それは、Olが投げ渡した石の塊。この世で彼だけが扱える武器にして、携帯用の小型のダンジョン。ダンジョン・キューブと、その基本機能である見えざる迷宮(ラビュリントス)の姿であった。

なに、どうなってるの!?

ソフィアの叫び声とともに、触手がうねって周囲の兵士たちを弾き飛ばす。それは正確には触手ではなく、小さなダンジョンの通路だ。

己の領域たるダンジョンの外では、ソフィアは魔術も武術も使えぬ見た目通りのただの少女でしか無い。

だが、唯一の例外があった。

その所有者から許可を与えられ、貸し出されたダンジョンであれば、己のものとし意のままに操ることが出来る。ダンジョンの神であるソフィアにとっては、それこそ呼吸するかのように自然にだ。

その結果が、これであった。混乱のままに振るわれる通路はそれこそ巨人の腕のように大の男を跳ね飛ばし、剣も槍もその外壁を破壊することは出来ない。吹きかけられる冷気の術も、水気などほとんど含まぬ石造りの迷宮の前には無意味だ。

Olは極めて精微な魔術の組み合わせで、ダンジョン・キューブの形を何万通りにも変化させ、百を超える機能を持たせている。だがソフィアにかかればそれすら生ぬるい。

ソフィアはダンジョンであり、ダンジョンはすなわちソフィアである。それは彼女の意のままに形を変え、何の動作も必要なく生き物のように動く。見えざる迷宮(ラビュリントス)の通路を武器のようにふるって敵を叩きのめすことなど、Olにさえ不可能な芸当だった。

駄目だっ!引け!

打つ手なしとみたか、速やかに撤退していく兵士たちに、ソフィアはほっと胸を撫で下ろした。あの程度の武装でダンジョンの外壁が破られることはないとわかっていても、敵意を持った相手に囲まれるのはまだ幼い少女にとっては恐ろしいことだ。そしてそれを、攻撃することも。

多分、こっちだよね

一度歩いただけの記憶を頼りに、ソフィアは道を辿る。向かうはマリーたちのいる部屋だ。城の中は広い上に、マリーたちがどの部屋に案内されたのかをソフィアは知らない。別々に案内されて、直接打ち合わせの席に向かったからだ。

だが城は広いだけで、迷宮というわけではない。通路は人を迷わせるようには出来ていなかったし、部屋の配置だってごくごく素直だ。必然性と利便性に照らし合わせてみれば、マリーたちが案内された部屋の場所はおおよそ検討がついた。

ソフィアが飛び出してきた会議室は高い高い尖塔の先、言い換えるならこの城の最奥部。それに対して客を泊めるのは、入り口にほど近い客室であるはずだ。構造的にも利便的にも心理的にも、他の場所に泊める手はない。

つまり、この城の上から下までを踏破しなければならないのだ。その事実に今更ながら気づいて、ソフィアは小さく身体を震わせた。

兵士たちは引いていったが、当然あれで諦めるとは思えない。Olを完全に敵に回したのだ。なんとしてでも、ソフィアの行動を妨害してくるに違いない。それをたった一人で、切り抜けなければならないのだ。

どうしよう

しんと静まり返った氷の通路の中。

ソフィアの小さな声が、微かに響いた。

第14話臆病者を焚き付けましょう-3

きゃー!きゃー!きゃぁぁぁぁ!

高く悲鳴をあげながら、ソフィアは廊下をひた走る。しかしその声をかき消すほどの轟音が、連続的に響いていた。

彼女の背後で白い煙を立てながら降り注いでいるのは、巨大な氷柱(つらら)だ。

破城槌の如き太さのそれが、まるで雨のように降り注いできていた。

見えざる迷宮(ラビュリントス)の防壁で防げるかどうか、試してみる気にもならない。万が一防ぎきれなければソフィアの胸はさぞ風通しが良くなってしまうだろうし、そうでなくとも大量の氷に押しつぶされて身動きが取れなくなってしまうのは目に見えている。

無論、氷柱の速度はソフィアの足で避けられるようなものではない。ダンジョンキューブで作り出した床の上に乗り、その床を支える柱を回る車輪のように組み替えることで、まるで戦車にでも乗っているかのようにソフィアは高速で移動していた。

その前方を遮るように、氷柱が降り注いで壁を作る。前と後ろとを囲まれて、ソフィアは息を飲みながら目を見開いた。咄嗟に周囲に視線を走らせる。長い廊下の前後は氷の柱に、左右は壁に囲まれて逃げ場がない。

そしてその頭上から、更なる氷柱が降り注いだ。

轟音とともに降り注いだ氷の塊は白く氷煙を上げながら砕け散り、通路を埋め尽くす。

その氷煙の中から、ソフィアは飛び出しながら胸を撫で下ろした。

ま、間に合った!

