その指先から奴隷を打つための鞭を取り出そうとして、コートーは手を止める。

フローロの背後から、サルナークが射すくめていたからだ。

その鞭を振るうなら好きにしろ

サルナークはいっそ平静な声色で、そう告げた。

ただしその瞬間に、お前の首は飛ぶ

ワワタシは、ユウェロイ様の

上等だ

サルナークは刃を抜き放ち、獰猛な笑みを見せて答える。

こっちはそもそも最上層を獲るつもりなんだ。中層の壁族如きにビクビクしてられるかよ

それは、サルナークが本気でフローロにつくと決めたという証拠でもあった。

さあ、とっとと決めな。このお嬢を解放するか、首だけになるか

ひっわ、わかった、わかりました!フローロをワタシの奴隷から、解放する!

サルナークが刃を閃かせ、コートーの頬に一筋の傷をつける。それだけで彼は音を上げて、悲鳴のような声色でそう叫んだ。

それと同時に、フローロの首についていた輪状の印が、まるでガラスのように割れて消え去る。

たただで済むと思うなよ!

コートーはそう言い捨てると、一目散に部屋を飛び出していった。

ありがとうございます、サルナーク

ハ!別に礼を言われる筋合いはねえ。いいか、この際はっきり言っておく

サルナークは剣を鞘に収めながら、ギロリとフローロを睨みつける。

オレは魔族が嫌いだ。魔族の下で働くなんざ反吐が出る。お前を王と認めるつもりなんざこれっぽっちもねえ

その瞳にあるのは明確な嫌悪。

だが、お前とOlの野郎に付くのは美味そうだ。オレはどんな手段を使おうと必ず壁族に返り咲く。その為には何だって利用してやる。だから今は、お前に手を貸してやる。それだけだ

はい!私も、そのつもりです

触れれば切れてしまうような鋭い視線を向けるサルナークは、そうしてもニコニコと笑顔を浮かべるばかりのフローロに毒気を抜かれ脱力した。

ほう。何だって利用するか

その時、出し抜けにOlの声がした。それは彼がことの成り行きを見守っていたはずの隣室からではなく、コートーが逃げていった通路の方から。

ならばこいつをそのまま逃がすのは、少々甘すぎるのではないか?

そこには。

気絶したコートーをまるで野うさぎでも捉えるかのように首を掴んで持ち上げ、邪悪な笑みを浮かべる魔術師の姿があったのだった。

第4話次なる刺客を迎え撃ちましょう-3

Ol、何してるんでしょう

聞くな。知るか。知りたくもねえ

隣の部屋から断続的に聞こえてくる男の悲鳴に耳を塞ぎつつ、サルナークはうんざりとした口調で答えた。

こいつには少し聞きたいことがあるといってOlがコートーの首を掴んだまま隣室に籠もり、一時間。最初は盛大に上がっていたコートーの悲鳴は次第に弱々しい悲痛なものになり、そして啜り泣きすら混じり始めた。

やっぱり、私──

悪いことは言わねえ。やめとけ

彼が何故フローロに協力してくれるのかはわからないが、Olが何をするにせよ、それはフローロの目的を叶えるためのもののはずだ。であるならば、それをきちんと己の目で見る必要がある。

フローロのそういった主張は、邪魔だの一言で切り捨てられた。

ですが

つーかあいつはそもそも何なんだ?どこであんなの拾ってきた?

サルナークは今まで自分のことを、それなりに悪党だと思っていた。無論、上には上がいることくらいはわかっていたが、Olの悪辣さは上とか下とか、そういうレベルの話ではないように思えた。

あいつは何ていうかそう。手慣れてるんだ

自分で口にして、彼は思った以上にそれがしっくり来ることに気がついた。サルナークとて悪逆を成すとき、それが悪であることを意識して行う。今更そこに躊躇いなどしないが、それが悪いことであることは認識している。

しかしOlにはそういった気負いが全く見られないのだ。非道な行いを、呼吸をするかのように行ってみせる。それはナギアを罠に嵌めた時も、サルナークを追い詰めた時もそうであった。

わかりません。ですが、一つだけはっきりしていることはあります

だがフローロは微塵も疑う事なく、きっぱりと答える。

彼は信頼できる人です

人は必ず裏切る

その台詞にかぶせるように、呪詛のような言葉が降り注いだ。

信頼するのは構わんが、お前はもう少し警戒心というものを持て

Olは痙攣するコートーをぞんざいに放り投げ、フローロとサルナークの間の席に座るとテーブルの上に置かれた水をぐいと飲み干す。

人は必ず裏切るかいい言葉じゃないか。誰の言葉だ?

