なにせ隠れた太陽の女神であるソフィアでさえ、日が沈んでいる間はけして起きることはなかった。四柱の習合である太陽神であっても、それは同じことだろう。全知全能の神の、数少ない欠点と言えるかも知れない。
そうはいっても流石に抵抗がそれに、こんな床で眠れる?
Olが自分の陣地としているのは、ザナの氷術で作り出した氷の回廊だ。自然、床も硬く冷たい氷が張っていて、そんなところでまともに眠れるとは思えなかった。
Olが革の袋から、ずるりとベッドを取り出すまでは。
あ、うん。よく眠れそうね
余は天蓋付きのものを所望するぞ!
ラーメスに至っては良質な睡眠を満喫する気満々であった。そしてOlは本当に天蓋付きのベッドを出した。
あたしの知ってる野営と違う
安心しろ。見張りは立てる
それの何が安心なのかはわからなかったが、ザナの想像する野営に近くなることは確かであった。
では頼んだぞ
はいっ、承知しました、Ol様!
Olが例の革袋から、四人の黒アールヴを呼び出すまでは。
絶対にこれ野営なんてもんじゃないでしょ
夜の森の警護に黒アールヴに勝るものがいるものか。無論こやつらは昼間に睡眠を取らせてあるから、夜を徹した警護も苦でもない
何なら夜型でーす
Olの言葉に、エレンの部下の一人が明るくそう言ってのけた。
まあいいわぐっすり寝られるのはありがたいことだし。よろしくね
はっ。命に代えましても!配置に付け!
四人のうちリーダー格らしい真面目そうな一人がそう答え、Olたちを守るように三方に散る。
そして残った一人、四人の中でもっとも豊かな胸を持ったものが、天蓋の付いたOlのベッドへと潜り込んだ。
待ちなさいよ
我らの主君であるOl様には、特別な警護が必要だと思いましてぇ
いや絶対セックスするつもりでしょ!?
おっとりとした口調で説明する黒アールヴに、ザナは叫ぶ。
勘違いするな、ザナ
その間に割って入って、Olは言った。
別にクロエの胸が大きいから閨に呼んだわけではない。順番に四人とも抱く
そんな隣で寝られるか!
だが実際は、疲れとベッドの気持ちよさに、ザナは布団をかぶって十秒で眠りに落ちた。
深夜。四人の黒アールヴ達との性交を終え、眠りについていたOlはふとベッドの中に侵入してきたものに目を覚ました。
ザナには説明しなかったが、黒アールヴとは何も楽しみのためだけに交わったわけではない。一日で消費した魔力を性交によって補充したのだ。
他者から受け取った魔力は十分に休んで己のものへと変換しなければならない。それを知っているアールヴ達がみだりに自分を起こすはずはないのだが、とOlは警戒する。
ご主人様
だが寝所に忍んできたのは、黒アールヴではなかった。
イェルダーヴか。どうした
こんな時間にすみません。一つ、どうしてもお聞きしたくて
首輪から解放されてもなお、何かと自己主張の薄い娘である。珍しいこともあるものだ、とOlは内心呟く。
言ってみろ。この天蓋の中の声は外には漏れぬようになっている
なぜご主人様はわたしをお連れになったのですか
押し殺すような声色で、イェルダーヴはそう尋ねた。
わたしはここまで、何のお役にも立てていません。わたしは、何も出来ない人間です
やれやれまさか、そこまでとはな
ため息をつくOlに、イェルダーヴはびくりと身を竦ませる。そんなことすらわからないのかと、呆れられたと思ったのだ。
本当にわからぬのか。この氷のダンジョンは今、お前の力によって維持しておるのだぞ
だからそんな事を言われて、彼女はキョトンとした。
わたしの?
そうだ。ザナの氷は恐るべき速度で構築されるが、その分持続するものではない。数拍もあれば消え去ってしまう類のものだ。それを、お前の霊力を用いて維持しておる
霊力を維持する力というのは、出力や速度とはまた別次元の能力だ。
圧力というか重さのようなものを、感じはせぬか?
いえ特には
出力や速度はラーメスやザナとは比べ物にならない程低いイェルダーヴの霊力だが、こと維持力、持続力という点においては並外れたものがあった。といっても具体的にどれほどのものか、Olも知ってはいなかったが。
お前は今、森のダンジョンをほぼ覆い尽くす氷を維持して平然としているのだぞ
それもまた、人知を超えた能力であった。
でもわたしに出来るのであれば、誰にでも出来るのでは?
