ピークは、おそらく十代半ばだろう。その後も人並にはあったのだが、末期症状の進行で生殖器にも影響が出始め、二十を過ぎたあたりから急激に醒めていった。転移直前のケイは、興味はあるがムラムラはせず、毎日が殆ど賢者タイムと言ってもいいような有り様だった。
しかし、この世界で新たな肉体を得て、十日と少しが経過しようとしている。
健全過ぎる肉体は、日に日にその欲求を増しているようにすら感じられた。サティナに滞在していたときは、人知れず自分で処理する方向で何とかしていたが、隊商には基本的にプライバシーがない。これは、非常に厳しい状況だった。
それでも、何とか耐えようとしていた理性は、アレクセイの登場により崩壊しようとしている。アレクセイとアイリーンの間に割って入りたい。自分だけを見ていて欲しい。もっとアイリーンと話していたい。そんな衝動的な欲求に、身を任せたくなる。だがその直後に、こうも思ってしまうのだ。
(俺は本当に、アイリーンが『好き』なんだろうか)
アイリーン、もといアンドレイとは、二年前からの付き合いになる。お互いに廃人で、仮想空間の中とはいえ、多くの時間を楽しく過ごしてきた。
しかし、それはあくまで『友人』としてだ。親密ではあるが、良くも悪くも、それだけの関係。ケイは、アンドレイのことを、ずっと男だと思っていた。
それが、『こちら』に来て、女の子だと分かって―。
だからといって、十日と経たずに、急に『好き』になるのは如何なものか。
(……結局、それは、身体目当てなんじゃないか……)
突き詰めていくと、そういう結論に、辿り着かざるを得ない。
う~ん……
眉間にしわを寄せて、急に難しい顔で考え始めるケイ。
…………
ダグマルとピエールは再び顔を見合わせて、小さく肩をすくめた。
†††
日が、とっぷりと沈むころ。
夕暮れまでに次の村に辿り着けなかった隊商は、街道の路肩に馬車を寄せて、野営の準備を進めていた。
この辺りは木々の密度も薄いし、それほど危険な獣もいない。が、だからこそ人間に関しては分からんからな……
夜番は、気合を入れていこう。皆を三組に分けて、ローテーションで三か所に一人ずつでいいと思うが
ホランドやダグマルなど、主だった者が集まり、今夜の番について話し合っている。横目でそれを見ながら、ハンマーを片手に、ケイは粛々とテントの設営を行っていた。
さて、今日はオレも流石に番をするのかな?
ケイがロープを結ぶ間、反対側から布地を支えながら、心なしかワクワクしたような顔でアイリーンが言う。
昨晩は村の中で野営をしたので、比較的安全だということで、夜の番は少人数で行われた。ケイは運悪くそれに当たってしまった一人だが、アイリーンは朝までたっぷりと睡眠を取れたようだ。しかし、それはそれで、本人としては不満足だったらしい、夜番があるかも、と期待する無邪気な表情は、まるでキャンプに来た子供のようにも見える。
アイリーンは変わらないな、と和んだケイは、穏やかな笑みを浮かべて首肯した。
旦那らの話を聞く限りだと、今晩は増員するみたいだからな。ま、昨日グースカ寝てた分、キツいのを回されるんじゃないか?
ゲエー。そいつは勘弁!
朗らかに笑いながら、テントを張り終える。ぱんぱん、とマントの裾をはたいて立ち上がったケイは、
さて、と……。んじゃあそろそろ飯かな。マリーの婆様は―
ヘイ、アイリーン!!
威勢のいい呼びかけに、ケイの言葉は上書きされた。
やはり来たか……とうんざりした様子で振り返るケイ。その隣で、 オイヨイヨイ…… と一瞬天を仰ぐアイリーン。
то ты будешь делать сегодня вечером?
