その後も、何枚もの書類に必要事項を記入したり、無犯罪証明書のために衛兵の詰め所に行かさせられたり、書類に不備が見つかったため住民管理局にとんぼ返りしたりと、ウルヴァーン市内中を歩き回る羽目になり、一応の全ての手続きが終わる頃には日が暮れようとしていた。

それでもまだ、すぐに身分証が発行されるわけではなく、翌日から書類の審査が始まり、そこから面接や幾つかの手続きを経て、晴れて身分証が発行されることになる。名誉市民の場合、普通の手続きよりも優先して行われるので、遅くとも三日後には終わるだろう、という見込みだった。

……というわけで今日は忙しかったよ

お役所仕事、というわけか。……災難だったな

“HangedBug”亭の酒場で夕食をとりつつ、ケイたちはマンデルに愚痴っていた。

今夜の食事は、送別会を兼ねている。ケイたちとは別の宿に泊まるマンデルだったが、明日にはウルヴァーンを発つらしい。ちょうどホランドがサティナへと行商に出発するとのことで、ケイの紹介もあり、客人として同行することになったそうだ。

ところでマンデル、仕官について何か話はなかったか?

ああ、あったよ。軍の方から弓兵部隊の、百人長の待遇でどうか、と話があった。……もっとも、断ったがね

あったのか。そして断ったのか、流石だな

ああ。一度軍属になったら簡単には辞められないし、ウルヴァーンに移り住む羽目になるからな。……おれには、狩人の方が性に合ってる

飄々と、肩をすくめるマンデル。

もちろん、給金は魅力的だがね。……だが、それでも

タアフ村の方がいい、か

……ああ

実際、金だけでは必ずしも、楽しい暮らしができるわけじゃないもんな

もっしゃもっしゃとサラダを口に運びながら、アイリーン。

そうだな。ここだけの話、俺もタアフの村とウルヴァーン、どちらが良いかと聞かれると……タアフだ。2日かそこらしか滞在しなかったが

感慨深げにケイは呟いた。森と草原の緑に囲まれた、小さな田舎村の景色が色鮮やかに蘇る。思えば、今現在はウルヴァーンで暮らしているケイとアイリーンではあるが、旅はあの村から始まったのだ。村の人々の顔を思い出す。―盗賊に報復を食らわない、という前提ではあるが、排他的なところのあるウルヴァーンよりは、まだタアフ村の方が居心地が良いだろうと、ケイには思えた。

何だかんだで、あれは住みやすい村だよ。他の村より豊かだしな。ところで、そう言うケイの方こそどうなんだ? ……仕官の話は

一応、来た。マンデルと同じで軍から弓兵として迎えたい、と。ただ、百人長とかそういうポストの話はなかったな

む、そうか。……そいつはまた、変な話だ

ケイ、優勝してんのにな。ヒラかよ、とはオレも思った。差別かな?

自分のことのように不満げな様子で、アイリーンが眉をひそめる。ポストがどうであろうとケイが仕官することはないのだが、それでも不当に悪い扱いをされているのであれば気分的にいけ好かない。

どうだろうな。経験の有無は、一応見られているかもしれないが。……おれは元々、軍で十人長にまで出世していたからな、その記録があったのかもしれない

そうだったのか

意外な話だ。マンデルが軍に籍を置いていたとは知らなかった。

しかし、とケイは思う。タアフ村で盗賊の遺品を回収した際、凄惨な死体を目の当たりにしても、マンデルだけは取り乱すことがなかった。十年程前にあったらしい”戦役”なるものに、マンデルもまた身を投じていたのかもしれない。

だが、それだけか? ケイ。……ケイほどの使い手であれば、もっと引く手数多だと思っていたんだが

ああ、個人的な手合いであれば、何人か声はかけられた。物好きな貴族の用心棒やら、隊商の護衛やら、あと東の辺境から来たっていう戦士には『うちの傭兵団(クラン)に入らないか?』と誘われたな。今のところ全部断ってるが

ほう。……ちなみに、なんという傭兵団だった?

問われて、目を細めたケイは、思い出そうと虚空を睨む。

……なんだっけ。アイリーン憶えてないか?

