いやぁ、ケイ君が居てくれると心強いなぁ
馬車の手綱を握りながら、ニコニコと笑顔を向けるピエール。彼は二十代後半ほどの痩せの男で、見習いから叩き上げで馬車を持った若手の行商人だ。が、商売を始めたばかりで資金力がないせいか、はたまたその貧相な体格のせいか、ホランドや他の商人たちと比べると、どうにもみみっちい印象を受ける。
また何かあったら、その時はお願いするね! 頼りにしてるよケイ君
……そいつはどうも
ピエールの言葉に生返事をして、ケイは気取られない程度に小さく溜息をつく。
要は、配置転換であった。
昨日、ピエールはケイの腕力にいたく感動したようで、いざという時のフォローの為に、ケイを傍に置いてもらえるようホランドに頼んでいたらしい。そして特に断る理由を持たなかったホランドは、あっさりとそれを承認してしまったのだ。
そもそもケイとアイリーンは、元は必要とされていなかった人員、この隊商における余剰戦力だ。本来ならばただの旅人として参加するところを、コーンウェル商会のコネによって、給金を受け取れる『護衛』の立場にねじ込んでもらったに過ぎない。
つまるところホランドからすれば、ケイの配置は、割とどうでもいいのだ。それが中央であろうとも、後方であろうとも。
(―まあ、それはいいんだが、)
むぅ、とケイは難しい顔をした。じっとりとした目で見やる、数十メートル先。
スズカに跨るアイリーン―と、その横をついて歩く金髪の青年。
(……アイツが前に行かなくていいだろ!)
言うまでもない、アレクセイだ。
旅人として隊商に参加する彼は、戦士ではあるが護衛ではなく、従って給料を受け取らぬ代わりに特別な義務も発生しない。せいぜい隊商が襲撃を受けた際に助太刀をするくらいのもので、後は皆に迷惑をかけぬ限り、何をしていてもいいのだ。
今は能天気に頭の後ろで手を組んで、大股で歩きながら、楽しげにアイリーンに話しかけている。
И так, ты знаете?
Что?
Когда он был маленьким …
風に流されてくる、楽しげな二人の会話。ロシア語なので何を話しているのかはさっぱりだが、朝からずっとこの調子だった。
…………
なんとも―、落ち着かない気分。 アイリーンが誰かとロシア語で話している 、言葉にしてしまえばただそれだけのこと。しかしその”それだけ”が、気にかかって仕方がない。会話の内容が分からないからか、アレクセイが妙に馴れ馴れしいからか、もしくは―。
もしくは……。
……ふぅ
小さく溜息をつく。
もやもやと胸の奥底から湧き上がる、この釈然としない感情を、どう処理したものか。孤独な馬上でケイは、ひとり頭を悩ませていた。
あるいは、ケイが二人の様子をよく観察していれば。
会話の大部分をアレクセイが占めており、アイリーンは質問を挟みつつも、基本的に相槌を打っているだけ、ということに気付けたのかもしれないが―。
どうしたんだい、ケイ君。元気がないように見えるけど
ぼんやりとしていると、横から声をかけられる。
見れば右手、心配げにこちらを覗き込むピエールの顔。
……いや、
一瞬、 お前のせいだよ! と言いたい衝動に駆られたが、頭を振ったケイは手をひらひらとさせて誤魔化した。
そんなことはない。いつも通り元気さ
そうかい?
ああ
そこでふと、昨夜のアレクセイの言葉を思い出す。
“ピエールの旦那とは個人的な知り合いでな”
……なあ、ピエール、ひとつ聞きたいんだが
ん? なんだい? 僕が知ってることなら、何でも聞いておくれよ
人懐っこい笑みを浮かべるピエールに、悪い奴じゃないんだがなぁ、と苦笑しつつ、
昨夜、アレクセイが言ってたんだが、あなたは彼と個人的な知り合いなんだろう? どんな風に知り合ったんだ?
ああ、アレクセイか。彼はね、僕の命の恩人なんだよ
命の恩人?
