すっ、と。面頬にかけていた手を、そのままケイの前に差し出す。

―感謝する

逸らされることなく向けられた視線を、しかと受け止めながら、ケイはその手を握り返した。

アレクセイの握力は、強かった。

感謝される云われはない。俺は、俺が思ったことをしただけだ

……そうか

苦笑して、大剣を担ぎ直したアレクセイは、ケイたちに背を向ける。

……あんたには負けたよ

背中越しに、一言。ガシャリと兜の面頬を下ろし、ゆったりとした足取りで歩き始めた。

北へ。

涼やかな初夏の風が吹きつける中、その背中が段々と小さくなっていく。

結局、最後まで振り返ることなく、青年はひとり旅立っていった。

……さて、

黙ってそれを見送ったケイは、サスケの手綱を取り、兜をかぶり直す。

俺たちも、行くか

うん

言葉少なに頷いたアイリーンが、ひらりとスズカに飛び乗った。ホランドたちの呼ぶ声が聞こえる。出発の準備は整ったらしい。

―とんだ茶番だな。

などと、皮肉な想いが湧き出てきたが、不思議と悪い気はしなかった。

馬上、もう一度、ちらりと北を見やって。

隊商の皆に合流すべく、ケイも馬首を巡らせた。

†††

城門をくぐり抜け、一般市街のコーンウェル商会支部で給金を貰い、ケイたちの護衛としての仕事は完了した。

ひとり頭、小銀貨6枚に銅貨が少々。銅貨に換算してしまえば70枚弱といったところか。

それが、隊商護衛をこなしたケイたちの、七日間につけられた値段だった。

粗食であれば一日の食費が銅貨3枚で賄えることを考えると、悪くない給料といえるだろう。アイリーンは途中から夜番に魔術を使い始めたので、その触媒代として特別手当が小銀貨2枚ほど上乗せされていた。

ちなみにホランド曰く、護衛任務で負傷した場合には、怪我の程度によって負傷手当なども出るらしい。

いや、今回はケイたちと働けてよかった。また機会があったら是非頼むぜ!

こちらこそ、色々と助かった。ありがとう

姫さんも元気でな!

そのうち会えるさ、またな!

ダグマルら護衛仲間たちは、仕事納めに呑みに行くとかで、給金を受け取るや否や連れ立って支部を出ていった。酒がないと生きていけないのか、と苦笑するケイであったが、アイリーンがぼそりと オレもウォッカ飲みたいな と言うのを聞き逃しはしなかった。

その後、ホランドと”大熊(グランドゥルス)“の毛皮の扱いについて簡単に話し合い、ケイたちも商会支部を後にする。

毛皮は好事家にかなりの額で売れると予想されているが、買い手が見つかるまで待つか、ある程度の値段で商会に売り払ってしまうか、ケイには二つの選択肢があった。前者はどれくらいの期間が開くか分からない代わりに売値が上がり、後者は買い叩かれる代わりにすぐ纏まった金が手に入る。

サティナで仕入れた情報によると、ウルヴァーンの図書館は入館料がそれなりに高くつくらしいので、極力早目に現金が欲しいケイとしては、即売り払う方向で話を進めている。

実際、どれくらい時間がかかるか分からんからな

全くだ。でも”大熊”の皮って、加工すりゃそこそこな防具になるよな? 使うってのもアリじゃないか?

俺は今ので大丈夫だ。アイリーンがいるなら、それでもいいと思うが

いや、オレもいいよ。……重いし

そんなことを話しながら、ホランドに教えてもらったお勧めの宿屋を目指して歩いていく。

夕刻、一般街を貫くメインストリートを、埋め尽くさんばかりに行き交う人々。買い物かごを抱えた女に、黒い貫頭衣を着込んだ奴隷、露天商との値引き交渉に勤しむ旅人風の男―。

サスケの手綱を引きながら、綺麗に整備された石畳の上を行くケイが気付いたのは、サティナやユーリアに比べ建物の背が全体的に高いことだ。城壁外縁部の建物から始まり、全てが基本的に三階建て以上の造りとなっている。そのせいか、中世ヨーロッパ風の街並みであるにも拘わらず、他の町に比べ何処となく先進的な雰囲気が漂っていた。

流石は”公都”、か……

おのぼりさんよろしく視線を彷徨わせているうちに、目的の宿屋へと辿り着く。デフォルメされた甲虫が、エールのジョッキを片手に首吊りしているユニークな看板―“HangedBug”亭だ。

入り口前で小間使いにサスケとスズカの世話を任せ、緑色に塗られた扉を開く。からんからん、とベルの音が鳴り、中の様子が目に飛び込んできた。

あら、こんばんは

ケイたちを出迎えたのは、綺麗に畳まれたシーツを手にした若い女だ。程よく日に焼けた小麦色の肌、肩までの亜麻色の髪をバンダナでまとめ、いかにも好奇心が強そうにくるくると動く黒色の瞳が可愛らしい。

食事、それともお泊り?

