『こちら』においては、ケイの容姿は限りなく草原の民のそれに近い。ケイからすれば、自身の日本人風な顔立ちと、草原の民の大陸系の濃い目鼻立ちは全く異なるものなのだが、雪原の民や平原の民にその見分けはつかないだろう。
ひょっこりと街に入ってきたケイに、住民たちが何を思ったか―想像に難くない。
そうしてみるとあの門番たちも、あくまで彼らの職務に忠実だっただけかもしれない。街からそう遠くない場所で草原の民が暴れている中、草原の民の格好をした男が街に入ろうとすれば誰だって止める。ケイも立場が立場なら止めていたかも知れない。
……どのくらいの規模の賊なんだ? その馬賊とやらは
十人やそこらじゃないのは確かみたいだ。話によると百人単位だとか
百人、とその数を口の中で反芻しながら、ケイは胸元から地図を取り出しばさりと打ち広げた。羊皮紙の上、公国と北の大地を隔てる、険しい山脈をそっと指でなぞる。
……話半分に聞いたとしても五十人か。そんな大人数でどうやって北の大地まで……。まさか堂々とディランニレンを通ったってワケじゃないだろうが、海から山脈を迂回したのか、それともグループに分かれて山を越えたのか
ディランニレンは通ってないっぽいな。いきなり街道周辺に出没して暴れ始めたらしいし……“大森林”を横断してきた、ってのが専らな噂だ
地図を覗き込んだアイリーンの、白魚のような指先がくるくると西部の山岳地帯を指し示す。
地図には描かれてないけど、ここらへんの山は標高がかなり低くて、歩いて越えられるんだとさ。ちょうどディランニレンみたいな感じで
しかし、この森はたしか 深部(アビス) だろう?
深部 ―森林地帯の中でも、特に”森大蜥蜴(グリーンサラマンデル)“や”大熊(グランドゥルス)“など化け物が闊歩する領域のことだ。 DEMONDAL のゲーム内では、入念な準備と優れた装備抜きでは、上級プレイヤーでさえ生きて帰れないような魔境であった。
少なくとも、紋章による身体強化の恩恵に与(あずか)れないこの世界の住人が、おいそれと踏み込める場所ではない。ましてや、それが大人数ともなれば。
あるいは、強力な魔術師の庇護下にでもあれば話は別かもしれないが、草原の民は魔術的な技能に乏しい。精霊信仰(シャーマニズム)の文化はあるが、精霊と対話し使役する術を持たないのだ。
まあ、だからあくまで”噂”だな。実際に森を踏破してきたのかは分からない
そう言って、アイリーンは小さくお手上げのポーズを取った。
―でも、他にルートがないのも確かなんだよな。海から上陸しようにも、沿岸部では目撃されてないらしいし、東の山越えするルート周辺でも馬賊の被害は出てないそうだ。本当にぽっと湧いて出たみたいに、いきなり街道周辺が被害にあってるんだって
う~む……謎だな
地べたに広げた地図に目を落とし、顎を撫でるケイ。
北の大地は広い。街道より西、と一口にいっても、ケイたちが旅してきたよりも遥かに広大な土地が広がっているのだ。そこには森があり、川が流れ、丘陵が続き、荒地が乾いた土を晒している。さぞかし暴れ甲斐があるのだろう、とケイは皮肉な気持ちで笑った。
だいたい孤立無援で補給はどうしてるんだ。一ヶ月前からなんだろ?
