軍式魔術。統制し、訓練された軍のみが使いうるそれは、通常個人に使用されるような規模のものではない。敵軍はOlたちを、背後の城壁ごと跡形もなく消し去るつもりだとOlは悟った。
Olは、逃げてね
ユニスが剣を鞘に納め、ぐっと身を屈める。
しゃあねえな
はあ、とため息をつきながらローガンがその横に並んだ。
Olを逃がす為に、敵軍に突っ込むつもりだ。接敵すれば大魔術は使えない。さすがに味方を巻き込んでまで攻撃はしないだろう。
待て
Olは思わず、ユニスの肩をつかんだ。ユニスが振り向き、心底不思議そうな表情を浮かべる。Ol自身、何故彼女を止めたのか理解できなかった。
なんだ、ありゃあ
ローガンが呟き、空を見上げる。最初、Olはそれを雨だと思った。弧を描いて飛んでくる、光の雨。それは地面に振り落ちると共に、凄まじい爆音を轟かせた。
雨が降ってきたのはOl達の上にではない。王軍の上にだ。
降り注いだ光の雨に、王軍は大混乱に陥った。500名の魔術師といえど、軍全体を間断なく守れている訳ではない。穴はそこら中にある。雨は、まるで狙い済ましたかのようにその穴に向かって降り注いだ。兵士に降り注いだ光はその身体を貫き血飛沫を辺りに散らし、地面に落ちた光は石畳を砕いて周囲の兵達に石礫を飛ばした。
エレンか!
Olはようやく、まるでではなく、その雨が王軍の隙を狙い済ましている事に気付いた。
あっ、ミオもいるよ! おーい!
ユニスが嬉しそうに空の彼方へと両手を振る。Olには点ほどにしか見えないが、光の雨は空を舞うニ頭の飛竜から降り注いでいた。つい最近、迷宮に迷い込んできた番いの飛竜(ワイヴァーン)だ。ミオが操り、その背からエレン達が魔力で作った矢を放っているのだろう。
5人揃ったその速射はまさに雨の如し。もはや、大魔術どころの騒ぎではない。王軍は完全に混乱に陥っていた。軍の一部からエレン達に向けて矢や魔術が飛ぶが、高高度を舞う飛竜には全く届かない。一騎当千。エレン達のその言葉は嘘ではなかった。僅かに5人で、戦況を覆したのだ。
助かった、みたいだね
ユニスがほっと息を吐き、ぺたんと腰を下ろす。王軍はエレン達の攻撃から身を守るのに必死で、Ol達を攻撃する余力は全く残っていなかった。
ああ
Olはぼんやりと自分の右手を見た。あの時、何故自分はユニスを止めようとしたのか?
エレン達に気付いたから、ではない。救援の登場でうやむやにはなったが、ユニスを止めた時、Olはそれに気付いていなかった。
戦況を考えれば、ユニスのとった策が最上だ。彼女とローガンが時間を稼いでいるうちに、何とか城を脱出する。とにかく結界から離れさえすれば、転移で逃げられる。そして改めて戦力を整え、攻め入ればいい。ユニスを失うのは手痛いが、自身を失うのには比べるまでも無い。
そんな最上の手を止めた原因はハッキリしている。くだらない、つまらない情だ。手駒に感情移入し、失いたくないと思う。そんな感情がまだ自分の中に残っている事に、Olは歯噛みした。そんな甘さは枷にこそなれ、役に立つことなど無い。捨て去らなければならない。Olは、邪悪なる魔術師なのだから。
Olはぐっと手を握りこんだ。
Olさ
そんな彼の様子に気付いているのかいないのか、ぽつりとユニスが呟くように言った。
リルのこと、怒らないであげてね
彼女に視線を向けると、ユニスは軍の方に目を向けたまま続けた。
迷宮に戻ってきたリル、凄く必死だった。あたしに
ううん。迷宮の皆に、Olを助けてって。ミオなんて、迷宮の外に出しちゃ駄目って
言われてたのにね
ミオは一応仲間として扱っているが、立場は飽くまで生贄の少女だ。迷宮内を歩ける範囲も限られているし、作戦会議にも出ることは無い。もっとも、本人は自分の部屋より家畜小屋にいる事の方が多いくらいだから、あまり気にしていないようだが。
ローガンだってそうだ。万一の為に備えて、Olはユニスかローガンのどちらかは迷宮に待機させるよう命じていた。ローガンに命令できるのはOlの他にはリルだけだから、リルが彼にOlの救出を依頼したのは間違いない。
そもそも、リルがOlを助けようとする事自体、契約には無い。強制の呪いは、特定の何かを禁じる事は容易いが、何かをさせる事は殆ど出来ない。やるとすれば、具体的で単一の行動でなければならない。命令に逆らうなという契約は出来ても、常に俺を守れは契約として成り立たない。
傍にいるだけで守ってるつもりだったという解釈も出来るからだ。
にも拘らず、リルは全力でOlを救おうとした。
何故だ。何故リルは俺を救おうとする?奴に得になることなど、無いはずだ
むしろ、Olが死ねばさっさと魔界に戻ることが出来る。その身にOlの魔力をたっぷり蓄えて。普通の悪魔なら間違いなく見捨てるはずだ。
そんなの、好きだからに決まってるでしょ
知らず漏れたOlの自問に、ユニスはあっさりと答えた。
そうだよ。あたしもOl好きだもん、わかるよ
悪魔が人を好きになるなんて事があるのか?
