ひび割れたような唸り声が、影の中に響いた。
この、愚か者がぁ!
マリー達が帰ってきたという報告を受けるなり、Olは飛んでいってマリーの頭に思い切り拳骨を振り下ろした。
痛ぇっ!旦那、今マリーの身体を操ってんのは俺なんだから、マリーを戻してからにしてくれよ!
悪魔の痛覚というものは非常に鈍い。人間と違って傷に頓着する必要がないからだ。だが人間の身体を乗っ取っている時は相応に痛みを感じる。慣れていない分刺激が強く、涙を浮かべながらローガンは訴えた。
うるさい、貴様もだ!
ぎり、とOlは奥歯を噛み締め、顔を歪ませる。
Olがこれほどまでに怒りを露わにするのを、ローガンは初めて見た。
いや、俺は怒られるような事してないだろ?むしろマリーを助けてきたんだぜ。ほらマリー、お前は謝れよ!
痛みと気迫に恐れを抱き、ローガンは慌てて言い募る。
<はんせいしてまーす>
ばっ、おまっええと、心から反省してるって言ってるぜ!
反省の欠片もないマリーの口調にローガンはますます焦った。
この愚か者。愚か者が
そんな彼にOlは腕を振り上げて。
よく、戻った
マリーの頭をぽんと撫で、堪えきれずに笑みを見せた。
全く!腕の一本から復活しただと?くく、全く相も変わらず無茶苦茶な奴よ。くくく、ははははははは!
一度溢れだした笑みは止めることなど出来ず、Olは哄笑する。
お、おう
どう反応していいかわからず、ローガンは気まずげに頷いた。
二度と同じ真似をすることは許さん。だが、今回ばかりは褒めてやる
Olの表情からは焦燥が消え去って、不敵な笑みが戻る。
さあ、反撃の開始だ
第11話愚かなる王を叩き潰しましょう-5
ちくしょー!幼女でさえあればー!この身体が幼女でさえあればー!
うるさい、ローガン
自分の身体を操って叫ぶローガンに、マリーはうんざりとした声で言った。
Olさまー、これどうしても外せないの?
今は無理だ、諦めろ
マリーの要求に対し、Olの返答はにべもない。
服従の首輪は解除不能と言うだけあって、Olにすら簡単には解呪できるものではなかった。
別段、自爆機能や遠隔爆破機能はついておらん。ならば当面そのままでも困らんだろう
困るよ!すっごく困るよー!
俺もなあ、昔のマリーちゃんならまだしも今の身体じゃなあ
故にマリーの身体は当面ローガンに任せることにして、Olは首輪に更に機能を追加した。声を発することが出来る機能だ。
リル。そちらの様子はどうだ?
駄目。反応なしー
やかましい二人を黙殺しつつ問うと、イェルダーヴの身体から這い出しながらリルは首を横に振った。そちらの首輪にも同様の機能を付けたが、イェルダーヴの反応は全くない。リルに取り付いて調べてもらったが、相当深く封印されているのかマリーのように魂越しに交信を試みることもできなかった。
こうして鹵獲された時の対処くらいはしていたか
ザナが言うには、ウセルマートの全知の半分はイェルダーヴの力によるものだという。その力をこちらが使えれば、とも思ったが、流石にそこまで甘くはないらしい。
気を落とさないで、大丈夫よ
浮かない表情のザナに、リルはことさら明るく言った。
所詮は人間の作ったものだもの。わたしとOlなら必ず解除できるわ
ええ大丈夫です、ありがとう
ザナはにこりと微笑む。
だがその胸のうちは変わらない。
不安と焦燥。
そして、激しい憎しみだった。
パパ、来たよ
黙々と作業を進めるOlの元にソフィアが訪れたのは、それから三日後のことだった。
映像を出せるか?
ソフィアが頷くとともに壁面が透け通り、そこに窓でもあるかのように外の光景が映し出される。まだ遠くてよく見えないが、無数の屍兵達がヤエガキ山脈を越え、こちらへと向かってきているのがわかった。
やはり、少ないな
その数は膨大。だが、地平を埋め尽くすと言うほどではない。テナが予知で見たものよりも、相当少なかった。
炎を作るのに数日かかるっていうのは本当だったみたいだね
雪を溶かしきれずに無理やり山を越えてきたせいだ。
改めて大火球を作り終わるまで待つよりも、一刻も早く攻める方を選んだということだろう。
それは悪手であるが、同時に最善の手でもあった。
さて、ソフィア。出来るな?