部屋を取りたい

OK、ちょっと待っててね

にこりと愛想のいい笑みを浮かべ、女はシーツを手に奥へと引っ込んでいく。“HangedBug”亭も、宿屋の例に漏れず、地上階は酒場兼食堂となっているようだ。ランプの明かりに照らされた大部屋には丸テーブルが並べられ、カウンターの内側にはグラスを磨く中年の男の姿があった。筋肉質な体格、ぼさぼさに広がった髭―ゲーム内には存在せず、おそらくこの世界も同様であろうが、ひと目見て あ、ドワーフだ と思わせられる見てくれだ。後で聞いたが、アイリーンも同じことを思ったらしい。

はいはい、お待たせ。それじゃあ……

戻ってきた女が、受付の帳簿を広げる。黒色の瞳が、ケイとアイリーンを交互に見つめた。

……相部屋でいいかしら?

……ああ

極力、気負わないように意識しながら、何でもないことのようにケイは頷く。隣にいるアイリーンの存在が、かっと熱くなるような、浮き上がるような、そんな錯覚を抱いた。

何日ほど泊られるご予定?

まだ決まってないんだが、逆に最低で何日から部屋を取れる?

別に一日でもいいわよ。ただ、一日ごとに延長はちょっと迷惑ね。一週間単位で取ったらちょっとお安くするけど?

そうか、それならまず一週間でお願いしよう

ん、OK。それじゃあ203号室ね

鍵を受け取り、部屋代と馬の飼料代をまとめて銀貨で支払う。 ごゆっくりー という女の声を背中に、ケイとアイリーンは揃って階段を上った。

203号室。

こじんまりとした、清潔感のある部屋だ。窓際の小さなテーブル、クッション付きの安楽椅子、鍵付きの木箱(チェスト)に、両サイドの壁に置かれた二つの寝台―ホランドが勧めてくれた通りに、家具などのグレードが他の宿屋に比べて高い。窓は雨戸が嵌っているだけの簡素な造りだが、通りの裏側に面しているため比較的静かな環境だ。

わっ、ベッドだ!

荷物を床に置いたアイリーンが、嬉しそうにベッドにダイブする。いつぞやのサティナの宿屋とは違い、ちゃんと詰め物がされていたので、アイリーンの身体はぽふんとマットレスに受け止められた。

あぁ~~~体が溶ける~ぅ~

ここんとこ、地面に布敷いただけだったからな

同じように荷物を下ろしながら、ほっと一息ついてケイ。ぐっぐっ、と程よい固さのマットレスの感触に、思わずその頬が緩む。行商の旅はなかなか楽しめたが、テントで眠り続けていたため身体中が凝り固まっていた。快適な寝床の存在は、素直に嬉しい。

素直に、嬉しい。

…………

いつの間にか、部屋の中には沈黙が降りていた。

テントのような布地ではなく、しっかりと壁と天井で構築された密閉空間の中にいる―そのことが、二人きりであるという事実を、改めて浮き彫りにしているように感じられた。目的地に辿り着いた安堵、達成感、高揚感、それらのもたらす気持ちの緩みもまた、そんな感覚に彩りを添えている。

装備を外したり、荷物を整理したり、雨戸の開閉の確認をしたり、と無駄に動き回って、その沈黙を誤魔化そうとするケイ。しかし、何を話すか迷っている間にも、空気は飽和へと突き進んでいく。

