ごくごく自然に、扉の向こうに本来ありえない光景が広がっていた。
Ol様っ!
真っ先に飛び込んできたのは、意外にもミオだった。
矢も楯もたまらず駆けだした、といった彼女の柔らかな身体を、Olは反射的に抱き留める。
待ちかねたぞ!
お会いしとうございましたわ!
それに重なるようにエレンとセレスが飛びついてきて、Olは押されつつも三人の身体を支えた。
えいっ。おかえりなさい、Ol様
その腕を取ってShalが己の胸に押し付けるようにして抱きかかえ、
ほら、いってきなさいよ
う、うんOl様、失礼いたします!
ウィキアに押されたナジャがもう片方の腕に縋りつく様にぎゅっと抱き着き、
もう、寂しかったよー!
抜群の跳躍力でFaroが頭にしがみついてきたところで、Olはとうとう耐え切れずに地面に転がった。
起き上がろうともがくが、女たちの体で身動きが取れない。
彼女たちの心情を思えば怒鳴りつけることもできなかった。
さあ、そろそろどけ
頃合いを見てパンパンとメリザンドが手を打ち鳴らすと、ようやく女たちはOlの上から身体をどかす。
ほら
ウィキアが手を差し出す手を取って、Olは身を起こした。
全く、総出で迎えることもあるまい
扉の向こうに居たのは、妻たちだけではない。侍女やアールヴ達、フィグリア王家の王妃と姫に娘たち。それにドヴェルグや半人半馬、ラミアや人狼といった面々までもがOlの帰還を出迎えていた。
頬が緩んでおりますよ、陛下
にこやかに告げるノームに、Olは思わず己の頬を押さえる。
おかえりなさいませ、お師匠様
遠征中にも何度か会ってたためか、幾分落ち着いた所作でスピナが深く腰を折る。
ただいまわたしーっ!
おかえりわたしーっ!
Olが連れていたリルと、迷宮に残っていたリルの分け身が空中でパンと手を合わせた。
と言っても彼女のそれは同一の意識が二つの身体を同時に操っているだけなので、要するにただの一人芝居だ。
帰って来たね、Ol
いつの間にかユニスが横に立ってニコニコと笑いながらそう言って。
Olは深く頷きながら、久々の我が家の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
我が留守の間、大儀であった
久方ぶりの玉座に腰を下ろし、Olはそう労いの言葉をかけた。
無論のこと、己のいぬ間にダンジョンを乗っ取られぬよう対策は十重二十重に巡らせて出かけたのだが、結論から言えばその労力はすべてが全くの無駄であった。
無論、仕事の上でいくつかの失敗や破綻はあったし、そうした時に指示を仰ぎにユニスがOlの元を訪れたのは一度や二度ではない。
だが危惧し備えたような裏切りは、ただの一つも見つからなかった。
Olはそれを不可解に思う事もなくしかし当然と思う事もなく。
ただ安堵したように、深く息を漏らした。
元来のOlであれば、そもそも対策を施したとしてもこれだけの期間、ダンジョンを他人に任せて留守にするなどという事はなかっただろう。
残されたものもそれをわかっているからこそ、それに応えた。
お前たちの忠義、献身には報いねばならぬ
謁見の間は広いとはいえ、何千何万といる魔王の配下が丸ごと入れる程ではない。
全体への演説や褒章は後に回すとして、Olはまず近しい者たちを集めてそう述べた。
故に、褒美を取らす
近しいものとは、その殆どが彼の妻だ。
新大陸についてきていたリルとマリー、魔力の補給の為に毎日顔を合わせていたユニスとスピナはともかく、他の者たちは殆ど丸一年放っておいたことになる。
つまり褒美とは、実質的にその補償であった。
褒美とはいかなるものでしょうか、主殿
跪いた姿勢から顔を上げ、問うたのは黒アールヴの長エレンであった。
彼女もまた忠義厚き腹心と言っていい相手だが、同時に黒の氏族を率いる族長としての立場も持っている。部下たちの為にも、生半なものでは承知しない、とその目が言っていた。
Olはうむと頷いて、
お前が決めろ
短く、そう答えた。
は?
