その下に、彼らの掘った落とし穴があったからだ。
落とし穴に落としてしまえば、体格差など意味を持たない。
後は上から石を投げつけ、死ぬまで槍で突くのだ。
小鬼たちよりはるかに大きな体躯を持つ人間たちが落とし穴にはまって苦しみ、よじ登ろうとしては槍で突かれてまた落ちていく様は何度見ても滑稽で愉快な光景だ。
しかし、そんな小鬼たちの目論見は失敗に終わった。
Olは落ち葉の上を、何事もないかのように歩んでいったからだ。
逃げぬのか?
呆然とする彼らの目の前で、Olは地の底から響くような低い声で尋ねた。
逃げるといっても背後は塞がれている。
小鬼どもは慌てふためき、Olの足元を横切って逃げ出そうとする。
その身体が、落ち葉の中に沈み込んだ。
落下した体の上にばさばさと無数の落ち葉が降り注ぎ、小鬼たちは混乱に暴れもがく。
なぜ自分たちだけが落とし穴に落ちているのか、彼らにはまったく理解できなかった。
小鬼たちは我先にと互いの身体を踏み台にして穴を這い上がろうとするが、互いに蹴落としあい、醜く罵りあい、小突きあいながらではそれもままならない。
それでも何とか要領よく最上段に上り詰めたものが落とし穴のふちに手をかけようとすると、その指先は何もない空中でつるりと滑った。まるで、そこに見えない壁があるかのように。
何度も何度もそれを繰り返し、ようやく上からは出られないと悟った小鬼たちは、ならば地中を逃げようと穴の底で横穴を掘ろうとしだす。
しかし脆いはずの土壁は、幾ら鉈を叩き付け、槍を突き込み、爪を突き立てても、傷一つつくことはなかった。
彼らには理解できるはずもない。
井戸のような形に変化したOlの見えざる迷宮(ラビュリントス)が落とし穴を丸ごと囲い、哀れな小鬼たちをすっぽりと覆いつくしてしまっていることなど。
小さく愚かな者どもよ
それを見下ろしながら、Olは語りかけた。
服従を誓え、などとは言わぬ。汝らの身には過ぎる故。我に従え、とも言わぬ。汝らの頭には過ぎる故
彼が開いた掌をかざすと、怒った小鬼たちが手に手に持った石や武器を投げる。
しかしそれは穴を塞ぐ不可視の天井に阻まれて跳ね返り、小鬼たちの頭に降り注いだ。
故にただ、我を畏れよ
Olが伸ばした指を曲げ、何かを掴むかのように手をゆっくりと閉じていく。
すると轟音と共に、小鬼たちのいる穴底の壁が動いた。
言葉が通じずとも、顔を覚えられずとも、名を知らずとも良い。その血の続く限り、汝らが末の末まで我を、畏れよ
小鬼たちは徐々に狭くなる穴底にゆっくりと潰されながら、しかし何もできずただただ恐怖に怯え震える。
そら。出口だ
Olの手元からカタカタと音を立て、キューブで出来た階段が小鬼たちのいる穴底まで伸びていく。
ぎゅうぎゅうに詰まった小鬼たちは、しかし一匹としてその階段を登ろうとはしなかった。
その先に、彼らにとって何よりも恐ろしい存在がいるからだ。
よし。行け
Olはその反応に満足すると、背を向けそう命じる。
すると小鬼たちは一目散に階段を登って逃げ出し、瞬く間にその姿を消したのだった。
第8話初めての親子喧嘩をしましょう-2
見事な調伏でしたな
何が見事なものか。たかがゴブリンごときに
ホデリの世辞に、Olは吐き捨てるように答える。
いやいや。小鬼風情と侮ったものではござらぬ。なるほど彼奴等は矮小にして怯懦。ですが狡猾で、何より残忍です。恩も恥も知らぬ奴らを侮り、何人の兵が煮え湯を飲まされたか
ホデリは小鬼たちが、背を向けたOlに攻撃するだろうと思っていた。
しかしそうはならなかったのだ。
ただ単に脅しただけではない。呪をかけたのだ
恐怖をその魂に刻みつける呪いは小鬼たち自身のみならず、その血を受け継ぐ子や孫たちにも伝わっていく。
ゴブリンの繁殖能力は非常に高い。
小鬼も同様であるとするなら、呪いは一年もする頃には全員に行き渡るだろう。
ゴブリン大事だもんね
まあ、俺のダンジョンにおいてはそうだな
弱く小さく、しかし数だけは多いゴブリンたちは、ダンジョンにおいて貴重な食料源だ。様々な魔獣や大型妖魔の餌となりながら、しかしどれだけ食べてもいなくなるということがまずない。
しかしそれもゴブリンより弱い生き物が殆どおらぬせいだ。案外この森程度であれば、奴らが王者のごとく振る舞っている可能性も
Olの言葉は、曲がり角を曲がったところでその先にあった光景に途切れた。
つややかに光る鉄のような黒い身体は、まるで竜の鱗のように分厚く。
毒々しいオレンジ色の足は数えきれない程にはえ。
長い長い触角がゆらゆらと蠢き。
バリボリとゴブリンを租借しながら、巨大な四つの目でOl達をじっと見つめている。
それは巨大なあまりにも巨大な、ムカデだった。
平たい身体をしているのに、頭だけでOlの背よりも高い。
ましてや全長はいかばかりのものか。
散れ!
