加えて、(軍事上の理由で公国の地形図は禁書扱いであったにもかかわらず)北の大地中央部から南部にかけての詳細な地形図が一般公開されていたため、既に”魔の森”の場所も判明しており、旅のルートもいくつか目処が立っている。
情報は得られた。後はそれをどうするか。
ケイたちは、次の行動を選択する必要に迫られていた。
はい、お待ちどうさま、ハムとチーズのホットサンドね
お、ありがとう
厨房から出てきたジェイミーが、ケイとアイリーンの前に皿を置いた。ケイが代金を支払い、その間にアイリーンが水差しから木のカップに水を注ぐ。いただきます、と二人で手を合わせてから、ホカホカのホットサンドにかぶりついた。
ん、うまい
山羊のチーズにも慣れたもんだな
とろりとした濃厚なチーズの旨み。知らず知らずのうちに沈んでいた表情が、ほのかな笑みに彩られる。
―なぜ、この期に及んで、ウルヴァーンに留まっているのか。
本来のケイたちの行動力を鑑みれば、すぐに北の大地に旅立っていてもおかしくはなかった。しかしなぜ、未だウルヴァーンで足踏みしているのか。理由はいくつかあるが、やはり最大のものは 踏ん切りがつかない ことであろう。
最悪、手がかりなど一切見つからないまま、数ヶ月あるいは数年、図書館で情報収集に挑む覚悟だった。それが思ったよりもあっさりと解決の糸口が見つかって、逆に拍子抜けしてしまったのだ。
本当にこれで大丈夫なのか。もっと他にあるのではないか―そんな半信半疑な気持ちが抜けきれず、自信が持てない。
また、目的地が”北の大地”なのもいけなかった。まずケイは言葉が通じないし、ロシア語話者のアイリーンであっても、ようやく慣れてきた公国の暮らしから離れて、見知らぬ土地へ旅に出ることに躊躇いがある。
そして、あ(・)の(・)アレクセイの故郷だ、二人で旅をすればトラブルは避けられないだろう。これが港湾都市キテネや鉱山都市ガロンのような大規模都市、あるいは辺境であっても公国内でさえあれば、気軽に現地まで行ってみようという気になったかもしれないが―
…………
ホットサンドを食べ終わり、水を飲みながら、二人して物思いに沈む。
―あと一押しが足りない。
口には出さないが、二人ともが似たようなことを考えていた。“転移”の核心に迫るならば、北の大地に行くべきだと、頭では理解はしている。
ただ、確証がない。紙面上の情報だけでは足りない。
自分たちの背中を押すに足る、何かきっかけが欲しい―
……やっぱり、話を聞いてみるべきだろうな
テーブルを指でトントンと叩きながら、アイリーンが切り出した。
話? 誰に?
うーん。……専門家、とか?
ケイの問いに、小首を傾げながら、疑問系でアイリーン。
専門家か……
顎に手を当てて、うーむ、とケイは唸る。
公都図書館は、周囲に諸研究施設や学院が密集しており、学者や研究者のような知識層が集う社交場(サロン)としても機能している。当然のように、北の大地に詳しい者もいるだろう。
そうだな……実際、“魔の森”までどのルートで行けばいいかも分からないし、その辺もアドバイスが貰えると助かるな
アドバイスという点では、雪原の民を探して直接話を聞くという手もあり、実際に何人かホランドのツテを頼りに探してみた。が、ウルヴァーン在住の雪原の民は西部の出身者が多く、南東部の”魔の森”に関しては図書館以上の情報は得られなかった。
そうしてみると出身者ゆえのバイアスがなく、全般的な知識がある(と期待される)平原の民の専門家の方が、むしろ意見を仰ぐには適しているかもしれない。
個人的には、エンサイクロペディアの編集者(エディター)あたりを当たってみたらどうかと思うんだけど。“北の大地”と”魔の森”の項って、確か同じ編集者だったじゃん?
そうだったのか、よく憶えてるな。よし、今日はその方向性で行こう
話がまとまったところでカップの水をぐいと流し込み、ケイたちは席を立った。
†††
編集者、ですか?
公都図書館。エントランスのカウンターで、片眼鏡(モノクル)の受付嬢が小首を傾げる。
ああ。エンサイクロペディアの”北の大地”の項の編集者で、名前は確か―
―『ヴァルグレン=クレムラート』、だったかな?