思わぬ言葉が飛び出てきた。興味深げなケイをよそに、ぴょるん、とした控え目なカイゼル髭を撫でつけながら、ピエールはどこか遠い目をする。
二年前のことだったかなぁ。僕がまだ見習いだったときの話さ。師匠の馬車に乗って、モルラ川より東で行商をしてたんだけどね、街道からちょっと外れたあたりで、盗賊に襲われてさ
ほうほう
後方から、弓矢の奇襲だったかな。それで運悪く、二人いた護衛の片方が即死、もう片方も怪我しちゃってね。……一応、ほら、僕ら商人も戦うからさ
ひょい、と御者台の傍らに置いていたショートボウを、持ち上げて見せるピエール。
師匠と、怪我した護衛と、僕ら見習いが何人か……。全員戦う覚悟は出来てたんだけど、いかんせん相手が多くてね。七、八人はいたと思う、しかもけっこう強そうでさぁソイツら。こりゃもうダメかな、と諦めかけた、まさにその時!
手綱を放り出して、ピエールは大袈裟に天を仰ぐ。
道の向こう側から、地を這うように、放たれた矢のように、猛然と駆けてくる少年が一人ッ! ……それが彼さ。あの時は、今より背も低かったし子供っぽかったけど、本ッ当に強かったなぁ。こう、バッタバッタと……あっという間に五人を討ち取っていったよ。残りの賊は、こりゃ敵わないと尻尾捲いて逃げていった
ほう、それは……やるな
ケイの口から漏れ出たのは、紛れもなく本心からの言葉。現在、アレクセイは十八歳ほどに見える。それが二年前の話となると、当時の彼は十六にも満たない、子供といってもいい年頃だろう。話を聞く限りでは機先を制したようだが、それでも大の大人を五人も殺害するのは、容易なことではない。
なかなかに侮れぬ―と、そう思うケイの目は鋭い。
あの光景は目に焼き付いて離れないよ。本当に強かった……それから近くの村によって、師匠がお礼とばかりに宴会をして。僕は、見習いだったから、特に何もできなかったけど。次に会った時は、何かお礼をしたいなと考えていたんだよ
そして、つい先日、サティナの街で偶然アレクセイと再会した―というわけだ。
なるほど、な……。しかし、すごい偶然だな。街道のはずれで、彼のような強者に出会い、その助太刀で九死に一生を得るとは……
だねえ、僕もそう思わずにはいられないよ
しかし、奴は雪原の民だろう? なんだってこんな辺鄙な場所に、しかも一人で?
ケイの疑問に、ピエールはしたり顔で頷きながら、
何でも、成人の儀を兼ねた武者修行の旅らしいよ。話によると彼は、優秀な戦士にのみ許される、『紋章』をその身に刻んでいるらしい
……ほう
相槌を打つケイの声が、真剣味を増した。
『紋章』は、少なくとも DEMONDAL のゲーム内においては、雪原の民が編み出したとされる秘術であった。いわゆる一種の魔術で、精霊の力を借り、野獣の魂をその身に封じて肉体を強化する業。
プレイヤーがそれを獲得するには、雪原の民の居住地を訪れ、長老より課せられる厳しい試練―課金アイテムにより難易度の軽減が可能―に打ち勝つことが必要であった。おそらく、術の形態や試練の内容は、この世界においても同じだろう、とケイは予想する。
それが余所者に開放されているかは謎だが―。
ともあれ、課金と廃プレイの併せ技により、ケイは現在『視力強化』『身体強化』『筋力強化』の三つの紋章をその身に刻んでいる。
対人戦闘において、紋章の有無は大きな能力差を生む。年端もいかぬアレクセイが、複数の盗賊相手に大立ち回りできたのも、それに依るところが大きいだろう。おそらく、『筋力強化』か『身体強化』か―運動能力を底上げする紋章を、その身に刻んでいると見て間違いない。
紋章を得た雪原の民の戦士は、二年ほど各地を放浪して、武勇を磨かなければならないらしい。二年前に僕らと別れた後、一人で鉱山都市ガロンまで向かって、東の辺境で魔物や未開の部族と戦ってたんだって。……あ、あと、
思い出した、と言わんばかりに、ピエールはニッコリと笑みを浮かべた。
アレクセイの場合、新しい血を入れるために、お嫁さん探しも兼ねてるんだってさ
……ほーう
相槌を打つケイの声が、僅かにその温度を下げた。
へっへっへ、どうしたケイ
ピエールを挟んで反対側。馬上で黙って話を聞いていたダグマルが、ケイの顔を見て笑い声を上げる。
そんなに気になるのか? お前の嫁さんが
面白おかしげな顔で、ダグマルは前方に、ちらりと意味ありげな視線を送った。
目を瞬かせること数秒、 your wife(お前の嫁さん) が、アイリーンを指し示していることに気付き、
別にっ、そういうわけではない
ぶんぶんと手を振りながら、早口なケイの否定に、 本当か? と笑みを濃くするダグマル。その笑顔にムッとしながら―なぜ自分がムッとしているのか疑問に思いつつ―ケイは、自分を落ちつけるように大きく咳払いをした。
―別に、彼女は俺の妻じゃないし、恋人でもない。そもそも俺たちはそ(・)う(・)い(・)う(・)関係じゃないんだ
へっ?
