弓ケースの位置を直しながら、ケイも椅子に腰を下ろしてほっと一息つく。エッダのお蔭で新たな手掛かりは得たが、『転移について図書館で調べる』という当初の目標に変わりはない。ホランドも言っていたが、現段階の情報のみで北の大地に乗り込むのは性急過ぎる。ウルヴァーン周辺に住む雪原の民から伝承について聞きだしつつ、さらに学術的観点から図書館で調査を進めるのが得策だろう。少なくとも、漠然と『転移』について調べるよりは、ずっと効率よく情報が収集出来る筈だ。

…………

しばし、席に着いたまま、二人とも沈黙する。

目をやるのは、酒場の片隅。

奥の席に陣取って、テーブルに薄紙や木材、細工用の小刀などを雑多に並べ、何やら工作に勤しんでいる若い女―ジェイミーだ。

喉が渇いたので早く注文を取りに来てほしいのだが、ジェイミーはケイたちが酒場に入ってきたことにすら気付く様子がない。薄紙を切ったり、木を糊付けして紐で縛ったり、一心不乱に手元に意識を集中させている。今はドワーフ顔の店主の姿もなく、オーダーするならば彼女しかいないのだが、あまりにも一生懸命なので声をかけるのが躊躇われた。

テーブルに両手で頬杖を突いたアイリーンが、にやりとケイに笑いかける。遠慮で声をかけないケイとは違い、気付かない彼女を面白がる構えだ。ケイも、若干気持ち悪いのを承知で、アイリーンの真似をして両手で頬杖を突く。

そのままジェイミーに視線を注ぐこと数分。

うん、できたっ

独りドヤ顔で、惚れ惚れと自身の力作を手に取るジェイミー。完成したのは、木枠に薄紙を張り合わせたシンプルな構造の直方体だ。薄紙は切絵のように、所々がデフォルメされた動物の形に切り取られており、その絵柄が何処となく稚拙なことと相まって、ケイに幼い頃に小学校で作った紙製の灯篭を連想させた。

小刀を置き、ジェイミーは様々な角度から満足げに作品を眺めている。が、斜め下から抉り込むようなアングルで見ようとしたときに漸く、テーブルで頬杖を突いたままのケイたちの姿に気づいた。

ホワッ!?

奇声とともに体をのけぞらせ、椅子から転げ落ちそうになるジェイミー。そしてなぜか作品を手に持ったまま、ズドドドドと凄い勢いで駆け寄ってきた。

いっ、いつから……!?

……うーん。五分くらい前?

だな

うんうん、と頬杖をついたまま二人が頷くと、 イヤー! と声を上げてジェイミーは手の灯篭で顔を隠す。微かに覗く頬が紅い。

ごめんなさい、気付かなくて……ご、ご注文は!?

何か軽くつまめる物と、……俺は葡萄酒の水割りにでもしようかな。アイリーンは?

オレはりんご酒で

OKOK、ちょっと待ってて~!

近くのテーブルに灯篭を置いて、ジェイミーは逃げるようにして厨房の奥へと引っ込んでいった。

(普段は強気な娘が恥じらう姿か……イイな)

先日、夜の音の件でからかわれ、そのときは何と図々しい娘だろうと思ったものだが、恥じらいの心はあるらしい。平素がハキハキとしているだけに、新鮮な感覚だ。

最近は悪い虫が―と、嘆いていた店主のことを不意に思い出す。

(俺もアイリーンがいなければヤバかったかもな)

ギャップ萌えというヤツか。いずれにせよレアなものが見れた、と満足げなケイであった。そんなケイをよそに、アイリーンは放置された灯篭に興味津々の様子だ。

はい、お待たせ~。葡萄酒の水割り、りんご酒、それとカナッペね

しばらくして、皿とカップを満載したトレイと共に、ジェイミーが戻ってきた。

やあ、これはまた豪勢なものが来たな

テーブルに置かれたカナッペの皿に、思わず感嘆の声が洩れる。一口サイズに薄く切られた堅いパンの上、チーズや野菜、ハムなどが色取り取りに盛り付けられていた。注文を取ってから偉く時間がかかるな、と思っていたのだが、これを作っていたのなら納得だ。

サービスよ、サービス

そう言ってジェイミーは笑うが、その顔からは照れが抜け切っていない。酒も頼んだ分、少々高くついたが、手間賃を含めて小銀貨数枚をまとめて払っておいた。

なあ、コレって何なんだ?

