膝の上でキャッキャとはしゃぐエッダ、問われたケイは答えに窮し、助けを求めるようにホランドを見やった。
えーと、旦那。詳しい日程とかは?
とりあえず、数日中に大会の開催が公布される、って話だったね。それから出場者がウルヴァーンに集う時間も鑑みて……まあ一ヶ月後といったところかな
一ヶ月か……
ケイとアイリーンは顔を見合わせる。
((長いな……))
想像以上に、期間が開く。尤も、大会が公布されたあとに、各地から有志たちがウルヴァーンに集う手間を考えれば、このぐらいが妥当な時間かもしれない。
(どうやって過ごしたものかな……)
ケイは考える。この世界に来てから二週間と数日。二十余年の歳月に比べれば、ごくごく短い期間ではあるが、今までの人生を振り返っても指折りに密度の濃い日々であった。
だが、『ウルヴァーンに辿り着く』という第一目標を達成してしまった今、一ヶ月もの余暇をポンと渡されて―だだっ広い草原の真ん中に放り出されたかのように、呆然としてしまった感がある。隣のアイリーンのぼんやりとした表情を見るに、おそらく彼女も同じような気持ちなのだろう。
―ところで、ケイたちは図書館にどんな用事があるんだい? 今まで、公国一の図書館を見てみたい、と願望を言う人はたくさん見てきたけれども、そのために実際に市民権を取ろうとする人までは、流石にいなかったよ
何の気なしに、ごく自然な態度で、ホランドはケイたちに話を振る。しかしそれは言外に、そこまでして図書館で何を調べたいのか、と尋ねているかのようであった。
ちら、と隣に目をやると、 別にいいんじゃね? と言わんばかりに、小さく肩をすくめるアイリーン。
短い付き合いだが、共に旅したことで、ホランドが人を陥れるような性格ではないことは分かっている。性格の善し悪しと、そこから生じ得る悪影響の有無は別問題だが、―ここは話しておくべきだろうな、とケイはおもむろに口を開いた。
……実は、俺たちは二人とも、遠い場所からやってきた異邦人なんだ
ゲームや異世界といった概念はぼかしつつ、順を追って説明する。白い霧に入り、そこで記憶が途絶え、気が付けば『こちら』の草原にいた―。
―というわけで、俺たちの身に何が起きたのか。ここは、俺たちの故郷からどれだけ離れているのか。あるいは、帰る方法はあるのか。それらの手がかりを、図書館で探したいと思う
よくよく考えれば、タアフ村でもこのことは既に話しているのだ。言ってしまえば何のことはない、などと思いつつ、テーブルの上のマグカップを手に取る。鼻腔をくすぐる、まろやかな香り―おや、これはカモミールかな、と当たりをつけた。以前、何かの機会にVRショップで飲んだことがある。
うーむ……それはなかなか、突飛な話ではある
髭を撫でながら、何かを考えるように開けっ放しの窓を見やるホランド。しばらくそのまま考え込んでいたが、やがて諦めたような顔でケイたちに向き直った。
……しかしまぁ、キミたちなら、あり得るかも知れないな
ここは、 DEMONDAL に限りなく似た世界。魔術も、奇跡も、超常現象も、その存在が客観的事実として認識されている。転移についても、話としては突飛だが、決して有り得ないとは言い切れない。
ひとまず、ホランドはケイの言うことを信用すると決めたようだ。
白い霧の異邦人(エトランジェ)、か……。図書館には、伝承や魔術、呪術について専門に取り扱う部署もあると聞く。何か手掛かりが見つかるといいね
……ねえねえ、お兄ちゃん
そのとき、エッダがくいくいと、ケイの袖を引っ張った。
わたし、知ってるよ。その”霧の異邦人”のお話
腕の中から自分を見上げる少女に、ケイは意外な思いで視線を落とす。
本当か?
うん。北の大地の東に、いつも霧が立ち込めてる深い森があって、その森から出てくる『人』は、どこか遠い場所から、霧の中に紛れこんでしまった人なんだって……
初めて聞いたな。マリーの婆様に教えて貰ったのかい?
