ミオはもはや言葉もなく、ただただ感嘆の息を漏らした。
彼女たちの目の前に広がるのは、紅蓮の大瀑布。
視界いっぱいに流れ落ちる溶岩の滝であった。
お前たちの足元にあるのが、各所に繋がる陣だ
Olは床の魔法陣を指差して言う。
そこには赤、緑、そして黄に輝く魔法陣が描かれていた。
赤が火山の、緑が森のダンジョンの入り口へとつながっている。そして黄が魔王宮お前たちが今やってきたダンジョンから、ソフィアへと通ずる道だ
最近Olは、本拠地のダンジョンの事を魔王宮と呼ぶことに決めた。
魔王の迷宮であり、同時に魔の国の王宮という意味でもある。
そして今まで新大陸のダンジョンと呼んでいたものはソフィアとか、ソフィアのダンジョンと呼ぶようになっていた。
全てお前たちに描いたような、鍵を持つ人間でなければ通ることはできん。肌に傷を負う程度であれば問題ないが、解呪には気をつけろよ
鍵を持っていない者が通ろうとすればどうなるのだ?
運次第だ。いかに運が良かろうと居住区に飛ぶことはないが、運が悪ければ
エレンの問にOlは言いながら、溶岩の滝へと目を向ける。
あの中だな
なるほど、気をつけよう
石の中に転移するならまだマシだ。苦しむほどの間もないし、少なくとも死骸はそこに残る。
いつか掘り出される望みがないわけではない。
しかし全身を溶けた石に焼かれながら死ぬのは相当の苦しみを伴うことは容易く予想できたし、後には骨も残らないのだ。
さて、このままソフィアの中を案内しても良いが
Olはチラチラと緑の魔法陣に視線を送る三人に嘆息する。
森のダンジョンが気になるのだな
やはりアールヴと致しましては
見たことない動物が、たくさんいるんですよね?
最後の一人の言葉に、どうやら森のダンジョンに行くことを希望しているのはどちらかと言うとアールヴたちではなさそうだとOlは悟った。
まあよかろう。行ってこい
どうせそう言うだろうと思って、魔獣にもわざわざ鍵の呪を施し連れてこさせたのだ。
鋭い嗅覚と六つの瞳でけして敵を見逃さない三つ首の猛犬ケルベロスと、翼と毒を持ち魔術までも操る魔獣キマイラ。この二体に加え弓の名手であるエレンとセレスを森の中で倒しうる勇者など、ラファニス大陸全土を見回してもそうはいまい。
Ol様の迷宮には、あのような恐ろしい姿をした怪生がいるのですね
ミオたちを見送ると、サクヤが姿を見せてそう言った。
そう言えばこいつがいたか、とOlは内心思う。縦横無尽に強力な火炎を操る彼女とは、ミオたちは相性が悪い。勝てないかもしれない相手の一人だ。
まあ一番の化物はそれを連れた娘なのだがな
それでは、ホデリたちの本性を見ても小魚と子犬のようなものですわね
扇で口元を隠しながら、その化物に完勝できる可能性のある女はクスクスと上品に笑った。
本性か。神にかけられた呪いだとか言っておったが
まさかサクヤがかけたものではないだろう。とすれば、敵対する神が他にいるということだ。
いずこの神かは妾も存じません。ですがあの姿で放浪しているのを哀れに思い、名を与え人の姿を宿して以来、彼らは妾に従ってくれているのです
なるほどないや待て。話が合わん。奴らは代々お前に仕えていると言っておったぞ
あの呪いは子孫にも受け継がれるのです。ですから最初に拾ったのは、千年前だったか、二千年前だったか
記憶を掘り起こすかのように形の良い眉を寄せるサクヤ。
その凄まじい時間感覚に、Olは絶句した。
ねえ、パパ
Olがサクヤと過ごしていると、ふとソフィアが姿を現した。
あの女のひとたちは、パパのおともだち?
ミオたちのことか?まあそんなようなものだ
流石に全て妻だとは言いづらく、Olは言葉を濁す。
じゃああの白い服の人たちは?
白い服だと?何人もいるのか?
