現地の人間で何人か協力者を得たという情報はOlから聞いていたからだ。

ええ、そんなところです。書状をお持ちしたのだけど、お渡しして頂けます?

女は懐から手紙を取り出すと、エレンに差し出す。

承った

エレンは生粋の武人だ。どのような時であろうと油断など微塵もない。

例えその場で切りかかられようと、彼女が矢を抜き弓を構えて射る方が早い。

その自信があった。

いけないっ!

セレスが咄嗟にエレンを突き飛ばす。

ザナの伸ばした指がセレスの肌に触れた瞬間、彼女の全身は凍り付いていた。

あら

ザナは大きく目を見開く。

擬態は完璧のはずで、なぜ察知されたのか彼女にもわからなかったからだ。

突き飛ばされ地面を転がりながら、怒るよりも驚くよりも早くエレンは矢を放っていた。

だがその矢は空中で止まり、虚空にひびが入る。

貴様!

更に二本の矢を放ちながらも、エレンは怒号をあげた。

しかしそれも、見えない氷の壁に阻まれザナに傷を負わせることはない。

四本目を射ようとしたとき、エレンの弓は弾け飛んだ。

冷気によって凍り付かされた弦が彼女の力に耐えきれず千切れたのだ。

エレンさん!

その隙を突かれて凍らされ、倒れ伏すエレンにミオは叫んだ。

彼女の意思に従って、二体の魔獣はその喉の奥から炎を吐き出す。

おっと、それはまずいですね

ザナは身を翻らせて後ろに下がる。

獣の魔王の力によって増幅された魔獣の炎は、鉄をも溶かす熱量を持っていた。

氷などどれほど冷たかろうが、一瞬で蒸気に変えてしまう。

でもせっかく首がたくさんあっても、身体が二つしかないというのは悪手です

ザナが手を振り上げると、その背後か弓矢を持ったら兵士たちが姿を現す。

その存在自体には、ミオもエレン達も既に気づいていた。

精兵と呼んでいい練度であることは確かだが、所詮はその程度だ。

万人いようがミオなら食い破れるという確信があった。

その矢が、凍り付き倒れ伏したエレンとセレスを狙ってさえいなければ。

放たれた矢を撃ち落とさせるしか、ミオには取れる手段がなかった。

その間にザナの姿が迫ってきて

そして、彼女は意識を失った。

それが私の覚えている全てです

ザナと出会った時のことを語り終え、ミオは一息ついて熱い茶を口にする。

やはり、私が足を引っ張ってしまったのだなすまん、ミオ

面目次第もありません

いえいえ。エレンやセレスのせいじゃないですよ。判断ミスは誰にもなかったと思います

ですよね、と視線を向けるミオに、Olは頷いた。

ああ。もしミスがあったとするならば、こちらの方だ

そうは言っても、見えぬものは見えぬのだから仕方あるまい

話を向けられたテナは憮然とした表情でそう答えた。

ダンジョンに訪れる事だけではない。今なお、奴が次に何をするのかようとして知れぬ。恐らくはその能力のせいであろうが

正確には、ザナの未来を見ること自体は出来た。だがその未来はあまりにもあやふやなもので、すぐに別のものへと移り変わってしまう。

このようなことは初めていや、一度だけあったか

いつの事だ?

あの赤い髪の少女。ユニスの未来を見た時のことじゃ

Olたちと共に試練の山に訪れた時、ユニスが転移しようとした途端、その未来は読みにくいものになった。程度に差はあるとはいえ、現象としては近しいように思える。

参考になったというより、テナの予知の穴が見つかっただけのように思えるな。まあ良い、もともとお前の能力にはさほど期待もしておらん

ぐっそ、そこまで言わんでも良いじゃろうが!

今回の事はお前ではなく、俺のミスだと言っておるのだ

そう言ってやると、テナは砂をかぶせられた炎のように大人しくなった。

当初抱いた懸念の通り、予知がどれだけ便利であろうと頼りすぎては身を滅ぼす。

致命的な事態になる前にそれが分かっただけでも幸いだ。

そしてそれは恐らく、ザナの能力も同じこと。

万能に思える力だろうと必ずどこかに穴はあるはずだ。

Olはそれを見つけるべく、ザナの元へと向かった。

あー、悔しい!ね、もう一回、もう一回だけ勝負して!

