時たまアイリーンが咳き込むたびに、口から固まりかけた血液と思しき、赤黒い塊が吐き出される。そしてそれがあらかた出終わった後は、ポーションが揮発したのだろうか、口と鼻から蒸気とも湯気とも知らぬ気体がもくもくと立ち上り始めた。

……ぁっ……ぅ……

最後に、体の痙攣が収まってきたあたりで、口からぶくぶくと泡を吹き始める。ポーションと同じ、うっすらとした水色の泡。

………………

あまりにも壮絶なありさまに、呼吸をするのも忘れてドン引きしていたケイだが、すぐにハッと気を取り直し、慌ててアイリーンの脈を取る。

……良かった。生きてる……

ぴくん、ぴくんと痙攣しながら泡を吹き続けているので、よくよく考えれば生きているのは当たり前だった。しかし自分で『アイリーンの心臓が動いている』という事実を確かめて、ケイはようやく一息つく。

次に傷口を確認すると、手のひらの切り傷と同様、白い傷跡は残っているが、穴そのものは完全に塞がれているようだった。

胸に耳を当てて呼吸音も確認する。少し早目だが、規則正しい鼓動の音が聴こえるのみで、呼吸器関連の異常な音は聴こえない。

ひとまず安心、か……

とりあえず、いつまでたっても白目のままなのは、あまりにも気の毒だったので、そっと瞼を閉じてやる。

……こっちでは大怪我だけはしないように、気をつけよう

―さもなくば、これと同じ目に。ケイはぼそりと呟いた。

ぶるるっ

同感だ、と言わんばかりに、ミカヅキが小さく鼻を鳴らした。

……ん?

そこで、ふと顔を上げる。

視界の彼方。

先ほどまで真っ暗闇だった雑木林の果てに、光が見える。

ゆらゆらと揺れる、オレンジ色の光。

見ているうちに、ひとつ、ふたつと、数が増えていく。

“鬼火(ウィル・オ・ウィスプ)“か……?

下位精霊の一種を疑ったが、すぐにそうではないことに気付く。

あれは、人工の火。松明の明かりだ。

細かく移動していることから、何者かが松明を掲げて歩き回っていることは間違いないのだが、流石に遠すぎるのと暗すぎるのとで、持ち手までよく見えない。

……さっきの連中、じゃあないよな

方向が逆だ。それに、徒歩で先回りしたにしては、速過ぎる。

…………

どうするべきか。

しばし迷って、結論を出す。

行ってみよう。ミカヅキ、頼む

アイリーンを抱えた状態で、再びミカヅキに騎乗した。兜をかぶり直し、口布をつけて顔を隠しつつ、一応の武器の確認をする。短剣が無くなり、礫を二つ消費したが、それ以外は全部揃っている。問題ない。

よし、と小さく頷いてサスケの手綱を手に取り、ケイはミカヅキの横腹を軽く蹴った。常歩でゆっくりと歩いていく。ほとんど速度は出ていない上、地面も柔らかい腐植土なので、蹄の音は立たない。

歩き出してみれば、彼我の距離はそれほど離れてはいなかった。距離が縮まるごとに、その明かりの詳細が見えてくる。

……村か

それは、雑木林の中、空き地を切り開いて作られた小規模な村だった。

一軒の大きめのログハウスの前で、松明を持った数人の村人が、慌ただしく行き交っているのが見える。みな清潔な服を身にまとい、血色や肉付きも悪くない。小さな村ではあるが、それなりに良い暮らしをしているのだろうか。

向こうはまだ、こちらの存在に気付いていない。接触するにせよ隠れるにせよ、その判断はケイに委ねられていた。それぞれのメリットとデメリットをしばし考えながら、ケイは腕の中のアイリーンを見やる。

(……やはり野宿は避けたいな)

苦しげな表情。アイリーンは体力を消耗している。可能であれば、せめて彼女にだけでも、暖かい寝床を用意したいという想いがあった。

……よし、行こう

万が一に備え、サーベルだけはすぐに抜けるよう、抱えたアイリーンの位置を調整しておく。改めて気合を入れなおし、ケイはミカヅキを駆けさせた。

先ほどとは違い、柔らかい土を踏みしめる鈍い足音が響く。最初に気付いたのは、村の広場にいた犬だ。ケイたちの方を向き、激しく吠え掛かる。

……おいっ、何か来てるぞッ!

みんなッ集まれ!

篝火だ! 篝火もってこい!

