もちろん納得できない部分も多いけどな、と、真摯な表情でアイリーンは言う。ケイの意見に反対する、というよりも、議論のための問題提起。
それは俺も考えた。だがな、アイリーン。そ(・)っ(・)ち(・)の(・)方(・)が(・)現(・)実(・)味(・)が(・)あ(・)る(・)か(・)ら(・)こ(・)そ(・)、俺はそれがあり得ないと思うんだ
アイリーンの顔を見据える。
アイリーン。お前のVR環境は、“External”と”Implant”のどっちを使ってる?
えっ? ……そりゃあ、普通に”External”だが
ケイの唐突な質問に、アイリーンが面食らったかのように答えた。
現在、VR環境機器は、二種類に大別される。
“External(外付け式)“と”Implant(埋め込み式)“だ。
外付け式とは文字通り、体の外部から脳と神経系に作用を及ぼし、VR環境を実現するタイプのことだ。外部の機器の組み替え・交換により、機能や性能を自由に調節できるので、拡張性に優れている。
対する埋め込み式は、直接体内に埋め込み、脳神経に作用するタイプのことだ。クローン技術で形成された神経系と、電子機器で構成された機械系。それらのハイブリッドの生体コンピュータであり、肉体に直接埋め込むという仕様から交換が難しく、拡張性に乏しいという欠点がある。
埋め込み式の方が外付け式よりも情報を正確に伝達できる、という利点はあるものの、拡張性の欠如は如何ともしがたく、また部品同士が干渉してしまうため外付け式と埋め込み式は併用ができない。
現在では、性能上の問題から外付け式が一般的であり、埋め込み式を使っていた人間も除去・交換手術を受けて外付け式に切り替えるパターンが多い。
―ごく一部の、例外を除いて。
俺は、“Implant(埋め込み式)“だ
ケイは言葉を続ける。
正確には、“IBMI-TypeP”を使ってる
“TypeP”!? マジかよ、VRマシン最初期の骨董品じゃねえか
そうさ、骨董品だ。残念ながら、使い続けてる
……。ってことは
まあ、お前も勘付いてるだろうとは思うが
ふぅ、と細く息を吐きだした。
俺は、寝たきりの病人でな。“Fibrodysplasia Ossificans Progressiva”―進行性骨化性線維異形成症。筋肉が骨に変わっちまう奇病だ。発症したのはもう、15年も前か。5年前ぐらいから、体も動かなくなった
…………
圧倒されたように押し黙るアイリーンを前に、しかしケイの述懐は止まらない。
今の現(・)実(・)の(・)俺(・)は、生命維持槽にプカプカ浮いてる骨と神経系の塊さ。VRマシンの臨床試験に参加したのが12年前、試験は見事に成功し、俺はVRマシンの実用化に大きく貢献した―が、その代わりにマシンの生体部品が、当初の予想よりも広い範囲で神経と癒着・結合しちまって、もう交換できないんだ
ケイの表情は、穏やかだった。全てを受け入れた顔。
……それ以来、ハードもソフトも、継ぎ接ぎみたいに何度か更新して、今までどうにか誤魔化してきた。けど、それも、3年前の更新が最後になった
3年前、っていったら……
ああ、そうさ。 DEMONDAL のサービス開始の年だ
ケイの口の端が、儚い笑みにほころぶ。
『かつてないほどのリアリティ』、その売り文句に俺は飛び付いた。一日のほぼ全てをVR空間で過ごす俺にとっては、リアリティのある他人との交流こそが、一番求めてやまないものだった。賭けみたいなものだったよ、マシンの更新手術は。家族にも主治医にも、担当の大学教授にも、全員に反対された。俺の体はもうボロボロで、更新手術に耐えられるかどうか、わからなかったんだ。でも俺が、『リアリティがどうしても欲しい、それがないなら、これ以上無為に生きても辛いだけだ』って我儘を言ったら、最後にはみんな折れてくれた
夢を見るような目つきで、ケイは語る。
実際、 DEMONDAL のリアリティは、凄かったよ。草原の風も、風が運んでくる葉擦れの音も、太陽の温かさも。動植物の造形、NPCの挙動、自分の肉体の感覚、目に入ってくるもの、触れられるもの、 DEMONDAL の全てが、今までのゲームとは比べ物にならないくらい、“リアル”だった。俺の欲していた、ほとんど全てのものが、 DEMONDAL には揃っていた―でも、それが限界だった