まあ、普通はねえな
ユニスにかわり、ローガンが答える。
マリーの事は?
マリーちゃんマジ天使!
ユニスの言葉に、ローガンは右目をバチンとウィンクし、ぐっと親指を突き出した。山羊の様な顔でやられてもひたすらに気持ち悪い。
ってのもな。正直お前らの感性で言えば、彫像だとか絵画が綺麗って誉めてるようなもんだぜ。しかも超美味い飴で出来た彫像だ。あんな人間滅多にいないから多少得にならんことでも請け負ってやるがこの前の下らんゲームみたいにな。だが、自分の身と引き換えにするかって言ったら、そりゃ絶対にNoだぜ。まあこっちの身体なんて幾らでも作れるから、これが殺されるくらいは全然かまわねえけどな
ローガンは真顔に戻り、そう答える。
彼の価値観は悪魔の中では一般的だ。むしろかなり人間よりですらある。その彼でさえ、悪魔が人間に恋することなど絶対にない、と言い切ったのだ。
っていうか本人に聞いたらいいんじゃないかな
押し黙るOlを、判断に悩んでいると取ったのかユニスはそう言った。率直な彼女らしい意見だ。彼女の視線を追って空を見上げると、王軍の相手が一息ついたのか飛竜が一頭こちらに降りてくるところだった。
ごめんなさい!
飛竜の背から降りるなり、ミオは涙目で頭を下げた。
ごめんなさい、ごめんなさい!
勝手に迷宮内を出た事についてなら良い。不問に処す
違うんです、と首を振る彼女の背から、エレンとリルも気まずそうな表情で姿を現す。
リルか。今回は俺が油断した。お前にも特に処罰は
言いかけるOlに、リルも首を横に振る。
その、それは嬉しいんだけど、そうじゃなくてねえっと、その、ごめん。私もまさか、あんなことになるなんて思わなかったんだけど
何かあったのか? 要点をはっきり言え
うむ。スピナを止められなかった。まあ、私とリル殿に限って言えば止める気も無かったのだがな
リルに変わってエレンが簡潔に述べる。が、その意味を測りかねたOlに彼女は地平線を指差した。その指先を辿ってみると、王軍の背後、はるか彼方に緑色の何かがわだかまっていた。ほんの指先ほどの大きさだが、この距離からでも見えるという事は実際はとんでもなく巨大なはずだ。
なんだ、アレは
スピナが作ったスライム
申しわけなさそうに、リルが言った。
第11話魔王を始めましょう-6
そのスライムの能力は至極簡潔なものだ。一般的なスライムと比べて、たった二つの能力しか付与されていない。
・あらゆる魔力を食べ、大きくなる
・大きくなっても分裂しない
本来ならさほど問題にもならないその特徴は、キャスが仕掛けた罠のせいで手におえないほどの凶悪さを備えるに至っていた。
Olの迷宮に流れる魔力を奪う為に、龍脈にあけた穴。人工的な龍穴とでも呼ぼうか。そこから吹き出る魔力を吸い上げ、スライムは瞬く間に巨大化した。
あの門は何だ?
