ただの、とはまさか旦那様の国では、斯様におぞましい存在が珍しいものではないと仰るのですか?

あーうん、まあ、珍しくはないかな

そのおぞましい存在とやらを、まだダンジョンが整っていない時代にはよく戦力として使ってましたとは言えずにリルは言葉を濁す。

でもリビングデッドならそんなに怖いと思えないなあ。あたしたちの知ってるのと違うのかな?傷がすぐ治っちゃうとか、すっごく早く動くとか

死体を魔力で動かしているだけのリビングデッドは、多少戦闘の心得がある者にとってはさして恐ろしい相手ではない。痛みや恐怖に怯まないから囲まれると多少厄介ではあるが、それでも雑魚と言ってしまっていい部類の魔物だ。

いえ。一体一体は仰る通り大した脅威ではありません。カラカラに乾いているからわたしの氷術が通りにくいのは難点ではありますが、皆さんなら簡単に倒せるはずです

では、数か

Olの問いに、ザナは頷く。

サハラの国で生まれ死んだもの。その全てが不死兵です。その正確な数までは存じませんが少なくとも優に一億を超えるでしょう

一、億?

その答えに、流石にOlたちは言葉を失った。

Olさま、一億って、どのくらいすごいの?

多いということだけはわかるのだが、多すぎてピンとこずにマリーは尋ねる。

軍事大国と呼ばれるユニスの故国、グランディエラですら国中から兵士をかき集めてせいぜい三十万。魔宮からこちらへ持ってこれる兵は、まあ多く見積もっても十万というところだろうな

じゅうまんってことは

マリーは指を折り折り数え、大きく目を見開いた。

百倍!?

一千倍だ、愚か者

Olは深々と息をつきながら、力なく言った。

第10話砂の王に挑みましょう-2

それが本当だとすれば、まずいな

ダンジョン攻略において最も効果的な戦術が、実は人海戦術だ。

罠も守衛の魔物も一度に対処できる人数は限られている。

とにかく頭数さえあれば練度も能力も大して関係なく踏破出来てしまう。

ダンジョンという空間が有限である以上、これは原理的に防ぎようがない。

そうは言っても十万や二十万程度飲み込む自信はあったが、一億となると流石に不可能であることは火を見るより明らかだった。

その上相手には全知の力があるという。どの程度のものかは分からないが、少なくとも最適な経路を割り出したり、罠の位置を見破る程度のことはできよう。つまり最悪、本拠地の魔宮まで乗り込んでくる可能性もあるということだ。

だがそれが本当だとすれば、お前はこんなところにいて良いのか?

問題ありません

雪山を隔てているヤマトと違い、ヒムロはサハラの隣国だ。攻めようとすればいくらでも攻められる。敵対する国の王がわずかとは言え手勢を率いてやってきたのだ。全知などなくともザナがここにいることも承知しているはず。

ヒムロは雪に覆われた国です。言い換えれば、水が溢れている。サハラの不死兵にとってそれは忌避すべきもの。それにそもそも、ヒムロを攻める理由がないのです

何故だ?お前はサハラを滅ぼそうとしているのだろう

ヒムロにはサハラを滅ぼす力はありません。そして、ヒムロを滅ぼして得られるものもない。ヒムロは、雪と氷に覆われた貧しく不毛の国ですから

語ると同時、ザナの心中にヒムロの国の情景が浮かんだ。

季節の別なく一年中氷に閉ざされたその国では、草花も家畜もほとんど育たない。

民はロクに食べるものもなく貧しい暮らしを強いられ、王族であるザナですら贅沢といえるような生活は全くしていなかった。

不毛というのならばサハラとやらも同様ではないのか。砂漠の国だと聞いたぞ

いいえ、それは逆です。サハラほど肥沃な土地はそうありません。砂漠が広がるのは、その肥沃さを一点に集めているがゆえのことなのです

ザナの胸の中にあるは羨望と嫉妬、憎しみと

つまり滅ぼそうと思えば滅ぼせるが、滅ぼしたところで害はあれども利はなく、脅威でもないため捨て置かれているということか

そういう、ことですね

民に苦しい生活をさせていることへの、深い悔恨だった。

そうとなれば、ヒムロの戦力は当てには出来ないということだ。

(悪かったわね)

Olの思考を読んで、ザナは不貞腐れたような、後ろめたいような感情で言う。

(気にするな。元々当てにはしておらん。とは言え)

どう対処したものか

この上なく厄介な相手であった。三つの能力のうち、どれか一つあるいは、二つまでならどうにかなったかもしれない。だが全知によって奇襲奇策は通じず、個の強さも数の力も桁外れとなると、打つ手が無いようにさえ思えた。

おうる、おうる!たつきが、みずでばしゃー!ってするよ!