エレンは思わずぽかんと口を開き、Olの言葉の意味を考える。
望むものを与える、と言っておる
お言葉ですが、Ol様
そこに声を上げたのは白アールヴの長、セレスだ。
私たちが私が頂きたいのは、金品でも宝物でもありません
それも、わかっている
質素倹約を旨とする魔王の気風もあってそれほど華美な生活をしているわけではないが、それでも王族は王族である。彼女たちが今更金銭で贖えるようなものを欲しがるとは、Olも思っていなかった。
一日だ
指を立てて厳かに宣言するOlに、エレンとセレスは揃って首を傾げる。
各々一日を限度として、この俺を自由にする権利を与える。無論承諾できる範囲での話だが、よほど無茶な頼みでなければ出来得る限りの望みを叶えよう
しかし続く言葉に、一同がどよめいた。
それってつまりOl様を一日独り占めできるってことですか?
うむ。そのように捉えて差し支えない
Shalの問いにOlは頷くが、それはそう簡単な話ではない。
ただでさえ広大な土地を治める魔王は忙しく、朝から夜までほとんど働き詰めであることは皆が知っている。ましてや遠征から帰って来たばかり、メリザンドが代理である程度処理していたとはいえ彼の裁可を待つ書類はなお山のようにうず高く積まれていて、その恐ろしさは執務室に入ったリルが顔を蒼白にして出てくるほどなのだ。
その魔王の一日とは、彼自身と同じ大きさの黄金よりも価値を持つ時間。
しかし同時に、その場に居並ぶ者たちが皆、何より望んでいるものであった。
立場や序列の別なく、思いついたものから逐次応じるものとする。皆、存分に考えておけ
Olの言葉に妻たちは、はっと我に返ったように互いに顔を見合わせ、浮足立ち、銘々に思い悩みながらその場を立つ。
また随分と張り込んだものだな
一人残った宰相、メリザンドはOlをからかうようにそういう。
何を言っておる
そんな彼女に、Olは呆れたように答えた。
褒美を与える相手には無論、お前も入るのだぞ。他人事のような顔をしおって
メリザンドの表情から、みるみる余裕が抜け落ちて。
お前が何を頼んで来るか、楽しみにしておるからな
言い置き、執務室へと向かうOlの背中を、メリザンドは呆然と見つめた。
第7話王の帰還を祝いましょう-2
千載一遇のチャンスだ、とメリザンドは思った。
一日、なんでもいう事を聞く。
Olのそのあまりにも無防備な宣言は、メリザンドのかつての野望を蘇らせるのに十分な威力を持っていた。
今の暮らしに、不満があるわけではない。
もし失敗すれば、メリザンドは全てを失うだろう。
愚かな望みとわかってはいた。
いたがしかし、彼女はそれを捨てることが、ついに出来なかったのだ。
事はあの狡猾で用心深い魔王に気取られぬよう、慎重に進めなければならない。
かといって遅くなりすぎても駄目だ。
さりげなく、しかし的確に必要な情報をメリザンドは集め
そして、決行の日はやってきた。
新大陸の話を聞きたいだと?
うむ。無論、書面での報告には目を通しておる。だがやはり文章では漏れもあるだろうし、何より臨場感というものがないだろう?土産話だとでも思って、語ってはくれんか
それは、構わんが
メリザンドの願いに、Olは困惑したように怪訝な表情を浮かべる。
いいのか?わざわざそんなことに報奨を使って。無論丸一日となると難しかろうが、多少話す程度の時間は作ろうと思えば
いや、そこまで肩ひじを張らなくていい。こうして顔を合わせるのも久々なのだ、気軽に語ってくれ
やはり多少怪しまれはするか、とメリザンドは内心で呟く。
とはいえ、油断しようとするまいと、あらゆる対処を講じてくるのがOlという人間だという事はよくわかっている。
であるからこそ逆に、多少怪しまれる程度は何の障害にもならない。
お前がそういうのなら、まあいいが。しかし語るといっても何から話すべきか
報告書に、娘が出来たと書いてあっただろう。確かソフィアとかいう
あああれもまた、不可解な存在なのだがな
茶を口にして喉を湿らせ、Olは頷く。
理由はよくわからんが、俺を親と認識しているらしい
聞いたぞ。なんでも、パパと呼ばれているそうではないか
メリザンドが笑いを含んだ口調で言えば、Olは渋面を作った。
からかうな。そのような柄でないことは承知しておる
なに、からかってなどいるものか。存外似合うのではないか?パパ
からかうなと言うに
憮然とするOlに、メリザンドは忍び笑いを漏らす。
だがそれも、演技でしかない。本当の狙いを隠すための演技だ。
娘と言えば、フィグリア王家の姫君たちには何か保障でもするのか?