遅れて足音を聴きつけたのだろう、にわかに村人たちが慌て始める。

(……英語か。少なくとも言葉は通じるな)

そう思っている間に篝火がいくつも設置され、勢いよく燃え盛る炎が村の周囲をにわかに明るく照らし出した。あり合わせの武器や農具を手に、十人ほど村人が、ケイの方を向いてそれぞれに得物を構える。

ミカヅキの手綱を軽く引き、駆け足から常歩ほどの速度に落としつつ、ゆっくりと村に接近していく。

武器を構えていた村人のうち、短槍を構えた精悍な顔つきの男が進み出て、

止まれ! 何者だ!

と、誰何を投げかけてきた。

ケイたちが DEMONDAL の世界に転移してきてから、数時間。

―第一村人、遭遇である。

ちなみに、作中でケイやアイリーンが話しているのは、基本的に英語です。

7. Tahfu

篝火にくべられた薪が、ぱちりと音を立てる。

―何者だ!

前方、十歩ほどの距離を隔てて、短槍を手にした男はケイを見据える。その顔に浮かぶは緊張の色。

ケイを射抜く猜疑の眼差し。周囲の男たちも似たような様相で、棍棒や鋤、伐採用の手斧などあり合わせの武器を手に、いつでも動けるよう中腰で構えている。

完全な臨戦態勢。全員、ケイに対する警戒心を隠そうともしていない。

(……随分と物々しいな)

たかが自分ひとりに大仰な―とは思ったが、自分が姿を現す前から起き出して騒いでいたことを鑑みるに、他に何か警戒すべきことがあったのかもしれない。その辺も把握しておきたい、などと考えつつ、ケイは口を開いた。

夜分に失礼する。俺は旅人だ。決して怪しい者ではない

とりあえず、敵対者ではないことを第一に、宣言する。

『怪しい者ではない』……?

大真面目なケイの発言に、男たちがざわめいた。

新月の暗い夜。滅多に人の出歩かない時間帯。

闇から松明も持たずに、馬に乗って現れた男。

全身を覆う革鎧。腰に剣、手には弓の重装備。

布で口元を隠しているため顔立ちは分からず。

挙句、その左腕には年頃の少女を抱いている。

額に汗を滲ませ、病人のように顔色の悪い娘。

着ているのは、見たこともない異国の黒装束。

しかもまるで、誰(・)か(・)に乱暴されたかのように。

襟元が切り裂かれ、白い胸元が露出していた。

…………

―はっきり言って、怪しすぎる風体であった。

……だから、何者だ

ややトーンの下がった声で、男たちの中心、短槍を握り直した若者が問う。

……端的に言うと、つい先ほど賊に襲われて、逃げてきた

困ったように肩をすくめつつ、ケイはかいつまんで現状を説明する。

霧に呑まれ、気付いたら見知らぬ場所におり、日が沈んでしまったので野営していたところを盗賊と思しき一団に襲撃され、雑木林に逃げ込んだ。そして暗闇の中で松明の光を見つけたので近づいてきた―といった具合に。

嘘は一切ついていない。ただ、ケイたちが DEMONDAL という『ゲーム』のプレイヤーであった、という事実をぼかし、あくまで普通の旅人であったかのような言い方をする。

……つまり、あんたの目的は、何だ?

ケイの話を聞いて、その精悍な顔に警戒と困惑の入り混ざった表情を浮かべた村人は、僅かに短槍の穂先を下げて問いかける。

ああ……見ての通り、連れの体調が悪い。彼女のために身体を休める場所があれば、と考えていた折、ちょうど松明の明かりが見えたものだからな。そちらこそ、こんな時間になんで急に起き出して騒いでたんだ?

今度は逆に、ケイが疑問を投げかける。

……それには、おれが答えよう

のんびりとした、低い男の声。

ケイの右手側。弓を手にした一人の男が、ちょうど死角になっていた小さな家の陰から、のっそりと姿を現した。

随分と濃い顔立ちをした男だ。顔の下半分を覆う、とび色のあごひげが渋い。実直で真面目そうな顔つきに、がっしりとした体格。茶色のぴったりとした服で身を包み、羽根飾りのついた革の帽子をかぶっていた。