…………

とうとうすることがなくなって、ケイがちらりと視線をやると、枕を抱きしめてこちらを窺っていたアイリーンはまるで人形のように跳ね起きた。

ああ、そうだ

目があって、まるで思い出したかのように、ケイは口を開く。

その……ホランドの旦那に、聞き忘れたことがあった。ちょっと行ってくるが、いいか? 野暮用だからすぐ戻る

あ、うん、そう? オレは全然いいケド

目をぱちくりさせながらも、枕を抱きしめたままアイリーンは小さく頷いた。

よし、それじゃあ行ってくる

鍵は預かっとくぜ~

任せた

ピンッ、と指で弾いたルームキーを、パシッと受け止めるアイリーン。

気を付けてな、行ってらっしゃい

ああ、またあとで

背中越しに笑いかけて、再びくつろぎモードで寝転がるアイリーンを尻目に、ケイは部屋を出て行った。

コツ、コツ、コツ……と、ブーツの足音が遠ざかっていく。寝転がったまま、アイリーンは注意深く、その音に耳を傾けていた。

―やがて、ケイが確実に宿を出たと思われる頃、アイリーンはおもむろに身を起こす。

ふむ、

腰に手を当てて、広くも狭くもない部屋を見渡すアイリーン。片隅に置かれた荷物に視線を落とし、続いて着ていたシャツを指で摘む。

……よし、着替えるか

誰に言うとでもなく。

アイリーンは荷物をひっくり返し始めた。

†††

既に暗くなりつつある道を早足で歩き、ケイは再び商会を訪ねた。

目的は、アイリーンに告げた通り、ホランドだ。

やあやあ、来ると思ってたよ

支部の片隅、商談用の小さな部屋。そわそわと落ち付かない様子のケイを、ホランドは朗らかな笑顔で出迎えた。

ならば、用件も分かっている、のかな

勿論だとも。コレだろう?

得意満面な様子で、ホランドは部屋に持参した小さな箱を開いて見せる。

その中に、真綿と共に収められていたのは、手の平サイズの四角い鏡だった。

おお……これか

そう。元々は、こっちを納品する予定だがね、客が『丸いのがいい』と言いだしたんだ。それで輸送していたのが、君らも見た丸い手鏡ってわけさ

成る程。それで、値段は?

細かい説明はどうでもいい、と言わんばかりのケイの食いつきに、ホランドは可笑しくてたまらないといった風に苦笑する。

銀貨20枚―と言いたいところだが、身内のよしみで15枚にまで負けておこう。ちなみにこれは原価に近いから、これ以上は負からないよ

いや、充分ありがたい。……どう支払おうか?

うーん、今ここで払って貰ってもいいし、毛皮の代金から天引きでもいい

……天引きでお願いしたい

現金はあまり使いたくない、という要望に、ホランドは快く答えた。

さて、ギフトラッピングは必要かね?

そんなものもあるのか。ぜひ頼む

にやり、と意味深な笑みを向けてくるホランドに、ケイは照れたように頬をかく。驚いたことに、近くの棚から包装紙やリボンを取り出したホランドが、手ずから鏡の入った木箱のラッピングを始めた。

……時に、旦那。“HangedBug”亭の近くで、どこかオススメのレストランはないだろうか。この際、金に糸目はつけず、良いディナーにしたいと考えているんだが

驚くほど器用に、かつ手際良くラッピングするホランドの手を眺めながら、遠慮がちにケイは尋ねる。

ん、レストランか……金に糸目はつけない、となると……いや、しかし君らは、ドレスとかは持ってないだろう?

う……残念ながら

貸衣装……は、サイズが合うのがないかもしれないし、ちょっともう遅いしな。気取らずに済む美味しい店といえば……うぅむ

“シェフ”としての本領発揮か、思わずラッピングの手を止めて真剣に考え始めるホランド。

……心当たりはあるが、問題は……Tu sais parler le francais?

唐突なホランドの言葉に、ケイはぴくりと眉を動かし、しばし目を泳がせた。

……Ouai, un petit peu

ほう、これは驚いた。なら問題ないね

高原の民の言語(フランス語)は話せるか、という問いに、少しだけ、と返したケイ。ホランドはいたく感心した様子で、何度も頷いている。

あ、ああ……だが何でまた急に?

“HangedBug”の裏側の通りにある、『ル・ドンジョン』というレストランなんだが、オーナーから給仕まで全員高原の民の出でね。それほど高くなく、抜群な味の料理を出す代わりに、ウチの言葉を話せない奴はお断りなんだ。君らも最初は断られると思うから、私の紹介だと言うといい

胸元からメモを取り出し、羽根ペンでさらさらと何かを書きつけるホランド。受け取ってみればホランドのサインと、フランス語で『丁重にもてなすように!』と書かれていた。

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