Olが叫ぶと同時、大ムカデは凄まじい速度で突っ込んできた。
その大あごでの一撃をかわしながら、眉間の部分にユニスが一撃を叩きこむ。
うわっ、硬い!
だが黒々とした表皮はほんの僅かに凹んだのみで、ユニスの剣は硬質な音を立てて弾かれた。
目標を捉え損ねた大ムカデの大あごがバキバキと音を立てながら木々を噛み砕き、しゅうしゅうと煙を立てて腐れ落ちていく。ただ挟まれるにしても、毒を受けるにしても、ただ事で済みそうにはなかった。
厄介な相手だな。できれば殺したくはないが
ミオ連れてくる?
いや。あれは無理だろう
魔獣の類であれば瞬く間に手懐けてしまうミオの異能だが、彼女が虫の類を世話しているのは見たことがなかった。Olのダンジョンにもジャイアント・スパイダーやジャイアントフライといった虫型の魔獣は多数いる。恐らくは無理なのだろう。
それにユニスの転移は一日にせいぜい四、五回程度しか使えない。既に一度使っている今、手札を使い切ってしまう事は避けたかった。
我々にお任せ下さらぬか
何とかする
どうしたものかと悩んでいると、ホデリとホスセリが声を上げた。
出来るのか?
相手はユニスでさえ刃が立たないような相手だ。
無論負けることはないだろうが、生け捕りにするとなれば難しいだろう。
わかった。任せる
しかし自身有りげに頷くホスセリに、Olは対処を任せることにした。
そうする間に、大ムカデはギチギチと顎を鳴らしながらその身体を地面に潜り込ませる。
こいつ、地下を!
堅牢なはずのダンジョンの壁や床も、これほどの大きさの魔獣となればお構いなしだ。
とは言え流石にこの速度で地中を掘り進めるわけでもない。
おそらく真下を通る迷宮の中を進んでいるのだろう。
ならば、Olには出来ることがある。
ホデリよ。奴が出てくるならそこだ
地下の通路と地上の通路の交点。あれ程の巨体をぐるりと巡らせて出てこれそうな場所は限られていた。
承知仕る
Olがキューブで作り上げた目印に向かいながら、ホデリは片刃の剣を鞘に納めた。
数拍後。
何の予兆もなく突如として地下から大ムカデが顔を出し、ホデリに向かってそのあぎとを大きく開き
次の瞬間、大ムカデの前足が左右二本、切り落とされていた。
すごい
ユニスが目を大きく見開き、感嘆の声を漏らす。
大ムカデの硬さは外殻でも脚でもそう差はない。
襲い掛かってくる大ムカデの速度を利用しながら、関節部を切り落としたのだ。
言うは易しだが、地中から高速で足を動かしながら襲い掛かってくる大ムカデに対してそれを行うのは至難の業だ。少なくともユニスには出来ない。
Olにはホデリが切り付ける瞬間どころか、剣を抜いたところさえ捉えられなかった。
だが、足を二本切り落としても、大ムカデにはまだ九十八の足がある。
どうするつもりかと見守るOlは、ふとホスセリの姿が見えないことに気が付いた。
Olあそこ!