キューブの通路を細く長く伸ばして前方を塞ぐ氷柱の隙間を通し、その先に小さな部屋を作り上げて転移することでくぐり抜けたのだ。もう一瞬遅ければ、元の場所のキューブを手繰り寄せて回収するのが間に合わないところだった。

ホッとしたのも束の間、突然地面を走るキューブの床が制御を失ってガクンと傾く。

な、何!?

慌てて地面に視線を向けて、ソフィアは絶句した。美しく輝く床は、石でも木でもない。透き通った氷の塊で出来ていた。

傷一つなく平らな氷の床の上では、キューブと言えども滑ってしまってまともに動くことが出来ない。ダンジョンとは本来地中に存在するもの、言い換えれば地面という基盤があってこそのものなのだ。床から離れては扱うことが出来ない。

それまでの勢いをそのままに、曲がるべき角を過ぎ去ってソフィアの身体はキューブごと床を滑っていく。単に滑るようになっているだけではない、ほんの僅かだがそこには傾斜がつけられていて、ソフィアはどんどん加速していった。

そして、その先の光景に息を呑む。廊下は突然途切れ、その先に夜空が広がっていた。このままでは外に放り出されてしまう。それだけならまだいいが、ここは高い塔の上だ。まず無事ではすまないだろう。幾ら身体を見えざる迷宮(ラビュリントス)で包み込んでも、落下に対しては無力だ。透明な棺桶が出来上がるだけである。

何とか身体を止めようとソフィアは左右の壁へと通路を伸ばすが、それも無駄だった。壁も元々氷で出来ている。掴めるような凹凸もなく、つるりと滑って速度が緩みすらしない。

せめて先端を尖らせることが出来たら。ソフィアはそう思ったが、ダンジョンキューブは飽くまでダンジョンの縮図だ。その通路は四角四面の直方体として作ることしか出来ず、先端を尖らせることは出来ない。

せめて他に何か、尖ったものがダンジョンの中にあれば!

考える暇もなく、ソフィアは廊下の端から中空に投げ出される。咄嗟にキューブの通路を伸ばして廊下に張り付かせ、叫ぶ。

棘付き吊り天井!

それはほとんど反射に近い反応だった。侵入者を押しつぶし串刺しにする、無数の棘が生えた吊り天井。それを、床のない部屋の中に発生させてスパイクのように氷の床に突き刺したのだ。

通路を辿って何とか廊下の中に戻り、吊り天井の部屋を四つに増やして身体を固定する。こうして四点で身体を支えながら進んでいけば、氷の床の上も滑らずに進んでいけそうだった。

前を見据えたソフィアの視界が、ぐにゃりと歪む。不審に思って目をこすり、眇めてみてもそれは変わらなかった。

嘘でしょ

不意に、ソフィアはそれに気がついて声を漏らす。視界が歪んでいるのではない。

奥まで見通せるほどに澄み渡った巨大な氷の球体が、音もなくこちらに転がってきているのだ!

喚いても現実が嘘に変わってしまうわけもない。氷の珠は殆ど廊下一杯の大きさで、先程のように隙間を縫ってテレポーターでやり過ごすこともできそうにない。背後は断崖絶壁だ。吊り天井では床にしがみつくことは出来ても、壁や天井に貼り付けるほどの力はない。

ソフィアはダンジョンキューブを最大限まで広げて、廊下一面を塞ぐように壁を作り上げた。石材を高密度に圧縮して作られたキューブはその見た目よりも遥かに大きなダンジョンを展開することが出来るが、それでも限界はある。

廊下を塞ぐとなれば、煉瓦壁二枚分がせいぜいだった。そして、そんなもので押しとどめられるほど氷の玉は軽くもなければ遅くもない。

ソフィアの張った壁は氷塊にとって何の障害ともならず、一瞬たりとて留めることなく突き進み

そして、そのまま音もなく通り過ぎて、廊下の端から落ちていった。

ショートカットルート。何とか、足りた

ソフィアが張った壁は、氷塊を防ぐためのものではない。通すためのものだった。薄く張った二枚のレンガ壁の間にソフィアが収まり、一枚目の表面と二枚目の裏面を転移陣で繋ぐ。氷の球体はソフィアだけを素通りして、何の障害もなく進んでいったというわけだ。

遠く、落下した氷球が砕ける音を聞いて、ソフィアはぶるりと身体を震わせる。

それは寒さによるものではなくしかし、恐怖によるものでも、なく。

たのしい!

