そして見つけたのが、岩山の南に広がる深い森と、その入り口に佇む廃墟だ。そこには崩れかけた二面の石壁と朽ちた屋根が残るのみであったが、タイルの床のおかげで体を横たえられるだけの充分なスペースがあった。それでいて周囲には程よく草木が茂り、旅人たちの姿を覆い隠してくれる。
あくまでゲーム内での経験則ではあるが―草原のように開けた場所で、暗い中、火を焚くのは危険を伴う。見晴らしがよければ炎は目立ち、何かよからぬものを引き寄せかねないからだ。
人か、獣か、―あるいはそれ以外の何かか。分からない。何も分からない。しかし、警戒には値する。
マントの前を打ち合わせ、ケイはほぅっと溜息をついた。揺らめく焚き火の明かりが、廃墟に長い影法師を作る。時折吹きすさぶ風は、凍える夜の訪れを予感させた。本来ならば、こんな見知らぬ土地で火を焚きたくはなかったのだが、暖も取らずに過ごすには、今宵は少々肌寒い。
また、暗いのもいけなかった。『視力強化』の呪印を持つケイは、星明かり程度でも充分に闇を見通せるが。ケイの『相方』は、そうもいかないだろう。
……さて、
視線を戻す。焚き火を挟んだ対面。
平石の上にちょこんと腰かけて、火に当たり暖を取る人物。
彼女(・・)に向けて、ケイはぎこちなく笑みを浮かべた。
寒くはないか? お(・)姫(・)様(・)
……お姫様(プリンセス)はよせ
Rにきついロシア訛りの入った英語。ケイのからかいの言葉に、憮然として答えたのは、『アンドレイ』―もとい、金髪のコスプレ忍者少女だった。
……それと、別に寒くはない
ぼそり、と付け加えて、むすっとした顔のまま目を逸らす。
薄手の黒装束と革のマントだけだったが、それほど寒がっているようにも、強がっているようにも見えなかった。
(そういえばこいつ、ロシア人だったな)
この程度の気温では『寒い』の範疇に入らないのだろう。ひとり納得して、 ならいいが と返す。
…………
しばし、沈黙。
焚き木が爆ぜる音だけが小さく響く。
お互いに何かを話したいが、何を話せばいいのか、と。
そんな、遠慮にも似た、迷いのある空気。
しかし黙り込んでいるうちに、早くも焚き木が燃え尽き始めていた。追加で焚き木を放り込み、ケイはおもむろに口を開く。
……なあ、そろそろ、話さないか
ん。そう、だな……
ぼんやりとした雰囲気で、少女は答えた。
……本当に、『アンドレイ』なんだよな?
疑うような言い方になってしまうのは、仕方のないことだろう。平石の上、体操座りで爪先を眺める彼女に、ケイは今一度問う。
ああ、そうなる。オレは、『アンドレイ』だ
ゆっくりとした口調で、少女は肯定した。
それは、お前は本当は女だったが、ずっと男キャラを使ってた、ということか?
その解釈であってるぜ
うぅむ……
それを聞いて、嘆息とも、溜息ともつかぬ呼気が、ケイの口から洩れる。
ゲーム内で、ケイが”NINJA”アンドレイと出会ったのは、今から2年ほど前のことだ。
最初に近づいてきたのはアンドレイの方だった。生粋の忍者スキーであるアンドレイは、ケイが『日本人である』というだけで、なんとなく興味を持って接触してきたのだ。
話してみれば意外に意気投合し、互いにソロプレイヤーであったこともあり、それ以来何かと一緒につるんできた。しかし、
女だったとは、なあ
その中の人が異性であるとは、ついぞや考えたこともなかった。
―女々しい野郎だ、とは常々思っていたが。
でも、なんでわざわざ男キャラ使ってたんだ?