ユニスの指をたどってみれば、ホスセリは大ムカデの足にとりついていた。
そのまま何でもないような動作でするすると上ると、大ムカデの背を走っていく。
激しく身体を揺らしながら暴れまわる大ムカデの背の上を、だ。
そして彼女は頭の後ろ、第一節と第二節の間にしゃがみ込むと、腰の後ろにつけた剣を抜いた。
ホデリの使うものと同様に片刃だが、反りはなく幾分短い。
何か液体が塗られているのか、濡れた刀身がぬらりと輝いた。
体重をかけ、ホスセリは関節部分に剣を差し込む。
だがあの巨体にあの長さの剣では致命傷にはなるまい。
Olがそう思っていると大ムカデの動きは見る間に鈍っていき、やがて動かなくなった。
お館様。やった
ホスセリはOlに駆け寄ると、そう報告した。
表情にも声にも変化はないが、パタパタと自慢げに振られる犬の尾が見えるかのようだった。
何をした?
毒を盛った
Olの問いに短く、ホスセリは答える。
毒だと?あれほどの大きさの生き物に効く毒を持っているのか?
致死毒にせよ麻痺毒にせよ、効果を及ぼすにはその生き物の体重に見合った量が必要になる。あの大ムカデに効くような毒となると、竜すら殺せるのではないか。
Olがそう思って尋ねれば、ふるふるとホスセリは首を振った。
持ってないし、殺してもいない
現に大ムカデは毒の効果で動きを止めている。
ホスセリが盛ったのは、麻痺毒にござる
要領を得ないホスセリの説明を見かねて、その兄がそう説明を重ねた。
麻痺毒?だがそれならば余計におかしいではないか
基本的に、致死毒よりも麻痺毒の方が必要量は多くなる傾向にある。
身体の中枢、脳や心臓と言った重要部位を破壊すれば良い致死毒に対し、麻痺毒は全身に回る必要があるからだ。
すべてに効かせる必要はない。見て
不審がるOlに、ホスセリは大ムカデの身体を指さした。
ムカデはあれだけの足を持って、絡ませずに歩く
百足(ムカデ)というが、その足は実際には百よりは少ない。
しかしそれでも無数にあるその足をもつれさせることなく進めるというのは不思議なことだった。
でもそれは、ムカデの頭がいいわけじゃない。ただ単に、一つ前の足と同じ動きを順に伝えているだけ。だから
ホスセリは剣の切っ先で、切り落とされた一本目の足と二本目の足の間をトンと突く。
一本目を切り、ここにある経路だけを麻痺させてしまえば、もうムカデは動けない
なるほどな。大した知識だ
一対二本の足だけを己の意思で動かし、後の足は一つ前の足と同じ幅だけ動かす。
確かにその方法であれば、何本足があろうと絡まることはない。
忍びは毒に精通する。ムカデの毒もよく使うから
魔王すら知らない知識を容易く披露するホスセリに、Olは感心して頷く。
ホデリの剣も凄かったよねえ。スパーって
斬れる場所に刃を通しただけのこと。果実の皮を剥くのとそう違いはござらん
言葉少なにホデリは言うが、それが謙遜であることくらいはOlにもわかった。
Olはくるりと大ムカデに向き直る。
死んでしまったかのように見えるそれは、よく見れば触覚だけがひらひらと動き回っていた。
折角生け捕りにしてくれたのだ。これを使うとするか
第8話初めての親子喧嘩をしましょう-3
わあ、すごいすごーい!
一面に広がる空の青と木々の緑。そしてその上を滑るように走る感覚に、ユニスは歓声を上げた。
あ、あまり乗り出すと危ないのではござらぬか
顔を引きつらせ、足を震わせながらホデリ。
兄さん、情けない
そんな兄の姿に、ホスセリは溜め息をついた。
そう心配するな。振り落とすようなヘマはせん
言いながら、Olは魔力を寄り合わせて作った手綱を振るう。
彼がまるで馬のように操り、一行が乗っているもの。
それは先程倒した大ムカデだった。
虫には魅了の術の類は殆どきかないが、魔力を流し込んで強引に支配してしまうのはむしろ容易い。
百の足を自在に動かせと言われればいかなOlとて難しいが、前足二本だけを操れというならば造作もない事だった。そうすれば後は勝手にムカデの身体がその動きを後ろに伝え歩いてくれる。大ムカデの身体は滑らかに木々の上を這って、殆ど揺れさえ起こさずに森の上をするすると進んでいった。
前半身は高く掲げられ、Olたちの乗っている頭付近は森の遥か上、空の只中。
確かに落ちればただではすまないだろうが、平たいムカデの背の上は意外と良い乗り心地で、目には見えないがキューブで部屋状に周囲を囲っているから万が一にも落ちる心配はない。
何よりそうして進むと、地上を歩いていては見えなかった森のダンジョンの様子をよく見渡すことが出来た。
思いの外、棲んでいるものなのだな