その四人と一緒なら、負ける気なんて全くしない。

ついにソフィアはマリーたちの待つ客室へと辿り着いて、達成感と喜びに満ちた声とともに扉を押し開いた。

残念だったわね

しかしソフィアを出迎えたのは、暖かなマリーの両腕ではなく、硬く冷たい声と。

これで、おしまいよ

凍りついた四人の母たちの姿だった。

第14話臆病者を焚き付けましょう-4

どう、して

呆然と目を見開き、ソフィアは身体をよろめかせる。

何故、ザナがここにいるのか。そして、何故マリーたちが為す術もなく凍りつかされているのか。どちらも、彼女の理解の範疇外にあった。

この城はあたしの城なのよ。先回りするなんて容易いことだし客室ですっかり油断してたこの子達を凍りつかせるのだって

瞬きするほどの間に、ザナの手のひらから氷が迸ってソフィアの周りをぐるりと囲み、その両手足をがっちりと拘束する。それは音さえ置き去りにする、刹那の氷結だった。

どうして

ソフィアはもう一度、同じ言葉を口にする。

どうして、わたしを逃したの

だがそれは別の問いに対する疑問だった。こんなことが出来るのならば、わざわざこんな回りくどいことをしなくともソフィアを捕らえることなど簡単だったはずなのだ。

良い質問ね

ザナはにっこりと微笑んで言った。周りを安心させるような、人好きのする気さくな笑みだ。

あなたを、絶望させるためよ

だがその声色は、ぞっとするほどに低く昏い。

ここに来るまで、あなたはその小さな身体で随分頑張ったでしょう?これで助かる、Olを助けられる。そう思って、ここに辿り着いたんでしょう?

ザナはゆっくりとソフィアに歩み寄ると、彼女の柔らかな頬を優しげに撫でる。

でも、全ては無駄だった。あたしには、最善手を打つ能力がある。本気になったら、誰にも止めることなんて出来ないの

なんでこんなことするの

ソフィアはザナを見上げ、睨みつけた。

単純なことよ。Olを、この子達を返して欲しいでしょう?だったらあなた、あたしのものになりなさい

その言葉の意味は、ソフィアにもわかった。ソフィアを欲するというのは、つまりその国を欲するということだ。サハラとヤマト。ザナは二国を丸々その手中に収めようとしているのだ。

安心しなさい。悪いようにはしないわ。わざわざ金の卵を産むガチョウをしめるような愚かな真似はね。ただすこうしばかり、その豊かさをあたしたちの国にも分けてもらうだけ。そうしたら、あなたは元通り、パパやママと楽しく暮らせるの。ね?悩む必要なんてないでしょう?

諭すような穏やかな声で言うザナの言葉は、あるいは真実なのかもしれない。少なくとも、ソフィアには他に選択肢がない。ダンジョンキューブごと氷で固められてしまった現状では、逃げることも戦うことも出来ない。

いやだ!

けれどソフィアは、ザナの指に噛みつかんばかりの勢いではっきりとそう答えた。

仮にも国を預かる王としてその自覚が芽生え始めたばかりの少女は、断固としてその問いに頷くことはできなかった。

その瞬間、ザナの瞳がすっと細められる。

そう

そしてその指がソフィアの額に突きつけられて。

だったらここで永遠に凍りついて

おおおやめ、ください

その指先から氷が吹き出すその寸前。どこか舌足らずな蚊の鳴くような声が、しかしザナをはっきりと止めた。

何故、止めるの?

ザナは後ろを振り返り、気だるげにそう問う。そこに立っていたのは彼女の妹イェルダーヴだった。

オOl様、は、わ、わたしの恩人、ですその恩をあ、仇で返すような、ことは

イェルダーヴはザナの視線を受けただけでその褐色の顔を明らかに引きつらせ、しかし震えながらも言葉を綴る。

お姉様、もオ、Ol様には、た助けられ、た、はずです

恩ねえ

ザナは吐き捨てるように言い、半眼でイェルダーヴを見つめた。

ウセルマートの事なら、単に利害が一致したから協力しただけよ。恩も何もないわ。強いて言うなら、あんたのあの忌々しい首輪を取ってくれた事くらいかしらね。それにしたって、あたしの純潔を奪ったので相殺でしょ。貸し借りなしの対等。であれば、油断する方が悪い

言い訳するようにぽつりと呟き、ザナはソフィアに向き直る。

さあ、選びなさい、小魔王。僅かな不利益を取って家族を救うか、下らない意地を取って永遠に氷の中に沈むか

脅しではない。ソフィアは直感的に、それを悟った。ここで否と言うなら、ザナは本気でソフィアを凍らせるつもりだ。あまりの恐ろしさに、ソフィアの目尻に涙が浮かぶ。

氷の中に閉じ込められ、永遠の時間を過ごす。そんなのは絶対に嫌だ。誰とも喋ることも、触れ合うことも出来ず、ただただ無為に時間だけが流れていく。

そんな思いは、二度としたくない。

そう思ったからソフィアは、答えた。

ぜったい、やだ!

