ああ。よくやった。結界は無事に張れた。一先ずは俺達の勝ちだ
Olは複雑な魔法陣が描かれた巨岩を指し示す。
いくら全知全能と言えど、神は神だ。その力は信仰によって支えられている。単純に、太陽を信仰するものが数多くいるからこその強さである。
Olの張った結界は、その信仰心の伝播を阻害するものであった。結界の作り方は氷の女神マリナに尋ねれば良いだけだ。太陽神の力を損ねるのに最適な術をと。
あとは弱った太陽神から、ソフィアとサクヤの力を引き抜くために交渉するなり制圧するなりすれば良い。皆、ご苦労──
Olのその言葉を、遮るように。
魔法陣を彫られた巨岩は、真っ二つに割れて崩れ砕け散った。
そう、その作戦は紛れもなく最善だった
男のものとも女のものともつかぬ、透明な声色が響き渡る。
問題があるとすれば
信仰を阻害されて力を失うまで、多少の時間がかかることだ
たったの、百年ばかりだが
全く同じ声が、別の口から発せられていた。
即ち、ソフィアの姿をした太陽神と──
虚ろな瞳でこちらを見下ろす、ユニスとスピナからだ。
さて
ユニスの放った斬撃がOlの手にした革袋を引き裂き、粉々に破壊する。
そろそろ幕引きにしようか、魔王Ol
第21話全知全能の神を斃しましょう-4
全知全能という言葉に、いささか過大な表現があるという事は認めよう
狙いすました矢はあっさりと退けられて、炎も氷もまるで効いた様子はなく。
この二人は強敵だった。仕留めるのに随分時間がかかったし、境界の神に遮られていささか不自由な思いをしているのも確かなことだ
ホデリの刀は折られ、ホスセリの手裏剣も底をつき。
けれどあなたにこれ以上の策がないことくらいはわかる。魔王Ol
膝を屈するOlに、淡々と、太陽神は言い放った。
愚かなことだ。氷の女王の言っていた通り、自らの分をわきまえて籠もっていれば平穏に暮らせただろうに
随分と
Olは吐き捨てるように、言葉を返す。
饒舌になったものだな、太陽神よ
ああ。先程取り込んだ、ユニスのせいかも知れないな。まあ、おかげで
太陽神が指先をついと動かす。その動作とともに、セレスの首がストンと落ちて、彼女は死んだ。
こんな芸当もできるようになった
その光景をどこか遠くに見ながら、マリーは呆然としていた。
彼女は今まで一度として、Olのことを疑ったことがなかった。それは彼の言うことを嘘だと思ったことがない、というだけではない。彼が絶対的な庇護者であり、己を守ってくれると言うことを、疑ったことがなかったのだ。
だから今回も、ソフィアが太陽神などという得体のしれない存在になったとしても、さしたる心配をしていなかった。Olであれば何とかしてくれるのだろうという、絶対的な信頼があったからだ。
ここで初めて、彼女はそれを失いつつあった。
Olにも出来ないことがあることを、思い知らされたのだ。
マスター!逃げ
警告を発しようとしたザナが、マグマに巻き込まれて消える。
くっ、ここまでか!
ラーメスが迫りくる壁に潰され、血の花を咲かせる。
か、は!
太陽神がパチリと指を鳴らしただけで、ホデリとホスセリがばたりと倒れる。ザナの死によって氷の壁を作ることができなくなり、太陽神の領域に踏み込んだからだ。
──駄目だ、とマリーは膝をつく。
どうしようもない無力感。足元がガラガラと崩れていくような恐怖と絶望。
それは彼女が、生まれて初めて感じる感情だった。
なんだ?
次は自分か、それともOlの番か。そう思うマリーの耳に、訝しげな声が届く。
視線をあげる彼女の目に映ったのは。
視界全てを埋め尽くす、膨大な数の小さな炎だった。
てください
か細く、震え、緊張に裏返った声。
立って逃げて、ください!
けれどそれは絶望し何も出来ずにただ蹲るマリーに、はっきりとそう命じた。
イェルダーヴさん?
