ、お前に聞きたいことがある

……何だ?

あくまで、確認なんだがな? その……

まどろっこしい奴だな、何だよ!?

普段のケイらしからぬ、奥歯に物が挟まったかのような勿体ぶり方に、『アンドレイ』が声を荒げる。

ケイは、困惑の表情のまま、おずおずと問いかけた。

……なんでお前、『女の子』になってんの?

……へっ?

本日二度目の間抜け顔。『アンドレイ』の動きが止まる。

……何言ってんだよ?

いや、だって、それ……

ケイが指差す先をたどり、『アンドレイ』も視線を落とす。

自分の胸元に。

より正確に言うならば―胸(・)の(・)ふ(・)く(・)ら(・)み(・)に(・)。

……ぇあっ?

奇声。『アンドレイ』の目が点になる。

えっ? なんで? えっ?

恐る恐る、といった風に、『アンドレイ』が自らの控え目な胸に手をかける。

むにゅ、むにゅ、と。

……あ、ある

どこか呆然と、呟く。

そして、はっ、と何かに気付いた様子で、そのまま股間に手を伸ばした。

もぞ、もぞ、と。

……な、ない

何が。ナニがである。

……なんで?

知らんがな

忍者のコスプレをしたひとりの少女(・・)が、そこにいた。

†††

火打石で火を起こすのは、実はさほど難しくはない。

よく揉みほぐした麻綿と、乾燥した火口、それに火打金があれば完璧だ。きちんと手順さえ守れば、子供でも容易く、そして意外なほど素早く火を起こすことができる。

まず、片手に火打石と火口を併せて持ち、逆の手で擦りつけるようにして火打金を振り下ろす。

飛び散った火花が火口につけば、それを麻綿でくるみ、息を吹きかけるなり軽く振るなりして空気を送り込む。

すると白い煙が立ち上り、数十秒も待てば燃え始めるだろう。

これで、火種の出来上がりだ。あとはそれが消えないうちに、あらかじめ用意しておいた枯れ枝や枯れ葉で火を育てていけばよい。

よし、できた

焚き木の火勢が安定したことを確認し、ケイは満足げに頷いた。

火打石セットを腰のポシェットに仕舞い、手を擦り合わせながら頭上を仰ぎ見る。

……冷えてきたな

仄暗く染まりつつある空。太陽は既に地平の彼方へと沈み、代わりに星々が瞬き始めていた。今宵は新月か。頭上に生い茂る枝葉の隙間、僅かに覗く空は、どこまでも暗い。

草原に面した、木立の中。崩れかけた石造りの廃屋の影で、ケイは粛々と、野営の準備を進めていた。

遭難したときに最も大切なのは、大まかでも周囲の地形を把握することだ―と、何かの本で読んだことがある。その定石に基づいて、ケイは混乱から立ち直ったあとは、すぐに周辺の探索を実行した。

Перейти на страницу:

Поиск

Книга жанров

Нет соединения с сервером, попробуйте зайти чуть позже