よくよく見れば、扉の装飾には巧妙に精霊語(エスペラント)の呪文が隠されていた。随所に嵌め込まれている宝石も、ただのお飾りではないらしい。
無駄に金かけてるな……
感心したような、呆れたような表情のケイ。現代人からすればただの自動ドア、地味なことこの上ないが、この手の物理的な作用をもたらす魔道具は造るのが存外難しい。高位の精霊でなければ実現できないはず―そして高位の精霊になればなるほど、要求される触媒も希少なものとなる。サイズ的なことを考えると、この大扉の作成に必要だった触媒だけで、ちょっとした家くらいならば建てられるのではなかろうか。
そんなことをつらつら考えながら中に踏み入ると、そこは広々としたホールであった。
内装はまさしく、“豪華絢爛”と言う他ない。白を基調としているあたりは外壁と一緒だが、天井のフレスコ画には青空で舞い遊ぶ精霊たちの姿が描き出され、また梁と言わず柱と言わず、至る所に金箔をふんだんに用いた装飾がなされていた。
入って正面には受付と思しき木のカウンター、その奥にはずらりと並ぶ本棚―図書館の内部が見て取れる。上品な臙脂色のふかふかな絨毯、日当たりのいい窓際には座り心地の良さそうなソファが置かれ、ホールの突き当たりには高級感のあるテーブルや椅子がいくつも並ぶ。ティールームであろうか、茶器を載せたトレイを手に、忙しげに動く給仕の傍ら、ソファや椅子に腰掛けて談笑する身なりの良い人々の姿も見られた。
そして彼ら全員の視線が、新たに入ってきたケイたちに集中する。
…………
なんとなく気まずい。ケイたちの存在は、この場では明らかに浮いていた。
ケイもアイリーンも服は新調していたが、所詮は平民向けのもの。周囲の人々が身にまとう絹の衣に比べれば、若干見劣りするのは否めない。皆、すぐに目を逸らし、何事もなかったかのように会話を再開していたが、露骨になり過ぎない程度に注意を向けられているのが丸わかりだった。
しかしこの程度で怖気づくほど、ケイもアイリーンも柔なメンタルはしていない。互いに顔を見合わせ、小さく肩をすくめただけだ。つかつかと、揃って受付に近づいていく。
落ち着いた色合いのカウンターの奥に、受付嬢と思しき若い女が二人。
―こんにちは。本日はどのようなご用件でしょうか
そのうち、片眼鏡(モノクル)をつけたショートカットの受付嬢が、先んじて尋ねてくる。立ち仕事か、と一瞬思ったが、どうやら背の高い椅子に腰掛けているらしい。自分よりも少し低い位置にある受付嬢の目を見て、ケイは口を開いた。
図書館を利用したいんだが
……初めてのご来館ですね? 利用料が年間で銀貨五十枚となりますが
払えるのか、と言外に尋ねているようだ。
それは、今ここで払っても構わないのかな
懐から財布を取り出し、カウンターの上に置く。じゃら、と重々しい硬貨の擦れる音が響いた。
ほう、と声には出さないが、受付嬢が感心したように小さく首を傾げる。
もちろんです
それは良かった
受付嬢の差し出してきたトレイに、財布から取り出した金貨を1枚載せる。ゆっくりと目を瞬いた受付嬢は、ケイとアイリーンの間で視線を彷徨わせた。
お二人分、ですか
ああ、よろしく頼む
……かしこまりました。登録しますので、身分証の提示をお願いいたします
心なしか、先ほどよりも恭しい態度。ケイは身分証を、アイリーンは婚姻証明書をそれぞれ提示し、図書カードを作成してもらう。
