アイリーンに強制したくない、と言いつつも、本心では彼女が自らの手で、帰るという選択肢を捨て去ることを期待しているのだ。

そうすれば―自分が後悔せずに済むから?

自分本位、わがまま、あるいは―これを傲慢と呼ばずして、何と呼ぼう。

しかし、それでも。

アイリーンにそうして欲しいと、ケイは願う。

(もしも―)

瞳を閉じて、考える。

(アイリーンが、帰ることを望んだなら―)

そのとき―そのとき、自分は―

オレさ、

いつの間にか、泣きやんでいたアイリーンが、口を開いた。

正直、帰りたいのかどうかは、今でも分かんないんだ

怯える様に、涙を湛えた瞳が見上げる。ケイは、黙って頷いた。

……四人家族でさ。パパと、ママと、お姉ちゃんと……みんな優しくって。でも、

もぞ、と寒さを堪える様に、アイリーンは身体を丸める。

ケイも、薄々察してると思う、けど。オレ、小さいころ、体操やってたんだ。……けっこう上手くてさ、ジュニアの大会で優勝したこともある。もしかしたら、オリンピックに出れるかも、って……オレ、ずっと頑張ってたんだ。頑張ってたんだ……

明るくなっては、暗く沈む。そんな、不安定な口調。

でも、……事故でさ。足、なくなっちゃった

はは、と乾いた声で、笑う。

嘘みたいだろ。ドラマみたいな……オレも信じられなくって。もう……ダメだ、って。昔、クローン技術で移植、みたいなの、あったじゃん。だから、それに賭けてみようかなって思ってさ。テスターになろうか、とか、色々やってみようとしたけど……宗教的な問題とか、条約とかで禁止されちゃったし。時間だけは経って、身体の感覚はズレちゃうし……それでさ、ある日、『あ、もうムリだな』って。一度思っちゃったら、もうダメでさ。それからずっと、引き籠ってた

ケイの胸に顔をうずめたまま、しかし淡々とした声で。少しの間、アイリーンは黙っていた。

……『かつてないほどのリアリティ』

やがて、ぽつりと。

……この売り文句に飛びついたのって、ケイだけじゃないんだぜ

ふっと、顔を上げた。

痛々しいほどに、儚い微笑みだった。

……でも、ケイに比べたら、オレなんて全然だよ。ずっと、自分の事、悲劇のヒロインか何かだって、思ってた。……でも、『こっち』に来た日に、ケイの話を聞いて、オレ、……オレ、

そんなことはない

アイリーンの言葉にかぶせる様にして、ケイはその身を強く抱きよせた。

……そんなことはない

耳元で、繰り返す。アイリーンは、ケイを抱きしめる力を少し強くしただけで、他には何も言わない。

ケイは、何かを得る前に、全てを失った。

アイリーンは、自らが勝ち取ったものを、打ち砕かれた。

―どちらが苦しいだろう。

純粋に、思う。

究極的には、体験していないのだから、二人の例を比較することはできない。

だが―想像することは、できる。

……つらかったな

ぽつりと、ケイが呟くと、アイリーンは何も言わずに、ぎゅっと抱きついた。

強く。強く―。

…………

それからしばらく、黙っていた。

……だから、オレ、帰るのが怖いんだ

ぽつぽつと、アイリーンはその想いを吐露する。

でも……パパにもママにもお姉ちゃんにも、もう、二度と会えないのも、悲しくて

ふるふると震えていたアイリーンは、恐る恐るといったふうに顔を上げた。

……まだ、迷ってて……全然、決められない、けど……

溢れんばかりの涙を湛えた瞳が、ケイを見つめる。

答えが出るまで、いっしょに居てくれる?

―迷う暇など。

ああ

力強く、頷いた。

一緒に居よう

その囁きは、魂からの叫びだった。

……ありがとう

儚い笑顔は、涙の彩りとともに。

どちらからともなく、唇を重ねた。

ゆったりと―

奥底にまで触れ合うような。

心休まるひと時。

しかし今日は、二人ともが疲れ果てていた。

やがてどちらからともなく、健やかな寝息を立て始める。

夜風が吹きこみ、ランプの灯りをかき消す。

闇の帳に覆われた部屋は、ただ、穏やかさに満ちていた。

31. 大会

明くる日。

一晩ぐっすりと眠り、割と元気の出てきたケイたちは、気分を切り替えてコーンウェル商会を訪ねていた。

やあやあ、お早う二人とも。用事があると聞いたけど?

