―というわけで、専門家の貴方からも、意見を賜りたいと思っていたのだが

……ふむ。なるほどなるほど

顔から笑み引かせ、小さく頷いたヴァルグレンは、近くの窓へと目をやった。

正午前の、穏やかな日差しが差し込んでいる。その向こう側で、ぱたぱたと羽音を立てて飛んでいく、白い鳩。

無言のまま懐に手を滑り込ませ、ヴァルグレンは懐中時計を取り出した。文字盤には淡い光が躍る―魔術式の時計。ちらりと時間を確認し、パチンと蓋を閉じる。

そうだね、立ち話もなんだし、座ろうかケイ君。あと、そちらのお嬢さんも

言うが早いか、ヴァルグレンはそそくさと近くのソファに腰掛ける。それに倣ってケイもその向かいに座り、続いてアイリーンがケイの隣に腰を下ろした。

ふかふかの、座り心地の良い深緑のソファ。外張りはしっとりとしたシルク製で、細やかな花々の刺繍が小気味良い。もう幾度となく腰掛けているが、座るたびに思わず撫で付けてしまうほど滑らかな手触りだ。

……さて、話を続ける前に、幾つかいいかね

ゆったりと背もたれに身を預けたヴァルグレンが、肘掛で頬杖を突く。

何なりと

まず、君たちの目的の動機が知りたい。なぜ、“霧の異邦人”や”魔の森”の伝説に興味を抱いたんだね? そして、なぜ実際に”魔の森”を訪ねようと思ったのか―失礼だが、君たちは熱心な歴史学の学徒にも見えないし、興味本位で行くにしては北の大地は遠すぎる。それに、そちらのお嬢さんは雪原の民とお見受けするが、彼女の方が私より余程詳しいのではないかね

面白がるような、それでいて静かな瞳がケイを見据える。

……そうだな、

意見を求めるようにアイリーンを見たが、彼女は肩をすくめただけだった。ケイに任せる、ということらしい。

専門家にアドバイスを求める以上、下手に情報を隠しても良いことはない、と判断したケイは、自分たちの境遇も含めてある程度正直に説明することにした。

実は、俺たち二人ともが、その”霧の異邦人”かもしれないんだ―

ゲームや異世界といった概念はぼかし、順を追って説明する。白い霧に入り、そこで記憶が途絶え、気が付けば『こちら』の草原にいた―。

―俺たちは『ここ』がどこなのか。また、『故郷』に帰る手段があるのかどうかを突き止めたい。その手がかりが”魔の森”にはあるのではないか、と期待しているわけだが

……。なるほど

ケイの説明を聞き、中空に視線をやるヴァルグレン。物思いに沈む中、その右手が頭頂部へと向かい―しかし指先が髪に触れる前にぴたりと動きを止め、そのまま何をするでもなく手を引っ込めた。

つまり、何だ。君たちは故郷へ帰る方法を突き止め、やがて公国から去っていきたいと―そういうことかね?

いや、去るかどうかは未知数だ。俺としては、こちらの生活も悪くないと思う。だが、あのとき何が起きたのかだけはハッキリさせておきたいんだ

ふむ。そちらのお嬢さんもかね?

えっ

唐突にヴァルグレンに話を振られ、アイリーンがぴくりと肩を震わせる。

オ、オレは……『帰れるかどうか』だけ、はっきりさせてから考えたいと思う

そうか……

…………

アイリーンの迷いのある口調に、何を見出したのかは分からないが、何度も頷くヴァルグレン。

ケイは、無言だった。

……まあ、君たちの目的は大体分かった。そうだね、“魔の森”は、君たちにとって興味深い場所だと思うよ

それは、行く価値がある、ということだろうか

そう、だね。あると言っていいだろう

薄く笑ったヴァルグレンが、内緒話をするかのように声を潜める、

―実は、私も現地に行ったことがあるのだよ。“魔の森”にね

思わず、ケイとアイリーンは身を乗り出した。どうやらこのヴァルグレンという人物、ただの学者肌の男ではないらしい。

それはまた……まさか、ご自身が出向かれているとは知らなかった

なに、昔派遣された魔術師団の付き添いでね、流石に中にまでは踏み込んでいないよ。ただ、あの森には『何か』がある―これは確かだ。少なくとも、君たちが体験したような転移現象を引き起こすに足る、強大な力を持つ『何か』が、あそこにはある。私たちの調査では大したことは判明しなかったが、君たちが行けばまた、違ったものが見えてくるかも知れないね