マンデルという。……この村の狩人だ

濃い顔立ちの男―マンデルは、そう言って軽く帽子を持ち上げる。

ケイだ。よろしく

そういえば名乗るのを忘れていた、と思いながら目礼したケイは、弓使いの性か、自然とマンデルの持つ弓に視線が吸い寄せられた。

シンプルな作りのショートボウ。艶やかな仕上げの木製で、持ち手の部分には黒ずんだ布が幾重にも巻かれている。村人たちも何人かは弓を持っているが、他と比べてマンデルのそれは、もっと使い込まれている印象を受ける。おそらく、その弓を日常的に狩りの道具として用いているのだろう。

そして次に目を止めたのは、マンデルの帽子。正確に言えば、その帽子についている羽根飾りだった。マンデルはマンデルで、ケイが装備する革兜、それについた羽根飾りにじっと視線を注いでいる。

…………

一瞬、二人の目線が交差した。

ふっと、どちらともなく笑みを浮かべる。無言のシンパシー。困惑の表情を浮かべる周囲の男たち。

……それで、おれたちが騒いでいた理由だが

何事もなかったかのように真顔に戻り、マンデルは話を続ける。

つい先ほど、突然、凄まじい獣の咆哮が聞こえてな。みな、それに叩き起こされたのさ。……凶暴なモンスターかもしれない

モンスター?

ああ。この季節になると、たまに森や山の方から、人里に下りてくることがある。寝込みを襲われては、たまらんからな。……今夜は、交代で番をすることになるだろう

それで男衆が出張っているわけだ、とマンデルは周囲の村人たちを示して見せた。

ケイ、あんたは、向こうから来たんだろう? ……何か、いなかったか?

うーむ……特に、そういった野獣の類は見かけなかったが

思い返すも、心当たりはなかった。強いていうならば、襲撃者たちがけしかけてきた狩猟狼(ハウンドウルフ)くらいのものだが、雑木林にまでは辿り着いていない。

こんな暗闇じゃ、例えモンスターがいても見えないだろう

間延びした空気で会話するケイとマンデルに、苛立ちの混じった声で、短槍使いの男が口を挟む。

ミカヅキ―馬たちも警戒していなかったから、少なくとも周辺には何もいないはずだ。一応、俺もこいつも、夜目は利く方でな

ぽんぽんと、ミカヅキの首筋を叩いた。

篝火の向こうの暗闇と、自信満々のケイとを見比べて、村人たちが胡散臭そうな顔をする。マンデルはただ、生真面目な顔で そうか と頷いていた。

―お話中のところ、失礼する

ざっざっと砂利を蹴る足音。村の中央から、人の気配がこちらへ向かってくる。

暗がりから姿を現したのは、腰の曲がった白髪の老人と、小太りの中年の男だった。

ようこそ、旅の御方。“タアフ”の村のまとめ役をやっておる、ベネットだ

その息子、ダニーという

白髪の老人・ベネットは顔に小さく笑みを浮かべ、その息子らしい小太りの男・ダニーは尊大な態度で、それぞれ名乗った。

(なるほど。村長と次期村長のお出ましか)

あまり不躾にならないように気をつけながら、二人を観察する。

村長のベネットは、好々爺然とした老人だ。一見すると人が良さそうに見えるが、ハの字に垂れた眉の下、両の瞳がさり気なくケイの全身を観察している。直感的に、『タヌキ親父』という言葉が思い浮かんだ。

対して、その息子のダニーには、特に思うところがない。小太りな、だらしない体形も相まって、良くも悪くも『ただの偉そうな男』というイメージだ。ある意味お互い様とはいえ、ベネットとは対照的に、臆面もなくじろじろと不躾な視線を向けてきている。特にその視線は、腕の中のアイリーンに集中しているように思われた。

(それにしても”タアフ”の村、か……)

ゲーム内では聞いたことのない名前だ。やはりゲームそのものではないか、と思いを巡らせつつも、ケイは口を開く。

馬上より失礼。俺はケイイチ=ノガワ。ケイイチが名(ネーム)、ノガワが姓(サーーネーム)だ。騒がせてしまったようで申し訳ない

顔布を外したケイは、毅然とした態度で名を名乗った。ケイの言葉に、村人たちが小さくざわつく。ベネットは張り付けたような笑顔のまま表情を変えなかったが、ダニーはぴくんと眉を跳ね上げて心なしか顔を強張らせた。

……ノガワ殿。我らが村に、如何様な目的でいらしたので?

丁寧な語調で問いかけるベネットは、愛想笑いを崩さない。

『ケイ』で結構だ。先ほども話したが、連れの体調が優れない

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