商館の一室で待たされていると、ほどなくして忙しげにホランドが姿を現した。何でも近日中に、隊商が再びサティナへ発つそうで、その準備の合間を縫って話を聞きに来てくれたらしい。

忙しいところ申し訳ない、実は―

恐縮しつつも、ケイは自分たちの現状―市民権も許可証も持たないが故に、第一城壁が越えられないことを相談した。すると、

……なんてこった。知らなかったのかい? 市民権のこと

しばし、呆けたように目を瞬かせ、ホランドは思わずといった様子で苦笑した。

……うむ。あいにくと、身の回りに知らせてくれる人がいなくてな

渋い顔で腕組みをするケイに、ホランドはさらにその苦笑の色を濃くする。

いやはや、申し訳ない。キミらは『上』からの指示で、特別に護衛として参加したもんだからね。私を含めて、多分隊商の全員が、何らかの伝手を持ってるものと思い込んでたんだろう

ああいや、そのことに文句が言いたかったわけじゃないんだ

控え目に謝るホランドに、自身の発言が皮肉とも取れたことに気付きケイは狼狽した。

―でさでさ、旦那。オレたち、どうしたらいいと思う? 税金とか住居とかは何とかなると思うんだけどさー、市民権取るには市民の推薦状とやらが必要らしいじゃん

空気が気まずくなる前に、すかさず口を挟むアイリーン。

そう……だねぇ。推薦状かぁ

旦那、書いてくれない?

いや、残念ながらそれは出来ない。書類上は、私はサティナの住人だからウルヴァーンの市民権は持ってないのさ

茶目っ気たっぷりにお願いするアイリーンに、ホランドもまたおどけた様子で肩をすくめてみせる。

そっかー、残念。出来ればだけど、他にお願いできそうな人、紹介して貰えたら嬉しいなー、なんて

ふーむ。それよりも、キミらに限っては、……もっといい方法があるかもしれないよ

ニヤリと笑みを浮かべて、ホランドは声をひそめた。

実は近々、ここウルヴァーンで、武闘大会が開かれることになったらしい

……“武闘大会(トーナメント)”?

そう。アクランド公国、ひいては諸国から勇士を募り、その武勇を競い合わせる。見事優勝した者には”公国一”の栄誉を、そうでなくても入賞すれば、賞金とウルヴァーンの名誉市民権が与えられるとか何とか……

ほう……

でも、そうなると、また闘うことになるのか?

感心したように頷くケイの隣、アイリーンは表情を曇らせる。彼女を巡って、ケイがとある脳筋戦士と決闘する羽目になったのは、記憶に新しい。

や、ケイの場合は、射的部門に出場すればいいんじゃないかな。剣や槍、馬上試合とは違って、出場者同士が直接戦うことはない筈だから

アイリーンの懸念を正確に汲み取ったホランドは、安心させるように微笑を浮かべた。

射的部門(シューティング)というからには、弓以外も?

ああ。前回、武闘大会が開かれたのは、十五年も前のことだけど、その時は弓矢に十字弓(クロスボウ)、投石紐(スリング)に至るまで、多種多様な遠距離武器が”射的”で一括りにされていたよ。基本的にやることは一緒、的当てだからね

成る程

尤も、優勝者は弓やクロスボウの使い手ばかりで、スリングは予選を突破することすら難しかったらしいけど

ということは、スリングが不利になるようなルールが?

いや、単純にここら一帯はスリングの使い手が少ないんだよ。だから弓に比べると、全体の水準がどうしても低くなりがちなんだ。貧しい村ではまだ現役と聞くけど、基本的に兵士も狩人も弓を使うからねえ

弓やクロスボウに比べると見栄えも悪いため、わざわざスリングで大会に挑む者は少ない、とホランドは言う。

投石紐(スリング)は遠心力で石や鉛玉などを打ち出す、シンプルな構造の紐状の武器だ。弓に比べると生産が容易で、道端に落ちている石ですら弾として即座に利用できるという強みがある。それでいて射程は下手な弓よりも長く、その威力も決して馬鹿には出来ない。振り回して投擲するという性質上、扱いにはある程度の習熟を要するが、入手が簡単ということもありゲーム内では無法者(アウトロー)御用達の武器であった。