満を持して、アイリーンが灯篭を指差しながら尋ねる。ジェイミーは、諦めたように笑いながら、

それね……明日から、夏至のお祭りが始まるでしょう? お祭りの前夜には、灯篭(ランタン)流しをするのが慣習なの。みんなで川に、灯篭や蝋燭を載せた小舟を流すのよ

へぇ~

チーズとハムのカナッペを頬張りながら、アイリーンは感心した様子だ。ケイも、精霊流しみたいなものかな、などと思いながら話を聞いていた。

しかし、そんなもの流して大丈夫なのか? 水が汚れたら精霊が怒ると聞くが

川、といえばウルヴァーンの東を流れるアリア川のことだろう。その下流にあるシュナペイア湖の、水の大精霊の伝説を思い出したケイは素朴な疑問を放つ。

ああ、それなら大丈夫。ユーリアの町の人たちが、湖にまで流れ着いた時点で死ぬ気で回収するらしいから……

そ、そうか

事も無げなジェイミーの返答に、ケイは引き攣った笑みで頷く。とんだハタ迷惑だな、とは思ったが、口には出さなかった。

今夜、私もコレ流しに行くんだけど、なんだったら一緒に見に来る?

お、いいのー?

もちろん。とってもロマンチックよ

へーいいないいな! ありがとう!

盛り上がる二人の少女。口を挟む暇もなく、ケイの同行も決まっていたが、特に断る理由もなかったので一緒に行くことにした。

その夜。

夕食を摂ったあと、ドワーフ顔の店主―『デリック』という名前らしい―に断りを入れてから、ケイたちは揃って宿を出た。

灯篭を流しに行く、というジェイミーに当初デリックは難色を示したが、ケイとアイリーンが同行すると聞いて快くこれを許した。確かに、ジェイミーほどの器量良しの娘が、日が暮れた後に一人歩きするのはよろしくない。デリックからかけられた、 頼んだぞ という言葉が妙に重く感じられるケイであった。

ジェイミーは丸腰だが、ケイとアイリーンは念のために武装して行くことにした。アイリーンは腰に短剣を差し、ケイは彼女から借りたサーベルを吊り下げる。本来、白兵戦であればアイリーンの方に軍配が上がるのだが―その可憐な見かけが災いして、抑止力にはならないと判断したのだ。

ちなみに、ケイたち以外にも同行を申し出た客は多かったが、彼らはデリックが一睨みして黙らせた。ケイは、アイリーンと好き合っているのが一目瞭然なため、『悪い虫』にならないと判断されたのだろう。

三人揃って、とっぷりと、夕闇に沈む街を行く。

灯篭を両手で抱えるジェイミーと、右手に掲げたランプで道を照らすケイ。アイリーンは、ケイの空いた左手を握り、てくてくと隣を歩いている。

灯篭流しの前夜祭。この日の街は、たしかにどこか特別だった。通りは篝火の明かりに照らし出され、いつもとは違う貌(かお)を見せている。

東へ向かう住民たちの影が、ゆらゆらと幽鬼のように揺れていた。無数の人々の足音が、息遣いが―人の気配が満ちているそこは、しかし祭りの熱気とは程遠い。

普段、これだけの人通りがあれば、スリなり何なりを警戒するものだが―今日に限っては、そういった邪悪を許さない、厳かな空気が満ちていた。

人々のざわめきがあっても尚、静かであった。

思ったより、静かなんだな

人の流れに乗って歩きながら、ケイは隣のアイリーンに囁く。

だな……

困惑したように頷きながら、アイリーンもまた小さく答えた。口を開くのさえ憚られるような雰囲気。周囲の人々も、囁くようにして言葉を交わしている。それにつられて自然と少なくなる口数。

城門を抜け、街の外に出る。アリア川に向かって、真っ直ぐに人の列が続いていた。長い棒の先端にランタンを吊り下げた、独特な照明器具を捧げ持つ衛兵たちが、儀仗兵のように、暗い夜道を照らし人々を誘導している。

十分ほど歩いて、川岸に着いた。暗い、のっぺりとした川面―湿り気のある空気が、優しく頬を撫ぜる。

ゴーン、ゴーンと、街の方から響く、鐘の音。

連鎖的に、幾つもの時計塔が、神殿が、あるいは城の尖塔が―それぞれに鐘を鳴らし、時が来たことを告げる。

おもむろに人の列が川へ近付き、思い思いに灯篭や玩具の船を流し始めた。吸い込まれるような黒色の川面に、ぽつりぽつりと揺らめく明かりが漂い、踊り、さざ波に煌めくそれらはまるで、星空がそのまま川へと注ぎこまれたかのようだ。そして、徐々にその数を増した灯篭は、やがて大きな光の波となって流れ去っていく。