ううん
興味深げなホランドの問いかけに、エッダはふるふると首を振る。そして、その可憐な唇から飛び出したのは、
アレクセイのお兄ちゃんに教えて貰ったの
衝撃的な事実に、ケイとアイリーンの動きが止まった。
……アレクセイ?
うん。北の大地ってどんなトコなのか聞いたら、その時に……
マジかよ……
頭を抱えたのはアイリーンだ。隊商護衛の間、情報収集のためにアレクセイから色々と話を聞いていたが、先祖や家族の自慢話、自身の辺境での武勇伝など、心底どうでもいいようなものばかりだった。
(肝心なことが聞き出せてないじゃん!!)
よもや、ここまで身近なところに、重要な手掛かりが転がっていようとは―どうせなら自分たちの境遇について詳しく説明しておけばよかった、と後悔するも、時既に遅し。
価値観がズレまくりで面白くもない長話に、延々と付き合っていた自分は何だったのかと、アイリーンは全身から力が抜けていくのを感じた。
他に何か聞いてないか!?
ズルズルと椅子からずり落ちていくアイリーンをよそに、勢い込んで尋ねるケイ。その食いつきっぷりにまんざらでもない様子で、エッダは得々と、アレクセイから聞いた話を語り始めた。
北の大地の東に広がる、悪魔の森―またの名を”賢者の隠れ家”。
十歩踏み込めば気が狂う、とまで言われる、霧に覆われた不気味な世界。
そこに巣食う得体の知れない化け物と、アレクセイの祖父の体験談。
そして、かつて霧の中から現れたという、異邦人の伝承。
ケイとアイリーンの興味を引くには、充分すぎる話だった。
その、異邦人って部分を詳しく頼む
うーん……ごめんね、そこのところは、あんまり聞いてないの
ケイに詳細を求められると、打って変わって元気を失くすエッダ。やはりダメか、と思わず失望が顔に出るケイに、 ごめんね…… と目に見えて落ち込んでしまう。
いや、気にしないでくれ、重要な手掛かりであることには違いないんだ
うーんとね、んーとね……あ、ひとつだけ、その異邦人から伝わるお歌は聴かせて貰ったよ!
どんな?
名前は……なんだったっけ。おばあちゃんは憶えてるかもしれないけど。えっとね、でもメロディは憶えてるの
目を閉じて、静かにメロディラインを口ずさみ始めるエッダ。
正直なところ、大して期待はしていなかったのだが―その、哀愁漂う物悲しい旋律を聴いて、ケイとアイリーンは全身が鳥肌立つのを感じた。
“Greensleeves”……!
二人の口から零れた名に、エッダが目を見開く。
そうそう、その名前! 二人とも知ってるの!?
興奮気味のエッダだが、ケイたちは声もなく、愕然と、顔を見合わせるのみ。
“Greensleeves”―地球では、世界的に有名な曲だ。
ケイもよく知っている。まだ小学校に通っていた頃、放課後に鳴っていた下校の音楽だった。そして、VR世界で英語を学び始めてから、イギリス人の友達に歌詞を教えて貰った曲でもある。忘れるはずがない。
ケイ……
蒼褪めた顔で、アイリーンがこちらを見る。ケイも、信じられない気分だった。今しがたのアレクセイ云々が吹き飛ぶほどの衝撃。いくら英語やロシア語が普通に使われている世界だからといって、全く同じ旋律の曲が偶然作曲されるわけがない。
そう、これは明らかな痕跡。
地球出身の誰かが残した、足跡だ。
期待が、確信に変わる。北の大地には―“霧の森”には、何かがある。
その様子だと、……故郷の歌か何かかね?
尋常ならざる様子のケイたちに、興味深げな目を向けるホランド。半ば、心ここに在らずで、ケイは曖昧に頷いた。
俺たちの故郷では、広く知られている歌だ……
そうか……
マグカップを傾けながら、ホランドが想像するのは、ケイたちの故郷だ。草原の民―に見えなくもないケイと、明らかに雪原の民の系譜と分かるアイリーン。異民族、異人種である彼ら彼女らが、普通に交流し合い同じ文化が共有される、その『故郷』とは如何なる場所であろうか―と。
……どうしよう。今すぐアレクセイのヤツを追いかけたくなってきた
うーむ、そうだな
渋い顔のアイリーンに、ケイも腕組みをして考える。
奴と離れてから三日か……馬ならすぐに追いつけるんじゃないか
アイツ徒歩だしな。大会まではどの道1ヶ月あるんだろ? なら―
いや、ちょっと待ってほしい
アレクセイを追跡する方向で話がまとまりかけたところで、ホランドが止めた。
正直に言わせて貰うと、今から追いかけるのは現実的じゃない
ん? でも、オレたちの馬、足はなかなか速いぜ?
