一つはお前の立場だ。よもや王となるべき者が奴隷の立場でいるわけにもいくまい
あっそう、ですね
言われて思い出したのか、フローロ。
解放されるにはどうすれば良いのだ?主人を殺せば良いか?
確かに主人が死ねば自動的にその奴隷は解放されます。或いは主人が奴隷の解放を宣言するかただし、奴隷は自分の主人を害することは出来ません
では話は早いな。俺がお前の主人を殺せばいい
Olがいうと、フローロは表情を曇らせた。
殺さずに何とかする方法はないでしょうか
何だ。奴に義理でもあるのか?
Olの問いに、フローロはふるふると首を横に振る。
いいえ。むしろ散々罵倒され虐げられた恨みがあります
ならば何を躊躇する。まさか今更、人を殺すのが嫌などとは言わぬだろうな
そうではありません。恨みを持つからこそ、殺したくないのです
フローロの答えに、Olはニヤリと笑みを浮かべた。
きっと私は、その死に喜びを感じてしまう。それが怖いのです
それで良い
ぽん、と頭に置かれるOlの手を、フローロはきょとんと見上げる。そんなくだらない理由で、と言われるかと思っていたのだ。
恨みや憎しみは瞳を曇らせる。そんなものは目的を達成するのには不要だ。必要であれば殺し、必要でないなら生かしておけば良い。俺の見た限り、お前の主人は小物だ。わざわざ殺す必要などあるまい
憎しみに囚われるのは不毛だ。
恨みなど忘れて生きろ。
フローロは今まで幾度となくそう言われてきた。
だがOlのいうそれは、全く別の意味を持っているように思えた。
Olはこのような境遇になったことを恨まないのですか?
恨むが?
試しに尋ねてみれば、何を馬鹿なことをと言わんばかりに答えられた。
どうして俺がこのような場所に飛ばされたのかはわからんが、もし何者かが悪意を持って行ったのであれば必ず然るべき報いを受けさせてやる。そんなのは当然の事だ
淡々と、Olは述べる。
だがそれは、恨みを晴らすために行うのではない
その声色は恨みつらみを込めたものではなく、炎が赤いという事実を説明するかのようなもので。
俺は俺に楯突くものを許さぬ。敵を全て後悔させてやらねばならぬ。だがそれは、俺の気持ちなどという矮小なものの為ではない。俺の敵となるのがどれほど割に合わないかをわからせてやる為だ
フローロは、彼が自分の主人を痛めつけている時のことを思い出した。一切の色を持たない、無関心なあの瞳。Olはきっと、人を殺すときも全く同じ目でやってのけるのだろう、と思った。
あの時はそれを恐ろしいと思った。
だが今は、なぜかそれをひどく頼もしく思えるのだった。
ところで、もう一つのすることとはなんですか?
忘れたのか?
意外そうに目を見開いて、Olは言った。
サルナークの奴隷達の処遇だ
完全に忘れていたフローロは、声を上げた。
Ol様、フローロ様
Ol達がサルナークを閉じ込めた部屋に向かうと、ナギア他奴隷達が数人集まっているところだった。
いえですが、わたくし達は未だ奴隷から解放されていないようなのです
見上げたしぶとさだな。どれ
壁の中はみっちりと埋め尽くされていて、サルナークは指一本動かせないレベルにまで固められてしまっているはずだった。普通ならば一刻も持たず窒息死するはずだが、とOlは魔術で中を伺う。
壁の中で、サルナークはぐったりとしていた。ピクリとも動く様子がなく、とても生きているようには見えない。少しつついて様子でも見るか、とOlが壁を動かそうとした瞬間、サルナークは突然かっと目を見開いた。
ほんの僅かな魔術の気配を感じ取ったのか。サルナークの反応にOlは驚くが、だからといって彼に何が出来るわけでもない。
にる
だが、掠れた声で発せられた彼の言葉に、Olは笑みを浮かべて頷いた。
パチン、とOlが指を鳴らすや否や、サルナークを閉じ込めていた巨大な石の柱はバラバラに解けるようにして消え去り、汗にまみれ消耗したサルナークがどさりと地面に転がった。
ぐぅ!
サルナークは萎えきった肉体をなんとか動かし、剣を掴んで立ち上がる。
オウル!