アイリーンに視線を合わせ、ケイは静かに微笑んだ。
俺のマシンは、 DEMONDAL に最適化されてる。オンボロでも、少しの余裕を残して、ゲームがつつがなく動くようにな。でも、それが限界なんだ、アイリーン。例え、どんな神アップデートが来ても、どんな技術革新があっても―
足元の砂を手ですくい、指の隙間からさらさらと零れ落ちる砂粒に、見惚れる。
―俺の骨董品(マシン)じゃ、この情報量は処理しきれない
絶対に、とケイは言葉を結んだ。
…………
アイリーンは、何も言えなかった。
……とまあ、辛気臭い話になっちまったが、俺の身の上話はどうでもいい。俺が言いたかったのは、こ(・)の(・)世(・)界(・)がゲームの中だろうと異世界だろうと、どちらも俺からすればブッ飛んだお話だ、ってことさ。勿論、俺のマシンでも軽々と動くような、神アップデートが来たんならそれはそれで問題ない。システム障害なんてすぐに復帰するだろうし、それまで待てばいいだけの話だ。だから、俺から提案したいのは―って、なんだおい、泣いてんのか
ぐすぐすと涙を零し始めたアイリーンに、ケイが上擦った声を出す。
べっ、……違っ、泣いてなんか……
いや、泣いてるじゃねえか
顔を手で隠すアイリーンの仕草に、ケイは苦笑いしながら、歩み寄ってぽんぽんとその背中を叩く。
別にお前が泣くことはない。一昔前なら、俺も泣いてたかもしれない。だが今はVR技術があるからな、別に不幸じゃないさ
これ、違っ……違う、ケイに、同情し、てる、わけじゃ……
大丈夫だって、良いから良いから
ぐずるアイリーンの肩を抱いて、赤子をあやすようにその頭を撫でる。なんで俺がこいつを慰めてるんだろうな、と考えると可笑しくて、ケイは忍び笑いを止めることができなかった。
……いや、悪かった。もう大丈夫だ
数分とせずに落ち着いたアイリーンが、肩にかかったケイの手を撫でる。もう一度、ぽんぽんとその肩を叩いてから、ケイはアイリーンの対面に座り直した。
…………
焚き火越しに目が合うと、アイリーンは恥ずかしそうに顔をそむけ、
……思う所があったんだ。ケイが可哀そう、とか、そういうことで泣いたんじゃない
そうか
うん、まあ……そういうことなんだ。だから、気にしないでくれ
もどかしそうに言うアイリーンに、ケイはくすりと笑みを返す。
いいさ。話を続けよう
おう。それで、提案したいこととか、何とか言ってたよな?
大したことじゃないけどな。俺が提案したいのは、『ここが DEMONDAL に似た異世界である』と仮定して行動しよう、という、それだけのことさ。もしここがゲーム内で、システム障害でログアウトできないだけなら、数日もすれば解決するだろう。アイリーン、プライベートな質問で悪いが、お前一人暮らしか?
いや。家族がいる
なら安心だ、娘がいつまで経ってもゲームを止めないとあれば、飯の時間にでもなれば家族がマシンを引っぺがしに来るだろうさ。アニメとは違って、マシンを外そうとした瞬間に脳ミソが爆発、なんてこともないしな
おい、お前アニメ詳しくないって嘘だろ?
どうだか
二人でくすくすと笑いあう。
まあ、そんなわけで、ここがゲームなら慌てる必要はない。が、もしここが『異世界』なら……
ち(・)ょ(・)っ(・)と(・)は(・)慌てる必要があるな
そういうことだ。最悪を想定して動け、というセオリー通りに行こう
結論を出したところで、ケイはふぅ、と小さくため息をついた。口の中がからからだ。珍しく長口上をぶちまけたせいで、喉が渇いているらしい。
……アイリーン、水持ってないか
水か? サスケの荷袋の中に、水筒があったと思う
『備えあれば憂いなし』、だな
ソナエ……?
いや、こっちの話だ。ちょっと水貰うぞ、喉が渇いた
立ち上がって、 ぼくの名前呼んだ? と言わんばかりに小首を傾げるサスケに近寄り、その荷袋の中を漁る。
それにしても、これからどうする?
