吹き抜ける涼やかな風。さわ、さわと音を立てて木漏れ日が揺れ、小鳥たちがさえずり、木陰には鹿の親子が体を休める。
平和で、静かな空間。
しかし、ピクリと耳を震わせた子鹿が、何かに怯えたように、森の方を向いた。
異音。
それは最初、振動として知覚された。
だが徐々に大きくなる。ドドドッ、ドドドドッと―まるで地鳴りのように。
身の危険を感じた鹿の親子が逃げ始め、木々の鳥たちが一斉に飛び立った。
果たして、森の奥から、その一団が姿を現す。
ブルルゥオッッ!
いななきとともに、茂みを突き破って疾走する騎馬。
一、二、三―次々増える。その数、おおよそ二十。
よくよく見れば一つのまとまった集団ではなく、先頭の三騎とそれを追う残りのグループで構成されていることが分かる。
待ちやがれッ!
逃げられると思うなよ!
ドグサレどもがッ、今日こそブッ殺してやるッ!!
口汚く罵りながら、追いかける十数騎。手に手に武器を振り上げ、額に青筋を立てる様はお世辞にも上品とは言い難いが、全員が白馬に跨り、黒の十字架が描かれた白いマントを羽織っているあたり、概ね統一感のある集団だった。
それに対し、追われる側の三人は、『珍妙』としか言い様がない。
いや、そもそもそれを三”人”と形容してもよいものか。
ヴァーハッハッハ、諦めの悪ィ野郎どもだァ!
三人のうち、だみ声で笑う先頭の一騎。まだら模様の馬を駆り、時折、追跡者たちを振り返っては挑発的に中指を立てている。
そしてその姿は―“異形”の一言。
服装は、くたびれた革鎧と申し訳程度に体を覆うボロ布だ。左手には錆付いた戦棍(メイス)を握り、腰にはもう一本、予備の棍棒が差してある。
何よりも特徴的なのは、手から長く伸びる爪。そして皮膚を隙間なく覆う、こげ茶色のまだら模様の鱗だ。まるで裂け目のような赤い口からは、牙と長い舌がちらちらと覗き、ぎょろりとした金色の瞳は瞳孔が縦に割れている。
“竜人(ドラゴニア)”。
人類とは敵対状態にある、人型モンスター。人類を凌駕する身体能力や特殊能力を持つ代わりに、知能が遥かに劣る―はずだが、この個体は人語を解している上、馬にまで乗っている。
しつこい男は嫌われるわよ~?
その隣、黒毛の馬の背にしがみつくようにして跨る影が、せせら笑う。
こちらもまた異形。しなやかな肢体、メリハリのきいた体型―そのフォルムはグラマラスな女性のそれだ。しかし胸部と局所を守る革鎧を身につける他は、全身が真っ黒の毛むくじゃら。当然のように毛に覆われた顔には、頬から飛び出る細いヒゲと、深緑の瞳。長い黒髪が風になびき、頭頂部には三角形の耳がぴょっこりと生えている。
“豹人(パンサニア)”。
竜人と同様、人類と敵対状態にある人型モンスターだ。知覚に優れ、極めて瞬発力が高く、また雌の方が雄よりも筋力に優れるという種族的な特徴がある。
豹人の女は、両手に厚手の黒い布を巻いていた。その他には特に、武器らしい武器も身に着けていない。無手か、何かを隠し持っているのか、―あるいは。
…………
逃げる三人のうち、最後尾。殿(しんがり)を務めるのはボロボロのローブをまとった男だ。こちらは何の変哲もない人族の老人で、灰色の立派なあごひげを蓄えている。目深にかぶったフードのせいで表情は窺い知れず、追っ手が放つ矢を、その手に携えた杖で淡々といなしていた。
自分だけでなく馬も守り、さらに先行する二人を狙う矢までも察知して、漏れなく弾き飛ばしていく。並々ならぬ技量。煽るでも毒づくでもなく終始無言なあたり、不気味な貫禄が滲み出ている。
クソッ、埒が明かん!
まるで効果のない矢に痺れを切らしたか、追っ手のうち、赤毛の壮年の男が懐から真紅の宝玉を取り出した。
ぎらりと不穏な光を宿す宝玉。それを高らかに掲げた男は叫ぶ。
Incendiu(焼き払え)!
その瞬間、一同は空中に、燃え盛る蜥蜴の姿を幻視した。
宝玉から真っ赤な炎がほとばしり、渦巻いて杖使いの老人に迫る。
対する老人は―動じなかった。懐に手を突っ込み、粉末状の白い何かを掴んで後方へと撒き散らした。
塩の結晶だ。
Aubine. Arto, Hyo-Heki.