そしてOlの眼前まで幽鬼のようにふらつきながら歩みを進めたところで、ガクリと膝をついた。
Olは震える腕で突き出された剣を手に取り、それでサルナークの肩を叩いた。
俺に仕えるという契約、確かに承った
Olがそう言った途端、サルナークは意識を失い地面に倒れ伏す。
ふむ命に別状はないな。寝かせておいてやれ
Olがそう命じると、自然と奴隷たちの数人がサルナークを運んで連れて行く。
Ol、今のはどういう事ですか?
奴は俺に仕える代わりに生命を助けろといい、俺は承知した。それだけのことだ
サルナークの言葉は命乞いと言うにはあまりにも尊大であったが、Olはかえってそれを気に入った。命を盾に取られてなお挫けぬ誇り。一晩指一本動かせぬ牢獄に閉じ込められ、なお微塵も生存を諦めないその胆力。それはスキルなどというものでは得られぬ素質だ。ここで殺すには惜しい男だとOlは思った。
つまりサルナークをOlの奴隷にしたということですか?
そのような制度は知ったことか。ただ配下にしただけだ
フローロの問いに、吐き捨てるようにOl。
それより、紙とペンはないか?
ございますが何にお使いになられるのですか?
カバンから紙とペンを取り出すナギアに、Olはニヤリと笑い、答えた。
契約書だ
第4話次なる刺客を迎え撃ちましょう-2
うん。ばっちり良く見えます!ありがとうございます、Ol!
元に戻しただけのことだ。感謝される謂われはない
輝きを取り戻した目をパチパチと瞬かせ喜ぶフローロに、Olはそっけなく言葉を返す。
こ、これを全部読めというのか?
別に読まなくとも俺は構わんがな
その一方で、目の前に置かれた分厚い紙の束を凝視し脂汗を垂らすサルナークにOlは涼しい顔で答えた。
フン。オレは貴様に仕えると誓ったのだ。このような取り決めなどしなくとも、好きに命じればよいだろうが
サルナークは腕を組み、契約書から顔を背けると吐き捨てるように言う。
ええとサルナークが魔術によって女性に変化したときの取り決め
今日中に全部読む
だがフローロがそのうちの一枚を取り上げて内容を呟くと、サルナークはすぐさまそれをひったくるようにして奪い、そう言った。
うむ。それがいいだろう。ところで出来れば早急に行って欲しい頼みが一つあるのだが
何だ。女体化以外なら聞いてやる
盛大に顔をしかめ、しかし真剣な眼差しを契約書に走らせながら、サルナーク。
フローロを奴隷の身分から解放したい。お前なら出来るな?
だがOlがそう問うと、彼は一転して野獣のように獰猛な笑みを浮かべて答えた。
サルナーク様、この度はお呼び立て頂き、誠に
つまらん挨拶はいい。そんなことよりだ
フローロの主人コートーというその男をサルナークはギロリと睨みつける。
単刀直入に言おう。お前が飼っているあの魔族の女。あれを寄越せ
そ、そう申されましても
サルナークの命令に、コートーは慌てて答える。
どうかご容赦をあれはワタシにとって唯一の奴隷です。己の奴隷を所有する権利だけは、サルナーク様といえど侵害できぬはずです
この最下層に法らしい法はない。だがしかし、奴隷とスキルだけはたとえ相手が奴隷であったとしても一方的に奪ってはならないと決まっていた。サルナークはむしろその法を守らせる側の人間だ。
無論、ただでとは言わん。相応の対価は用意する
サルナークの合図にナギアが両腕に抱えた袋を数個、どさりと床に下ろす。その口からはたっぷりとした食料や雑貨、宝石などが覗いていた。最下層の奴隷一人を譲り受けるには十分すぎる量だ。
同意致しかねますな
だがいやらしい笑みを浮かべて首を振るコートーに、サルナークは眉をひそめた。
申し上げました通りあれはワタシの唯一の奴隷。対価を頂いたところでおいそれとお譲りするわけには参りません
何だと!?
