相手を挑発し、怒らせて剣を抜かせれば彼の勝ちのはずだった。肩を脱臼させてでも腕を回し、両腕を切り飛ばせば魔術が使えるようになる。勿論、そうした所で印も組めぬ身体だ。王宮の奥であろうここから、単身逃れるのは不可能に近い。しかし、可能性はゼロではない。
それを、己の怒りでゼロにしたのだから救えない。体中に刺さった槍は、Olの骨にガッチリと食い込んで全く身体を動かす事が出来ない。脱臼しようが、骨を砕こうが、腕を動かす事は物理的に出来ない。
キャスの剣がOlに迫る。軍師とやらは、自身で剣を握った事などないのだろう。握りも下手だし剣速も遅い。これではOlの首をはねることなどできない。
だが、頚動脈は断ち切られ、大量の血が吹き出す。Olの身体から絶対的な血が足りなくなり、肉体は活動を停滞させる。死にはしない、元より命などこの身体には入っていないのだから。
だが、永遠の停滞は死と変わりない。彼の身体は千々に引き裂かれ、焼き尽くされて灰となる。Olは何も見る事も出来ず、感じる事もできぬ冷たいガラスの瓶の中で、永遠に闇の中を彷徨う事となった。
正確には、なる、はずだった。
Ol!
耳元で、聞き覚えのある声が響いた。
それは運命を覆す力。
計算も策謀も蹴り飛ばし、道理も常識も踏み越えて。
助けに来たよ!
顔を上げたOlの目の先で、燃える炎の様な髪を持つ英雄の少女がニカリと笑みを見せた。
第11話魔王を始めましょう-4
なば
何故だ、という言葉と、馬鹿な、と言う言葉がキャスの頭をぐるぐる回り、彼女は池の鯉の様にパクパクと口を開いた。
大丈夫? だよね? 首刎ねられても生きてたくらいだし
ユニスは剣を閃かせ、Olに突き刺さる槍を全て斬り払い、腕を縛っている呪具も彼の皮膚に傷一つつけず両断した。周りを囲んでいた兵士達は全員、一瞬にして一撃で倒されている。
ああ、問題ない。助かった。しかし、何故ここがわかったんだ?
魔術で自身の傷を癒しつつ、Olは尋ねた。
そもそもOl自身が、ここがどこなのかわからない。恐らく救出を防ぐ為に、誰がOlを浚ったかとか、どこへ転送したかわからないよう偽装くらいはしていたはずだ。
勘! あ、違うかな、アレだよ。愛!
びしっ! とユニスは人差し指と中指を立てて見せた。Olは笑うべきか呆れるべきか悩む。
どうだ、悔しいか
Olは半ば自棄になって言った。
綿密な計算を、何と無くで破られた気分はどうだ?
はははははははは!
キャスは気がふれたように笑い始めた。正直、Olも笑い出したい気分だ。
ふざけるな対処が無いとでも思ったのか!?
キャスの言葉と共に、突然壁が開き、隠し扉から四人の精兵たちが飛び出す。完全に不意を打ち、特別な呪力の篭った槍は、英雄の反射神経を持ってしてもかわす事も受ける事もできない。完璧なタイミングだった。
そっちこそ
が、その槍は、一本たりとてユニスに届く事はなかった。無防備な彼女の背中から、太い腕が四本突き出し、兵士達の槍を掴んでいる。
何の備えもなしに、一人で突っ込んできたって思ったの?あたしのOlを助けに来たのにさ
よぉ旦那。中々愉快な格好になってるじゃねぇか。少し溜飲が降りたぜ
兵士達の足元から凄まじい炎が吹き上がり、彼らは一瞬にしてこの世から影も形も失った。
ユニスの影から這い出しながら、ローガンはゴキゴキと身体を慣らす。
ふーッ! ッたく、ババアの影の中は肩が凝るったらねぇや。特別手当でも出してもらわねぇと割にあわねぇな、こりゃ
だ! だから、あたしはまだ17だって言ってるでしょ!? ババアって言うな!
うるせえ、俺が認めるのは13歳以下(アンダーサーティーン)だけだ!それ以外は全員ババアなんだよォ!
英雄と悪魔の低レベルな争いに、Olは顔を手で覆い、はあっとため息をついた。
ついた、が。
それでも、その唇の端が緩むのを止める事は出来なかった。
Olっ
そのOlの顔を両手で挟み込み、ユニスは強引に彼の唇を奪った。
いきなり何だ?