それはOlが乗っ取り、支配する国々の中核ともなっているフィグリア元王妃とその姫そして、彼女たちに産ませた娘たちの話だった。
彼女たちはダンジョンの運営に関わることもなく、それゆえ捨て置いても問題となる可能性は低い。だがソフィアと違って、紛れもなくOlの血を引く子供たちだ。
心情的にも道義的にも、捨て置くわけにはいかなかった。
うむ。流石に一人ひとりに、というわけにもいかぬが、幾らか時間はとる予定だ
なるほど。なかなか良い父親ぶりだな
更にからかうように言葉を投げかければ、何故かOlは怒るでもなく沈黙した。
いやそうとばかりも言えん
不審に思ってメリザンドが問うと、Olは難しい表情で首を振る。
俺には親がおらん。故に親子というものがどのように接するものなのか、よくわからんのだ。少なくとも、良き父親というわけではなかろう
そんなことはないだろう、とメリザンドは思う。
先日Olが帰還した時も、彼の娘たちは嬉しそうに出迎え、慕っていたように見えた。
では
だがメリザンドの口から漏れ出たのは、そういった慰めではなく。
練習してみるか?
そんな言葉だった。
どうしてこんなことになったのか。
メリザンドはひたすらに内心で自問自答していた。
彼女の体はOlの腕の中にすっぽりと収まり、膝の上にあった。
そしてOlの無骨な手のひらは、メリザンドの頭を不器用に撫でている。
どうしてこうなった。
何度も繰り返した問いを、メリザンドは更にもう一度内心で呟く。
おい
ぼそりと呟かれたOlの声が耳元で聞こえて、メリザンドはびくりと身体を震わせた。
これでどうなんだ
試しに私を娘だと思って、膝にでも乗せて撫でる練習をしてみてはどうか。
冗談めかして言ったその言葉に、しかしこの妙なところで生真面目な魔王は試してみる価値はあるかなどとのたまい、実行に移したのだ。
う、うむまあ、悪くないのではないか?
なんだそのいい加減な答えは。しっかりと評価しろ
そういわれても、とメリザンドは思う。
このすっぽりと腕に覆われ、がっしりとした身体に背中を預ける安心感と暖かさ。
どのように力を入れればいいのかわからず、ぎこちなく髪を撫ぜる掌の感触。
僅かに漂う独特の香りと、耳元から聞こえる微かな息遣い。
どれをとっても最高だ。
(などと、言えるわけがない!)
どこでどう間違えたのか。メリザンドの練ってきた計画はここに至り、完全に瓦解したとしか言いようがなかった。
Olをからかうていを装い、娘のように甘えるという計画は。
埒が明かんな。おいメリザンド
僅かな苛立ちを含んだ声と共に、Olの手が止まる。
メリザンドは残念なような、ほっとしたような気持ちになった。
いちいちお前の要領を得ん評価を聞いていても話が進まぬ。実際に、俺の娘のように演じて見せろ。俺もお前を娘と思って接する
な、なんだと!?
しかしそれも続くOlの言葉を聞くまでの事。
想定を遥かに上回る魔王の提案に、数千年を生きた元聖女は慌てふためいた。
親に向かってそんな口のきき方があるか。父と呼んでみろ、メリー
冗談で言っているのだろうか、とOlの顔を思わず見るが、彼の表情は真剣そのもの。
て
ごくりと喉を鳴らし、メリザンドは絞り出すように声をあげる。
ててさま
それは彼女が長い人生の中で、初めて発した単語だった。
メリザンドもまた、親を知らないからだ。
うむ。では父にしてほしい事はあるか?メリーよ
満足げに頷いて、Olは問う。
これは練習のための演技。これは練習のための演技。これは練習のための演技。
メリザンドは心の中で三度そう呟いて、意を決して言った。
高い高いを、して欲しい
怪訝そうなOlの言葉に、メリザンドは己の発言を後悔した。
考えてみれば、今の姿はマリーのものを借りたもの。
十を遥かに過ぎて、もはや子ではあっても子供とは言えない年齢だ。重さもそれなりにあろう。