ソフィアの言葉に、Olは首を傾げる。
セレスは白い服を着ていたが、今日は部下を連れてきていない。
うん。たくさんいて
ソフィアで両手を掲げると、Olの目の前に映像が映る。
パパのおともだちと、けんかしてるの
ごろり、と何かが地面に転がった。
Olは己が見ている光景を信じられず、目を大きく見開く。
そこにいたのは、毛皮で出来た衣服に身を包んだ何人もの男たち。
そして、目を大きく見開いたまま地面に転がり、ぴくりとも動かないミオの姿だった。
第9話氷の女王を持て成しましょう-2
馬鹿な。奴らがこうも短時間でやられるだと!?
Olは叫びながら、右手で複雑な印を結ぶ。
彼女たちに付与した鍵には転移の魔法陣を通ることができるだけでなく、その位置や状態を知る機能もついていた。
そして返ってきたその反応に、Olは沈黙する。
場所は森のダンジョン。ソフィアが映し出している場所で間違いなく。
そしてその心臓は、完全に停止していた。
ミオだけではない。エレン、セレス。ついでに二体の魔獣もだ。
ソフィア。急ぎリルとユニス、スピナにこのことを知らせ呼んでこい。それとタツキに、テナの奴もだ
Olはぎりりと歯を鳴らしながらも、沸き立つ感情を抑えてソフィアに命ずる。
例えミオたちを容易く倒す実力があろうと、ソフィアのダンジョンを踏破するのはそう簡単なことではないはずだ。その間に戦力を整え、迎え撃たねばならない。
敵は春に攻めてくるというテナの予知を全面的に信じていたわけではない。
外れる可能性も無論考慮はしていた。
してはいたが、まさかこれほどの危機を見逃すとも思っていなかったのも事実であった。
テナならすぐそこの部屋にいたはずです。妾が呼んで参りますわ
ああ、頼む
サクヤが言って姿を消した、その瞬間であった。
緑の魔法陣が光り輝き、転移の兆候を示す。
ミオか?
振り向いたOlを、光り輝く壁が取り囲んだ。
馬鹿、な
そこにいたのは見も知らぬ、紫の髪の女だった。
分厚い毛皮の服に身を包んだ、どこか気品を感じさせる柔らかな物腰の女だ。
お邪魔しますね。無作法を許して頂けると嬉しいのですけれど
いや、正確にはOlはその姿を知っている。先程ソフィアが映し出した光景に見えた白い軍団の中に、たしかにこの女はいた。
女から視線はそらさぬまま、Olは周囲を囲む壁に指先を近づける。
ひやりとしたその感触に、すぐさまOlはその正体を悟った。
氷だ。
暖かな火山の迷宮の中だと言うのに、分厚い氷がOlを取り囲んでいた。
貴様は、何者だ?
Olは鍵に絶対の自信を抱いていた。
定着させれば目に見えず、見えたとしても精微を極めたその紋様はOlだからこそ描けるもの。
仮にその仕組みを推測できたとしても、複製などできるものではない。
魔法陣を通り抜けられるものは鍵を付与されたものだけで、例えミオたちを脅してともに魔法陣に乗ったとしても鍵を持たぬものは弾かれるだけだ。
故に、目の前にこの女が姿を現しているのはありえないことであった。
わたしはザナ。氷(ひ)の女王ザナと申します。よろしくお願いしますね。ええと、あなたは
だ
何でしょうか?
ザナと名乗った女は、Olの声を捉え損ねて一歩近づく。
Olが叫ぶと同時、ザナの下半身を見えざる迷宮(ラビュリントス)が拘束し、転移したユニスが彼女の首に向けて剣を振るった。
もう。名前くらい教えてくれたって良いではありませんか
嘘!
ユニスは目の前の光景に、目を大きく見開いた。
完璧な奇襲。完璧な一撃。予測などできるはずがなく、予測できたとしても防げるはずがない。
ユニスの剣は転移したそのときには既に、ザナの首筋に触れていたのだから。
だがその刃は、肉に食い込み血管を切り裂くまでの間に、冷たい氷によって封じ込められていた。
ごめんなさいね、本当はこんなことしたくはないのですけど
ザナはちらりと魔法陣に視線を向ける。そこには先程見た白い兵士たちが次々に転移してきて、担いでいたものをおろした。
すっごく説得力がないのはわかってるのですけれど、それでも言いますね。わたしに敵対する意思はありません。話だけでも聞いてくださいます?