何か変な顔してた気がしたから
ユニスの言葉に、Olはくく、と喉を鳴らす。あれほどあった怒りも、諦観も、いつの間にかどこかへ吹き飛んでいた。
ではそろそろお暇するとしようか
ユニスが無理やり突入してきたのだろう。矢庭に騒がしくなってきた部屋の外を見据え、Olは言った。
無理だ。ここは王都の最深部だぞ?王直属の近衛兵団が包囲している。精鋭中の精鋭だ。逃げられるわけがない
吐き捨てるようにキャスが言った。
だが、私を連れて行けば可能性はあるいや、絶対に逃げられる。兵の配置を知り尽くした私の知識と頭脳があれば逃げ切れる。だから私を連れて行ってくれ。お前のダンジョンで軍師として使ってくれればそれでいい。何なら私を抱いてもいいぞ
キャスの言葉に、Olは悩む素振りを見せた。
お前は、国に黙って俺をここに連れてきたな?己の地位を高める為だ。俺を殺すより、利用した方がより良いと。事と次第によっては、俺の力を持ってこの国を牛耳ろうと。だが、ユニスが来た今、近衛兵が俺を殺せてもお前は処分される。ならば、俺についた方が得策だと
そうだ。その通りだ。女だからと私を侮り、実権も与えぬこの国の老害共にはうんざりしているんだ! だから、お前なら裏切ったりしない。お前は、女だからって私を軽んじたりはしないだろう?
ああ、そうだな
Olは頷いた。この女の頭脳は役に立つだろう。それにかなりの美女だ。この女に奉仕させ、整った顔を穢してやるのはさぞ愉快なことだろう。
弱火だな
Olの言葉の意味がわからず、キャスは首を傾げる。しかし、すぐにその意味を察した。
なっ、何だこれは!? なああああっ!?
こんなもんか?
ああ、ちょうどいい
キャスは突然燃え上がった衣服を叩き、地面に転がった。しかし、燃え移った火は消えるどころか、徐々にその勢いを増すばかりだ。
助けてっ! 助けてくれっ!!
キャスは服を脱ぎ捨て、Olに向かって縋り、助けを請う。しかし服を脱いでもローガンの放った魔界の炎は彼女に纏わりつき、その身体は結界によってOlに触れることは出来ない。
美しかった肌は見る間に炎で焼け爛れ、悪臭を放ちながら崩れていく。
助げダズ
やがてキャスは炎の中に沈み、黒い灰だけがその場に残った。
ハン。やっぱりババアは駄目だな、魂が濁りきってやがる
鈍く光る白い球を灰の中から取り出し、ローガンはつまらなさそうに吐き捨てた。
ま、でも野郎のよかマシか
先ほど燃やし尽くした兵士達の魂がひとりでにふわりと浮き、ローガンはそれを口の中に詰め込んでもぐもぐやった。
はぁ、こんなんじゃ腹も膨れやしねえ
言いながら、キャスの魂をぎゅっと握って魔界へと送り込んだ。
さて、奴はここから脱出するのは無理だと言っていたが、どうだ? ユニス
無理って言葉は無視する為にあるんだよ
事も無げに言って、ユニスは扉を開く。瞬間、無数の矢が飛んで扉を蝶番ごと吹っ飛ばした。
わお。皆さんお揃いだね
緊張感なく言って、ユニスはノブだけになった扉をぽいと投げ捨てた。扉の向こうには、武装した近衛兵団が勢ぞろいしていた。
前面には楯を構えた兵が並び、その後ろには中腰で槍を構えた兵が槍衾を作り、更にその後ろには弓を構えた兵が立っている。この狭い廊下の中で矢を扉に命中させることからも、一人一人が相当の手だれであろうことが伺える。
しゃあねぇな、のりな
四本のうち一本の腕を振り、ローガンがユニスに背中を見せる。ユニスはぽんと馬に乗るようにその肩に腰を下ろした。そして、剣を構えるとキリリと眉を引き締める。
行くぜ
ローガンが、廊下を滑るように飛ぶ。彼は翼を持たない種類だが、悪魔にとって重力のくびきなどないも同然だ。真っ直ぐ矢の様に向かう彼の巨体に、こちらは本物の無数の矢がまるで動く壁の様に飛ぶ。
吹っ飛べーーーーー!
悪魔といえどただではすまないだろうその矢の壁は、ユニスが放った暴風によって空中で止まり、地面に散らばった。
おら行けっ!
驚愕に眼を見開きながらも、弓兵を庇うように上段・中段・下段と分かれて長槍を構える槍兵達に向けて、ローガンはユニスを投げはなった。
よいしょおっ!