マリー、順番を守りなさい。次は私の番です

その次はボクですよ!

わたしは誰からでも構いませんよ

お前たちは何をやっておるのだ

卓を囲んでにぎやかに騒いでいる四人の娘に、Olは呆れた声をあげた。

マリー、ユツ、スピナの三人が遊んでいるのはいいとして、その対面に座っているのがザナだったからだ。

チェスを教えてもらっていたのです。なかなか面白いですね、これ

駒を並べなおしながら楽しそうにザナは答える。

敵地とまでは言わないまでも居心地のいい場所ではないだろうに、まるで友人の家に遊びに来ているかのようなくつろぎぶりだ。

最善手を打てるっていうから、すっごく強いのかと思ったらそうでもないんだよね

スピナと席をかわって対局を見守りながら、マリーは言う。

確かにその打ち方には目を見張るようなものはなかった。スピナもそれほど強いというわけではないが、そのスピナと同程度か少し強い程度のものだ。

チェスに偶然はない。無論たまたま思いついた手で勝つことはあり得るが、それは人の頭の中の都合であって盤面自体は何度でも再現できるものだ。

つまり突き詰めてしまえば、先手後手が決まった時点で勝利は決する。そうならないのは人の先読みに限界があるからでしかない。もし常に最善手が打てるとするなら、スピナ程度一つの駒も取られずに圧倒しててもいいはずだ。

そこまでの力はないのか、それともそもそも能力を使っていないのかあるいは、この状況そのものがOlが用意したものであると知ってあえて加減しているのか。

やがて接戦は辛くもザナの勝利に終わり、スピナは無表情のまま悔しそうに唇を引き結んだ。Olとマリーくらいにしかわからない表情の変化だ。

では次は、俺と勝負してみるか

スピナと席をかわってザナの対面につきながら、Olは言う。

俺に勝てたなら同盟の件、考えてやっても良い

負けたらどうなるのですか?

そうだな。お前の全てを貰おうか

さて、どうでるか、とOlはひとりごちた。

あまりに不平等な取引だ。普通に考えれば受け入れられるものではない。

ザナはしばし考えるように瞑目し、そして目を開いていった。

いいでしょう。その勝負、お引き受けします

よほど自信があるのか、それともそれだけ切実に同盟を望んでいるのか。

あるいはそれも最善手のうちなのかはわからないが、ザナは確かに頷いた。

Olの指先から炎が迸り、ザナの胸に焼き付ける。それは彼女の服に焦げ跡すら残すことなく、しかし魂の奥底に印を刻み付けた。誓約の呪いだ。例えどんな手を打とうと、己自身が誓った呪いからは逃れられない。

さて、では駒を選べ

Olは両手に白と黒のポーンをそれぞれ隠し持つと、ザナに拳を突き出した。

ではこちらで

ザナはOlの左手を選ぶ。そちらに握りこまれていたのは、黒のポーンであった。

一般的には、チェスは先手である白の方が有利であると言われている。

果たしてそれが最善という事なのか。

では、俺の先手だ。いくぞ

序盤、定石に従って布陣していくOlに対し、ザナの並べ方は完全に素人のそれであった。

それでも悪手というほどの悪手がないのは能力ゆえか。とはいえOlの目から見ても、最善手とは程遠いものであるのは明らかだった。

しかし中盤になるに従い、形勢は徐々に変わり始めた。予期せぬ位置に置かれた駒にOlは攻めあぐね、じわじわとではあるがザナが優勢に転じていく。

その様子を見て、Olは予測していた仮説がある程度正しい事をほぼ確信した。

最善手と言っても何を持って最善とするのか、という問題がある。

例えば今Olはザナのポーンを倒したが、ザナはそれによって三手後にナイトを打ち取ることが出来る。ポーンを失うというのは短期的には損だが、長い目で見ればそれより強いナイトを倒せるのだから得となる。つまり本当の意味で最善手を打つのならば、その場その場ではなく長期的な目で、総合的に最善となる手を打たねばならない。

普通に考えれば基準とするのは終局つまり勝利するまでの道筋をすべて読み切るという事だろうが、ザナの能力にそこまでの力はないとOlは読んだ。中盤から優勢になっているのがその証左だ。その傾向はスピナとの対戦でも見られていた。局が進めば打てる手の数は減り、その分読める手は多くなる。ザナの能力で打てる最善手も明確になるのだろう。