水筒を探すケイに、背後からアイリーンが声をかけた。
うーむ。どうしたものか
いつまでもここで、ってわけにもいかねぇだろ?
喉も渇く。尻も痛い。となると、やはり人里を探すしかないか
やっぱそうなるよな
あーあ、と面倒くさそうにアイリーンが声を上げる。
果たして、水筒は荷袋の一番底にあった。ごちゃごちゃと詰まったポーションの瓶を押しのけて、袋から引きずり出す。
(あってよかった)
振って確認するまでもなく、中身は十分に入っているようだ。希少かつそれ以上にクソ不味いポーションで喉の渇きを癒すのは御免だったので、アイリーンが水筒を携帯していたのは僥倖としか言いようがない。
その場に腰を下ろして、焚き火に当たりながら、少しずつ中身を流し込む。
(……やはり、ゲームとは思えないな)
液体が喉を通りぬけていく感覚。VR技術で再現されているとは、とても思えないようなリアルさ。
先ほど、ケイは『異世界であると仮(・)定(・)し(・)て(・)行動しよう』と言った。
だが、正直なところ、ここは異世界だろうと、ケイは半ば確信していた。
―そうであることを望んでいた、とも言うが。
ケイのそばで寝転んでいたミカヅキが、のそりと首を動かして、ケイの膝に頭を載せてきた。どうやら、枕代わりにしようという魂胆らしい。ゲーム時代からミカヅキのAIは飼い主(ケイ)に遠慮しないタイプであったが、異世界に来てからその図太さに磨きがかかっているようだ。
こやつめ、と苦笑しながら、その首筋を撫でてやる。人間よりも高い体温、チクチクと指先を刺激する硬い毛、皮膚の下で脈打つ血潮の流れ―ただ体表に手を当てただけでも、既にこれだけの情報量がある。
これこそが現実。そうでなければ何なのだ、と、もはや感動すら覚えるほどだ。耳の裏をコリコリと掻いてやると、ミカヅキは気持ちよさそうに目を細めた。
(しかし、何でこんなことになったんだか)
再び、水筒で口を湿らせながら、ケイは考える。
(たしか―ここに来る前は)
海辺の町”キテネ”で、朱塗の弓を受け取ったのだ。そして、
(追剥に襲われて、撃退して)
そのあと―。
(そのあと……どうしたんだっけか)
思い出せない。
アイリーン
ん?
俺たち、ここに来る前って、何してたんだっけか。“キテネ”から戻ってくる途中、追剥に襲われて、それを返り討ちにしたのまでは憶えてるんだが……
……そういえばそうだな。なんで忘れてるんだ
あごに手を当てて、アイリーンが考え込む。
……追剥を倒して……それからちょっと進んで……“ウルヴァーンヴァレー”に……
そのとき同時に、二人ともが思い出した。
霧だ!
何故忘れていたのか。
そう、ウルヴァーンヴァレーに謎の霧が立ち込めていたのだ。
そして霧の中に揃って突入して―。
それから―
…………
それから―。
……くそっ、思い出せない
ケイは毒づいた。
何か。
何かがあったのだ。
はっきりと思い出せないが、霧の中で、何(・)か(・)に―
ぶるるっ
と、短く鼻を鳴らす音に、ケイの思考が遮られる。
……? どうした、ミカヅキ
見れば、ミカヅキがいつの間にか半身を起こし、首を巡らせて周囲の様子を窺っていた。その両耳はせわしなく動き、先ほどまでは眠たげだった瞳も今は剣呑に細められている。
ケイは知っていた。この表情、この動き。ここに来る前、ゲームの時代から、ミカヅキのAIに組み込まれていた。
―何かを、警戒する動作。
傍らに置いてあった 竜鱗通し に、ケイはそっと手を伸ばす。
……どうかしたか?
焚き火を見つめていたアイリーンがそれに気付き、不安げな様子を見せる。分からん、とだけ短く答えて、ケイはおもむろに立ち上がった。
ミカヅキが警戒してる。……獣かな
仮にこの世界が DEMONDAL に準じているのであれば、狼などがいても不思議ではない。それほど深い森ではないので、一人では手に負えないような、凶暴なモンスターは出てこないと信じたいが―。