掛け声一発、回転して逆さになりながらもユニスは空中で剣を一閃させた。
居並ぶ槍の穂先が一瞬にしてばらりと落ちる。目の前に着地したユニスを迎え撃とうと楯兵達が剣を抜いた瞬間、彼女は高く跳躍した。
その下をすり抜けるように、ローガンが突っ込んで腕を振るう。四本の太い腕は、全身を鉄鎧でくまなく包み、重い楯を構えた兵士数人を紙くずの様に吹き飛ばし、天井にたたきつけた。赤い悪魔はそのまま竜巻の様に腕を振るう。
武器を失った兵士達はなすすべもなくローガンの手によって肉塊へと変えられた。第二射を放つ暇すらなく、恐れをなして逃げ出す弓兵達も、吹き出す業火によってすぐさま灰となる。
ちょっとローガン、投げ方雑すぎなんだけど!目、回っちゃったよ!
うるせえ、お前こそもうちょい穏やかに矢防げねぇのかよ!2,3本刺さったじゃねぇか!
一瞬で精兵達を片付け、ユニスとローガンが喧々諤々と言い争いを再開する。その二人の様子を、Olは呆れ果てながらも頼もしく見つめた。
第11話魔王を始めましょう-5
馬鹿な
杖の様に剣を突き、彼は臓腑に溜まった血と共に言葉を吐いた。
周りに広がるのは仲間たちの死体。いずれも劣らぬ一騎当千の兵、選び抜かれた精鋭中の精鋭。フィグリア王国近衛兵団の者たちだった。
彼の視線の先に立つのは、紅蓮の髪の少女と灼熱の瞳の悪魔。血と炎に彩られ、紅く輝くたった二人に、近衛兵団400人は為す術も無く全滅させられた。
大丈夫か、ユニス
Olはユニスから魔力を補給しつつ、彼女に回復魔術をかける。襲い掛かってきた近衛兵団は全滅させたが、ユニス達も無傷とは行かなかった。
ユニスは剣を支えにぜえはあと息をしながら、こくりと頷いた。魔力は既に枯渇し、剣を振るうことしか出来ない。身体はそこらじゅう傷にまみれボロボロだ。ローガンも四本の腕のうち二本が中ほどから千切れ、角も片方折れていた。
初戦を一蹴され、通常の包囲陣では勝てないと悟った近衛兵団の対応は早かった。
広い部屋や十字路などで、あえて少人数で地の利を生かして襲い掛かり、波状攻撃をかける。休む間もなくOlを守りながら戦い続けるのは、二人の力を持ってしてもかなりの困難だった。
大丈夫、もう、外に出られるよ
ユニスは何とか息を整え、最後の扉を押し開く。
あはは
そして、目の前に映った光景に力なく笑い声を上げた。
これは、ちょっと、キツいね
Ol達が開けた扉は王宮の外れ、城壁の一角のものだった。そして、目の前には完全武装した王軍が布陣していた。その数、ざっと4000。一個旅団に相当する数だ。
ユニスとローガンは強い。まさしく一騎当千と呼ぶに相応しく、彼女らに勝てる人間などこの世界に10人もいないだろう。
しかし、それでも、数にはあらがえない。圧倒的な数と言うのはそれだけで力だ。布陣する王軍は近衛兵団に比べれば一段も二段も劣る錬度しか備えてはいないだろうが、疲れ果てたユニスとローガンを撃破するには十分すぎる力を持っていた。
10の槍を一息に斬り捨て、100の矢を飛ばす風を吹かせても、1000の魔術による砲撃は防げない。
転移して逃げようにも、城全体に入るだけでなく、出て行く側の転移も防ぐ結界が張られていてそれもままならない。
ユニス、魔力を借りるぞ
Olはユニスに口付け、彼女の中に貯蓄しておいた魔力を全て振り絞った。堕ちても英雄。彼女の魔力貯蔵量はリルの更に数倍。一流の魔術師を何十人も集めたのと同程度の量を誇っていた。
その魔力で練られた攻撃魔術が、王軍の真っ只中で炸裂する。
街の壁門を一撃で消し飛ばしたOlの魔術は、しかし王軍に毛ほどの傷をつける事も出来なかった。数十人分の魔力を使った攻撃は、所詮数十人分のもの。王軍は、1000名の魔術師兵、そのうち500名が防御魔術担当。一人ひとりの魔力は一流とはとても言えない量ではあるが、文字通り数の桁が違った。
Olの一撃を防ぎ、王軍は攻撃に転ずる。たった二人の敵に対し、接敵し乱戦に持ち込むような愚は冒さない。何百人もの魔術師が型に則った呪文を同時に詠唱し、集団で魔術を練り上げ構築する。