手のひらサイズの羊皮紙に、銀色の万年筆で丁寧に文字を書き込んでいく受付嬢。鈍く輝く青色のインク―注意深く、一文字ずつ刻み込んでいくかのような手つきだ。
……はい、それではここに、サインをお願いします
万年筆を渡され、言われるがままに名前を書き込む。すると羊皮紙の上、書き込んだサインがすぅっと青白く発光した。
これで、このカードは一年間有効となります。有効期限が過ぎますとカードそのものが自動的に消滅いたしますので、ご了承ください
淡々とした受付嬢の説明を聞きながら、手の中の万年筆をしげしげと観察するケイ。
(これも魔道具か……)
あるいは、インクも特殊なものに違いない。一々小道具が凝っている。
ありがとうございました。さて、お二人とも、初めてのご来館とのことですが、施設の説明等は必要でしょうか
片眼鏡の位置を調整しながら、無表情のまま受付嬢が問いかける。ケイがアイリーンを見やると、彼女は小さく頷いた。
お願いしよう
分かりました。それでは、
やおら席を立つ受付嬢。受付の業務は、もう一人の同僚に任せるのだろう。カウンターから出てみれば、片眼鏡の受付嬢はかなり背の高い女だった。おそらく170後半はあると見ていい。
では、このエントランスの説明から。まずあちらのティールームですが、当館の会員の方は無料でご利用いただけます。また、二階には個室や会議室もございますので、事前にご予約いただければ―
ティールームやサロン、御手洗いなどの説明を受け、いよいよエントランスから図書館の内部に入り込んでいく。
―静謐な空間だ。本や巻物のぎっしりと詰まった棚が、壁のように整然と立ち並んでいる。足元の絨毯は落ち着きのある緑で、フロア中央には椅子やソファが置かれていた。
一階は主に、詩や小説の文学、歴史書などを取り扱っております。基本的に作者・著者別に分けられておりますが、内容やジャンルによって何かお探しの場合は、受付か司書にお申し付けくださるとよいでしょう
少し声のトーンを落とし、囁くように受付嬢。 司書はあちらの事務室に~ と続いて説明し続けるそばで、アイリーンがくいくいとケイの袖を引っ張った。
ん? どうした
ケイ、あれっ、あれ見て
何やら興奮した様子で近くの壁を指差すアイリーン。
怪訝な顔でそちらを見やれば、壁面に固定されたランプ。
無色透明なガラスの中で、淡い光が揺れている。一瞬、昼間から油を燃やすとはなんと贅沢な―と思うケイであったが、すぐにそれが炎の明かりでないと気付き愕然とした。
あれは、魔術の明かりだ。
極めて貴重な照明の魔道具。弾かれたように周囲を見回し、壁に一定間隔で取り付けられたランプから、天井にぶら下がるシャンデリアに至るまで、全てが火を使わない魔道具で統一されていることに気付く。
嘘だろ……ゲームでも一度にこんな量はお目にかかったことないぞ……
いくら火災対策っつっても、コレはヤバイよな
二人ともにわかに茫然自失となっていた。作成難易度とコストが馬鹿高く、一部の古代遺跡やダンジョンで発掘される他は、ゲーム内で入手すらままならなかった魔道具。それが、この広い館内全てをカバーするほど、大量に備えられている―
ウルヴァーンの生産能力と経済力に、ケイもアイリーンも驚くばかりであった。
……よろしいですか? では二階へ
そんなケイたちをよそに、淡々と説明を続ける受付嬢。彼女に連れられて、今度は階段で二階へ上る。
さて。二階は学術書、及び”大百科事典”のフロアとなっております
“大百科事典(エンサイクロペディア)”?
