第10話砂の王に挑みましょう-5
ローガーーーーーーーン!
両手両足を広げ、崖から落下しながらもマリーは叫ぶ。
壁面に伸びた彼女の影がぐにゃりと歪んだかと思えば、四本腕の悪魔の形を取ってマリーを抱きかかえた。
追って!
おう!
音もなく着地しサハラの軍勢に向かって走りゆく魔獣の背を、ローガンは低空を飛びながら追いかける。
だがマリー、さっきのでかい炎がきたらどうする。俺は大丈夫でも、お前は死ぬぜ
大丈夫。相手の目的はソフィアだよ。だからまっすぐ追いかけてれば、ソフィを巻き込むような術は使えない
なるほど、上出来だ。じゃあ捕まってな!
ローガンの背に移動しながら冷静に答える少女に、赤い悪魔は口笛を吹いた。
その行く手を、うごめく死者たちが遮る。
全身を古びた布でぐるぐる巻きにしたおぞましい屍たちはソフィアを咥えた魔獣の道を開けると、それを塞ぐようにしてローガンとマリーの眼前に立ちはだかった。
行くぜ、合わせろよマリー!
四本の腕と四振りの剣が宙を舞い、まるで竜巻のように死者たちを切り刻む。
ローガンの放った炎に触れた死者は瞬く間に燃え上がり、それをマリーの起こした魔術の風が運んで広げながら吹き飛ばす。
一体一体は大した強さも持たず、簡単に打ち倒すことが出来た。
ちっ、キリがねえな!
だが問題はその数だ。どれほど倒しても死者たちは後から後から湧いて出る。
ローガンはそれを掻き分けながら進むが勢いは瞬く間に衰えて、ついには足を止めて応戦せざるを得なくなってしまった。
ローガン、もっと高く飛べない?
狙い撃ちにされる可能性もあるがしゃあねえな!
このままでは早晩身動きが取れなくなってしまう。それよりはマシだとローガンが飛び上がったその瞬間、大きな影がその行く手を塞いでローガンを叩き落とした。
なんだ、こいつぁ?
十字にして受けた四本の腕のうち一本を切り落とされて、ローガンは思わず目を見開く。
それは槍を持ち、馬に乗った不死兵だった。
馬もまた死者であり、肉も筋もなく骨だけで動いている。
それに跨る不死兵はボロボロの布を身体に巻いた姿こそ他の雑兵と同じだが、その佇まいと存在感は明らかに別格だ。
面倒なことになってきやがったぜ!
騎馬の不死兵が現れても、他の雑兵たちは動きを止めることなく四方八方から襲い掛かってくる。騎馬の不死兵はそれを薙ぎ払う隙を突いては槍を繰り出し、反撃しようとしても雑兵を盾にしながら騎乗の機動力を活かしてさっと距離をとってしまうのだ。
強さだけでなく、動き自体も死者離れしている。
まずいな!
強さで言えば、騎馬の不死兵はローガンどころかマリーよりも弱いだろう。
だがそれは一対一で戦った場合の話だ。
無数の不死兵に囲まれた状況では思うように戦えず、空に飛び出そうとすれば長い槍で撃ち落とされる。じわじわと追い詰められていく状況に、ローガンが歯噛みした、その時。
まったく、手のかかる師妹ですね
涼やかな声が、マリーの胸元から聞こえた。
姉さん?
一体いつの間に潜んでいたのか、マリーの懐に忍び込んでいたのは手のひらに乗ってしまいそうな程に小さなスピナであった。
本体は元々の大きさより小さくなることは出来ないから、分け身であろうことはわかる。だがなぜかいつものスピナとは違う気がして、マリーは戸惑いの声を上げた。
私を投げなさい
言われるがままに、マリーはスピナの身体を手のひらに乗せて、騎馬の不死兵に向かって投げつける。不死兵は小さなスピナの姿にも油断することなく槍を振るい、一撃で両断した。
頭から二つに分かたれたスピナはそのまま粘体(スライム)へと変化する。いつもは深い青色をしているはずのその姿は、何故か禍々しい血のような赤であった。
そして飛び散ったスピナの破片を浴びた不死兵たちが、突然叫び声を上げ始める。腐った木のうろの中に響くような、空虚で苦しげな声だ。
い、一体何だってんだ?