たしか……、“青銅の薔薇”だか何だか、そんな名前だった、と思う

“青銅の薔薇”か! あそこはかなりの大手だぞ、“戦役”では”巨人の翼”と並ぶ一大傭兵団として知られていた。……と言っても、ケイたちには分からないか

いや、何となく見当はつく。道理で断ったとき、奴(やっこ)さんが驚いてたわけだ。有名だったんだな……

その後も、仕官や軍のこと、他愛の無い雑談や愚痴などをつらつらと話し合い、程よく酔っ払ったあたりで送別会はお開きとなった。マンデルは明日の朝は早いらしく、見送りも不要と言っていたので、これでしばらくのお別れだ。タアフ村の呪術師アンカやクローネン夫婦、サティナの街の矢職人モンタン一家によろしく伝えてもらうよう、ケイはマンデルに頼んでおいた。

(次はいつ会えることやら)

自室でアイリーンと一緒にゴロゴロとしながら、ケイは思いを馳せる。

そもそも今回の大会で、マンデルと再会したのが予想外のことだった。

手軽な通信技術も、移動手段もないこの世界。次に相見(あいまみ)える機会があるとすれば、それは数ヵ月後か、一年後か、それとも―

†††

三日が過ぎた。

ウルヴァーンの市長と面接したり、追加で書類を提出したり、色々と面倒なことはあったが、ついにケイの身分証が発行された。

大きさは手の平サイズの長方形で、頑丈な羊皮紙で出来ている。ウルヴァーンの紋章の判が押された上に、びっしりと『ケイ』という人物の名誉市民としての権利が大仰な文言で書かれ、最後には市長のサインが書き込まれていた。裏側にはケイの本人確認のために人相書きと似顔絵、そして直筆でサインをする場所がある。

このサインというのは、必ずしも読めるものである必要はなく、『他者にとって真似しづらいもの』であることが一番望ましい。色々と悩んだ結果、ストレートに『乃川圭一』と漢字で書くことにした。こちらの世界の住人にとって、ぱっと見での判読と模倣は非常に困難であろう。

ようやく、この日が来たなアイリーン……

ああ。なんか、すっげー長い間待ってた気がする……

二人して遠い目をしながら、第一城壁に沿って歩いていく。

図書館に行くために一級市街区に入ろうとして、門前払いを食らったのが一ヶ月前のことだ。もう一ヶ月が経った、というべきか、それともまだ一ヶ月というべきか。いずれにせよ、感慨深いものがある。

懐に仕舞った身分証の存在を、どこか誇らしく思いながら、前回世話になった門番の所にまで辿り着いた。

おお、アンタらか

大会の様子は見てたぞ。優勝おめでとう

こちらから声をかけるまでもなく、若い衛兵と年配の衛兵、それぞれが話しかけてきた。

ありがとう、ありがとう。というわけで、市民権を取ってきたよ

懐から身分証を取り出し、年配の方に手渡した。兜の面頬を跳ね上げて、老眼なのか、身分証を遠く離しながら、一応目を通す衛兵。

……うむ、ケイイチ=ノガワ、確かに本人だ。通ってよし

にこりと微笑んで、身分証を返してくる。

あ、だがその身分証で通れるのは本人のみだぞ。そちらの娘は……

と、若い方の衛兵が口を挟んできた。

そう、実際のところ、身分証の持ち主はケイであり、それはアイリーンには何ら効果を及ぼさない。

つまりアイリーンには、門をくぐる権利がないのだ。

が。

ケイたちは慌てなかった。

(どれだけ時間をかけて、クソ面倒な手続きを乗り越えてきたと思っている……!)

これは既に予想済み。そして、その対抗策も考えてあった。

おもむろにアイリーンの肩を抱き、ケイははっきりと宣言した。

―彼女は、俺の妻だ

妻帯者。身分証を保持する市民が家長であった場合、その妻がウルヴァーン市民でなかったとしても、一人までであれば速やかにこれに市民としての権利・義務を与える。

つまりアイリーンがケイの妻であれば、彼女も同様の権利を有するのだ。

ケイの宣言に、腕を絡めつつ、照れて頬を染めるアイリーン。

これは、今回に限っては、門を抜けるための方便ではあるが―

(いつかちゃんと、式を挙げたいな)

ケイは思う。まだ、アイリーンがこの世界に留まるとはっきり結論を出していない以上、ケイとしては待つしかないが、いずれ本式に結婚したいと。

(……しかし、『こちら』での結婚式って、どんな風にやるんだ?)