思い悩むOlに、タツキがぶんぶんと手を上げて言った。

お前は水を操ることは出来ても、作り出すことはできんだろうが。水の一滴もない砂の海でどうする気だ

えー。水がないのに海なの?なにそれ、へんじゃない?

会議の席にこいつを連れてきたのは誰だ、とOlは額に手を当てる。

むー。おうるのやくにたちたいのになあ

ああ。お前の力は当てにしている。だからいざという時頼む

頬をふくらますタツキに、Olは本心から言った。

少なくとも、ダンジョンの防衛という点においては彼女ほど役に立つものもいない。侵入者が足を踏み入れた通路や部屋を水で埋めてしまえばタツキの独壇場だ。水中戦で陸の生き物が海の神に勝てるわけがない。

とは言えそれさえも凌駕するのが数の力だ。死者に呼吸は必要ないし、水で押し流されることへの対処だけなんとかすれば戦える。そうしたところでタツキの敵ではないだろうが、神とて何日も不眠不休で戦えるわけではない。

主殿。我々にお任せ頂けぬか

静かなしかし決意を秘めた声で言ったのは、エレンだった。

何か策でもあるのか?

ありません

すっぱりと、いっそ潔い口調でエレンは断言する。

しかし死に損ないの一億や二億に遅れを取る我らが氏族ではない

無茶を言うな

我らに汚名を濯ぐ機会を与えてほしいのです

Olが諌めようとすると、セレスまでもがそう言い出した。

汚名というのはザナを相手に不覚を取ったことだろう。

汚名などとは思っておらん。あれは俺の失態であって、お前たちに責はない

何故一言、お命じ下さらぬのですか。邪魔な者共を皆殺しにしてこい、と

硬い口調で言うエレンに、Olは瞑目する。

人間の兵、十万二十万ならばそう命じもしよう。だが相手は文字通りの死兵、一億もの軍勢だ。みすみす死なせに行くようなものだ

生きた人間ならば、ある程度相手に損害を与えれば士気を保てず瓦解する。

だが恐怖を知らず腹も減らない生ける屍は、最後の一兵までもが動かなくなるまで戦うだろう。まともに戦っていい相手ではない。

我ら、主殿の為ならばこの生命、惜しくなどありません!

はい、そこまでー

エレンががたりと席を立ち、叫ぶように言ったところでリルがパンパンと手を打ち鳴らした。

エレン、セレス。あなた達が一騎当千ううん、一騎当万の精兵であることはわたしもOlもよーく知ってるわ。でもね、だとしても百人で百万しか倒せないじゃないのよ。一億には二桁足りないわ。そもそも一億の矢をどこから用意するのよ

そ、それは魔力で作り出せば

ダンジョンコアを空にする気?

リルがそう言うと、エレンは流石にうっと呻いて押し黙る。

久方ぶりの強敵なのは間違いない。お前たちの力は必ずや必要となるだろう。その時が来れば存分に頼らせてもらう

なんとか納得したのか、エレンは跪き頭を垂れる。

助かった、とリルに目配せすれば、彼女はにっこり笑ってヒラヒラと手を振った。

(随分お優しいのね)

(悪いか)

解散した後ザナからかけられた心の声に、Olは唸るように答えた。

悪い自覚があったからだ。

(言っておくけどあの子の提案は、最善よ)

(だろうな)

一億の兵がいるからと言って、それを全て相手にする必要などない。

チェスと同じだ。駒を犠牲にすれば王手をかけられる。

エレンたちに砂の王までの血路を開かせ、ユニスなりローガンなりに砂の王を殺させる。

おそらくはそれが最善であろうことはOlもわかっていた。

Olのためなら命など惜しくない。

エレンがそういった時、Olは思ってしまったのだ。

嫌だ、と。

それは王として正しい判断ではない。

百を生かすために一の損害で済むのなら、それを選ばねばならない。

すべてを知る相手に一億の死兵。

それは明らかに、かつてメリザンドが率いたラファニスよりも強大な敵なのだから。

(別に、悪くないわ。わたしも何も言わなかったでしょう)

最善の力はあそこでエレンの肩を持ち、けしかけることだと告げていた。

(ただ、不思議だっただけ。あなたにはそれこそ何十人も奥さんがいて、その内の一人なんでしょう?それとも、あの黒くて胸の大きい子か、白くて胸の大きい子は、あなたの特別なお気に入りだったの?)