間髪いれずに老人は”宣之言(スクリプト)“を呟いた。散布された塩の結晶が一瞬にして気化し、きらきらと光が乱反射する。
その歪な煌めきの中に、一同は冷笑を浮かべる長衣の乙女の姿を幻視した。
バキンッ、と鈍い音とともに、空中に氷の壁が出現する。追う側と逃げる側の中間。それは突(つつ)けば簡単に崩壊するようなごく薄いものであったが、赤毛の男の火炎を相殺するには充分すぎた。
氷と炎がぶつかり合い、爆発する水蒸気。氷の壁は呆気なく融解してしまったが、逃げる三人組は無傷であった。
何ィ!?
氷の精霊だと!? 聞いてねえぞ!
追っ手たちが、特に炎を放った赤毛の男が動揺の色を浮かべる。
あっはは、見なさいよバーナード、アイツらの間抜け面!
けらけらと笑いながら、豹人の女が隣の竜人に話しかけた。
ヴァッハハ、ひでぇもんだ! おい、テメェら! 火は好きかァ!?
バーナードと呼ばれた竜人が、馬の足を緩めて最後尾まで下がる。すぅぅぅ、と大きく息を吸い込むと、その胸部と首が異常なまでに膨れ上がった。
! まずい!
いかん、散れ!
先頭の追跡者たちがそれに気付き、方向転換しようとするも、遅い。
ヴァアアアアアアァァァァッッ!
咆哮とともに、バーナードの口からオレンジ色の光が噴き出した。
炎の吐息(ブレス)―“飛竜(ワイバーン)“のそれに似た、可燃性のゲルの奔流。灼熱の舌が追跡者たちを舐め、自ら炎に突っ込む形となった先頭の男が火達磨になって落馬した。
がああぁぁ畜生ォォォッッ!
地面を転がって火を消そうと躍起になる男であったが、止まりきれなかった後続の騎馬に首を踏み抜かれ、呆気なく『肉塊』へと変わる。
あっヤベ踏んじゃった
うわああこっちにも火がッ
クソッこの馬はもうダメだ殺せッ!
燃え移ろうとする火を慌てて消し止めたり、火達磨になって暴れる馬を弓で射殺したりと、追跡者たちはにわかに大混乱の様相を呈していた。
ヴァッハハハ、ザマァねえな!!
その隙に距離を取りながら、ちろちろと舌先に炎を揺らし大笑いするバーナード。隣で馬を駆る氷の精霊使いの老魔術師は無言で腰を浮かせ、ぺんぺんと尻を叩いておちょくっている。
―ッッッッ!! クソがッ、舐めやがって!
ビチミキミチッと額に青筋を浮かべ、馬の腹を蹴り上げて加速させる赤毛の男。逃がしてなるものかとそれに仲間が続く傍ら、再び真紅の宝玉を掲げた。
Sigismund! Mi dedicxas al vi―
ボヒュッバギンという破砕音、腕に衝撃。男の”宣之言(スクリプト)“が止まる。
見れば、握っていた宝玉が、右手ごと粉々に砕け散っていた。
あ、……あああ!
あ~ら、御免あそばせ。顔を吹き飛ばすつもりだったんだけど、外しちゃった
揺れる馬上、希少な魔道具が粉砕され、手を掲げた姿のまま愕然とする男。悪びれる様子もなくテヘッと赤い舌を出すのは、黒馬を駆る豹人の女だ。その手には細長い黒い布をひらひらと風にたなびかせている。
いや。それはただの布きれではない。折り返せばちょうど真ん中にあたるところに革製の受け皿のようなものが付いている―投石紐(スリング)だ。
再びスリングの両端を握った豹女は、腰のポーチから取り出した丸石を受け皿に載せ、ヒュンヒュンと勢いよく回し始める。
―と、いうわけで。今度こそ、ちゃんと受け取って、ねッ!
ボッ、と腕がブレた。投擲。一切の殺気を感じさせずに丸石が唸る。
それは茫然とする男にとって、視界に生まれた小さな黒点に過ぎなかった。
瞬く間に、着弾。ぐしゃりと鈍い音、顎から上が丸ごと吹き飛ばされる。
ヒューッ! いつ見ても、イリスの投石はおっかねえなァ!