出来てたまるか。並の術者ならば、部屋を一つ半日も維持すれば魔力が底を尽きるわ
疲れが見えないということは、まだ維持する力よりも自然な回復力の方が勝っているということである。
言っておくが今回の一行で代替の効かぬ要は、お前だぞ
そう言うと、イェルダーヴは震え始めた。
そんなそんなはずは
ザナの氷術は、時間はかかるが俺の迷宮魔術でも出来る。ラーメスの無尽蔵の霊力も回復しながら進めば良いだけだ。ホスセリも、複数人で傷を癒やしつつ前衛を受け持てば良い。だがお前の力だけは、他のものには不可能だ
正確には魔術師を何十人と集めてそれぞれ維持させれば、可能といえば可能ではある。だがそれはあまりにも非現実的であった。
わたしにそんな力があるはず、ありません!
だがイェルダーヴはこれを否定した。
わたしは何もしてこなかった女です。何の力もありません
面白いことを言うやつだ
Olは愉快そうに笑みを漏らす。
つまり、お前は俺が間違っているというのだな?
そう言ってやると、イェルダーヴは目を大きく見開いた。
お前と俺と、真っ向から意見が食い違っている以上、少なくともどちらかは間違っているという事だ。そしてお前が自分には何の力もないと主張するということは、それ即ち俺が間違っているということだろう?
それはその
イェルダーヴは言いよどみ。
はい。ご主人様の思い違いだと思います
しかし、はっきりとそう答えた。
自分に自信がないのだな
あるはずもありません
だがその自信のなさは、主人と仰ぐ相手を否定するほどに強固なのだ。それは一種の信仰とさえ呼べるものであった。
これは俺の推測だが、お前はずっとあの首輪から抜け出ようとしたのではないか?
魂を封じる服従の首輪。指一つ自分の意志では動かせぬ状態で、イェルダーヴに出来ることはただ思うことだけだった。抜け出したい。なんとか自由になりたい。そう思い続けることしか、出来なかった。
無為な、努力でした
Olは首肯する。あれは内側からどうこうしたところで解ける類のものではない。
だが、無駄ではなかった。それがお前の持続力を育てたのだろう
途方も無い時間を、ただ出たいと願い祈ることに費やしたのだろう。祈りとは、即ち神術の行使だ。小さな首輪に閉じ込められた魂だけで使える、ごくごく僅かな術。それを眠っている時以外の全ての時間をいや。眠っているときでさえ、費やさねばこれほどにはなるまい。
天稟だけでそのような力が身につくものか。お前の持つ唯一の、しかし類稀なる力だ。誇って良い
本当にわたしに、そんな力が?
それはつまり、彼女は最後の最後まで諦めなかったということだ。そしてその努力は結局実を結ぶことなく、救いは全く別の場所から降って湧いた。彼女の自己不信はそれゆえのことだろう。
信じられぬか
すみません
正直なやつだ、とOlは笑う。
信じずとも良い。どちらにせよ俺にはお前が必要だ。明日以降も働いてもらうことには変わりない
自分を信じられないがゆえに、他の誰をも信じることが出来ない。
そんな心根には、彼も心当たりがあった。評価が主観的なものか客観的なものかの違いはあるにせよ、同じことなのだ。
冷えるな。来い
己に与えられた責任の重さに青ざめ震えるイェルダーヴに、Olはそう声をかける。せめて今夜くらいは、重責を忘れ眠れるように。
イェルダーヴはただOlの暖かな身体に、その身を委ねた。
第20話一歩踏み入れば即死するダンジョンに挑みましょう-4
なんでイヴがOlのベッドに入ってるのよ!
Olはそんな叫び声とともに目を覚ます。天蓋に取り付けられたカーテンは開け放たれて、差し込む朝日とともにザナが氷よりも冷たい視線をOlに向けて降り注がせていた。
寒いと言うので温めたまでのこと
じゃあなんで二人とも全裸なのよ!