言葉を引き継ぐアイリーン。ケイは受付嬢に だ、そうだ と肩をすくめた。片眼鏡の位置を直しながら、 ふむ、 と声を漏らす受付嬢。
ここ二週間ですっかり顔馴染みになった彼女だが、その名を『アリッサ』という。あまり表情の動かない長身の美女だが、話してみると意外に茶目っ気もある人物だということが分かってきた。
ヴァルグレン=クレムラート氏、ですか……
……何か問題でも?
ほんのわずかに、表情を曇らせるアリッサ。ケイが尋ねると、 いえ、 と首を振ったアリッサは、
その、編集者の中でもヴァルグレン氏は、独特な方ですので
それは、頑固とか偏屈とか、そういう感じの?
いえ、そういうわけではないのですが……かなり神出鬼没な方なんです
アイリーンの率直な物言いに、かなり答えにくそうな様子のアリッサ。
直接会って話が聞ければ、と思っていたんだが……難しいのかな
はい。正直なところ、ケイさんの方から能動的にアポイントメントを取るのは難しいと思います。ご多忙な方であられますから
そうか……ならば、伝言だけでも頼めないものだろうか
それは……
せめて受付経由で連絡を、と思ったが、アリッサの反応は芳しくない。
それも、……難しいかと
え? っつっても、エントランスに入ってきたところに、ちょっと声かけてくれるだけでもいいんだけど
アイリーンが素っ頓狂な声を上げる。何も、それほど無理なことを頼んでいるわけではない。不思議そうな顔をするケイたちに、少しばかり困った様子のアリッサは、周囲を気にするように声を潜めた。
……図書館の入り口は、このエントランスだけではないのです。必ず私が応対できるわけではありません
へえ、他にも入り口あるんだ?
はい
で、ヴァルグレン氏はそちらを使ってると
残念ながら、詳細は申し上げられません
一線引いた態度できっぱりと言い切るアリッサに、ケイたちは目配せしあった。どうやらワケありらしい。
そうか……じゃあ、他を当たってみるとするか
その方がよろしいかと。ヴァルグレン氏は、事情が特殊ですので……別の編集者であれば、連絡を取るのもさほど難しくはないと思います。なんでしたら、言伝も承りますが
いや、ヴァルグレン=クレムラート氏以外は、まだ見当もつけていないんだ。ちょっとエンサイクロペディアを見てくるよ
肩をすくめて笑い、くるりと受付に背を向けたところで あ、お待ちください と後ろから声をかけられる。
折角ですので、ヴァルグレン氏の特徴だけでもお教えしておきます。あの方は本当に神出鬼没ですが、二階のエンサイクロペディアの近くで見かけられることが多いので、運が良ければ直接お会いできるかもしれません
おお、それはありがたい
編集者ヴァルグレン=クレムラート―まるで珍獣か何かのような扱いだ。ワケありっぽい素性といい、係わり合いになったら微妙に厄介そうな気配といい、適度に好奇心がくすぐられる。ケイもアイリーンも興味津々だった。
はい。では、ヴァルグレン氏ですが、彼は五十代の男性です。顔は丸顔で中肉中背、服装は特に決まっていません―が、特徴的な点がひとつ
アリッサが、自分の前髪を摘んでひらひらとさせる。
髪型です。透き通るような銀髪で、綺麗に形が整えられています。キノコみたいに
ケイの脳内に、銀髪マッシュルームカットの老紳士が現れた。んふぅ、と隣でアイリーンが笑いを噛み殺す音がする。
……なかなか個性的な御仁のようだな
周囲の利用客を見回して、ケイは呟いた。
地球の中世ヨーロッパに比べれば遥かに技術が発展している『こちら』の世界だが、こと男性のヘアスタイルに関しては、残念ながら中世レベルと言わざるを得ない。手入れが楽で邪魔にならなければいい、とでも言わんばかりに、ざっくりと短く刈り込んだだけの髪型が一般的だ。尤も、長くて鬱陶しい部分を適当に後頭部で縛っているだけのケイも、人のことを言えた立場ではないのだが。
はい、かなり個性的です。私の知る限り、銀髪でヴァルグレン氏のような髪型の方は他にいらっしゃらないので、見かけたならまず間違いなく本人かと……
成る程、ならばそれを見逃さないようにしよう、ありがとう
改めてアリッサに礼を言い、ケイたちは館内に入っていく。
さて、またエンサイクロペディアを調べる日々が始まるのかね……
二階へ階段を上がりながら、溜息交じりにケイは呟いた。
だな……。正直、相談するならヴァルグレン=クレムラートが一番なんだけどな。北の大地も魔の森もこの爺さんが両方編集してるし、書き方も一番分かりやすいしさ
仕方ない、とでも言わんばかりに、嘆息するアイリーン。
全くだ。それにしても、銀色のキノコヘアか……目立つな
仮にそんなヤツがいたら、見逃そうったって見逃しはしねーだろうけど
しかし図書館の入り口が他にあるとは知らなかった。VIP用か?