がんばる
ソフィアは震えながらも、しかしこくりと頷いた。
そう気負う事はない。タツキ、サクヤ、ミシャ。補佐を頼んだぞ
うん、たつきがんばるよー!
非才の身ながら、微力を尽くしましょう
子を守るは年長者の務めか。褒美に精をたっぷりと弾んでくれろよ
三柱の神々は若き神であるソフィアをそれなりに可愛く思ってくれているようだった。
彼女たちはOlの部下というわけではないし、直接の利害があるわけでもない。
ユツ、テナ、ホデリ。無理はするなよ
はい、わかりました!
言われんでも、危なくなったらさっさと逃げるからな儂は
はっ。この身命を賭しましても
賭すな
ホデリの反応に、Olは本当に大丈夫だろうかと心配になる。
だが今は彼らに託すしかなかった。
Olは小さな門をくぐり、作業へと戻る。
後はこれが間に合うかどうか。時間との勝負だ。
じゃあ、やりますっ
ソフィアがそう宣言し、両手を前に向けて眉間に力を込める。
んんんーっええーいっ!
彼女が気合の声を発すると同時に、試練の山の前方に突如として森が生えた。
後方に位置している森のダンジョンの一部を入れ替えたのだ。
ミシャお姉ちゃん、力を貸してくれる?
良い良い。そら、持ってゆけ
お姉ちゃん、などと呼ばれて気を良くしたミシャがソフィアの手を握り、その力を受け渡す。
木々が蠢き大きなアーチを作り上げたかと思うと、そこからずるりと巨大な生き物が引き出された。
鉄の如き黒光りする身体に、毒々しいオレンジ色の無数の脚。
それはいつかOlが捕らえた大ムカデだ。
突然日の当たる場所に引きずり出された大ムカデは怒りに任せて暴れまわる。
屍兵などその眼中にはないが、ただ移動するだけで何十という屍兵が跳ね飛ばされ、巨体に潰されていった。
さあ小鬼ども。我とあやつら、どちらが恐ろしい?
Olの姿に、森に潜む小鬼達が蜘蛛の子を散らすかのように慌てて逃げ出していく。
頑張ってくださいね
Olは手を振ってそう呟くと、くるりと宙返りして一転、鳥へと姿を変えた。
臆病な小鬼たちではあるが、こうしてユツがOlの姿で脅して回ると彼の姿から逃げるために屍兵たちへと向かっていった。一匹一匹は雑兵にも劣る弱さであるが、数だけであれば屍兵たちにも劣らない。
その上狡猾な彼らは、あまり判断能力を持たず愚直に進んでくる大半の屍兵と非常に相性が良かった。逃げるふりをしては落とし穴に誘い込み、そのまま土に埋める。妖樹の住処に誘導してその餌食にする。進路を読んで投石で敵を押しとどめ、暴れまわる大ムカデに敵を轢かせる。
無論その度に少なくない犠牲は出ていたが、どうせ彼らはすぐ増える。本人たちもそういう認識なのだろう。仲間の死を厭うことなく、屍兵たちを血祭りにあげることに躍起になっていた。
だが屍兵の全てが判断力の低い雑兵ばかりではない。例えば骨の不死馬に乗った騎兵だ。
生きていた頃名のある戦士だったのか、特別に呪力を込められたのか、或いはその両方か。
高い技量と判断能力の両方を併せ持つ屍騎兵が何体も、小鬼を蹴散らし大ムカデを避けて森のダンジョンを抜け、試練の山へと足を踏み入れる。
ここを通すわけにはいかん
その行く手を、テナが阻んだ。
頭からは耳を、腰からはふさふさとした四本の尾を生やし、衣の袖を翻せば狐火がいくつも浮かぶ。
屍騎兵たちは彼女を警戒して足を止め、後続の仲間を待って隊列を組んだ。
その数は五。騎馬、兵ともに最も体格の良い一騎を守るように四騎が壁になって守る構えだ。
狐火の威力はさほど高くない。四本の尾を変化させて武器にしても一騎落とせない完璧な布陣。
行くぞっ!
狐火を放ちながら襲いかかるテナに応じるように、屍騎兵は突進し
もろともに、地面から吹き出すマグマに飲み込まれた。
判断力を持つということはこちらの都合を考えるということ。つまり騙せるという事じゃな
テナが物陰から姿を現し、焼け焦げ動かなくなった屍兵たちを見やる。
ですが的確なあの対応。やはり、こちらの戦力自体は知られているようですね
マグマの中からもう一人のテナが出てきて、焦げ目一つない着物をパタパタと払った。
小柄なその姿は見る間に大きく膨らんで、サクヤへと戻る。
そうじゃな。指揮をとっている様子がないのは幸いじゃがサクヤ姫、避けよ!
