Olの指摘に、サルナークとフローロは揃って表情を強張らせた。
ナギア。あいつか!
でも、ナギアが嘘をついたのならOlにはそれはわかるのでは?
ギリリと歯噛みするサルナークとは対照的に、フローロは冷静にそう尋ねる。
ああ。だがナギアもそれをわかっておる。潜り抜ける方法を見つけたのかも知れんし、そもそも奴自身が騙されている可能性もある。いずれにせよもともと一つ、疑問に思っていた事がある
Olはサルナークとフローロの顔を見回すように視線を巡らせると、一段低い声で言った。
敵が俺達の動向を、どうやって把握しているかだ
サルナークとフローロは、ともに表情を引き締める。
もしフローロの支配者の瞳のようなスキルを用いて我々の様子を盗み見ていると言うなら、それは魔術でわかる。そして、そのようなスキルが使われている様子はない
実際にフローロが支配者の瞳を使い奴隷達の感覚を共有したところ、Olは感覚を共有されている奴隷達を検知することが出来た。
無論のこと、奴隷達だけでなく、壁や床、天井、なにもない空間に対しても同様の検査を施している。
では、どうやって?
スキルなど使う必要もない、世界を問わぬシンプルな方法がある
いつの間にそんな事を、と思いつつも首を傾げるフローロ。
内通者がいる
そんな彼女に、Olは重々しく告げた。
監視の目は、フローロが俺と会う前からついていたものだろう。コートーは俺の存在をそもそも知らぬ。サルナークがフローロの事を知ったのはつい先日のことだ。それ以外に、お前の事を知っていたものはいるか?
ナギア
フローロはぽつりと呟いた。商人である彼女とはOlと出会う前から、モンスターを狩って手に入れた素材やスキルを度々やり取りしていた。
サルナークの奴隷達は解放されたあと、その殆どが支配者の瞳の影響下に置くためにフローロに仕えることになった。しかし僅かではあるが、解放されて奴隷であることをやめたものもいる。
ナギアもその一人であった。本人は既に自分はOlの物であるからと言っていた。フローロもそれに疑問を抱くことはなかったが、それが己の行動を把握されないための言い訳だとしたら。
そこにいるのは誰だ!
不意に、サルナークがOlの背後に向かって叫ぶ。フローロがすぐに部屋の外を確認したが、そこには誰もいなかった。
辺りを見回すフローロをよそに、ひょいとOlが何かを地面から拾い上げる。
Ol、それは?
それは、紫色に輝く小さな鱗であった。
そう。ラディコまでが敗北しましたか
はい。あのOlという人間予想以上に危険な男であるようです
部屋の中には、二人の女。片方は白銀の髪を長く伸ばし、後頭部に向かって角を生やした従者の姿の魔族。もう片方は短く金の髪を刈り、壁族然とした男装に身を包んだ人間。
しかし奇妙なことに、跪き報告しているのは壁族の人間であり、それを立って聞いているのは従者の姿の魔族であった。
銀の腕は渡したのですよね?
は。私がしかと。──かくなる上は、私が出るほかないかと
お待ちなさい、ユウェロイ。あなたはそう軽々と動いていい立場ではないでしょう
しかしブラン様!
ユウェロイの口を、ブランは優しく塞いだ。
私が参ります
で、ですが
真っ赤に染まったユウェロイの口調には、先程までの硬質さは失われている。
あなたをこそ、万が一にも失うわけにはいかないのです。それに
つい、とユウェロイの顎を撫で、ブランは目を細める。
私に万が一があると思いますか?
首を振るユウェロイに、ブランはくすりと笑った。
いい子ね
ユウェロイの頭をふわりと撫でて、ブランはスカートを翻し部屋の奥へと向かう。
閨にいらっしゃい。今日は可愛がってあげましょう
そして背中越しに、そう声を投げかけた。
ブ、ブラン様!そのようなことは
あら。お嫌かしら?
慌てるユウェロイに、ブラン。
嫌ではありません
赤い顔を更に赤く染め、ブランはユウェロイの後を追う。
ああ、そういえば
ユウェロイをベッドに引き入れながら、思い出したようにブランは口にした。
あの尾族ナギアと言いましたか。彼女はどうしました?