身分の高い人は、庶民と同じ出入り口なんざ使わない、ってことじゃね
となると……ヴァルグレン氏もやんごとなき身分の方なのだろうか
その可能性は高いな。まあでも、忙しくて神出鬼没らしいし? まさかこのタイミングでたまたま出くわすなんて、そーんな都合のいい……こと、は……
と、二階まで辿り着いた所で、階段の手すりに手をかけたまま、ゆるやかにアイリーンが動きを止める。
……どうした?
ぽかんとした表情のアイリーンに、訝しげなケイはその視線を辿り―
……あ
エンサイクロペディアの棚の間に、埋もれるようにして、細身な人影。
中肉中背で、落ち着いた緑色のローブを羽織った男が、熱心に何かのファイルを読み込んでいる。後ろ向いているため顔は見えないが、その髪色は不自然なまでに美しい銀色だった。
そして、耳にかからない程度の長さで、真横にびしりと切りそろえられた、独特なヘアスタイル。
…………
しばし呆気に取られる二人であったが、すぐに我に返った。
なあ、ケイ
なんだ、アイリーン
あれは……多分そう、だよな?
ああ……多分、な
神妙な顔で、ケイは頷く。
―銀色キノコが、そこに居た。
35. 助言
静謐な空間に佇む、銀色キノコヘア。
ゲーム時代、フィールドで初めて、契約可能な精霊に遭遇したときのことを思い出す。あのときも目の前に唐突に出現した精霊に、何事かと驚いたものだった。条件を満たせなかったので契約は出来なかったが。
ゆっくりと、恐る恐るといった風に、ケイたちはその人物に接近していく。
すまない、そこなお方
声をかけると、熱心に何かのファイルを読んでいた男がくるりと振り返る。
その顔を見た瞬間、思わずケイは笑いそうになった。年の頃は五十代後半といったところか、丸顔に団子鼻、垂れ目で、どこか愛嬌のある顔立ち。
そしてそこに、このヘアスタイルだ。嘘くさいほどに手入れの行き届いたマッシュルームカット。近寄ってみれば、前髪も見事にヴァーティカルであった。
が、初対面で顔を見た瞬間に吹き出すなど無礼というレベルではないので、鋼の意志をもって可笑しな気持ちを押し殺す。
―何かな?
……編集者の、ヴァルグレン=クレムラート氏とお見受けするが
ふむ。いかにも、私がヴァルグレン=クレムラートだが、君は……、いや待て
キノコヘア―改め、ヴァルグレンの視線がケイとアイリーンの間で揺れる。
君の顔には、見覚えがあるぞ。確か武道大会の優勝者ではなかったかな、射的部門の。名前は……ケイ=ノガワといったか
その通りだ。……武道大会のときは、現地に?
ああ、見ていたよ、君の活躍は。遠目にだがね
茶目っ気たっぷりにウィンクしてみるヴァルグレン。しかし―ケイはその瞳に、どことなく、油断のならない光を見た気がした。髪型に惑わされそうになるが、ただの人好きのする老人ではない、と直感が告げる。
―して、その大会の優勝者殿が、私に何の用かな?
にこにこと微笑みながら、ヴァルグレン。気を取り直してケイは咳払いをひとつ、
初対面で厚かましいが、実は貴方に折り入って頼みがあるのだ
エンサイクロペディアの”北の大地”、“魔の森”の項でヴァルグレンを知ったこと、そしてケイたちの目的―魔の森に行くことなどを、大まかに説明する。