恐ろしいのは、それを覚悟しているからだ。逃げないと決めたからだ。逃げていいのなら、避けられるのなら、恐ろしく思う必要なんてどこにもない。ソフィアの答えは、初めから決まっていた。

そう

面白くもなさそうにザナは答え、彼女はソフィアの頭に手を翳す。そしてその手から冷気が迸り、ソフィアの全身が氷に埋め尽くされ

何のつもり?

その氷がどろりと溶けたのは、ソフィアの意識が闇に沈むよりも先、氷に覆われたほんの一瞬後のことだった。

お、お姉様が、そ、その、つもりなら

ソフィアさえもが気の毒になるほど震えながら、イェルダーヴはソフィアを背後に庇いながら手のひらに小さな炎の塊を浮かべる。

わわたしは、こちらにつきます!

別に、いいけど

ザナは呆れたように息を吐き、軽く空を払うように手を動かす。

そんな小さな炎であたしとどうやって戦うつもり?

その僅かな動作だけで、イェルダーヴが作り出していた炎は凍りつき、掻き消えてしまった。

た太陽神イガルク様、わたしにどうか力を!

イェルダーヴが叫び祈りを捧げると、彼女の周囲に無数の炎が生まれる。その凄まじい熱量はそれこそ太陽が目の前に生まれたかのようで、触れてさえいないのにソフィアを拘束する氷が溶けて緩む。

遅いわ

だが。手を動かしすらせず、ザナのその言葉がソフィアの耳に届くよりも先に、極寒の世界が炎を消し去り氷を再び凍てつかせる。

速度も、精度も、威力も、まるで話にならない。ねえ、イヴ。あたしはあんたが攫われてから、氷術を必死になって学んだの。毎日毎日、自分の放った冷気で手が擦り切れるくらいに何度もね。その間あんたは訓練どころか、自由意思さえ許されなかった。それはとても可哀想だと思うけれど

息をするような自然さで、ザナの冷気はイェルダーヴの全身を凍てつかせる。イェルダーヴは必死になって炎を放つが、そのことごとくが効果を発揮するよりも先に打ち消されてしまった。

ね。あんたはあたしに、どうやったって敵わないの。わかったら大人しくしていて

幼い子供を諭すように、ザナは言う。

わわた、わたしはお姉様に、敵いません

ぐったりと項垂れ、イェルダーヴはそれを認めた。

でも、この子は違います

炎が吹き出し、ソフィアを拘束していた氷が一瞬にして蒸発する。

ザナは手を振ってその炎をかき消したが、次から次へと吹き出してくる炎の勢いの方が強い。

お姉ちゃんのその術、すごーく早い。けど、凍らせ続けるのは無理なんでしょ

渦巻く炎を全身に纏うようにしながら、ソフィアは言った。

あんたまさか!

先程イェルダーヴが出した無数の炎は、ザナを攻撃するためのものでは無かった。姉には敵わない。そんなことはイェルダーヴ自身が誰よりも知っている。

こんな小さな子に頼るなんて、情けない限りですが

だから彼女はその力を、ソフィアに捧げたのだ。

ダンジョンの中に取り込んだ太陽神の炎は資材となって、ソフィアはそれを自在に操れる。空の彼方で延々と燃え続ける太陽の火は焚き付けも必要とせず、いくらでも分割して増やすことができた。

この子なら、お姉様にも勝てます!