ミオたちの身体に刃を突き付けながら、ザナは軽やかに問いかけた。
ああ、美味しい。素敵なお茶ですね、どうもありがとう
どういたしまして
テーブルに着き、優雅な動作で紅茶を口にしてにこやかに微笑むザナに、リルは棘のある口調で返した。
で、ええとわたしは名乗ったのですから、名前くらいは教えてくれてもいいと思うのですけど
白々しい。どのような方法をつかったかはわからぬが、転移陣を用いてやって来たお前が知らぬわけなかろう
そうですよね。普通はそう思いますよね。でも本当にわからないのです
ザナは困ったように眉根を寄せて首を振る。
太陽を知らないと言ってみろ
いいから、言ってみろ
わたしは太陽を、知りません
不思議そうにしながらも、ザナはそう言った。Olは視線は微動だにさせぬまま彼女の背後に立つリルを見ると、彼女は一度だけこくりと頷いた。嘘は見抜けているし、わざわざ言わせた嘘以外は嘘をついていないという合図だ。
魔王、Olだ
そうですか。よろしく、Olさん
Olが名乗ると、ザナはまるで旅先で出会った友人の様ににこりと笑った。
一瞬でOlたちを打ちのめしたくせに、その笑みには邪気や敵意と言ったものがまるでない。
簡単に言ってしまいますと。わたしはあなたと同盟を組みにきたのです
同盟だと?
ええ。氷室(ヒムロ)の女王として、砂原(サハラ)を滅ぼすための同盟を
そして昼食の話でもするような気軽さで、剣呑かつ重大なことを口にした。
わたしの能力を教えてしまいますと、最善手です。その時その時の最善手を打つことが出来るのです。だからここにやってこれたし、あなたとの交渉のテーブルにつくために力を示しました。そうでなければ話も聞いてくれなかったでしょう?
最善手、だと!?
そのめちゃくちゃな話に、Olは思わず目を剥いた。
未来を読むとかいうテナの能力でさえ大概であったが、ザナのいう事が真実であれば彼女のそれは比較にもならない。
だがそんな能力でも持っていない限り出来ない芸当をやってのけたのも確かなことだった。
だから勿論死んでませんよ、あの子達も。わたしの力で氷漬けにして仮死状態になってるだけだから安心して下さい
無論だ。そうでなければ手など組めるものか
渋面を作って頷きつつも、Olは内心胸を撫で下ろした。
魂が肉体の中に入っているのは確認したから、仮に死んでいても蘇生することは出来る。とは言えそれは必ず成功するという類のものではない。Olほどの術者が試みても十回に一度は失敗する。その心配がなくなったのは正直ありがたいことだった。
それだけの力を持ってるくせになぜ同盟など組みたがる?
勝てないから、です
端的に、ザナは答える。
この能力を持ってるからこそわかるのです。どれだけ最善手を打っても、わたしは砂原には勝てない
ザナの瞳が、鋭く光る。
だがそれも一瞬のことで、彼女は再びにこやかな瞳をOlに向けた。
その話に俺が応じると思うのか?
さあ?
Olが問うと、彼女は小首を傾げた。
わたしにわかるのは、こう頼むのが最善手ということだけです。あなたがいつ承諾してくれるかはわからないし、もしかしたら応じてくれないのかもしれない。でもどっちにしろ、わたしにとって良い方向に転がるのは間違いないのです
反則的なそれでいて、奇妙な能力だった。
そこまで出来るのなら、その結果もわかってしかるべきではなかろうか。
彼女の言うことを全て信じるのなら、最善手と言いつつもそれが何故最善であるか、本当に最善であるのか、ザナ自身にはわからないということなのだ。そんなものを信じ行動できるということが、Olには理解できなかった。
だから、しばらくお世話になりますね。承諾してくれるまで
ザナはぺろりと舌を出すと、輝く小さな石のようなものを吐き出す。
それはOlが紅茶に入れた毒を凍らせ、結晶化させたものだ。
あ、部屋はわたし一人のもので十分です。兵たちには帰らせますから。それと、使い魔さん
ザナはカップをリルに向け、にこやかな笑顔を浮かべて言った。
おかわり、頂けますか?できれば今度は毒抜きで
第9話氷の女王を持て成しましょう-3
こ、こんにちは
にこやかに手を振る女性に、ミオは思わず怪訝な表情をしながらも挨拶を返す。
今日はあの人はご在宅ですか?
主殿のお知り合いか?
武器は持っておらず、敵意も殺意も微塵も感じられない。
その人好きのする笑みと柔和な雰囲気に、エレンは敵ではないと判断した。