良い笑顔でテンション高めにやってきたのは、案の定アレクセイだった。
Ничего делать …
Серьезно? В противном случае, в первую очередь мы будем есть вместе―
楽しげなアレクセイに、それに合わせて笑顔のアイリーン。そしてそれを前に憮然とするケイと、三人を遠巻きに見守る隊商の面々と。
―それじゃあまあ、ローテーションはこんなところか
そうだな。盗賊は恐ろしい、用心するに越したことはない……
相変わらず、夜番について話し合うホランドたち。その会話を聞き流しつつ、そっぽを向いて焚き火の炎を眺めていたケイであったが、ゆらゆらと揺れる影を見ているうちに、ちょっとしたアイデアと、ささやかな悪戯心が芽生えた。
…………
にやり、と意地の悪い笑みを浮かべて、アイリーンに向き直る。
『なあ、アイリーン。話し込んでるところを済まないが、ちょっといいか』
うぇっ?
アレクセイに構わず、強引に話に割り込んできたケイに、アイリーンはぱちぱちと目を瞬かせた。
『もちろんいい、けど……』
困惑の表情、
『……でも、なんで精霊語(エスペラント)?』
自分もエスペラント語で返しながら、アイリーンが首を傾げる。前にもこんなやり取りあったな、と苦笑いしつつ、ケイは腕を組んだ。
『うむ。というのも、魔術の話題だから、他人にはあまり聞かれたくなくてな』
『ああ、そういうこと。あっ、そういえばエッダに魔法見せてあげるんだった……』
完全に忘れてたぜ、と言わんばかりに、ペシッと額を叩くアイリーン。視界の端、唐突に始まった異言語の応酬に、目を白黒させているアレクセイが、ケイの瞳には小気味よく映った。
『まあ後でいいや。それで?』
『そうだな、エッダの話にも関連するが、お前の魔術に関してだ』
表情を真面目なものに切り替えて、ケイは話を切り出す。思い付きではあるが、ただのアレクセイに対する意趣返し、というわけでもないのだ。
『なあ、アイリーン。お前のケルスティンで、夜番の代わりというか、警戒用のセンサーみたいな術って使えると思うか?』
『……ふむ』
ケイの問いかけに、指先で唇を撫でながら、しばし考え込むアイリーン。
『……ゲーム内なら NO だったが……この世界だと分からない。できるかも知れない、とは思うな』
『うーむ、やはりそうか。俺も同意見だ』
『何か、こっちに来てから、精霊が賢くなった気がするんだよなー。ケルスティンの思考の柔軟性が上がったというか』
『だな、俺のシーヴも、心なしか素直になった気がする』
うんうん、と二人で頷き合う。
DEMONDAL の魔術は、他ゲーに比べると少々異質だ。日本人にとっては、“魔術”と言うよりもむしろ、“召喚術”と呼んだ方がしっくりくるかも知れない。術を行使する主体がプレイヤーにではなく、契約精霊にあるのがその特徴だ。
ゲーム内においては、まず”精霊”と呼ばれるNPCが存在し、プレイヤーは特定の条件をクリアすることで精霊と契約できるようになる。契約を交わした暁には、魔力や触媒を捧げることで、精霊に力を『行使してもらえる』ようになる、というのが基本的なシステムだ。
ゲーム内では、この仕様はよく、『職人』と『客』の関係に例えられていた。『職人』が”精霊”で、『客』が”プレイヤー”、『客』が支払う『代金』が”魔力”だ。
例えば、ここにお菓子職人がいたとする。客は これこれこういったお菓子が欲しい と注文し、代金を支払う。金が多すぎれば職人はお釣りを返し、注文されたお菓子を客に渡す―これが、 DEMONDAL における魔術の、入力から出力までの一連の流れだ。
ここでお金だけでなく、小麦粉やバターなども一緒に持って行って、 これを上げるから少し安くしてくださいな と交渉するのが、魔術でいうところの”触媒”にあたる。職人は、それが欲しければ受け取って割引するし、いらなければ受け取らず無慈悲に代金を徴収する。代金がマイナスになれば、内臓を売り飛ばされてそのまま死んでしまうが、これが魔力切れによる”枯死”だ。