寝ぼけた頭で言えば鋭く返されて、Olはむっと唸る。
Olの腕を枕にしてすやすやと眠るイェルダーヴの姿はほとんど掛け布団に隠れているが、何も身に着けていないことははみだした脚や肩口、そして何よりベッドのそばに脱ぎ落とされた衣服で明らかであった。
色ボケもいい加減にしなさいよ!あんたがこんな所でまで盛るのは勝手だけどね、あたしの妹まで巻き込まないで!
待て。これは
Olの弁明に聞く耳持たず、ザナはカーテンを締める。
あご主人様、おはようございます
それと入れ違うようにして目を覚まし、寝ぼけながらもふにゃりと笑うイェルダーヴに、Olはどうしたものかと内心ため息をついた。
ザナ。精神を乱すな。うまく指示を送れん
うるさいわね。これでいいんでしょっ!
怒声とともに、目に見える範囲の通路が全て凍りつく。ただ凍らせればいいというわけではないのだが、と嘆息しながら、Olは仕方なく自前の魔力で氷に干渉し、壁に紋様を描き出した。
太陽神の干渉を防ぐには、そこがOlのダンジョンであるという明確な印が必要だ。それが壁に描かれた紋様であり、同時に氷が溶けぬようにイェルダーヴの霊力で維持させる為の媒介であった。
昨日は消耗を防ぐために、ザナの能力をOlが操作して氷を生成する時点で紋様をも作り上げていたのだが、イライラした様子のザナはそこまでの精度で操ることができなくなっていた。
本人の意志を無視して操ることは出来ないようにしておいた事が災いして、Olに対して不満を感じている程度でも操作に支障をきたした。
結果としてザナもOlも消耗が激しくなるので落ち着いて欲しいところだが、下手に弁明したり諭したりすれば余計に激高するのがザナという女だ。氷の女王などと呼ばれているくせに、その性根はむしろ烈火に近いのである。
あれは!
それでも進行速度そのものは一日目よりも早く、昼前にはOlたちは森のダンジョンの最奥へと差し掛かる。そしてそこで目にしたのは、白く輝く氷の通路。
やってくれたわね!
ギリリとザナが奥歯を噛みしめる。城の形こそしていないが、それがザナの居城を組み替えたダンジョンであることはすぐにわかった。
落ち着け。お前の臣下たちは無事だ
ええ。大丈夫よ。あたしは落ち着いてるわ。とてもね
本人の言う通り、先程まで波打っていたザナの精神はすっと平静を取り戻す。いや、平静どころか、まるで凍りついたかのような静かさだった。それはかえって良くない兆候であるとOlは悟っていたが、だからといってそれを指摘してどうなるものでもない。
さあ。行きましょう、Ol
それを示すかのように、ザナの精神はOlの操作を一切受け付けなくなっていた。
寒いな
一歩足を踏み入れた時点で、Olはその異常性に気がついた。かつて訪れたザナの居城は厚着をしていてはかえって暑いほどに暖かかったが、この氷の回廊は酷く冷える。
待て。服を用意する
!そんなことしてる暇はないでしょ
ザナはともかく、イェルダーヴやラーメスはかなりの薄着だ。とてもこの寒さには耐えられまいと防寒着を出そうとするOlにそう言い捨てて、ザナは壁に向かって腕を振る。一瞬にして回廊の壁に紋様が描かれて、彼女はさっさと進んでいった。
待て、ザナ!
指図しないで!ここはあたしの城、あたしのダンジョンよ!
氷であれば作り出すだけでなく、削ったり形を変えたりも出来るらしい。彼女が掘っても紋様は正常に働き、そこはOlの境界となって太陽神の力を阻む。
くそお前たちはここで待っていろ!
Olは着替えをマリーに手渡すと、単身でザナを追いかけた。彼女の氷術の速度はあまりにも早く、集団で追いかけたのではバラバラになってしまう恐れがある。
ザナ!待て!止まれ!その方法では太陽神の干渉を防げぬ!
叫びながら走るが、ザナの姿はあっという間に迷宮の奥に消え去って見えなくなってしまった。
くそ!
確かに壁に紋様を刻めば、そこはOlの領域となる。太陽神はその中のものに直接干渉することは出来ない。しかし、その紋様を刻んだ壁自体は別だ。
ザナが作り出しイェルダーヴが維持する氷ではなく、この場に移動させたザナの城の氷自体は、太陽神が支配している可能性が高い。