間者であるのがバレたようです。用済みになりましたので
ユウェロイは口調を事務的なものに戻し、答える。
処分しました
第5話騙し合いに勝利しましょう-2
自ら討って出る。そう宣言するブランに、招き手のフォリオは間の抜けた声を上げて、コリコリとこめかみの辺りをかいた。
まあ、ユウェロイサマがそう仰るんなら、アタシとしちゃ否はありませんけども
フォリオはユウェロイの奴隷であり、ラディコの主人である。癖の強いふわふわとした緑色の髪に、ふわふわとした羽根を持つ翼族の女だ。
どうやって勝つおつもりで?
フォリオはブランとはほとんど直接の面識がなかった。知っているのは、魔族にも関わらず己の主人に命令できる立場にいるという事と、めっぽう強いらしいという事──
どうやって、とは?
あと、考えなしという事か。と、首を傾げるブランに、フォリオは心の中の人物評に追記した。
いえね、ブランサマが大変お強いのはアタシも知ってるんですけど、うちのラディコもアレはアレで結構腕の立つコなんですよ。それが簡単にやられちまったんで、ちょっと次は入念にかからないといけないんじゃないかなと思いまして
Ol。正体不明のあの男の欠点は、直接的な戦闘能力の乏しさであるとフォリオは評していた。真っ向勝負であればサルナークにすら勝てないのなら、下手に策を弄するよりもラディコをぶつけた方が手っ取り早い。そう判断し、フォリオは己の奴隷に命じた。単純な強さと速さは、あらゆる策を破壊しうる。
だがそれは、拙速に過ぎた。Olは思ってもみない方法でラディコを無力化し、その上奇妙なスキルで籠絡して情報を引き出したという。フォリオに関する情報も全て知られていると考えるべきだった。
ふむなるほど。少々考えすぎという気もしますが、貴女はユウェロイがもっとも信頼する比類なき知恵者であると聞いております。貴女がそう仰るのであれば、一考の価値はあるのでしょうね
ち、知恵者!?イヤイヤイヤイヤ、何いってんですか、アタシは単なる中間管理職ですよ!
上司が聞く耳を持っていてくれていたことにフォリオはひとまず安堵するが、その分のしかかってきた責任にブンブンと激しく手を振った。というかユウェロイがもっとも信頼するとは、一体何の冗談なのか。
と、ともかく!あのOlという男は、何ていうかこう、色々ヤバいです。今わかってるだけでも、母なる壁を動かすスキル、鑑定を防ぐスキル、人の心を操るスキル、見えない壁を張って攻撃を防ぐスキル、モンスターを自在に使役するスキルなどを持ってます
指折り数えながらフォリオは思う。
これ、無理なんじゃない?素直に逃げた方がいいんじゃない?と。
見えない壁を張るですか?そんな報告は受けていませんが
ああ、はい。んーと報告にあったのは壁を生み出して防御するスキルですよね。でもそう考えるとなんというかいまいち実際に起こってる現象と合わなくて
しかしそうするわけにもいかない。いつもの通りだ。フォリオは深々とため息を吐きながら、頭を巡らせた。
ユウェロイサマ、壁が張られるより早く攻撃すればいいって思ってませんでした?
いえ
軽く首を傾げ、ユウェロイは簡潔に答える。
壁ごと破壊してしまえばいいと思っていました
のっ
の?
脳筋。喉元まででかかった言葉を、フォリオはかろうじて飲み込んだ。
あの、壁は、母なる壁と同じとは言わないまでも、かなり近い性質を持ってそうなんですよね。しかもそれが、常時展開されている。多分インパクトの瞬間に壁が浮き出るのはそれを隠すためのブラフでしょう
つまりは見た目を誤魔化すようなスキルも持っている、と。フォリオは心のノートに追記して、更に逃げたくなった。
あら。ということは、壊しやすいという事ですね
なるほど。そういう考え方もありますね
脳筋ではあるが、馬鹿ではない。ようやく明るい要素を一つ見つけて、フォリオはほっと息を吐いた。
とにかく出来る限りの対策を考えてみます。ところで、ブランサマ
パサリと背中の羽根を広げ、フォリオは問う。
あのお噂ってホントなんですかね
と申されますと?