わかんないけど、ロクでもないことしてるのだけはわかる
ローガンでさえやや怯えたような声を上げ、マリーは呻くように答える。
不死兵たちはシュウシュウと煙を立てながら徐々に小さくなっていき、やがて身体に巻いた布だけを残して消滅した。そしてその布がうごめいたかと思えば、下からずりずりと赤い塊が這いずりだして集まっていく。
赤い塊は互いに寄り集まって伸び、形を整え、その色を透けるような白と闇のような黒に染め上げて、服をまとったスピナの姿を取った。
あの、姉さん、それは?
改造しました
こともなげに、スピナは答える。
新大陸の人間たちは皆魔力を持っていない。
霊力なる力はあまりに勝手が違いすぎて、スピナにもそれを食らうスライムを作り出すことはまだできなかった。
なのでスピナは初心にかえり、シンプルに対処することにした。
この分け身は、肉食みスライムです
宣言するスピナの足を取り巻く蛇のような意匠が、ぶわりと広がって周りの不死兵たちを突き刺す。それは彼らの巻いた布を微塵も傷つけることなく、中身の死骸だけを溶かし喰らった。
Olの弟子となった時初めて作ったスライムに少し手を加えて真反対の性質を与えた、肉だけを食らうスライムだ。
不死兵たちを喰らえば喰らうほど蛇の尾のような触手は増えて、周りの不死兵たちを取り込んでいく。その戦い方に、マリーは見覚えがあった。
それって、ヤマタノオロチの
ええ。多少、参考にはしました
全身から触手を揺蕩わせ、スピナは答える。
ローガンとマリーは大量の敵に疲弊し消耗するばかりであったが、彼女は逆だ。敵が来れば来るほどそれを餌にして強く大きくなっていく。
さて、あなた達は
言いかけたその時、騎馬の不死兵の槍がスピナの頭を貫いた。
だが彼女は眉一つ動かすことなくその槍を掴み、触手を伸ばす。
不死兵は咄嗟に槍を手放し逃げようとしたが、それよりも早く無数の触手は馬ごと不死兵を貫いて、己が栄養へと変えた。
消化できない不死馬の骨だけがスピナの喉元にせり上がってきて、彼女はそれをぷっと吐き出す。
失礼。あなた達はあの子ソフィアを追いなさい
やや恥ずかしげに口元をおさえた後、槍が刺さったままスピナはマリーに命じた。
同時に四方八方から飛びかかってくる不死兵たちが、触手に貫かれて崩れ落ちる。それに伴いスピナの身体は更に膨れ上がり、もはや巨人の如き大きさとなった。
道は私が開きます
その腕をぶんと揮えば不死の兵たちは吹き飛び、襲いかかるものもシュウシュウと煙を立ち上げながらあっという間に消化吸収され、スピナはますます大きくなる。
無数の触手はどんどんその数を増やしていき、手当たり次第に死者たちを食らっていくその様はもはやおぞましい死兵の蠢く戦場ではなく、飢えた狼に襲われた哀れな羊たちの牧場のような有様であった。
マリーお前のねえちゃん、どんどん人間離れしていくな
震える声で囁くローガンにマリーは頷き。
ソフィって本当に、世界一こわいよね!
輝かんばかりの笑顔でそういった。
第10話砂の王に挑みましょう-6
俺の記憶が確かならよ
ローガンは、不意にぽつりと言った。
Olの旦那が新大陸に行くって時、スピナの奴がついていかなかったのは分け身が暴走する恐れがあるから、だったよな?
リルもスピナも分け身を作ることが出来るが、その性質、方法はまったく別のものだ。
リルが作るそれは、Olの形代に近い。どれも本物で、ある意味ではどれも偽物だ。
こちらの姿は魔力で作った現身であり、本体は魔界にいるのだから。
それに対してスピナの分け身は、彼女が作り出した一種の魔法生物に過ぎない。
スピナとほぼおなじ能力をもち、同じように考え、同じように行動できるが、魂は持っておらず実際どう行動するかはスピナ自身でさえも予測できない。
故に、常に暴走の恐れを孕んでいた。
無論スピナはスピナだからOlの害となることをしたりはしないはずなのだが、二人きりになったら、自分で自分が何をするかわからないと断腸の思いで断ったのだ。
翻って、現状である。
あれ、暴走してんじゃねえのか
うーん。普段通りといえば普段通りという気もしないでもない
もりもりと死者たちを引っ掴んでは喰らい大暴れする巨大スピナに、ローガンとマリーはいっそ呑気とすら言える口調でそんなことを言い合っていた。
彼女たちにも無論周りの不死兵たちは襲い掛かってきてはいるのだが、大多数がスピナへの対処に向かっているため簡単に倒してしまえる程度のものでしかない。
先程現れた騎馬の不死兵のような特別製と思しき個体も何体か見かけてはいたが、巨大スピナの前に為す術もなく取り込まれていくだけであった。
お、マリー。尻尾が見えたぜ
うっすらと透けるスピナの体を通して、ソフィアを咥えた魔獣の姿が彼方に見える。
わかってます
緩慢にも見える動きで、スピナは腕を長く伸ばす。だがそれはあまりの巨体故にそう見えるだけで、実際には凄まじい速度で彼女は魔獣の後ろ足を捉えた。
よしっ
ローガンが快哉を叫びかけた、その瞬間。
突如として、スピナの身体が爆ぜた。
姉さん!?