それでも、三日のロスは痛い。ウルヴァーンから北の大地へは、大小合わせて五本も道があるんだ。……彼がどの方向に去って行ったか、キミらは知ってるかい?
……アイリーン、アイツの故郷って何処だ?
ケイが問いかけると、アイリーンは斜め上へと目を泳がせた。
ひ、ひがしのほう……
…………
ダメだこりゃ、とケイとホランドの視線が交錯する。
一口に東といっても、北東か南東かで随分変わる。……北の大地は広いからね
……冷静に考えれば、奴が真っ直ぐに故郷に帰った確証もないしな。エッダは他に何か聞いてないか?
ん~。聞いてない
そうか……
こんなことなら、もっと詳しく聞いときゃよかった……
頭を抱えて、机に突っ伏するアイリーン。しかし、ここでケイは閃いた。
いや待て、諦めるにはまだ早い。魔術で 追跡 すれば……!
おお、なるほど、キミらにはその手があったか!
喜色を浮かべるケイ、ぱんと膝を打つホランド。が、ギギギギと音がしそうなほどゆっくりと顔を上げたアイリーンは、半眼でケイを見やる。
ケイ。アレクセイの所持品、何かひとつでも持ってるか?
…………
決闘の後、報酬としてアレクセイから全財産を渡されそうになったが―それを断ったのは他でもない、ケイだ。その結果、 追跡 の魔術の触媒になる、アレクセイに所縁のある品は、武具はおろか銅貨一枚、髪の毛一本すら持っていない。
持っていない。
こんなことなら、何か受け取っておけばよかった……!!
今度は、ケイが頭を抱える番であった。
†††
結局、現実的ではないという理由で、アレクセイの追跡は取りやめとなった。
ホランド曰く、明日から夏至の祭りが始まるそうで、今のウルヴァーン周辺は人の出入りが非常に激しくなっているらしい。そしてそれが人探しの難易度をさらに上げているとのことだった。
ケイたちとしても、あれほど潔い別れ方をした以上、これからアレクセイを追いかけて再会するのは、いかにも間が抜けているし気まずい。また、わざわざアレクセイに拘らずとも、他に雪原の民を探して話を聞くという手があるのも大きかった。
膝の上のエッダと戯れつつ、ケイはホランドと支部長との面談についての話を詰め、ついでに決闘で折れた剣の代わりと、携行できるタイプの時計を探している旨を伝えた。
―懐中時計が欲しい? 全くブルジョワだねキミたちは
私も砂時計で我慢してるのに、とホランドは呆れたように笑っていたが、ケイたちに支払い能力があるのは確かなので、手配することを約束してくれた。今回の時計は少しだけ値引きして貰う代わりに、未だ買い取り先が確定していない”大熊”の毛皮の売値から天引きではなく、ケイが現金で払うことになっている。金貨一枚程度であれば、払えないことはないだろう。
最後に、商会系列の腕の良い鍛冶屋を教えて貰ってから、ケイたちは”HangedBug”亭へと戻っていった。
いやー、思わぬ展開になったなぁケイ
一階の酒場。アイリーンは少々疲れた様子で、だらしなくテーブルに肘をついた。
時刻は、午前11時を回ったところか。商会を訪ねたのが8時過ぎだったので、少なくとも二時間はホランドと話をしていたことになる。
忙しいところ邪魔して済まなかったな―と思うケイであったが、長剣や高価な時計の手配など、自分自身が下手な客より金払いが良いことを思い出したので、それ以上は気にしないことにした。
ああ。まさかあのアレクセイが―雪原の民が、鍵を握っているとは思わなかった。いずれにせよ、大きな収穫だ