本来であれば他人の持つスキルを詮索することは極めて失礼な事だ。だがそれは、どうしても聞いておく必要がある質問だった。
ブランサマが、スキルを成長させるスキルをお持ちという噂です
──たとえ、この場で処分される可能性があるとしても。
それでね、フォリオ様はね、すっごく頭が良くてね
その下りはもう十回は聞いた
とめどなく流れ行く益体もないラディコの話を、Olはひたすらに聞いていた。フォリオが講じたあらゆる妨害を取り除き、ラディコの口を割って出てきたのは、極めて主観的かつ曖昧で、それでいて膨大な量の情報であった。
この数時間でOlはフォリオの好きな食べ物から好む服装、口癖に細かな癖まで正確に把握できるようになっていたが、彼女が持つスキルや能力に関してはさっぱりであった。
唯一出てくるのが、フォリオ様はすごく頭がいいである。ラディコにとっては主人というより保護者に近い存在であるらしい。それ故、フォリオがどれほどの能力を持っているのか、具体的なところが全く見えてこない。
それでね、ボクがハンマーを失くしちゃって困ってるときは、フォリオ様に聞いたらすぐに見つけてくれるの!
ラディコが語るのはたとえばこういった情報である。なんであんな巨大なものを失くすことが出来るんだ、とOlは思う。もしここまでを見越してラディコをよこしたのであれば、確かにフォリオは有能なのだろう。
全く何の役にも立たない情報をわざわざ秘匿することで、Olに数時間とはいえ無駄な時間を使わせたのだから。
ブランとユウェロイの情報に至っては、名前以上のものはほとんど出てこなかった。せいぜいがすごく綺麗な人かっこいい人くらいのものだろうか。無いよりはマシとすら言えない程度の情報量だ。
できればブランを直接強襲したいところだったが、仕方あるまい。ナギアの監視が解かれたこの機を逃すわけにはいかぬ。まずはフォリオを攻めるぞ
それなんですけど、Ol
これ以上ラディコからは情報を引き出せないと諦め、方針を打ち出すOl。そこに、フローロが口を挟んだ。
本当にナギアが、私達の情報を流したんでしょうか?
それ以外にあるか?
サルナークが苛立たしげに吐き捨てる。実際ナギアは姿をくらまし、フローロの張った監視網を抜けて下層に逃げていく姿も見られている。情報を流していたのでなければ逃げる必要など無いはずだ。
相手の対応から消去法で考えても、ナギア以外にいそうもないというのも理解している。しかし理解してなお、フローロの心には何か違和感が残っていた。
フローロ。俺は教えたはずだぞ
こうあって欲しいだとかこうあるべきだという思いは、瞳を曇らせる。Olの言葉を思い出し、フローロは頷く。
だがそれでもいや。むしろその言葉を思い出せば思い出すほど、フローロの胸には形容しがたい感情が広がっていった。なにか、重大なことを見落としているような気がしてならない。
ラディコ。俺はフォリオに挨拶したい。お前と引き合わせてくれた礼をせねばな。案内してくれるか?
うん!いいよお
だがそれが何であるのか考えている暇はなかった。ただでさえ手にしている情報量に差がある以上、こちらから攻め込まなければどんどん不利になっていくばかりだというOlの言う理屈もわかる。
フローロは胸のうちに不安を抱えながらも、頭上を見上げた。
その分厚い天井のその向こう。
壁界下層。奴隷ではない者たちが住む場所を。
第5話騙し合いに勝利しましょう-3
最下層とフローロたちが呼ぶ空間に、階段はない。平べったく横に広がる文字通りの最下層であり、最下階。それが彼らの住む世界の全てだった。
裏を返せば、上へと続く階段はもはや最下層ではない。
止まれ
最下層の人間が足を踏み入れる事は許されない、下層の領域であった。
これより先はお前達の足を踏み入れていい場所では
あれ?ボクも駄目?
槍を構え居丈高に命じる衛兵に対し、Olの背中からひょこりと顔を出して、ラディコ。
ラ、ラディコ様!そのこいつらは
うん。フォリオ様に頼まれて、連れて行くんだよお
失礼いたしましたっ!
ニコニコしながらラディコが答えると、衛兵たちはすぐさま槍を引いて道を開けた。