嗚呼、とケイは溜息をついた。

炎とはここまで、夜の闇に映えるものなのか。

綺麗……

シンプルに、熱に浮かされたかのように、アイリーンは感嘆の言葉を口にする。

ああ、凄いな、とケイも相槌を打とうとしたが、これ以上の感嘆は、むしろ無粋であるように感じられた。何も言わずに頷くに留め、代わりに隣のジェイミーに問いかける。

これは、古くから続く伝統行事なのか?

……そうね

抱き締めるように、腕の中の灯篭を撫でたジェイミーは、

……灯篭流しそのものは、昔からあったらしいわ。でも、祭りの前日に皆で揃ってやり始めたのは、十年前から

薄闇に、ぼう、と横顔が浮かぶ。

“戦役”で亡くなった人の為の、慰霊祭なの

しばらくして、ジェイミーの番が来た。ケイのランプから火を借り、灯篭の蝋燭に火を灯す。

そっと、水面に浮かべた灯篭は、少しの間、ジェイミーの前でくるくると回る。まるで踊るように―しかし、流れる水には逆らえず、そのまま岸から引き離されていく。漂う光の群れに合流し、下流へと流れ去っていく。

……

ジェイミーは黙してそれを見送った。ケイも、アイリーンも、また同様に。

この世界は―

現実の中世ヨーロッパに比べて、技術が発達している。が、それでも、紙も蝋燭も、庶民にとってはまだまだ高価であるはずだ。

(でも、これだけの人が)

周囲を見渡す。川岸を埋め尽くす、人、人、人―。腰の曲がった老婆の姿もあれば、親に手を引かれた幼子の姿もある。皆、普通の人々だった。むしろ、貧相でさえあった。貴族のように、着飾った者たちは、この場には存在しえなかった。

……行きましょうか

灯篭の上で踊る、不格好な動物の模様が見えなくなったあたりで、ジェイミーは川に背を向けた。

歩き出す。街の方へ向けて、ゆっくりと。

……沢山の人が死んだから、

やがて、ぽつりと、口を開いた。

気兼ねなくお祭りをするのに、何かしら建前が必要だったんでしょうね

そう言って、ジェイミーは笑う。屈託のない笑顔だった。

†††

それからの一ヶ月は、瞬く間に過ぎ去っていった。

夏至の祭りが始まると同時に、武闘大会の開催が公布され、ケイは商会の支部長と面談して推薦状を手に入れた。

そして役所で武闘大会の参加手続きを行い、そのまま衛兵の詰め所に連れて行かれ、『最低限の力量を証明する』という名目で弓の腕前を試された。結果、的を粉砕しその威力と正確さで周囲の度肝を抜くこととなったが……。

その後は、ホランドに紹介して貰った鍛冶屋で適当に頑丈な長剣を見繕ったり、移住に備えてウルヴァーンの物件を見て回ったり。

東の村が獣の被害で困っていると聞いて駆けつけたり、アイリーンと一緒に近郊にピクニックに出掛けたり、昼寝したり。

ウルヴァーン周辺に住む雪原の民を探したり、伝承について調べたり、―と。

最初は一ヶ月間も何をして過ごせば良いのか、と考えていたが、過ぎてみればあっという間だ。

ケイも、おそらくアイリーンも、想像以上に充実した日々を過ごしていた。

そして、大会当日。

革鎧で武装したケイは、草原に設けられた大きなテントの中にいた。これは射的部門の選手の控室で、ケイ以外にも草原の民や平原の民、果ては雪原の民と思しき者まで、弓や十字弓を手にした戦士たちが思い思いにくつろいでいる。

大会の舞台として選ばれたのは、ウルヴァーン近郊、大きな練兵場を備えた小要塞のひとつだ。周囲が原っぱと放牧地ということもあり、見物人も大勢つめかけている。もちろん、アイリーンと、ひょっとすればエッダやジェイミーたちも応援に来てくれているかもしれない。

しかし、一世一代の晴れ舞台―となる予定の大会であるにも拘らず、ケイの表情はどこか冴えなかった。

(どうなるかな、この大会)

当初、“竜鱗通し”と矢束だけで参加しようとしていたケイであったが、大会運営からの通達で、戦闘時と同じように革鎧で防御を固めている。

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