集落を焼き討ちしたときにでも、物資とか奪ってるんじゃねーの? 西部には湖も川もあるし
……血気盛んな雪原の民が、よく野放しにしてるもんだ
いや、当然、周辺の街と集落が、山ほど戦士を送り出したらしいぜ。でも規模の大きな討伐隊とは絶対に鉢合わせしないんだってさ。包囲して炙り出そうとしても、事前に察知して逃げるらしいし―逆に規模が小さかったり、合流前だったりする隊が奇襲されて大損害を受ける始末なんだと
……大した奴らだ
口の端を歪めるケイであったが、その表情は依然として固い。
孤立無援、多勢に無勢、地の利がない状況で一ヶ月間も追撃をかわし暴れ続けているとは、尋常なことではない。よくやるもんだ、と感心する一方で、なんと迷惑なことをしてくれるのだ、という憤りにも似た想いがある。
馬賊の勇猛さを称えるべきか、討伐隊の不甲斐なさを嘆くべきか―そう考えたところでケイは、ふと雪原の民の戦士・アレクセイのことを思い出した。
忘れもしない、サティナからウルヴァーンへの旅路。アイリーンとの距離感が変わり、隊商護衛の経験を積み、初めて現実(リアル)での決闘を吹っかけられた珍道中。
―ディランニレンを訪ね、ひとつ分かったことがある。
それは、たとえ北の大地であったとしても、アレクセイのような優れた戦士がありふれているわけではないということだ。大都市なだけに母数が大きく、精悍な戦士もちらほら見かけられたが、アレクセイほどの覇気を漂わせる者はそれほど多くなかった。
裏を返せば、一定数、居ることには居る。しかし、あの猪突猛進な青年が強烈に印象に残っていただけに、北の大地といえば 石を投げれば化け物じみた戦士に当たる そんな土地をイメージしていたのだが―
―あんまりにも要領がいいから、実は内通者がいて情報が漏れてるんじゃないか、と雪原の民同士でも疑心暗鬼になってるっぽいぜ
したり顔で説明するアイリーンに、我に返る。
……どうした? ケイ
……いや、
透き通るような両の瞳が、じっとケイを見つめていた。空よりも涼やかな青色を見つめ返す、すっと胸の内が穏やかになるような、そんな感覚があった。不思議そうに小首を傾げるアイリーンに、頭を振ったケイは、
雪原の民のことを考えていた。この状況で内輪揉めとは、相手の思う壺だな
だなー。街の住民も、なかなか成果を出せない討伐隊にイラついてる感じだった。特にここんところ、部族間での連携もガタガタになってるみたいだからな
成る程……
短時間ではあったが、アイリーンは必要な情報を全て集めてきたようだ。さすが母国語は自由度が違う、などと感心しながら、ケイは腕組みして考え込む。
大体の事情は把握できた。ではこれからどうするか、という話になるのだが。
……うーん
アイリーンもケイの真似をして腕を組み、唸り声を上げた。
……これ、どうするよケイ
ヴァルグレン=プランが使えなくなったな
ウルヴァーンの知識人、元(・)“銀髪キノコヘア”ことヴァルグレン=クレムラート氏のアドバイスに基づいて、ケイたちは大まかな旅のルートを決めていた。
再び地図に目を落とす。紙面の真ん中、南北に伸びるブラーチヤ街道。
当初の予定では身の安全を最優先とし、治安の悪い地域には近寄らず、極力二人旅は避ける方針であった。まずは、何とか隊商を見つけ出し、同行してブラーチヤ街道を北上。ディランニレンに匹敵する巨大都市”ベルヤンスク”を目指す。次に馬の足を活かして二人で東進、平野部を一気に駆け抜け辺境の都市”ナフェア”へ。そこからは最終的な目的地である”魔の森”―に最も近い集落、“シャリト”へ向かうつもりだったのだが。
“ブラーチヤ街道周辺は安全”―まず、その前提が崩れた
キノコ親父め……全然話が違うじゃねえか
馬賊が出たのは最近なんだろう? あの御仁を責めるのは気の毒だ、彼は魔法使いだが預言者ではない……それに今はキノコ親父でもないな
あのまんまウルヴァーン飛び出してきたけど、カツラどうしたんだろうな
さあ……
結局、シーヴに吹き飛ばされたカツラは見つかっていないそうだ。予備があればいいのだが、それがなければありのままの姿での生活を強いられることになる。
望遠鏡もブッ壊れちまったし……
正直ウルヴァーンに戻るのが怖いな。弁償させられたらどうしようか
カツラはともかくとして、あの望遠鏡は高そうだよなー……
そんな時間をおいて請求されるとは思わない……思いたくないが……
二人で顔を見合わせ、どちらからともなく溜息をついた。
ま、そんなことは、
今はどーでもいっか
若干、現実逃避の方向に思考が流れていたのを修正する。
どうする? 今回は取りやめて引き返すか?