上半身がごっそりと抉られ消滅したかと思えば、残る下半身には炎が回り、みるみるうちに彼女の身体は焼け落ち溶けていく。
炎が、弱点だったんだ
スライムには必ず弱点がある。例えばスピナの本体であれば塩水に弱く、浴びれば軟体状態を保っていられず魔力も吸収できなくなってしまう。
肉食みの分け身にとってはそれが炎なのだろう、とマリーは推測した。
いや、違うぜマリー。敵が強力な炎の術者だってことはわかってたんだ。あの旦那の一番弟子が、そんな迂闊なことをするわけがねえ
だがローガンは焦りの滲んだ声色で言って首を振る。
あの炎、ただの火じゃねえ。もっとエグい何かだ
間違いなく、山脈を吹き飛ばしたのと同じものだ。
そしてそれが突如発生するということは。
神皇(ファラオ)の物を盗むなどとは、不届き者めが
それを放った術者がすぐ側にいるということを意味していた。
わきまえよ、下郎
男がそう発した途端、不死兵たちは一斉にその場に跪き、頭を垂れる。
褐色の肌を持つ、長身の美丈夫。精悍なその顔つきは男であるにも関わらずある種の色香を帯びていて、他者を惹きつける華のような雰囲気があった。その表情は自信に溢れ、眼差しには力が満ち満ちている。
だが、普通の男だ。
英雄王ウォルフのように竜をも捻り潰す力強さもなければ、大聖女メリザンドのような二面的な油断のならなさもなく、魔王Olのような底知れなさもない。
今まで見てきた王たちに比べれば、澄み渡る青空のように分かりやすい、ただの男だ。
なのにマリーは生まれて初めて、スピナ以外の存在に恐怖した。
目の前の男が、怖くてたまらないのだ。
あれを撃たせる前になんとかするしかねえなマリー。俺が奴を引きつけるから、お前はソフィアを聞いてんのか?
だがローガンはそれを感じていないらしかった。
いくぜ。しくじんなよ
ローガンはマリーを地面におろし、ウセルマートへと肉薄する。
だがウセルマートはローガンに視線を向けることすらなく、マリーに杖を向けた。
しまっ俺がしくじってんじゃねえか!
想定外だ、とローガンは思った。
ウセルマートの身体は防具一つ身につけておらず、その体つきからも強力な術者ではあっても武人ではないことが窺い知れる。つまりはローガンが腕を一振りすればすぐさま絶命してしまうであろう、脆弱な人間だ。
そんな人間が目の前に迫る強大な悪魔をまったく無視して他者を攻撃するとは思っても見なかった。
ましてや。
契約を結んでもおらず、そんなことをしても微塵の得にもならず、大好きな幼女ですらない女を助けるために考えるよりも先に身体が動くなどとは、想定外も良いところであった。
ウセルマートの放った火球を、一本切られて減った三本の腕で受け、腹に抱えるようにして止めるローガンにマリーは叫ぶ。
大丈夫だ!こんなちっこい火の玉くれえ、なんでもねえ。お前はソフィアを!
ううん
ソフィアの元へと踵を返すマリーの気配を感じながら、ローガンは内心で汗をかく。思った通り、それは尋常の炎ではなかった。
全てを燃やし溶かすはずのローガンの魔炎が、逆に砕かれあっという間に消えていく。それを、最大出力で炎を放ち続けることによってローガンはなんとか押しとどめる。しかしウセルマートの火球は衰えるどころか更に勢いを増してローガンを飲み込まんと膨れ上がった。
ほう。下賤のものにしてはやりおる