青ざめた表情で震え、涙を浮かべながら、それでもイェルダーヴはしっかりとマリーを見つめる。
逃げるってでも
マリーはOlに視線を向ける。追い詰められた彼の表情は、とてもなにかの策が残されているようには見えない。太陽神の言う通り、万策尽きたのだ。
わ、わたしは自信がありません。じ、自分のことが、信じられ、ません
なおも小さな炎の欠片を生み出しながら、イェルダーヴは独白のように言葉を綴る。
けれど。ご主人様のことだけは信じてる。信じたいと、思います
それはサクヤの生み出した炎花のように美しくも精巧でもなかったが、力強く燃え盛ってマリーたちを囲み守る。
姉さんと、ラーメスさんも同じです。誰も信じない孤高の人が。誰も信じられない孤独な人が。ご主人様のことだけは、信じてここまで、やってきた
イェルダーヴはぽんとマリーの胸を押す。同時に炎が、彼女を包み込んだ。
ラーメスさんにはとても及ばない、弱い弱い炎ですけど。だから、わたしにも、できることがありました
それは、本物の炎にすら劣る炎。柔らかな日差しのような、じんわりと暖かくなる炎だった。
小賢しい!
弱く小さい、しかし膨大な量の炎の壁を突破できずに業を煮やした太陽神が叫ぶ。同時にマグマの奔流が壁を突き破って迸りイェルダーヴは、マリーを突き飛ばして、それに巻き込まれた。
イェルダーヴさん!
跡には、骨一つ残らず。それを嘆き悲しむより先に、マリーは立ち上がり、踵を返してOlへと走った。
Olさま!逃げるよ!
逃げるといっても、どうするつもりだ
周囲は未だイェルダーヴの放った炎が覆い尽くし、部屋から出る唯一の通路は太陽神が立ちはだかっている。逃げ道などどこにもないように思えた。
こうだよ!
マリーは印を組んで、魔術を行使する。
お前!何──
Olが抗議の声をあげるより先に。
二人の姿は、その場から掻き消えた。
──という術を使うのだ!
うまくいったからいいじゃない
マリーが使ったのは、何のことはない。ただの転移の術である。だがそれは本来、極めて高度な計算が必要になる。ほんの僅かに座標を間違うだけで、石の中や空中に転移してしまう可能性があるからだ。
咄嗟に使ったいい加減な術で、少なくとも落ちても怪我をしない程度の高さの空気中に転移できたのは僥倖というほかなかった。
わたし、昔から運だけはいいし
誇ることか、愚か者
マリーを叱りながらも、Olの語気は弱い。
それに命を繋いだとて、どうにもならぬかも知れぬ
太陽神の言ったことは真実だ。もはや打つ手は何もない。
でも、わたし達はまだ生きてる
Olの手をとって、マリーはそれをぎゅっと胸に掻き抱く。
わたしの知ってるOlさまなら、絶対諦めたりしない
Olは目を見開いて、彼女の顔を見つめた。
あの、無邪気だった幼子が、いつの間にこんな表情をするようになったのか。
知った風な事を言ってくれる、愚か者が
そんな事を思い魔王は、微かな笑みを浮かべた。
良かろう。あがくぞ
言って彼は、周りを見回す。そこはちょうど火山の入り口の手前、風のダンジョンの中であった。谷間が雪で埋め尽くされているせいか、ザナが作った氷の壁もまだ消えてはいない。
転移陣を張っていたならまだしも、お前の大雑把な運任せの転移だ。このダンジョンの中にいる間は、俺達の居場所は補足される事はなかろう。それに、お前のその炎
Olはマリーの身体を包み込む、イェルダーヴの炎を指し示す。それはイェルダーヴが死んでしまった後もなお、消えることなく燃え盛っていた。
それは一種の境界として使える。つまりその炎を、俺のダンジョンと規定する。さすればお前の居場所は太陽神に気取られぬ
ふむふむ、それで!?
調子の出てきたOlに、マリーは身を乗り出して頷く。
それだけだ。それが何の役に立つことか
しかしそこで両手をあげるOlに、がくりと項垂れた。
ううー。援軍とか呼べないのかな。あの革袋、もう一個作る事は?
無理だ。ダンジョンと繋ぐには、ダンジョンまで一度戻らねばならん。ここから転移するのは不可能だ
ユニスの転移やミシャの空間を繋ぐ技と違って、転移の魔術はその移動距離によって消費する魔力が決まる。大陸間を転移するのは、ダンジョン中の魔力を使っても不可能だ。
いや。一つだけ方法があったか
ふと、Olはあることを思い出す。ほとんど使ったこともなかったので、すっかり忘れていた一種の魔術。使ったところで何一つ状況は好転しないであろう事はわかっていた。けれど、Olは呪文を口にする。
契約に基づき、アイン・ソフ・Olの名において命ずる
それは転移でも召喚でもなく、召還の魔術。
我が前にいでよ、リルシャーナ!