歯を剥き出し柳眉を釣り上げるサルナーク。コートーはひっと声を上げて身体を竦ませたが、言葉を取り消しはしなかった。
おかしい、とサルナークは思う。コートーはフローロが魔王の娘であることなど知らないはずだ。そもそも最下層の人間たちは、魔王の顔さえ知らない。サルナークですら、彼らが支配者の名を関するスキルを持っているということくらいしか知らなかった。
だがコートーのこの態度は、フローロが価値ある存在であるということを明らかに知っているものだ。
別に奴隷を解放する方法は一つだけじゃないんだぜ
サルナークの手が、腰の剣の柄に添えられる。
サ、サルナーク様こそワタシはもう、あなた様の支配下にはないんですよ
そうしてなお下卑た笑みを崩さないコートーに、サルナークは目を剥いた。最下層にいる者たちはその大半が、サルナークの下に存在する。すなわち彼の奴隷であるか、そのまた奴隷であるかといった調子だ。
ワタシは今、ユウェロイ様の奴隷です。おいそれと害すればサルナーク様とて、無事ではすみませんよ
ユウェロイだと!?馬鹿な、何故お前如きが!?
どうやら想定外のことが起こったらしい。隣室で見守っていたOlが立ち上がろうとすると、サルナークは腕を上げてそれを制した。黙って見ていろということらしい。
ユウェロイとは誰だ?
中層に住む有力な壁族の一人です。普通、上の方の階層の者は、最下層の人間になんて関わらないものですが
代わりに傍らのフローロに尋ねると、彼女もまたどこか困惑した様子でそう答えた。
そういうことなのでね。アレは引き取らせて頂きますよ。そこにいるのはわかってる。さっさと来ねえか!
コートーが怒鳴ると、フローロはびくりと身体を震わせた。主人だからといってその命令に何らかの強制力があるわけではない。しかし今まで何度も鞭打たれてきた記憶が、彼女を自然と従わせる。
だが彼女はその途中で、ピタリと足を止めた。
Olの瞳が、彼女を射抜くように見据えていたからだ。
彼は腕を組んだまま壁にもたれかかり、何を言うでもなくフローロを見つめている。だがその言わんとする所ははっきりと彼女に伝わってきていた。
フローロはキリリと表情を引き締め、ピンと背筋を伸ばし部屋を出る。その背を、Olは笑みを浮かべて見送った。
お呼びですか
待たせるんじゃねえ!この!汚れた血が
コートーの怒声は、フローロの姿を認めてあっという間にその勢いを失った。Olが仕込んだ恐怖の記憶がいまだ有効であったというのもある。
しかし理由の大半は、彼を見るフローロの姿が彼の知るものとまるで違ったからだ。
コートーの知るフローロは常に下を向き、陰気で覇気がなく、いつも何かに怯え背を丸めている少女だった。
それが今は毅然としてコートーを見つめ、それでいて気負った部分がまるでない。同一人物とはとても思えない、凛とした佇まいであった。
コートー
それまでコートー様と呼んでいた相手を、フローロは自然に呼び捨てる。
私はあなたにもう仕えることは出来ません。お引取り下さい
その堂々とした立ち居振る舞いに、コートーは自分が呼び捨てられたことにすら気づかなかった。
何を馬鹿なことを!誰がお前を拾い上げ、今まで面倒見てやったと思っている!
はい。それには感謝しています
全てを失い、最下層に追いやられたフローロが、辛く貧しい生活とはいえ今まで生きてこれたのはコートーが主となっていたからだ。少なくとも彼はフローロを手慰みに殺すようなことはなかったし、振るう鞭は痛みを与えるだけで取り返しのつかないような傷もつけられてはいない。
冷酷な主人についてしまったばかりに命を失っていった魔族はフローロが知るだけでも何人もいる。コートーの事を恨んでいるというのも、感謝しているというのも、偽らざる本音であった。
ですが私はこれ以上奴隷という立場に甘んじているわけにはいかなくなりました。──魔王として命じます。私を解放しなさい
毅然と言い放つフローロの言葉はともすれば居丈高に感じるものであったが、傍で聞いているサルナークの耳には不思議とそうは感じられなかった。むしろ、滅茶苦茶なことを言っているにも関わらず正当な要求にすら聞こえる。
王?お前がお前が王だって?この汚れた血が!
だがコートーは唸るように言って、フローロを睨め上げた。
何を勘違いしてやがる!魔族が壁界を支配していたのは、もうずっと前のことだ!お前はただの奴隷で、最底辺の存在だ!何が魔王だ、この汚れた血が!