第14話臆病者を焚き付けましょう-5

苦悶の声をあげて後ろに飛び退りながら、ザナは矢継ぎ早に氷を繰り出す。刹那に生成される氷の槍は達人の突きにすら倍する速度で、ありとあらゆる方向からソフィアを狙い撃った。

ただただ疾く、多く。単純ではあるが、それゆえにかわすことも防ぐことも出来ない飽和攻撃。

しかしそれは、一切幼い魔王を傷つけることが出来なかった。

ソフィアの周囲をまるで血管のように取り囲む無数の赤い線は、見えざる迷宮(ラビュリントス)の通路に張り巡らされた太陽神の炎だ。幾重にも張られた必滅の炎が、どの方向から攻撃しようとザナの氷を瞬時に溶かし無力化してしまう。

不可視の石壁によって守られたその炎はイェルダーヴが放ったそれと違ってかき消すこともできず、ただただ暴力的な熱のみを外に向かって放つ。表面に現れた炎は消せても、迷宮の奥底に守られた火種までをも鎮火させることは不可能だった。

キューブの迷宮全体を間断なく冷やし続け、炎を保てないほどに温度を下げてしまえるのならあるいは打つ手があったかもしれない。しかしソフィアが見抜いた通り、ザナの氷術は神速の発動と構築を可能にする代償に、持続力に著しく欠けていた。

その点、ソフィアはその正反対だ。生み出す炎は迷宮の奥の種火を分割させて、長く複雑な不可視の迷宮の中を通さなければ外に放出することが出来ない。それはザナからすればあくびが出るほど遅いが、代わりに途切れるということがない。両者の能力の相性は、極めて悪いと言えた。

圧倒的な優位に立ちながらも、ソフィアは完全に攻めあぐねていた。その理由はごくごく単純なもの。

邪悪なる魔王の娘として育てられながら、素朴な感性を持ち合わせる幼い少女には、人を害し殺す覚悟をどうしても持てなかったのだ。

イェルダーヴから譲り受けた炎は全てを燃やし滅する必滅の炎。砂の王、ウセルマートが使っていたのと同種のそれは、人に触れれば魂すら残さずに焼き尽くしてしまう。手加減などできようはずもない。

故にソフィアが狙ったのは、ザナのスタミナ切れだった。あれ程の氷術を、無制限にそういつまでも放てるはずがない。それに対して、ソフィアにとってダンジョンを動かすことは呼吸に等しい。殺してしまわないように炎を出しながら、それを防ぐための氷術を誘発していればいつかは力尽きるはずだ。

そこまでよ

そんな少女の稚拙な目論見は、ザナにあっさりと看破された。

陳腐なセリフで申し訳ないけどね。こいつらの命が惜しかったら、その炎を手放しなさい

凍りついたマリーに氷の刃を突きつけて、ザナはそう言い放つ。言葉通りの、陳腐な人質。しかしソフィアに対する効果は絶大なものだった。

その手段を取られることを考えてもいなかったのか、少女はぴたりと手を止めて呆然とザナの顔と氷漬けになった母を交互に見やる。

さあ、選びなさい。こいつらを見捨ててあたしを殺すか、あたしに従って国を譲り渡すか

手のひらから生み出した氷の剣をリルの首筋にトントンと当てながら、ザナはソフィアに選択を迫る。

返ってきたのは、どこか状況にそぐわない、いささか間の抜けた声色だった。

状況をわかってないみたいね。いいわ、わからせてあげる

不愉快げに眉間にしわを寄せて、ザナは氷剣を振るった。大して力が込められているように見えないその一撃は、音も出ないほどの滑らかさでリルの首を断ち切る。氷漬けになった淫魔の首が、ごろりと地面に転がった。

ソフィアは大きく目を見開き。

あはあははははは!

だしぬけに、笑い始めた。

な、何がおかしいの!?

予想だにしない反応を怪訝に思いつつも、ザナは剣をマリーに向ける。

次はこいつを殺すわよ!いいの!?

うん、いいよー

半ば叫ぶようなザナの言葉とは裏腹に、ソフィアはあっさりとそう答えると炎を放った。弾丸のように飛んだ四つの炎の塊は、マリーのみならずユニスやスピナにまで襲いかかる。その身を凍らせた氷だけを溶かすなどという、器用な事ができるような精密さは微塵もない。四人はまるごと炎に包まれた。

な、何してんの!?気でも触れたの!?

悲鳴を上げながら、ザナは慌てて冷気を放出して火を消しにかかる。それは先程まで見せていた余裕をかなぐり捨てた、あまりにも必死な姿だった。

わたしは正気だよ

そんなザナの様子を見て、ソフィアはにんまりと笑みを浮かべる。そしてその手のひらの上に炎を取り出すと、何とか消火を終えたザナに向かって、言った。

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