とんでもなく苦いものを食べたような表情をするサルナークを無視して、Olは続けた。

あのコートーという男も大したことは知らないようだったが、一つわかったことがある。あいつ自身はユウェロイの奴隷だと言っていたが、正確にはあいつはユウェロイから三階層ほど下で、直接の主人はラディコという名だ。知っているか?

いえ初めて聞く名前ですね

フローロは首を横に振る。様子を見るにサルナークも同様であるらしい。

わたくしが知っておりますわ、Ol様

親しげな声色と共に音もなく現れたのは、蛇の下半身を持つ美女。ナギアであった。

蛇め

その姿を見て、サルナークは露骨に舌打ちする。

Ol、この蛇に限って言えばまさしくお前の格言の通りだ。こいつは必ず裏切る

あらサルナーク様。酷いですわ。今まで誠心誠意お仕えしてきましたのに支配者の瞳だってお渡ししたではありませんか

目元を押さえ、泣き真似をするナギア。しかしその瞳からは一滴たりとて雫は流れていない。

お前は使い方がわからず俺に寄越しただけだろうが。あれは奴隷を持たないものには全く無意味な代物だからな

フローロの左目。支配者の瞳の力は、その名の通り己が支配するものの視界を盗み見る能力だ。実際には視界だけでなく、聴覚や触覚、更には嗅覚や味覚など、自分の奴隷が感じたこと全てを己のものにすることが出来る。

だが奴隷を持たないナギアやフローロにとっては無用の長物であった。

それで、その情報の対価は何だ?

いやですわ、Ol様

ナギアはその長い蛇の身体を絡めるようにするりとOlにすり寄ると、彼の胸板にぎゅっと己の豊満な胸元を押し付けながら囁いた。

何でもするという約束を結んだのですから、わたくしはあなた様の忠実なしもべ。対価など必要ないに決まっているではありませんか

なるほど性悪だ、とOlは内心で呟く。たちの悪いことに、彼女の今の言葉は殆ど嘘ではなかった。かと言って、心からの本音というわけでもないだろう。

確かに彼女は何でもするといった。だが契約というものは得てして、何をするかよりも何をしないかの方が重要なものだ。今のままではOlに嘘をつくのも裏切るのもそれこそ何(・)で(・)も(・)す(・)る(・)事が出来る。

かといって、サルナークに対して行ったように大量の契約で縛るという事もできない。今のナギアにOlと契約を結ぶ理由がないからだ。命を盾に取るような状況だったとはいえ、契約はサルナーク自身が望んだこと。自分から望んで結んだ約束でなければ、契約の呪いは途端にその効力を失う。

まあ良い。聞いてやる

ラディコは下層に住む牙族で、鉄の腕のスキルを持つ事で知られております。勇猛果敢にして豪放磊落。巨大な鉄槌を軽々と振り回し、翼獅子さえ一撃のもとに屠るとか

つらつらと歌うように語るナギア。Olが知りたかったのは戦闘能力よりもむしろ人となりや何を重んじるかだったが、内心で当てにならんなと呟くだけに留めた。

魔族か

ナギアの説明に対し、吐き捨てるようにサルナーク。

そもそも魔族とは何だ?

そういえばしっかりとした説明を受けていないことを思い出し、Olは問うた。

魔族というのは私やナギアの様に、魔の特徴を持つ者のことです。持っている部位によって、尾族や牙族、翼族などと呼ばれます

己の額から生えた角に触れながら、フローロは説明する。

ふむするとフローロは角族と言った所か?

いや。ややこしいが、角だけを持ったものはただ魔族と呼ばれる。魔族って言葉は広義には魔族全体を指し、狭義には角だけを持った種族を表すというかOl、貴様そんなことも知らずにお嬢の味方をしているのか?