だがザナはあえてそうしなかった。

恐らくそれをすればOlとの関係は著しく悪化する。

砂の王を倒す一手だけを考えるならともかく、その後のことを考えるならば得策ではないと判断したからだ。

(特別も何もあるものか。気に入っておらぬものを閨になど呼ばん)

(あのねえ。それじゃ、あたしも気に入ってるってことになるじゃないのよ)

(その通りだがなんだ)

(えっ)

Olは目を見開くザナを改めて見つめた。

波打つ紫の髪はどこか幻想的で、髪より僅かに明るい色彩の瞳は紫水晶のよう。

儚さと力強さを同時に感じさせる不思議な雰囲気がある。

端正な顔立ちとそのほっそりとした佇まいは妖精にも似て、彼女自身が月の化身と言われても信じてしまいそうなほどに美しかった。

(ななんで、敵になるかも知れない女を口説いてるのよ)

(口説いてなどいない。ただの事実だ。でなければあれほど求めたりするものか)

Olの言葉に呼応して、ザナの脳裏に昨晩の様子が浮かび上がった。

(馬鹿!この節操なし!)

ザナはそう捨て置いて、足早に逃げ去っていく。

あんな見た目ならこの程度の世辞など聞き飽きているだろうに。

Olは嘆息し、その背中を見送った。

第10話砂の王に挑みましょう-3

ユニスは一人、ダンジョンの片隅に作られた訓練場で剣を振るっていた。

ふっ

鋭い呼吸音とともに、珠のような汗が舞い散る。

それは空中にあるうちに剣で縦に切り裂かれ二つに分かれ、更に横に切られて四つ、斜めに切られ八つに分かたれた。

相変わらず凄い動きだね

ユニスが剣を振る音しかしなかった空間に、パチパチと拍手の音が鳴り響いた。

感心しきり、と言った様子でいいながら現れたのはマリーだ。

訓練を止めることなく、ユニスは動きを続けたままマリーに問うた。

ローガン見なかった?ちょっとソフィアの世話をお願いしたくて

見てないかな。向こうにスピナがいたから、そっちに頼んだら?

うーん。そうするかなあ最近ローガン、すぐいなくなっちゃうんだよね

ところでマリー、剣の訓練はちゃんと続けてるの?

ユニスの問いに、マリーはぎくりと身体を震わせた。

まあまあ、かなありがとね、ユニスっ

そう言ってマリーはさっと身を翻し、迷宮の奥へと走っていく。

勿体無いなあ。せっかく才能はあるのに

剣にせよ魔術にせよ、あるいはその他のことにせよ、マリーは非常に飲み込みがいい。だがそれゆえにか、どうにも飽きっぽくひとつの事に集中できないきらいがあった。

そう思わない?ローガン

英雄に才能があるなんて言われてもな

虚空に向かって呼びかければ、影はじわりと形を取って赤い悪魔へと変じた。

マリーに言ったことは嘘ではない。ユニスはローガンの姿を見てはいない。

だが柱の影に入り込んだその存在そのものには訓練場に足を踏み入れたときから気づいていた。

それも、どうなんだろうね。英雄だから才能があるのか、才能があるから英雄になるのか

ユニスは地道な剣の訓練というものを殆どしたことがなかった。

思うとおりに振り回せばそれで敵無しで、戦いの勘はほとんど実戦で磨いてきたものだ。

自身も英雄である父ウォルフに言わせれば、英雄というのは大抵、皆そういったものであるらしい。

言いつつユニスは後ろに飛び退り、足に力を込める。

距離をとって走り抜けながら、その勢いを乗せた斬撃を転移させて相手を切り刻む。

四方八方から襲い掛かる無数の見えない斬撃は回避も防御も不可能。

名はないが、ユニスにとって必殺といっていい技だ。

そして、剣を振り終える前に、ユニスは息を飲んだ。

また負けたな

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