薄く笑って、ヴァルグレンはソファに深く座り直した。

……そういった意味では、行く価値はあるだろう。君たちにとっては

その言葉は、控えめでありつつも、自信に満ちていた。黙ったまま、ケイたちはそれを吟味する。

……やっぱり、行くしかねえな

ぽつりと、アイリーンが呟いた。その声の小ささの割りに、目つきは鋭い。

そうだな

対して、ケイはただ頷いた。少なくとも反対する理由は持ち合わせていなかった。

……ヴァルグレン氏。やはり俺たちは、現地に行ってみようと思う

うん、いいんじゃないか

ただ、これも厚かましいお願いとは重々承知しているのだが―、出来ればどのルートで行けば良いか等、ご教授いただけないものだろうか

……ふむ。私としては吝かではないけどもね、ひとつ条件がある

にやりと意味深な笑みを浮かべるヴァルグレンに、思わずケイたちは身構える。

……なに、そう身構えずとも、大したことじゃない。君たちは公国よりも遥かに遠い所から来た、そうだろう? ならば私が知らないような、珍しい知識も持ち合わせているのではないかね。―出来ればでいい、私が北の大地のことを君たちに教える代わりに、君たちも何か有用な知識を私に教えてくれたまえ

要はギブアンドテイクだよ、とヴァルグレンは言う。

有用な知識、か……

むぅ、と声を上げて指先で唇をなぞるアイリーン。ケイも腕を組んで考え込む。

科学技術や戦術論、電気を応用した通信など様々なものを考えていたケイだが、窓の外の青空を見て、ふと思いついた。

……ヴァルグレン氏、貴方は”占星術”をご存知か?

占星術……というと、星々の動きを見るという、あの占いかね?

そう。それの発展系で、星を見れば一週間後までの天気がほぼ確実に分かる方法があるのだが、それでどうだろう

ほう! それは面白い

占星術を利用した天気予報。ヴァルグレンの眉がピクリと跳ねる。

どの程度正確に予見できるんだね?

翌日の天気は読み間違えない限り確実に当たるが、色と明るさの関係で、未来の天気になるほど読むのが難しくなる。具体的には、天頂に季節を問わず見える七つの星があるんだが―

身振り手振りも交えつつ、簡単に説明していく。顎の辺りを揉み解しながら、ヴァルグレンは終始興味深そうな様子で、

ふむ、なかなか面白いね。星を見てそこまで正確に天気が分かるという話は、ついぞ聞いたことがない。……しかし、口で説明されただけでは、よく分からないな。ケイ君、機会を見て一緒に星を見ながら教えてくれないかね? それで手を打とうじゃないか

勿論、問題ない

よし。ならば先に、君たちへのアドバイスを終わらせてしまおうか。私も少々忙しい身でね、時間が惜しい

それは……こちらとしては構わないが、いいのか?

特に証拠を出したわけでもなく、あっさりと了承されたことに肩透かしを食らうケイ。こめかみを指先でとんとんと叩きながら、ヴァルグレンはニヤリと笑った。

なあに、それが本当かどうかは、実際にやってみればすぐに分かることだ。騙されたなら、私も君もその程度の人間だった、ということさ。―さて、私が通ったルートを教えよう、それと付近の部族の情報も。北の大地の地図はこのフロアにあったかな?

地図ならここにあるぜ

ヴァルグレンがソファから腰を浮かせようとした瞬間、アイリーンが小物入れから折り畳まれた羊皮紙を取り出し、目の前のローテーブルの上に広げる。一般公開されていた北の大地の地図を図書館の有料サービスで模写して貰ったものだ。

用意が良いね。そういえばお嬢さん、名前を聞いていなかったかな

アイリーン。アイリーン=ロバチェフスカヤだ。出身は、雪原の民じゃないけど雪原の民に似た部族。よろしく、Sir(おじさま)

ハッハハ、こちらこそよろしく

茶目っ気たっぷりなアイリーンの自己紹介に、相好を崩すヴァルグレン。アイリーンお得意の、人の懐にするりと入り込む無邪気なスマイルだ。

さて、それでルートに関してだが、まず緩衝都市ディランニレンまで行き―

額を突き合わせながら、地図を覗き込む。ケイは腰のポーチからメモ用紙を取り出し、ヴァルグレンの助言を書き取り始めた。

†††

それから昼過ぎまで、ヴァルグレンはケイたちに詳細な情報を提供してくれた。

当初ケイたちは、アリア川を東へ渡り、川沿いに北上してから山脈を東に迂回するルートが最短と考えていたのだが、ヴァルグレン曰くこのルートは夜盗が多く、二人旅では危険らしい。