呆れたように問うサルナークに、うむとOlは頷く。

ってことはまさか、魔王についても知らないのか

ああ。だが大体の察しはつくぞ。能力に優れる魔族が統治していたが、人間たちが反乱を起こし王を殺す。娘は秘密裏に逃され、奴隷の姿に身をやつして再起を伺っていたというところだろう

おおよそ、その通りです

Olの推測を、フローロは首肯する。ありふれたと言うほどに実際にはよくある話ではないが、叙事詩(サーガ)にならばありがちな話だ。一つ気になるところはあったが、Olはそれを無視して話を進めた。

このタイミングで行動を起こすということは、そのユウェロイというものはフローロの事情を知っており、更に監視していたということになるだろうな

正体のわからぬ不審な男が近づいたからか。あるいは、その男を伴って最下層の主を下したからか。直接的な理由はわからないが、一つだけはっきりしていることがある。

となれば必然、このまま黙って見ているということはなかろう

ユウェロイは、フローロの道を阻むつもりだということだ。

ハ。どうでもいいさ。邪魔をするならぶった切るまでだ

サルナークは椅子に背を預け、長い足を組んだ。Olの渡した契約書には、鋼の盾を奪わないと書かれていた。故に彼のスキルは未だ健在である。鉄槌だろうが長槍だろうが負ける気はしない。

うむ。サルナーク、お前にはやってもらいたいことがある

いいぜ、大将。どいつでも真っ二つにしてやる

カチリと剣の鯉口を鳴らすサルナーク。

いや、剣は使わん。代わりにこれを使え

そんな彼に、Olは用意しておいたものを渡した。

なんだ、こりゃ

それは棒状ではあったが剣ではなく。

長い柄を持ってはいたが槍でもなく。

大きな頭を持っているが斧でもない。

見てわからんか?

いやわかるから、言ってるんだが

サルナークは袋状になった先端を見つめ、うんざりした口調で言う。

俺に虫でも捕らせようってのか

それはいわゆる、たも網だった。

第4話次なる刺客を迎え撃ちましょう-4

このダンジョンには足りないものが一つある

一つですか?

反射的に返したフローロの問いに、しかしOlは押し黙った。

いや一つどころじゃないな。二つ、三つ、四つうむ。むしろ足りているものを数えた方が早い

そんなに駄目なんですか!?

指折り数えだし、それすら途中で放棄するOlにフローロは思わず叫んだ。ダンジョンというのが壁界全体を指す言葉であることは教えてもらっている。つまりは世界全体への駄目出しである。

駄目というと語弊がある。ダンジョンに何を望むかは人それぞれだ。飽くまで俺の理想とするダンジョンに足りぬものがあるというだけのこと

はあ

独白のように語るOlに、ピンと来なかったらしくフローロは小首を傾げる。

あ、もしかしてそれが、サルナークに捕まえさせてるのと関係するんですか?

うむ。アレもそのうちの一つではある少し魔力を貰うぞ

Olは出し抜けにフローロを抱き寄せると、彼女に口づけ魔力を奪った。何せ大気中にも食事中にも殆ど魔力が存在しないのだ。魔術を使わなくとも体の中の魔力は目減りする一方であった。

その一方で、Olが奪ったフローロの魔力はしっかり回復している。何らかのスキルを持っているのか、それとも別の仕組みがあるのか、未だにOlにさえわかっていなかった。

わかっているのは、こうして定期的に魔力を補充する必要があるということだけだ。

んOl♡

唇に伝う銀の糸を、フローロの舌がぺろりと舐め取る。先程までの控えめで生真面目な様子とは打って変わって、とろりと蕩けた艶めかしい表情でフローロはOlを見つめた。

するんですか?

問いの形を取りながら、明らかに期待した様子でフローロはOlの手を取り、己の胸に押し当てる。その柔らかく悩ましい感触に、Olがその気になりかけたときのことだった。

何盛ってんだ、貴様らは

膨らんだ布の袋とたも網を抱え、ぐったりとしたサルナークが地獄のような声色で割って入ってきたのは。

ご苦労。早かったな

うるせえ乳揉みながら労うんじゃねえ!

眉一つ動かさずに答えるOlに、サルナークは怒鳴りながら網を地面に叩きつけた。

そら。これでどうだ

うむ。申し分ない量だ

サルナークから袋を受け取り、その中身にOlはニヤリと笑みを浮かべる。

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