喜びに、よるものだった。

間断なく襲い掛かってくる罠の数々は容赦なく悪辣で、恐ろしいことこの上ない。

けれどその恐ろしさは、怒号をあげて襲い掛かってくる兵士たちのそれとはまるで別種のものだった。

通路を這い上がり、下り階段を降りていると突然階段が崩れだす。足元が滑らないから油断していたが、階段自体を支えていた土台が氷でできていて、それが溶け出したらしい。ソフィアは慌てて階段の踏み板同士をキューブで繋ぎ合わせ、即席の階段を作り出して落下を回避する。

尖塔を降りきって進もうとするソフィアの行く手を阻んだのは、氷の壁だ。先程転がってきた氷の玉よりも澄み渡ったその壁は全く目に見えず、ソフィアはしたたかに額をぶつけてしまった。

大広間を埋め尽くすそれは、透明な壁でできた迷宮だ。ソフィアは迷うことなくキューブを階段状に変化させると高く駆け上がり、広間の天井を破壊して屋根の上に出た。目に見えない迷宮の中で罠を仕掛けられればその回避は困難だし、そもそも即席で作られた氷の迷宮が出口まで通じているとも限らない。少なくとも、Olが迷宮を用意する側であれば絶対に出られないようにするはずだ。

屋根の上に積もった雪を掻き分けながら広間を通り抜け、明り取り用の窓から再び城の中に入り込む。するとソフィアを待ち受けていたのは、強烈な冷気だった。先程兵士たちから放たれた冷気に数倍する極低温が、彼女を襲う。

それでも普段ならば十重二十重に彼女を包み込むキューブの前には無意味だっただろうが、今の見えざる迷宮(ラビュリントス)は掻き分けた雪が大量に付着していた。

それは冷気によって待機中の水分をも巻き込んで硬く凍りつき、ダンジョンキューブの全体をすっぽりと覆い尽くしてしまう。

今のソフィアにはダンジョンを操ることだけだ。ダンジョンキューブを覆う氷を引き剥がす事も、熱して溶かすこともできなかった。

完全に動きを止められた彼女にトドメを刺しに来たのだろう。氷で出来た巨人が、のっそりと姿を現した。

アロースリット!

その太い腕がソフィアを覆うダンジョンキューブごと掴もうとしたその時、ダンジョンキューブに空いた小さな穴から無数の矢が飛び出して巨人に突き刺さる。

ええーい!

一瞬体勢を崩した巨人に向かって放たれたのは、今度は矢などという太さではなかった。破城槌の如き太さの槍のような、巨大な氷柱だ。

ソフィアにはダンジョンを操ることしか出来ない。

だが、Olから手渡されたダンジョンキューブを己のものとして扱っているように、何を己のダンジョンとするかには多少の幅がある。

ザナが支配するこの城自体を支配することは不可能だが、それがソフィアに対して放たれたものであるなら。

言い換えるなら、相(・)手(・)か(・)ら(・)手(・)渡(・)さ(・)れ(・)た(・)も(・)の(・)であれば己のダンジョンの資材に加える事も可能だった。

ダンジョンキューブを凍てつかせた氷を排除するのではなく、内に取り込むように外側にもう一重、壁を作り出せばそれもまたダンジョンの一部だ。そうなってしまえば槍のように加工して打ち出すことは難しいことではなかった。

巨大な氷柱は巨人を壁に貼り付けにして、ソフィアはその隙に先へと急いだ。何も倒してしまう必要などない。マリー達が待つ客室にさえ辿り着けばそれで勝ちだ。

Olが一番信用している片腕のリル。誰よりも強く頼りになるユニス。最も底知れないスピナ。そして、ソフィアがこの世で誰よりも大好きな母、マリー。

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