直通口から間欠泉のように水が吹き出し、地面に広がる。同時に飛び出してきたのは、魚のような下半身を持った女だった。
人魚(マーフォーク)?いや。何だ、こいつは?
見た目は人魚に似ているが、頭からはまるで鹿のような角が生えている。
Olの知る人魚は泳ぎの邪魔になる衣服の類は殆ど身につけないが、その女は薄衣のような奇妙な衣に身を包んでいた。
そして何より、纏う雰囲気や持っている魔力の量がただの人魚とは明らかに桁違いだ。
タガーダ、ユウェーロ!
女は声を張り上げて、何事か叫ぶ。
それは百の言語を操るOlでさえ聞いたことのないもので、その場でその意味を理解できたものは誰一人いなかった。
敵対的なものなのか、それとも友好的なものなのか、それすらわからない。
ただひとつ確かなのは、それがただの鳴き声や意味を持たない唸り声などではなく、明確に何らかの意図が込められた言葉であるということだった。
貴様は、何者だ。我がダンジョンになにゆえ立ち入った
油断なく構えるマリーとリルを背後に、Olは女に問う。
タガーダ、ユウェーロ
半人半魚の女は先ほどと同じ言葉を繰り返すが、それで理解できるものでもない。
失せよ。お前は俺の棲み家へ踏み入っている
Olのキューブがパキパキと音を立てながら形を変えて、まるで二本の鎌のように鋭く尖って刃を見せる。言葉が通じなくとも明確な敵意の表示だ。
フェレナニーヴォ!
すると女は鋭く声を上げた。その声に反応して、彼女の周りに飛び散った海水がまるで矢のようにOlに向かって飛ぶ。
自動的に展開したキューブが盾となって水の矢を弾き飛ばし、
魔王に楯突いたこと、後悔させてやる
Olは傲然とそう言い放った。
第2話海中ダンジョンを作りましょう-4
食らいなさいっ!
リルの構えた連弩が、文字通り矢継ぎ早に矢を吐き出す。魔力を動力源とするその弓は、一呼吸の間に十本もの矢を打ち出す。
しかし人魚の足元がざばりと波立ち、うねる波に乗って彼女はその矢を難なく躱してみせた。
えーいっ!
その隙を突くように、マリーが斬りかかる。リルの矢を避けて崩れた体勢では、それは避けることが出来ない。
はずだった。普通の相手であれば。
わわわ!
崩れた体勢のまま人魚の足元の波は急に方向を変えてマリーの剣をするりと躱すと、お返しとばかりに水弾が飛んできた。それをOlの伸ばしたキューブが楯になって防ぐ。
防御のことは考えなくていい。攻め続けろ
マリーは二刀を構え、人魚に向かって突進する。牽制に放たれる水弾はキューブが防ぎ、マリーは跳躍すると、楯になったキューブを足場にしてもう一度跳躍した。
くるくると独楽のように回転しながら放たれる斬撃を、人魚はかろうじて躱す。しかしその躱した先に、別の刃が待ち受けていた。マリーの腰に下がった鞘からいつの間にか引きぬかれ、宙を舞う三本目と四本目だ。
人魚はその刃を咄嗟に腕で防ぐ。防具らしい防具もつけているようには見えないのに、火花が散って剣は弾かれた。
リルっ!
任せて!
換装を終えた石火矢を構え、リルは引き金を引く。いくら波に乗って縦横無尽の動きをすると言っても、マリーの剣に囲まれて動きが止まった瞬間だ。いわば刃の結界に捉えられた人魚を、高密度の魔力弾が撃ち抜いた。
嘘でしょっ!?
しかし人魚はそれさえ凌ぐ。突如海のダンジョンから吹き出した水の壁に、リルの射撃はその威力の大部分を削がれて弾かれた。
リル、飛べ!
水の壁はその勢いのまま、四方八方に飛び散っていく。Olはリルに叫びつつ、キューブを伸ばしてマリーを抱きとめた。
ちょっと、これって
天井に張り付くように飛びながら、リルは下を見下ろして呻くように言う。
今の攻撃で床には薄く水が張り、足首程度の高さまで満たされている。
それはこちらの動ける範囲が狭くなり、相手の武器が増えるということを表していた。
しかも相手が攻撃すればする程、水の量は増えていくのだ。
ふうむ
Olは唸り、顎を一撫でする。彼の操るキューブと、敵の操る水は実に性質がよく似ている。どちらも自由自在に形を変えて、攻撃にも防御にも使える。
違いは、Olのキューブが手の平に収まってしまう程度の大きさであるのに対し、相手の水は無制限に引き出せるということだ。
マリー。何とかあいつの動きを止めろ。一瞬でいい
何とか、って、わぁっ!