代わりに、ウルヴァーンからブラーチヤ街道を北上し、商業都市ベルヤンスクから東へと進むルートを提案された。こちらの方が柄の悪い集落を避けられるため、比(・)較(・)的(・)安全だそうだ。

思ったより、有意義な時間になったな

うん。しかしあの爺さん、何者なんだろうなー

昼食を取るため宿屋に戻る道すがら、アイリーンが腕を組んで唸る。

ケイたちとの話が終わったあと、懐中時計を一瞥したヴァルグレンは目を剥いて、 長居しすぎた と泡を食った様子で何処かへと飛んで帰ってしまった。占星術の件は、ケイたちの宿屋まで追って使いを出すらしい。

あの懐中時計、何気に魔術式だったもんなぁ……買ったらメッチャ高いよなぁアレ

装飾も凄かった。金貨が吹き飛ぶな

服装こそ野暮ったいローブを羽織っていたものの、あれはカモフラージュとしか思えない。しかしあれだけ個性的な髪型だと、服装を変えたところですぐに正体が露見しそうなものだが―公然の秘密、というやつなのだろうか。

…………

がやがやと騒がしい昼時の街を、ケイたちは沈黙のうちに歩く。子供たちの走り回る路地からは、何やら美味しそうなスープの香りが漂ってきていた。

ウルヴァーンに住み始めて一ヶ月余り。見慣れた街並みが、今は何処か違って見える。懐に大事に仕舞い込んだ、ヴァルグレン直伝のメモの存在が、重たい。

―この街を出る。

その事実が、徐々に、徐々に、ケイたちの中で輪郭を成していく。

通りの先に、デフォルメされた甲虫が、ジョッキを片手に首吊りしている看板が見えてきた。“HangedBug”亭。ケイたちの常宿。食堂は混み合っていたので、ケイたちは一旦部屋に戻った。

もはや自分たちの家のように感じられる、203号室。

改めて見てみると、いつの間にか部屋にはこまごまとした物が増えていた。それは爪切りであったり、干し果物を入れておく小さな器であったり、あるとちょっと便利なサイドテーブルであったり。

勿論、北の大地に旅立つのであれば、全部は持っていけない。

……そろそろ、荷物も整理しなきゃな

ぽつりと、アイリーンが寂しげに呟いた。

ヴァルグレンからの使者が来たのは、それから三日後のことだった。早朝に、まるで騎士を無理やり平服に押し込んだかのような、背の高い偉丈夫が宿にやってきたのだ。

貴殿がケイ=ノガワ氏か。ヴァルグレン=クレムラート氏よりのお言葉を伝える。『今夜8時、第一城壁の南門にて待つ』とのことだ。しかと伝えたぞ

なぜ自分がこんなことをせねばならんのだ、と言わんばかりに不満たらたらな顔で、男はそれだけを告げて去っていった。

……何? 今の人

たまたまその場に居合わせたジェイミーが、洗濯物の籠を手にしたまま、不思議そうな顔をしている。

知り合いの部下、か何かだな

ふぅん。……イケメンね

ケイの答えに、 あーあ、その辺にイケメン転がってないかなぁ と呟きながら、ジェイミーは洗い場の方へと消えていった。

ってか、今のって、絶対平民じゃないよなアレ……

立ち振る舞いと言葉遣いが、どう考えても騎士階級だな

ひそひそと、食堂の片隅で言葉を交わすケイとアイリーン。あの男がずかずかと中にまで入り込んできたせいで、食堂内も妙な空気になっている。

そもそも、夜の8時って城門はもう閉まってるんじゃなかったっけ? あの爺さん、第一城壁の外に住んでるってことはないと思うんだけど

……門をどうにかできるだけのツ(・)テ(・)があるんだろうな

少なくとも木っ端貴族には、門の開閉に口を出す権利はない。先ほどの使いの者といい門の件といい、やんごとなきオーラが滲み出ているが―

(―あの老人、タアフ村のベネット村長と同じ匂いがする)

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