己の使い魔を手元に呼び戻す術であった。
ずるり、とOlの影が伸び、そこからしなやかな指が生える。
よいしょっとー!
かと思えば、豊かな胸をぶるんと揺らしながら、リルが威勢のいい掛け声とともに飛び出してきた。
はいはーい!Olの右腕にして第一の使い魔、リルちゃんのお出ましよ!
状況をわかっているのかいないのか、場違いな明るさを見せる彼女をOlとマリーは呆然と見やる。
なるほど、確かにひっどい顔してるわね
リルはOlの顔を見て何やら納得したようにうんうんと頷くと、ふわりと彼の頬を両手でおさえ、そのまま口づけた。
いきなり何を!
彼は、全てを思い出した。
太陽神は、おそらく対面した相手の心を読む
そりゃあ全知全能っていうくらいだから、そのくらいはするでしょうね
それはOlが旅立つ前。ラーメスを蘇生させた直後の頃の記憶だ。
問題はそれを防ぐ方法がないということだ。どのような策を練っていこうが、魔術による読心術と違って対抗手段がない
あっ、そっかううーん。読まれても構わない策を練るとか?
リルの言葉に、Olは首を横に振る。
格下が相手ならばそれも可能だろうがな。生憎とそんな都合のいい策はない。なにせ相手は全知であると同時に全能でもあるのだ
じゃあどうしたら
故に。奴に勝つための策を、お前に預ける
頭を抱えるリルの肩を、Olはぽんと叩いた。
わたしに?
ぱちぱちと瞬きして、リル。
そうだ。記憶を封印し、それを封印した記憶ごとお前に渡す。頃合いを見てお前を呼び、記憶を復活させて策を成す。そうすれば奴が心を読めようと問題ない
でもさ。記憶を失ったOlが、もしわたしを呼ばなかったら、どうするの?
Olは珍しく、無責任な言葉を吐いて肩をすくめた。
正直なところ、自信はない。お前はどう思う?どうしようもないほど追い詰められた後、俺はお前を呼ぶと思うか?
少し考え、リルは答える。
呼ぶわ。Olは必ず、わたしを呼ぶ。たとえわたしが何の役にもたたないってわかっていても打てる手がそれだけなら、あなたはわたしを呼ぶわ。絶対に
──そうして。
Olは全ての記憶を彼女に預け、代わりに偽の策を練り上げて太陽神に挑んだのだった。
どう?思い出した?
唇を離し、くすぐるような声色で、リルは問う。
やはり、お前に任せて正解だったな
Olはそれに対して、そう答えた。
え、記憶の引き渡し?
リルが口付けることによって、Olの呪いは解け、封印していた記憶が蘇る。けれど別にそれは誰でも良かったはずだ。
違う。最初に言っただろう
Olは首を横にふって、言った。
俺を信じる仕事は、お前に任せると
──ん。信じてるよ
リルは微笑み、そう返す。
そんな彼女にニヤリと笑みを浮かべ、Olは宣言した。
さあ。反撃を開始するぞ
第21話全知全能の神を斃しましょう-5
これで、最後
くしゃり、と太陽神は手のひらに浮かんだ絵図を握りつぶす。それによって、Olが支配した領域は全て消え失せた。
ふむ?
太陽神の端正な表情が、怪訝そうに歪められる。Olの作った氷のダンジョンを全て消した今、この大陸に太陽神の目の届かぬ場所はないはずだ。にもかかわらず、Olの姿はどこにもなかったからだ。
海に隠れたか、それとも境界の神に頼って逃げ帰ったか
いずれにせよ、もはや抵抗の余地などどこにもないはず。太陽神はOlの行方を些事と切り捨て、意識をダンジョンの外へと向けた。
この大陸に未だ根強くはびこる、有象無象の神々ども。それを全て喰らいつくし
今度こそ、万物を支配するために。
わ。真っ暗ね
その領域に入るなり、リルは声を上げた。何気ない台詞のようだが、ただ事ではない。
なにせ夜に潜み闇を見通す悪魔の言葉なのだ。つまりそれは、尋常の闇ではなかった。
何用じゃ
その闇の中から響いたのは、酷くしわがれた声であった。
まるで数万年歳を取り続けた老婆のような、枯れ果て乾いた声色。