マリーはOlの腕から放り出されて、水の張った床に着地する。途端、まるで鎌首をもたげる水蛇のように、無数の水縄が彼女に襲いかかった。
わっ、わっ、わっ
次々と迫り来る槍のような刺突を避け剣で払うが、水で出来た槍は剣で切っても意にも介さず伸びてくる。
こんなの、どうしろって!
四本の剣を全て動員してなお無数の槍を避けることで手一杯で、敵どころかこちらの動きが止まっている。しかしそうするうちに、マリーはあることに気がついた。
あれっあ、そうか!
彼女はぽんと両手の剣を宙に投げ放ち、空中に浮いていた二本を手に取る。
熱・湿!
その刃を合わせるとぶわりと風がたなびいて、水の槍の中に一瞬、道が出来た。
マリーはその道を一息に駆け、人魚の元へと肉薄する。相手の視線は、彼女が右手に持つ剣へと注がれていることにようやく気がついた。
熱性剣!
剣の刃が赤く輝き、水が蒸発してじゅうと音を立てる。その刃が人魚に届くより早く、マリーの体を吹き飛ばさんと彼女の足元から大量の水が吹き出した。
マリーの操る四本の剣はOlが手ずから付呪を施したもので、それぞれ異なる性質を持っている。万物は地、水、火、風の四大元素から成るというのが現在の魔術の主流の考え方だが、彼女の剣が司るのはそれではない。その四大元素自体を更に細かく分割した、熱・冷・湿・乾の四大性質である。
そのうち熱を司るカリダティオを放り投げて、マリーは両手で空中の剣を掴んだ。
冷性剣!
最初から人魚に刃を当てるつもりはなく、狙いはその足元の波だ。海水はあっという間に凍りつき、人魚の体を縫い止めた。水は操ることが出来ても、氷までは動かせない。冷性剣が切り捨てた槍だけが再生しないのを見て、マリーはそれに気づいていた。
よくやった。リル!
はいはい。こっちは戦闘に向かない淫魔だっていうのに
リルの構えた石火矢がガチャガチャと音を立てながら展開する。原理としては、Olのキューブと同じだ。Olのように自由自在とは行かないが、あらかじめ設計しておいた形に変形させるくらいはリルの能力でも出来る。
連射性を重視した連弩形態。
射程距離を重視した石火矢形態。
そして
威力を重視した、大砲形態だ。
いっけええええ!
轟音とともに、大砲が火を噴く。魔力で形作られた弾丸は氷の壁をいとも容易く打ち砕きながら、その背後の壁にまでぽっかりと穴を開けた。
うそっ!?
しかし、人魚は無傷で、立っていた。
寸前で避けられたか
どうやって氷から抜けだしたかは分からないが、彼女は砲弾を避けていた。
リル、マリー、来い!
Olはキューブで小さな部屋を作りながら、二人を抱き寄せる。
リルの開けた壁の穴から勢い良く水が吹き出し、小部屋を押し流した。
ごめん、Ol、わたし
震えるリルに、
よくやった
水中で生きるものに一番効く罠とは何かわかるか?
ええと
氷は一瞬動きを止めることさえ出来なかった。
電撃の罠は既に効かない事は確認済みだ。
炎には弱いのかもしれないが、水中では効果は薄いだろう。
み、水攻め?
そんなわけないだろう、愚か者
マリーが取り敢えず現状起こっている事をそのまま述べてみると、Olは呆れて悪態をついた。
そんなやり取りをしている間にも、人魚は水中を凄まじい速度で追いかけてくる。
覚えておけ。水生生物は
凄まじい振動とともに、小部屋が揺れた。小部屋が流れていた通路は奥に行くに従って徐々に細くなっていて、そこに嵌り込んで止まってしまった形だ。
無論、通常の通路の幅がそんな風に変わることなど無い。
Olがわざわざダンジョンを操作し、作り変えたのだ。
止まってしまった小部屋の目前まで、人魚が迫る。
その時ガコン、と音がして。
落とし穴に弱い
人魚は大量の水ごと、開いた穴へと落ちていった。
第2話海中ダンジョンを作りましょう-5
これ、本当に大丈夫なの?