はい。こちらです
受付嬢が示すのは、二階の窓際、ずらりと並んだ二十六架の巨大な本棚。それぞれA, B, C…と棚にアルファベットが振ってある。そして棚の中には、本でも巻物でもなく、革で装丁されたファイルのようなものがぎっしりと並べられていた。
こちらが、当館の誇るエンサイクロペディアです。これら全ての棚が、一冊の百科事典として機能します。一つの語句から、多角的に調べを進めていくことができるのです
一番手前のAの棚に近づいた受付嬢が、 例えば、 と一冊のファイルを抜き出した。
“リンゴ”を調べたい場合は、こちらのように
背表紙に”Apple”とあるファイルを手渡してくる。アイリーンとともにパラパラとめくってみると、そこにはリンゴの基本的な情報―植物学的な特徴、主な産地や品種、収穫の季節や栽培法などが、イラストも交えて大まかに記されていた。
興味深いのは、ページによって文字の筆跡が異なっていることだ。またファイルの末尾には、参考文献や”編集者(エディタ)“なる者達の名が書き連ねてある。
当館の利用者のうち、高い教養と深い専門知識を持つ方は”編集者(エディタ)“と呼ばれ、エンサイクロペディアを編纂する権利を有しておられます。新たな発見があれば情報の追加がなされ、間違いが見つかれば訂正される。当館のエンサイクロペディアは、絶えず進化し続ける事典なのです
……要は、アナログのウィキペディアだな
違いない
アイリーンの言葉に、ケイも深々と頷いた。
アナログ……、ウィキ? いえ、エンサイクロペディアですが
意味が通じなかったらしい受付嬢が真顔で訂正してくるが、既にこのとき、二人の注意は棚の方へと向けられていた。
早速Nの棚に移り、北の大地(ノースランド)の項目を探す。すると想像以上に分厚いファイルが見つかり、中身をめくってみれば雪原の民の風習や伝承、伝説などが歴史書の出典付きで記されていた。
……これは、なかなか長い付き合いになりそうだな
パタンとファイルを閉じ、にやりと笑みを浮かべるケイ。少なくとも、手当たり次第に本を読み漁っていくより、調べ物が捗るのは間違いない。
俺は、とりあえず『北の大地』から攻めてみよう
じゃあオレは『霧』から調べていこうかね
この図書館であれば、『こちら』に来ることになった原因も掴めるかもしれない―
ケイたちの探求は、まだまだ始まったばかりであった。
34. 探求
―“北の大地(Northland)”。
北の大地とは、“アクランド連合公国”北部に位置する地域の総称である。
そのあまりの広大さと、後述の政治的な理由により、地政学的に明確な領域を定めることは困難を極めるが、一般的には緩衝都市”ディランニレン”を境目として北、雪原の民に実効支配されており、かつアクランド連合公国の支配の及ばぬ地域を『北の大地』と定義することが多い。
その実体は”民族共同体”とでも呼ぶべきもので、確たる王権は存在せず、有事の際は主な氏族の代表が一同に会し、全体の方針を決めていくという擬似的な合議制を取る。場合によっては代表同士の決闘によって議決を成すこともあるといい、その政治形態は極めて野蛮かつ原始的と言わざるを得ない。また、各氏族がそれぞれ土地の領有を主張しているが、氏族によってその線引きが異なるため、水源や鉱脈を巡っての氏族間での小競り合いが後を絶たないのが現状である。
北の大地における最大の都市は”シルヴェリア湖”の湖畔に位置する”青銅の環(ブロンズウィコリツォ)“である。これは、雪原の民のうち最大規模の八氏族(ウィラーフ、ミャソエードフ、ネステロフ、ジヴァーグ、パステルナーク、ヒトロヴォー、グリボエード、ドルギーフ)を筆頭に、ほぼ全ての氏族の代表が館を構える都市で、北の大地の政治的中枢といえる。
また、周辺には主要な大規模集落が散在しており、南部の都市”ベルヤンスク”を経由して緩衝都市ディランニレンまで直通の街道も整備されていることから、交通の面から見ても要衝であることは間違いない(ちなみに北の大地の整地技術は公国と比して非常に未熟であり、馬車で通行可能な街道は限られている)。
青銅の環(ブロンズウィコリツォ)からさらに北上すると、“白色平野(ヴィエラブニーネン)“に行き当たる。身を切るような氷点下の風が吹き荒れる中、季節を問わず雪が降り積もり、地平の果てまで何もない白い雪原が延々と続くという。かつて幾人もの冒険家が探索を試みたが、多くは帰ることなく、終にその果てまで辿り着いた者はいない。余談だが、環境の過酷さを鑑みても帰還率が低すぎることから、白色平野には人喰いの魔物が棲んでいるという言い伝えもある。
北の大地の西部は、公国と同様に”アルデイラ海”に面している。アルデイラ海沿岸部には漁港が栄え、北の大地にしては気候が温暖であることも相まって、過酷な環境に適応した雪原の民には西部は住み易い土地として知られている。
一説には、平原の民が”フォーラント”より”リレイル”の地に訪れたのと同時期に(P.K.400年前後)、雪原の民もアルデイラ海を越えて北の大地に漂着したと考えられているが、当時の記録が紛失してしまったため、その正確な起源は現在不明である(詳しくは”雪原の民”の項を参照)。