ふと疑問に思う。この世界は、あらゆる元素の精霊が当然のように存在するが故に、逆に宗教的な発想が希薄になっている節がある。日本的な八百万の考え方に近いものがあるのだろうが、少なくとも結婚の形が『絶対神の前で誓う』タイプではないのは確かだ。

(……そうだ、ユーリアの水の精霊の神殿とかで、結婚式は挙げられるんじゃないか。こちらでも花嫁はドレスを着るんだろうか……)

アイリーンのウェディングドレス姿を想像して、思わず頬を緩めるケイ。

頬に手を当てていやんいやんと照れるアイリーンに、未来の花嫁姿を想像してニヤニヤするケイ。微笑ましいのか、あるいは鬱陶しいのか―いずれにせよ、他者をうんざりさせるだけの桃色空間がそこにはあった。

目元を隠す兜の下、若い衛兵は憮然とした表情で、年配の方は苦笑している。

―まあ、分かった。確かに規則に則れば、その娘が妻である場合、彼女は君と同様の権利を保持する

年配の衛兵の言葉に、ケイとアイリーンは満足げに頷いた。

これで、ようやく、本当にようやく、面倒な手続きから解放される―

というわけで、

すっと、手を差し出す年配の衛兵。握手か? と勘違いしたケイは思わず握り返しそうになるが、そこで彼は衝撃的な一言。

“婚姻証明書”を見せてもらおう

…………

ケイは吠えた。

サスケ 最近出番ないね

スズカ ね

サスケ 弓騎兵なのにね

スズカ ね

33. 図書館

前回のあらすじ

アイリーン、婚姻証明書を持っておらず城門で門前払いを食らう

幸いなことに、婚姻証明書の取得はそれほど難しくなかった。

市庁で書類に記入し、公証人の前で口づけをして終わりだ。手続きとして正式に口づけを要求されるのは少々意外であったが、『こちら』にも”誓いのキス”という概念は存在するらしい。人前で改めてキスするのも恥ずかしく、照れるケイたちとは対照的に、公証人の中年親父が そんなもんもう見飽きた とでも言わんばかりに終始淡々としていたのが印象的だった。

それからは書類の審査や手続きが始まり、昼休みを挟んだ後しばらくして証明書は無事発行された。が、書類を手に市庁を出る頃には既に日が傾き始めていたので、ケイたちはまた日を改めて図書館に出直すことにした。

全く、婚姻証明書はとんだ伏兵だったな

でもまぁ、スムーズに取れてよかったぜ

その日のうちに片付けば『スムーズ』と認識するようになったあたり、二人ともかなり訓練されている。ケイもアイリーンも、若干待ちくたびれた感はあるものの、特に疲れた様子はなかった。

帰り道、ついでとばかりに市場の屋台や露店を冷やかして回る。アイリーンが何か面白そうなものを見つけては、ケイの手を引っ張っていく―ここのところ、ウルヴァーンの街中でよく見られる光景だ。すっかりケイたちの顔を憶えてしまった商人などは、微笑ましげにそれを見守っている。一部、アイリーンに見惚れながら、ケイに嫉妬の目を向ける男たちもいたが。

最終的に、魔術の触媒に使えそうな水晶の塊や、“平たい桃(ペッシュ・プラット)“というまんまなネーミングの、潰れたような形の桃などを買い込み、ケイたちは宿屋に戻った。

……あら、お帰りなさい。図書館はどうだった?

酒場で箒を手に掃除していたジェイミーが、静かな微笑みと共にケイたちを出迎える。

いや、図書館には行けなかったよ

オレが一緒に高級市街に入るには、婚姻証明書が必要だったのさ。それの取得で一日が潰れちまった

懐から羊皮紙を取り出して、ひらひらと見せるアイリーン。

そう……じゃあ二人とも、正式に籍を入れたのね

ゴフゥッと吐血しそうなジェイミーをよそに、ケイたちはそそくさと席に着く。何かを悟ったような顔つきのジェイミーにサーブしてもらいながら、適当に飲み食いし、いつものように部屋でイチャついてからそのまま寝た。

明くる日。

高空に巻雲のたなびく爽やかな朝。薄く立ち込める朝靄の中、ケイたちは城門を抜け、いよいよ第一城壁の内側へと足を踏み入れた。

……成る程、これが一級市街区か

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