スピナが小さく声をあげる。Olのクイーンが、ザナによって取り除かれたからだ。

八方向に幾らでも進めるクイーンは、チェスの中で最強の駒だ。

これを取られるのは相当な劣勢に追い込まれたことを意味する。

かかったな

だがOlは、ニヤリと笑みを浮かべた。

スピナとの対局から、Olはザナが中盤に読める手の数を十手と見た。

ならば簡単な話だ。十手目に最高の戦果を収め、十一手目に破滅する道筋を用意してやればよい。

進んだ後にはもはや引き返すこともできず、一時の勝利に向かう他ない。気付いた時にはザナの敗北は決定している。残り三十手で、Olの勝ちだ。

あら

ようやくそれに気づいたのか、ザナの表情は徐々に曇り始める。

しかしもはや遅い。彼女が詰むまで、Olは手を間違えぬように打つだけだ。

と、不意にザナが奇妙な手を打って、Olは一瞬手を止めた。何の意味もない、ただ損をするだけの手だ。何の問題もないはず。

頭の中の棋譜を修正しながら、Olは生贄の様に差し出されたビショップを倒す。

自棄になったのかその後もザナは次々と奇妙な手を打ち続け、Olはその度に棋譜を修正し

そして、いつの間にか自分が劣勢に立たされていることに気が付いた。

三十手先にあったはずの勝利は近づくどころか遥か彼方に消え、気付けばその前に壁が立ちはだかっている。自分の打った手を思い返しても、そこにミスはなかったはずだ。だがザナは、ありえないはずの挽回をして見せた。その起点になっているのは間違いなく、先ほどの奇妙な一手だ。

ありえない一手。チェス巧者だからこそ感覚的に切り捨ててしまう、異常な手。だがここまでの道を辿ってみれば、それはまさに最善手。ザナが生き残る唯一の道だった。

Olが負けるまではあと三手。勝つ道はどこにも残されていなかった。

盤面の、上には。

ザナがまさにチェックメイトをかけようとクイーンを動かしたその瞬間、突然ダンジョンがぐらりと揺れた。それはほんの一瞬のことであったが、ザナは思わず駒を取り落とす。

ごめんなさい、置くのはここじゃなくて

クイーンを動かそうとするザナの腕を、Olは掴んだ。

お前の手番は、終わりだ

それはタッチアンドムーブと呼ばれるチェスのルールだ。自分の手番で最初に触れた駒は必ず動かさねばならず、手を放した駒を再度動かすことはできない。

無論動かした場所が駒の動ける場所であればの話だが、ザナのクイーンは動くことが可能な場所本来動かそうとしたマスの一つ手前に落ちていた。

そしてそれは、致命の一手だ。

チェックメイトだ

ザナのクイーンを倒し、Olはそう宣言した。

第9話氷の女王を持て成しましょう-4

Ol自身を含む配下の中で、もっともチェスが上手いのは誰か。

無論相性もあれば、その時々で勝敗は転がる程度の差でしかないが

最も勝率が良いのはOlでもメリザンドでもなく、ウィキアであった。

何故か遥か格下のユニスにどうしても勝てなかったりはするが、その読みの深さは随一だ。

彼女は無事勝負のついた映像を目にして、安堵の息をついた。

ソフィアもお疲れ様

ウィキアは地震を起こしたソフィアを労う。タイミングは完璧だったが、それでもザナが駒を取り落とすかどうかは半々といったところだった。

しかしこれでザナがOlの所有物になると思うと、ウィキアの胸には複雑な思いが去来した。

状況は違えど盤上の勝負を挑み、所有の印を刻まれるというのは自分がOlの配下になった経緯とそっくり同じだったからだ。

まさかその手伝いを自分がすることになろうとは、夢にも思わなかった。

とはいえOlがそうしろと命じたわけではない。

盤上の最善に気を取られれば、盤外にまでは考えが及ばぬかもしれん。

彼はただウィキアにそう伝えて、ソフィアと共に待機するよう言いつけただけだ。

だが、とウィキアは思う。

だが本当に自分は、ザナを出し抜いたのだろうか。

Перейти на страницу:

Поиск

Нет соединения с сервером, попробуйте зайти чуть позже