飛竜の背に乗り王軍とスライムを見下ろしながら、Olは尋ねた。スライムは縦に長く伸び、半分ほどが光り輝く門の様なものに埋まっている。
ああ、あれ、あたしが開けたの。罠のとこから、Olのところに行きたい!って思ってえいやってやったら何か開いた
ユニスの答えに、Olは頭を抱えた。道理で救出が異常に早かったわけだ。これだから英雄は始末が悪い。
本来逆探知など不可能なはずの転移の門を、Olを助けにいくと言う名目はあれ、あっさりと開けてのけるのだ。配下の村にあるOlの迷宮への転移陣も対策をしなければ、とOlは心のメモに書きとめた。
つまりアイツは、門の向こうの半身で魔力を無尽蔵に吸い込んで巨大化しつつ、王軍を飲み込みにかかっているわけか
うむ、そういう事になるな
愉快そうに笑みを浮かべながらエレンが頷く。
スライムに取り込まれても、直接死ぬことは無い。普通のスライムと違って魔力しか食べないからだ。が、急激に魔力を失うと人間は失神するようになっている。眼下を見れば、スライムに取り込まれ失神した人間達が何人かたゆたっていた。
先ほどまでは王軍が攻撃魔術を何発もスライムに叩き込んでいたが、かえってスライムを巨大化させるだけとわかりそれも取りやめ、ひたすら逃げに回っている。
剣も槍も効かない、魔術も効かない、炎で殺すには大きすぎる。
圧倒的な数はそれだけで脅威だ。軍の人数だけでなく、スライムの大きさという数においても、それは適用された。
笑い事じゃないぞ
こんな戦略が誰にも利用されないのは、そこまで大量の魔力を簡単には用意できないと言うのもあるが、それ以上にスライムが制御不能だからだ。
王軍に襲い掛かっているのも別にOl達の味方をしているわけではなく、そこに魔力を保有する人間と言う餌があるゆえの事。命令を聞くほどの知能などなく、魔術で直接操ろうにもその魔力を喰ってしまう。厄介なこと極まりない。
ご心配なく
唐突に背後から不吉な声が聞こえ、Olは思わず身体をびくりと震わせた。
振り返れば、もう一頭のワイバーンの背中に、エレン配下の黒アールヴと共に黒い髪の魔女が乗っていた。
あのスライムは水に溶けます。お師匠様でしたら、天候操作の魔術などさほどの労も無いかと思いますが
自分で始末もつけられぬ物を作るな
申しわけございません
それほど反省した様子も無く、スピナは慇懃に頭を下げた。たしなめながらも、Olは内心舌を巻く。
他の分野ではわからないが、魔法生物、特にスライムの創造にかけてスピナは間違いなく天才だ。それも、数百年に一度レベルの。
今でさえこれほどの技術。長じればどれだけのものになるのか。頼もしく思う反面、Olはそれに僅かな恐れを抱いた。今のうちに殺してしまった方がいいのではないだろうか、とさえ思う。
そういった問題において、より深刻なのはユニスだ。Olは横に座る紅髪の少女に目を向けた。
仲間の危機に都合よく現れ、救う。
自分の危機に都合よく仲間が現れ、救われる。
それは、英雄の持つ気質の一つだ。Olを助け、そして軍を前にした危機にミオとエレンが現れた。これらはユニスの力が作用したものと見て間違いない。
問題は、堕ちたる英雄はこれらの運命を覆す能力を、基本的には持たないという事だ。彼女に正義の英雄の星としての力が戻りつつある。Olの見立てではまだ完全に取り戻した訳ではないだろうが、いずれ元に戻るだろう事は予測できた。
その時、ユニスはそれでもOlの味方をするのだろうか? 今、この高さから突き落とせば流石に英雄とて死ぬ。愛するものに殺される。それは十分に悲劇的だ。英雄の力を持っているからこそ、今突き落とせばユニスは死ぬ。
?
Olがじっと見つめていることに気付き、ユニスは振り向いてニッコリと笑う。
危ないぞ。もう少しこっちによれ
言って肩を抱き寄せるOlに、ユニスは嬉しそうに身を寄せた。
まだだ。まだ、利用価値はある。
Olは自分にそう言い聞かせた。
さて、諸君
脚を組んで腰を下ろすOlの前には、王国首脳部すなわち、元老院の面々が集められていた。
Olの左右にはローガンとリルが、その悪魔としての威圧感を隠しもせずに立っている。