そりゃあ女キャラだと筋力低いし。NINJAするなら、男の方がいいかな、って……
たしかにな
昨今のゲームでは珍しいことだが、 DEMONDAL においては、男女のアバターに明確な能力差が存在する。
基本的に、男キャラの方が身体能力全般に優れており、対して、女キャラは手先の器用さに補正がかかる代わりに、筋力などのステータスが伸びにくい。
つまり、純粋な戦闘職を選ぶならば、男キャラの方が明らかに有利な仕様というわけだ。女キャラは本来、細工などの生産系で本領を発揮するが、大工などでは筋力も要求されるので、女キャラならば生産全てに向いている、とはいえない。
もちろん、キャラクターの種族や血統によってはその限りでなく、また女キャラにのみ高い適性を示す魔術なども存在するが、何処となく不平等感が漂うのは事実だ。
このアバターの性能差は、ゲーム内外で様々な議論を呼んだが、結局 DEMONDAL の運営会社がそのスタンスを変えることはなかった。下手な平等主義で世界観を歪めることはせずに、あくまでリアリズムに徹したのは、 DEMONDAL らしいといえばらしい選択といえよう。
余談だが、男キャラにも弱点はある。
股間に攻撃がヒットすると大ダメージを受け、高確率で気絶(スタン)状態になってしまう。ちなみにこれは他の人型モンスターの雄にも有効だ。
あと、わざわざ女だってバラしても、良いこと無いだろうし。だから黙ってたんだ
なるほど。既に『アンドレイ』のときから人気だったしな、お前。中身が女だってバレたら、もっと面倒なことになっていただろう……
……よしてくれ
ケイの言葉に、心底気持ち悪そうな顔を浮かべる少女。
端正な―というより、耽美系の顔立ちをしていた『アンドレイ』が、その道の諸兄らから根強い支持を受けており、ファンクラブまで存在していたのは DEMONDAL では有名な話だ。
祭り上げられた本人は迷惑そうにしていたが、キャラを作り直して雲隠れしようにも、既に結構育ててしまったあとだったので、やむなく育成を続行したらしい。
……それにしても
目の前の金髪忍者ガールを眺めながら、ケイはしみじみと、
今の姿だと、アンドレイって呼ぶのはやっぱり違和感があるな……
その言葉に、少女は渋い顔をした。
……『アイリーン』
ん?
『アイリーン』。オレのホントの名前
ちら、と少女―アイリーンは、顔を上げてケイに視線を合わせた。
アイリーン……か
青色の瞳を、見つめ返す。
小柄で華奢な体躯に、すっと通った鼻筋。
猫科の動物を思わせる、釣り目がちな瞳。
艶やかな金髪は長く伸ばされ、邪魔にならないよう、後頭部で束ねてある。
(こうしてみると、『アンドレイ』の面影もあるな……いや、『アンドレイ』が『アイリーン』に似せてあるのか)
キャラメイクのときに、無意識に自分の姿を投影してしまったのか。
……あんまりジロジロ見るなよ
などとケイが考えていると、アイリーンは顔を少し赤くして目を逸らしてしまった。
あ、すまん
なあ。……ケイは、どうなんだ?
……どう、とは?
名前とか
ああ。俺の名前は、『圭一』だよ。ケイイチ
枯れ枝を手にとって、地面に『KEIICHI』と書いた。
ケイチ?
んー。ちょっと違うな、ケイイチ、だ
ケ、イ、チ
ゆっくり言っただけじゃねえか。ケ、イ、イ、チ
ケェ、イィ、チ
あー、まあそんな感じ
……言いにくい。ケイの方がいい
ばっさりと本名を否定するアイリーン。同じ母音が連続する『ケイイチ』は、外国人には発音し辛いだろうな、とケイも思う。
別に俺は『ケイ』でいいよ。呼びやすい方で呼んでくれ
リアルでもそう呼ばれてたし―という言葉は、呑み込んだ。
焚き火の炎に視線を落したまま、再び沈黙が訪れる。
何を話すべきなのか。考えが、うまくまとまらない。
ゆらめく炎を眺めていると、全てがどうでもよく思えてしまう。思考を停止させたままでいるのが、心地よい。
ふと顔を上げると、アイリーンはぼんやりとした表情で、両足のふくらはぎをむにむにと揉み解している。焚き火の明かりを照り返す、艶やかな金髪を眺めていたケイであったが、それに気付いたアイリーンがちらりと視線をよこした。
……ケイは全然、顔変わってないんだな。……元から、そういう顔、なのか?