恐らくはな
キューブで作った小部屋の中に囚われた人魚を、リルは疑わしげに見つめた。
互いに視線が通るように半透明化した小部屋の中には一部の隙もなく水が詰められ、その中央に人魚は揺蕩っている。
こいつが操れるのは恐らく水自体というよりは、波だ。水を圧縮したり、凝固させるというようなことは出来ん
もしそういった事ができていたならOlたちはもっと苦戦を強いられていただろうし、そもそも落とし穴で捕らえることも出来なかっただろう。
だからこうして完全に水で埋めた空間に密閉されると、手も足も出んのだ
その弱点は、Olのキューブも同じだ。キューブをまるごとぴったり箱に収められたら、それを打ち破るほどの力は出せない。
それにしても、何なんだろねこの子
恐らくは土着の種族なのだろうが
人魚は閉じ込められていることを気にした風もなく、小部屋の中でくるくると回っている。
とりあえず、ご飯にしよっか
くぅと鳴くマリーの腹の虫を聞いて、リルはそう切り出した。
そうだなだが、これから目を離すのは少し心配だ。悪いがこっちに持ってきてくれるか?
はいはーい
あ、手伝うよ
パタパタと食堂の方に駆けていくマリーとリルを見送りながら、Olは床に手をかざした。床石がぐにゃりと歪み、即席のテーブルと椅子が出来上がる。
あ、テーブル用意してくれたの?ありがとう
分身とマリーの手を借りてリルが運び込んできたのは、見慣れた料理だった。
こっちの食材も色々試してみたいけど、よく考えたらわたし味見できないから一人で新作に挑戦するのは無謀だったわ。ってわけで、今日はうちから持ち込んだいつもの物でごめんね
今度わたしおてつだいするね!
構わんが、未知の毒や病には気をつけろよ
そんなほのぼのとした会話をしつつ、三人は席につく。
いただきまー
スプーンを手にして口を開いたところで、マリーは強烈な視線を感じてふと横に目を向ける。
うわっ!?
人魚が、小部屋の壁にべったりと張り付いていた。
爛々と目を輝かせ、口を大きく開いてマリーの手元のスープを凝視している。
水中だから目には見えないが、よだれをだらだらと流しているであろうことは明白だった。
ほしいの?
スープを掲げてマリーが問うと、言葉もわからないだろうに人魚は首をブンブンと縦に振る。
まさか食料を奪うためだけに我々に喧嘩を売ったのか?
Olは荒らされていた船内の様子を思い出した。
食料は奪われていたが、Olの魔術書や魔道具は手付かずだった。
それらの価値を把握できなかったものだと思ったがそもそも単に、食料以外に興味がなかっただけか。
どうしよう、Olさま
マリーは困った様子で眉根を寄せる。このままでは非常に食べづらい。
食料をくれてやる代わりに、我々に危害を与えることを禁ずる。同意するか?
ジェスチャーを交えてOlがゆっくりと伝えると、人魚はぶんぶんと首を振った。
どうしたものか、とOlは逡巡した。
契約の呪いというのは、例え虚偽であっても相手が形だけ同意していれば成立する。
だがそれは相手が契約を理解していればの話だ。
相手がこちらの言っていることをある程度でも理解しているのなら頷いている時点で呪いはかかるが、食べ物欲しさに闇雲に頷いているだけだと呪いはかけられない。
あれっ、また女の子増えてる。どうしたの、この子?
悩んでいるOlのもとに、救世主がやってきた。
ユニスか。ちょうどいい
仮に人魚がこちらの意図を理解しておらず呪いがかからなかったとしても、彼女がいれば恐れるほどの相手ではない。
うん、いいよ
事情を説明すると、ユニスはあっさりと快諾した。
だってご飯は沢山で食べた方が美味しいでしょ
あまりに迷いのない承諾に逆に心配になって問うたリルに、ユニスは的外れな返答をした。
そうじゃなくてユニスは、あいつがどのくらい強いか見てないじゃない
ユニスの強さは十分知っているが、人魚も三人がかりで何とか倒したのだ。いくら英霊の彼女でもそうやすやすと引き受けて良いのか、とリルは思う。
マリーが避けられる程度の攻撃と、マリーの攻撃を避ける程度の防御でしょ?だったら、あたしなら誰かが攻撃される前に殺せるよ
しかしユニスはあっけらかんと言ってのけた。