テナの鋭い警告に、サクヤは素早く身を翻す。その衣の裾に短刀が突き刺さり、同時に襲い来る斬撃をサクヤはどうにか扇で防いだ。
炎で反撃する前に、小柄な屍兵は素早く退いて剣を構える。
その背後から、似たような姿の屍兵が更に数体。
あらまあ。ホスセリのような動きですわね
我々の苦手な手合いじゃな
サクヤもテナも炎を使う。高熱で飛び道具を防ぐのは難しい。
しかし体捌きでかわせる程の戦闘の素養は二人にはなかった。
ですので、交代です
サクヤに向かって屍兵が短刀を投擲した瞬間、彼女の姿は掻き消え背後の通路が音を立てて塞がれた。
相当な手練とお見受けする
そこへホデリが姿を現して、すらりと刀を抜き放った。
ただそれだけの動作で、屍兵たちは彼の凄まじいほどの強さを察する。
隻腕の男一人に対し五体の屍兵。すぐに彼らは扇状に広がって、ホデリを包囲した。
いざ尋常に
勝負、と言いかけたその時、彼らの頭上から大量の海水が降り注ぐ。
タツキ殿。彼らはいずれ劣らぬつわもの。勝負させてくださらぬか
えーやだ
首のエラから泡を吐き出しながら懇願するホデリに、タツキはあっさりとそう答えた。
屍兵は死者だ。呼吸が出来ないところで死ぬことはない。
だがその身軽な動きと投擲の技術は、水中では完全に死んだ。
詮方あるまい。これも主命だ、恨んでくれるなよ
ホデリの口が頬まで裂け、瞳が真円を描き、彼は剣を振るう。
水中であることなど全く感じさせぬ、滑らかな動き。
屍兵たちは避けることも出来ず、瞬時にして体中をバラバラにされた。
だが彼らはそうされてなお、戦意を失わない。
懐に仕込んだ毒瓶を握りつぶさんと、腕だけを動かして水中を這う。
たった一滴で池の魚を全て殺す猛毒。
いっただっきまーす
それごと、タツキは大きく口を開けて一息に飲み込んだ。
バキボキと音を立てながら咀嚼し、ごくんと嚥下して一言。
まずーい
それだけですか?
?ええとおかわり?
ホデリの言葉に、タツキはこてんと首を傾げる。
池を皆殺しにできる毒も、広大な海の前では無力に等しい。
ましてや国をも滅ぼす毒蛇を呑んだタツキにとって、この程度の毒など味の悪い調味料に過ぎなかった。
お疲れさま、みんな
どうにか第一波をやり過ごし、ソフィアは深く息をついた。
小鬼を除けばダンジョン側の犠牲はほぼなし。一方的と言っていい展開だった。
今のうちは。
テナ、これって何日続くんだっけ
十日と言ったところじゃな
問いに返ってきた言葉に、ソフィアはげんなりとする。
ここからは輪番を組んで対処しましょう
サクヤの言葉に、皆が頷いた。
疲れも恐れも知らない屍兵たちの進攻には朝も夜もない。
対応そのものはさして難しくはないものの、減るどころかどんどん増えていく敵にソフィアたちの疲労は溜まっていった。
まずい。予知よりも早いぞ!
そしてそれは、防衛を始めて七日目のことだった。
一気に屍兵たちの数が増えたのだ。
不覚。これは、妾のせいです
サクヤはチラチラと見える薄紅色の花を目にして、己の失敗を悟った。
彼女は火山の神であると同時に、春を告げる樹木の神でもある。
そのサクヤが力を使いすぎたあまりに季節の移り変わりが僅かに早まり、雪を溶かしてしまったのだ。
大地を埋め尽くし黒く染める屍兵たちの群れは、もはや押しとどめることなど出来ない。子鬼たちの掘った落とし穴など埋める間もなく踏み潰され、山のように伸し掛かられて大ムカデさえ動けなくなり、自分たちの身体を梯子代わりに山肌を登って試練の山の奥へと進む。
それは蟻の大群に大型の獣が成すすべなく食い殺される光景に似ていた。
ここはもう駄目です。お逃げなさい、ソフィア
いよいよ外郭が食い破られてどっと侵入してきた屍兵たちの存在を感じながら、サクヤはそう命じた。既に他の面々はダンジョンの外へと避難させた。だがソフィアだけが、頑なに逃げようとしない。