ケイの言葉に、ダグマルが気の抜けたような声を出す。
……つってもお前、あの娘と一緒のテントで寝てるだろ
まぁ、それは、そうだが……
返す刀のダグマルの指摘に、渋い顔をする羽目になったのはケイだ。
昨夜、ケイとアイリーンは、同じテントの中で眠った。
夜番の関係でケイが先に眠りについたこともあり、揃ってテントにINしたという感覚は薄いが、添い寝に近い至近距離で一緒に寝ていたのは事実だ。
一人より二人の方が色々な面で安全だから―ケイ以外に知り合いがいないから―持てる荷物の量に限りがあってテントが一つしかないから―理由は色々とあるが、少なくとも、『別々に寝る必要性を感じなかった』のは、これもまた事実といえるだろう。今まで散々、宿屋で同じ部屋を取っておいて、何を今更という話ではあるのだが。
一緒のテントで寝てはいるが……、その……、接触とか、そういうのはないぞ
……マジで言ってんのか?
ああ
重々しく頷くケイに、 理解不能 といった表情で、顔を見合わせるダグマルとピエール。やがて、ダグマルは何かを察したように、
そうか……お前、男色だったのか。今度からケイじゃなくてゲイって呼ぶわ
違うッ、そういうわけでもないッ!
サスケの上からずり落ちそうになりながら、思わず声を荒げる。
いや、だって。……なあ?
ダグマルに同意を求めるような目を向けられ、うんうんと頷いたピエールは、
あんな美人と一緒で、何もないってのもねえ、変な話じゃないか。僕はてっきり、彼女とは恋仲なのかと思っていたけど
……親しい友人ではあるが、恋人ではない
だけどよケイ、お前あんな娘と一緒に寝て、何とも思わねえのかよ?
信じらんねえ、という顔のままでダグマルがぐいと体を乗り出した。
普通、あれだけの美人が無防備にしてりゃ、突っ込むだろ? 男なら
左手で輪っかを作り、右手の指を差し込むジェスチャー。
いや、それは……
僅かに顔を赤らめて、ごにょごにょとケイの返事は、要領を得ない。
正直なところ。
ケイも男だ。
アイリーンのような美少女を前にして、何も思わないわけがない。
そしてこれは、目下のところ、ケイが直面している最大の問題でもあった。
アイリーンとアレクセイ。二人が話しているのを見ていると、胸の内にもやもやとした感覚が湧き上がってくる。
疎外感、危機感、不安感。
これらを表現するに足る言葉は、頭の中にいくつも浮かびあがる。だが、その中で最もシンプルで、かつ強力なのは、やはり『嫉妬』ではないかとケイは思う。
―では、何故こうも、嫉妬してしまうのか?
アレクセイに対するライバル意識だ、と。己の胸に手を当てて、 これが、恋……? と自問するのは容易い。
しかし、アイリーンに対して抱いているある種の執着が、果たして純粋に恋慕の情によるものなのか。
それが、ケイには分からない。疑っている、と言ってもよかった。
―あるいは、アイリーンに欲情しているのを、『恋』に昇華することで正当化しようとしているだけではないか、と。
そう思えて、仕方がない。単純に、性欲に振り回されているだけなのではないか。そのはけ口を求めるため、アイリーンを好きだと思おうとしているのではないか。
だとすれば、それは―彼女に対して失礼だと、ケイは思う。
元々、『こちら』に来る前のケイは、それほど性欲が強いタイプではなかった。