そーだなぁ
慎重論のケイに、アイリーンは溜息をついて空を見上げた。
遠い目だ。考え事をしているというよりも、昼間の見えない星を数えようとしているかのような、ぼんやりとした表情。
……ケイはさ、今引き返したら、どうなると思う?
どうなる、とは?
あと二週間もすれば秋になる。ほとぼりが冷めるのを待ってたら、あっという間に冬になっちまう。そうしたら来年の春まで、旅を延期しなきゃならない
切り株の上で体操座りをして、両膝を抱えるアイリーン。真摯な瞳がケイを真正面から見据えた。
オレは、出直したところで、必ずしも状況が良くなるとは限らないと思うんだ
……ふむ
馬賊は、今は西側の地域で暴れてるだけだ。ここらでも『草原の民』の悪名は轟いてるけど……逆に言えばそれだけだ。ここより東には、まだそれほど話が広がってないはず
話しているうちに、徐々にアイリーンの声が熱を帯びていく。
だから、今のうちに東へ向かえば、謂れのない差別やら迫害やらを避けられると思う。逆に時間が経てば経つほど、東側にも馬賊の話は伝わっていくだろう……来年出直したらケイにとって、……その、さらに状況が悪化してた……なんてこともあり得るかも
……成る程
だから……行くなら、今のうちじゃないか、って……
つっ、とアイリーンが目を逸らした。
今のうちじゃないかって……、思うんだ
アイリーンにしては珍しく、歯切れの悪い調子だったが。
一理ある、な
ケイは真顔で頷いた。
街道周辺の治安悪化、あるいはケイ自身が敵と誤認されるトラブル。リスク回避のために、ケイは一時的に様子を見るべきだと考えていたが、アイリーンの主張も尤もだ。時間の経過とともに状況が改善される保証など、何処にもない。
そして何より―少しでも早く”魔の森”に行きたい、行ってこの転移現象の原因を探りたい、というアイリーンの強い意志を感じる。勿論、多少のリスクは承知の上で。
(アイリーンは、帰りたいんだろうか)
―分からない。だが、少なくとも帰れるかどうかを知りたがってるのは確かだ。
ケイは原因の究明を急いでいないし、特に急ぐ必要もない。
しかし、アイリーンは違う―まるで抱え込んだ何かが風化してしまうのを恐れるかのように、傍目にも焦燥感が彼女の中でくすぶっているのが見える。今、このときを逃してしまうと、二度と再びチャンスがないのではないかというような危機感も。
(ならば、俺がどうこう言う筋合いはない)
言うことなど―できない。
よし、
地図を手に取り、ケイは微笑んだ。
ルートを考え直そう。あんまり危なくないヤツを
……うん
それに応えるようにして、アイリーンもまた、微笑を浮かべて頷いた。
今にも消えてしまいそうな、儚い笑みを。
†††
地図を挟んで協議すること数十分、ケイたちは次のルートを策定した。
現時点で、ケイたちが取れる選択肢は三つ。
一つはこのまま公国内を東に進み、“オゼロ”という辺境の都市を経由して、山越えするルート。紙面上の距離は最短だが、険しい山々を越えなければならず、また登山用の装備もないため今回は断念する。
もう一つは、ディランニレンを通過した後に、街道を外れ広大な平野を北東に横断するルートだ。言葉にするとシンプルだが、平野部とはいえ道なき道をひたすら進まなければならない。また、水源の少ない痩せた土地であるためかほとんど集落が存在せず、途中で物資を補給することが困難であった。ケイたちの水や食料はまだ何とかなるが、サスケとスズカの飲み水が確保できないのは致命的だ。
よってこのルートもボツ。残された最後の一つを取ることになる。
ブラーチヤ街道よりも小規模な、“エゴール”街道。山脈に沿って東に進み、南へ流れる川に突き当たってから一気に北上するルートだ。大回りである代わりに森や木立が多く、街道沿いに小さな村や集落がいくつもあるため、物資の補給が比較的容易と考えられた。
ヴァルグレン氏の情報によると、“あまり治安のよろしくない”地域らしいが―多少のリスクは仕方がない。馬賊に襲われるのに比べればマシ、と考えるほかないだろう。
ディランニレンで食料を少しばかり補給し、一路東へと向かう。
ケイとアイリーン、馬上の気楽な二人旅だ。