拳大の石を長距離から投擲できるスリングは、投擲物そのものに質量があるため、例え鎧で身を固めていても命中すれば必ずダメージが通る。骨折、内臓破裂、あるいは武具の損壊。弓と違って片手で放てるため、使い手自身が盾を装備できるのも大きな利点だ。

馬上では扱い辛いという欠点もあるものの、集団で運用された場合、それは時として弓以上に猛威を振るう。こと打撃力という一点において、スリングは弓を圧倒するポテンシャルを秘めているのだ。

―尤も、板金鎧はおろか盾すらブチ抜く”竜鱗通し”は、そのさらに上を行く例外中の例外であるが。

(そういえば、PK(プレイヤーキラー)には、よく石投げられてたな……)

目を細めて、ケイは懐かしげにゲーム時代の思い出を反芻する。

投石、とだけ聞くとやはりチャチな印象を受けてしまうが、スリングに習熟したプレイヤーの放つそれはもはや砲弾に等しい。特に”隠密(ステルス)“に長けたプレイヤーの投擲は脅威の一言で、“受動(パッシブ)“をほぼ極めたケイですら、回避が間に合わず馬から叩き落とされたのは一度や二度ではない。

“受動”を不得手とするアンドレイはもっと酷い目にあってたな……、などと考えていたところで、コンコンとドアをノックする音が、ケイを現実に引き戻した。

お茶がはいりましたよ~

トレイの上にマグカップを載せて、部屋に入ってきたのは浅黒い肌をした幼い少女―ホランドの娘、エッダだ。

やあ、エッダ

おおー、元気してたか?

うん! お兄ちゃん、……とお姉ちゃんも、ひさしぶり!

ケイの方を向いて、無邪気に笑うエッダ。久しぶり、とはいうものの、最後に顔を合わせてからまだ三日と経っていない。しかしこの数日で、アイリーンとの距離感が決定的に変わり、また役所を訪ね回ったことで様々な経験も積んだ。数日といえども濃密な時間―隊商で過ごした一週間が、随分と昔のように感じられるケイであった。

カップをテーブルの上に置いたエッダは、何を思ったのか、そのままケイの腕の中に潜り込んでくる。当然のように膝の上に収まるエッダに、ホランドが お話の邪魔にならないよう、部屋を出なさい と、何やら小言めいたことを言い始めたが、ケイは穏やかにそれを宥めた。

所詮は子供のすることだし、何よりも彼女は顔見知りだ。お茶汲みが終わったからといって、出ていけというのも酷な話ではないか。

ケイとしてもエッダは嫌いではないし、アイリーンも子供好きだから問題はない筈―そう思って隣を見ると、アイリーンは、大人の余裕とでもいうべき美しい微笑を浮かべていた。対するエッダは少し頬を膨らませて、そんなアイリーンを見返している。

はて、これはどうしたことか、と。そこに、正体不明の危機感を見出したケイであったが、それについて深く考える前に、 それじゃあ とホランドが口を開いた。

何はともあれ、ケイが大会に出るならまず入賞は堅いだろう。というわけでこの件に関しては、支部長に私から話を通しておくよ。参加資格として、ウルヴァーン市民一人の推薦が必要になるからな

また推薦、か

ケイの口の端が皮肉に吊り上がる。ここまで徹底していると、もう笑うしかない。

まあ街としても、大会にかこつけて、ならず者が流入してきたらたまらないからね。支部長も”大熊(グランドゥルス)“を仕留めたキミに直接会ってみたいと言っていたし、ここらでひとつ有力者とのつながりを持っておくのも、悪くないんじゃないかな?

いや、素晴らしい提案だ。何から何まですまない、ありがとう

どういたしまして。まあ私は、あと三日もすればウルヴァーンを出る……だから明日明後日までには、日程を調整しておくよ

この程度のことはなんでもない、と愛想のいい笑顔を浮かべて、カップを手に取ったホランドは一口茶をすすった。

……お兄ちゃん、何かの大会に出るの?

ああ。武闘大会に、射的部門でな

目を輝かせるエッダに、軽く頷いてみせる。決闘とは違ってただの的当て競技大会なので、ケイとしても気楽なものだ。

へぇ、すごいすごい! いつ出るの?

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