ちなみに、お菓子職人のところに、板きれを持って行って お金も払うから、これで家を建ててくれ と交渉することもできる。受けるか受けないかはその職人次第、仮に受けたところで代金をボッタくられるかもしれないし、そもそも完成しないかもしれない。完成したところで専門外なので、その品質は保証できない。ただし、似たような分野のことであれば―洋菓子職人に和菓子を頼んでみる、など―案外、なんとかなる、かもしれない。
これらのプロセスを全て精霊語(エスペラント)でこなさなければならないのが、 DEMONDAL の魔術の難しいところだ。精霊は基(・)本(・)的(・)に(・)エスペラント語しか解さず、他に指示の出しようがないため、プレイヤーの語彙と文法力が術の複雑性・柔軟性に直結する。
その上、精霊のAIは意図的にアホの子に設計されていたので、精霊への指示は分かりやすく、かつ簡潔でなければならなかった。これがなかなかの曲者で、出来の悪い翻訳ソフトに上手く訳文を作らせるような、そんなコツと慣れが要求されることも多々あった。
『だけど、今はそんなことはない。なんつーか、うまく意志疎通を図れるというか、明らかにケルスティンの物分かりが良くなった気がする』
そう言うアイリーンに、ケイは重々しく頷いた。
『ああ。だから、警戒アラームみたいな高度な術も、抽象的な指示でこなせるんじゃないかと思ってな……』
仮に、ゲーム内でケイたちが望むような術を構築するならば、敵味方の判別方法や細かい範囲、持続時間など各種パラメータを考える必要性があり、プログラミングのような高度かつ繊細な『呪文』が要求されるはずだ。
だが、精霊がアホの子AIではなく、柔軟な思考が可能になった今ならば―。
『なるほど……幸い、触媒は腐るほどある。試してみる価値はありそうだな』
にやりと笑って、アイリーンは胸元から、水晶の欠片の入った巾着袋を取り出した。
よーし、じゃ、やってみるか!
ああ。ただその前に、とりあえずホランドに相談しておくか……
おう、だな!
二人は意気揚々と、ホランドのところへ向かっていく。
…………
あとには、ポカンとした表情の、アレクセイ一人が残された。
結果として。
ホランドは魔術の使用を快諾し、それに応えたアイリーンは、わずか 顕現 一回分の水晶を代償に術の構築に成功した。
具体的には、隊商の馬車群を中心に半径五十メートルの範囲で、獣や部外者が侵入すればケルスティンが影の文字で教えてくれる、という術だ。明日の朝日が差すまで有効らしいが、奇襲を受けるリスクを大幅に減らせることを考えると、素晴らしいコストパフォーマンスといえた。
とぷんと影に呑まれる水晶や、影絵のようにダンスを披露するケルスティンの姿を見て、エッダは飛んだり跳ねたりの大喜びだった。そんな娘の喜びようもあってか、今後この術式を使う際、消費される触媒代はホランドがもつらしい。水晶のストックに余裕はあるとはいえ、願ってもない申し出だ。
また、この術で夜番の労力が大幅に削減されたので、功労者のアイリーンはローテーションから外され、昨日遅めに番をこなしたケイも今日の夜番は免除となった。
夕食後、興奮気味のアレクセイが凄い勢いでアイリーンに話しかけていたので、何とも鬱陶しかったが、それほど腹は立たなかった。
比較的、穏やかな気持ちのまま、ケイは眠りに落ちていくのだった―
†††
パチッ、パチッと音を立てて、焚き火の小枝が爆ぜる。
~♪
横倒しにした丸太にリラックスした様子で腰かけ、鼻歌を歌いながら、火の中に小枝を投げ込む金髪の青年。
~♪ ~~♪
ぽきぽきと小枝を手折りながら、自身が醸し出す陽気な雰囲気の割に、鼻歌のメロディはどこか物悲しく、哀愁に満ちている。
~~♪
手元に、小枝がなくなった。手持無沙汰になった青年は、傍らに置いた砂時計の残量を確認し、ふっと視線を上げる。
…………
焚き火を挟んで反対側に、腰かける老婆と、褐色の肌の少女。
……お嬢ちゃん
にやり、と野性的な笑みを浮かべた青年―アレクセイは、語りかけた。
そろそろ寝なくっていいのか?
……まだ、眠くないの
褐色肌の少女―エッダは、後ろから自分をかき抱くハイデマリーの手を握りながら、はっきりと返した。
強がっている風、ではない。そのきらきらとした目は、馬車の幌に映し出された影に固定されている。
まるで影絵のように、くるくると踊る、ドレスで着飾った人型の影。
これ、すげえよなぁ。暇つぶしにはぴったりだ