少し遠慮がちに、しかし好奇心には勝てなかった、といった様子で、アイリーンがおずおずと尋ねてきた。
顔か……
ぺたりと、自分の頬を撫でる。先ほど、腰の短剣を鏡代わりに確認しようとしたが、思ったほど刃がピカピカではなかったので、ぼんやりとしか見えなかった。
それでも、アイリーンが『変わっていない』というのなら、そうなのだろう。きっと、ゲーム内での『ケイ』の顔のままなのだ。
しかし、それが実際の顔なのか、と聞かれると。
……分からない。リアルでは、鏡なんてもう何年も見てないからな……
えっ
遠い目で呟いたケイの言葉に、アイリーンがぎょっとした顔で硬直する。
“死神日本人《ジャップ・ザ・リーパー》”、弓使いのケイ。
死神の異名をとるほどの、恐るべき弓の腕前で知られるケイだが、それと同時に DEMONDAL で指折りの廃プレイヤーとしても有名だ。
事実、準廃人のアイリーンから見ても、ケイの廃人っぷりは半端ではない。ログインしたときに、ケイがいなかった試しがないのだ。
二十四時間ぶっ通しでログインし続けている、という噂も、あながち嘘ではないのかもしれない、と。アイリーンも、薄々そうは思っていたのだが―
そうは思っていたのだが、年単位で鏡を見ていないレベルとなると。
そっ、そうか……
笑顔が引きつり、目が泳ぎだすアイリーン。一気に挙動不審になる彼女に、ケイは思わず苦笑いした。
(……まあ、そうなるよな)
ケイのあまりの廃人っぷりに引いてしまったのか。
それとも、こ(・)ち(・)ら(・)の(・)事(・)情(・)を察して、思い切り地雷を踏んでしまった、と動揺しているのか。
別にケイ自身は、アイリーンにどう思われようともそこまで気にしないのだが―常人ならば、気まずく感じてしまうのは道理だろう。
(しかし、タイミング的にはちょうどいいかも知れないな)
いずれにせよ、現状を考えるには、避けては通れない話題だ。
アイリーン
ん?! な、なんだ?
そろそろ、本題に入ろうと思うんだが
お、おう
真剣な雰囲気のケイに、アイリーンが表情を堅くして居住まいを正す。
…………
いや、別にそこまで畏まらなくても
自分から真剣に切り出しておきながら、借りてきた猫のような豹変っぷりに、思わずケイは吹き出してしまった。
それにつられて、アイリーンも小さく笑う。
特に意味もなく、二人でくすくすと笑いあってから、 いや、すまん とケイは言葉を続けた。
それで、本題ってのは、今の俺たちの状況についてだ
……ここが何処なのか。そして何故、オレたちはここに居るのか、って話か?
Exactly(その通り)
話が早い。
なかなかその話題に踏み込めずにいたのは、どうやらケイだけではないようだった。
5. 骨董品
オレたちの現状、か
桜色の唇を指先でなぞりながら、アイリーンが呟いた。
状況が特殊だから何とも言えないが、考えられる可能性は、せいぜい二つぐらいのものだろう、と俺は思っている
OK, 言ってみな。オレ様が聞いてやるぜ
抜かせ
どうやらアイリーンも、『アンドレイ』の調子が戻ってきたらしい。結構なことだ、と笑いながら、ケイは指を一本立てた。
まあ、そこまで大したものじゃない。まずは一つ、『俺たちは依然として DEMONDAL をプレイ中である』
次に二本目、
そして二つ、『俺たちは何故かゲームの中から飛び出していて、ここはどこか別の場所である』
まあ、妥当なとこだな
平凡だろ? だが俺の想像力では、これが限界だ
そうなのか? ふふん、ケイ、オレには『三つ目』があるぜ
ほう、お聞かせ願おうか
アイリーンはドヤ顔で指を三本立て、
三つ目。『オレは DEMONDAL をプレイ中に寝落ちしていて、実はこれは夢である』
……、なるほど。あり得るな、存外まともなアイディアだ
存外ってなんだオイ
ケイはふむふむと頷いた。アイリーンが心外そうにしているがそこは気にしない。
夢オチ、という可能性。
焚き火の光と、その炎の暖かさを直に感じていると、 これほどリアルな夢があるのか? とは思わないでもない。
しかし―自分が挙げた最初の二つに比べれば、よほど現実味のある話だ。
夢なのかどうか。
それを確かめるために、ケイはひとつ、古典的な方法に頼ることにした。
ぬんッ
……。なにやってんだよ
み(見)へ(て)わ(わ)か(か)は(ら)は(な)い(い)か(か)? ほ(ほ)っ(っ)へ(ぺ)は(た)を(を)つ(つ)へ(ね)っ(っ)へ(て)い(い)ふ(る)ん(ん)は(だ)
全力で。高STR(筋力)の本領発揮だ。