アンタの吐息(ブレス)ほどじゃないけどね
バーナードの歓声に、『イリス』と呼ばれた豹女は小さく肩をすくめる。
さぁて、ズラかろうぜェ! あんなザコでも囲まれたら鬱陶しいからなァ!
コウ、魔術もお披露目したことだし、足止めヨロシクね
…………
イリスにウィンクされ、ビッ、と無言のまま親指を立ててみせる老魔術師。どうやら、『コウ』という呼び名らしい。
一目散に駆け始める三人組に、ブレスの混乱から立ち直った追跡者たちが怒りの声を上げる。
なにが『ズラかる』だ! 逃がさねぇぞ!
追え、追え―ッ!
ドドドド、と地鳴りの如き蹄の音を響かせながら、騎兵たちは駆けていく。その場に元仲間であった『肉塊』を放置したまま―
†††
“Player Killer”という言葉が存在する。
その字面通り、MMORPGなどの多人数参加型ゲームにおいて、他のプレイヤーを攻撃するプレイヤーのことだ。その行為そのものは”Player Killing”と言われ、略して”PKer”、“PKing”などと表記されることもある。
相手の了解も取らずに襲い掛かり、キャラクターの殺害(キル)やアイテムの略奪を目的としている点で、ルールの定められた対人戦闘(PvP)とは厳密に区別される。
初心者狩りに繋がりかねない。
自分がやられたら困る。
理由は様々だが、基本的にはゲーム内で忌み嫌われる行為とされることが多い。
勿論それは、中世ファンタジー風リアル系VRMMORPG DEMONDAL においても、例外ではない。
全フィールド無制限対人戦闘(Free PvP)を謳うこのゲームは、実質的に何処でも彼処でもPKが可能であることに等しい。しかも死亡時にはキャラクターの肉体を含む全てのアイテムがその場にドロップする―PKerたちからすれば、まさに天国のような環境。
そしてバーナード・イリス・コウの三人組は、そんな下劣な行為に喜びを見出す筋金入りのプレイヤーキラーだ。
金品の強奪よりも誰彼構わずキルすることに重点を置き、また積極的に『悪人』を演じているあたり、PK原理主義者とでも呼ぶべき存在かもしれない。今日も今日とて、PK行為を取り締まる傭兵団(クラン)“Crusaders”にちょっかいをかけて追い回されているところだった。
あーあ、それにしても最近つまんねぇなァ
揺れる馬上。細長い舌をチロチロとさせながら、ぼやくのはバーナードだ。先ほどの戦闘から数分、バーナードたちは相変わらず”Crusaders”の追跡をのらりくらりといなしながら、木立の中を北上し続けていた。
あら、どうしたのよ急に
投石紐に丸石をセットしつつ、隣のイリスがきょとんとした顔をする。
んー。なんつーか、張り合いがねぇっつーかよォ
冷めた目で後方を見やれば、 待てやコラーッ! などと叫びながら追いかけてくる、“Crusaders”所属の十数騎。先ほどに比べ明らかに頭数が減っているが、その原因は明らかだ。
Aubine. Arto, To-Ketsu.
Darlan. Arto, Gen-mu.
殿のコウが塩をばら撒けば地面に霜が張り、懐から花びらを取り出して振りまけば、何処からともなく妖しげな虹色の霧が湧き出す。
霧の目眩ましにやられ、氷結した地面には気付かないまま、トップスピードで突っ込んできた騎馬が足を滑らせて転倒した。鞍から放り出された騎手がそのまま地面に叩きつけられ、首を妙な方向に捻じ曲げる。おそらく、即死。
馬上で後方を窺いながら油断なく杖を構えるコウの傍らには、羽の生えた小人と長衣をまとった乙女の姿が薄く透けて見えていた。
夢幻の精”ダルラン”と、氷雪の乙女”オービーヌ”だ。
普段から”昏睡の風”や”幻惑の霧”などの魔術を多用しており、下位精霊の一種である”妖精”との契約者として広く知られているコウであったが、先日、さらに氷の精霊と契約に成功し今回はそのお披露目もかねて魔術の大盤振る舞いをしていた。
バーナードがブレスで火の壁を作り、イリスが断続的に投石し、殿のコウが魔術で足止めする―三人組のいつもの手だ。
しかし。
プレイヤーの中には、そんな『いつもの手』が通じない者もいる。
やっぱりよォ、“死神日本人(ジャップザリーパー)“くらいの相手じゃねえとスリルがないんだよなァ
後方から飛んできた矢をメイスで叩き落しながら、バーナードは嘆息した。
“死神日本人(ジャップザリーパー)”―弓使いのケイ。