サハラを超えて更に東。風の路(みち)を作り出す高原の国。風路(フウロ)と呼ばれていた今はもうなき国の民が着ていた服によく似ております
流石は年の功だな
女の齢を口にするものではございませんわ、旦那様
思わずOlが口にすると、サクヤはぷうと頬を膨らませて彼の脇腹をつねった。あのメリザンドよりも長生きだと言うのに、まだそんな事を気にするものなのだな、とOlは思う。
いずれにせよあの愚妹を捕らえて参ります
殺すの殺されるのという話はなしだぞ
片刃の剣を手に立ち上がるホデリに、Olは念を押した。
御意。ソフィア様、道を開いていただけますか?
はーい。ホスセリからちょっとだけ離れたところに開けるね
ソフィアがそう言った瞬間、ホデリの足元が口を開く。次の瞬間、ホデリは落下していた。現れた先は森のダンジョン、ホスセリの真上だ。
開いた道を通って逆に侵入されぬようにとの配慮だろうが、これはと、落下しながらホデリは思う。
これは、好都合だ。
空中で姿勢を制御しながら刀を抜き放ち、そのまま落下の勢いを乗せて全体重を持ってホスセリへと一撃を加える。それは片腕での一撃でありながら、見事にホスセリの左腕を肘から切り落とした。
殺すなと言っておるだろうが!
Olの怒鳴り声が、どこからともなく聞こえてくる。
ご安心めされよ、殿
ホデリは追撃を加え、反射的に振るわれるホスセリの右腕を切り落としながらそれに応えた。
腕を失くした程度で、人は死にませぬ
死ぬわ!
そういうホデリ自身が隻腕なのだ。説得力は十分にあるつもりだったのだが、Olの同意は得られないようであった。
しかし、これは
両腕を失っても構わず放たれる蹴り。ホデリはそれを軽くかわすと、刀を横薙ぎに振るって両脚を同時に切り捨てる。支えを失ったホスセリの身体が、苦悶の声もあげずにどうと地面に倒れ伏した。
いくらなんでも、弱すぎますな
ホデリの声にあるのは困惑だ。反応が悪すぎる。ホスセリがOlを確実に殺すという話だったが、この体たらくではとてもできそうにない。さては油断したところを爆発でもするか、あるいは呪い殺してくるか。そう考えてホデリは油断なく残心の構えをとっていたが、ホスセリはピクリとも動かない。
テナ。どうだ?
いいや未来はいまだ、変わっておらぬ
狐の耳を垂らしながら、テナはふるふると首を横に振った。
ひとまず、治療をするぞ。そのままでは本当に死ぬ。ソフィア、俺とホスセリを森の中心へと運べ
森の中心とは、かつてOlがソフィアを見つけた場所。拠点としての機能が残る一種の聖域だった。今はそこにはソフィアの手を借りなければ辿り着けず、人も魔物も寄り付かない安全地帯となっている。
Olはホスセリの身体を寝台へと運ぶと、念のために手足はそのまま、魔術で傷口だけを塞いだ。
これは凍らせておけ
ホスセリの手足を渡すと、ソフィアはそれを冷凍室にぽいと投げ込んだ。ザナの居城、氷の城も通路を繋げ己のダンジョンの一部にしてしまったので、氷は使い放題だ。
こうして冷凍保存さえしておけば、Olならば後でくっつけることも出来る。
よくわからんな
痛みのあまりか血を失いすぎたか、気絶したホスセリの状態をOlは魔術で確認していく。
と、申しますと?
全く異常がないように思えるのだ
隣で抜き身の刀をぶら下げたまま警戒するホデリに、Olは眉をしかめた。
そう。魔術で調べた結果、ホスセリからは何の異常も見つからなかった。例えそれがOlにとって未知の術であったとしても、精神や肉体を操作するようなものがかけられていれば気づく自信があった。
開かない扉を熟練の盗賊が調べたとして、見たことのない材料や方式でかけられていようと、扉に鍵がかかっていればそれとわかるようなものだ。何かが押さえ付けていて開かないのか、もともと開かない扉なのか、その区別くらいはつく。そのはずだった。
ともかくも、目を覚ますまで待つか。対話をすれば多少は何かはわかるだろう
例え言葉を話せる状況でなくとも、例の首輪がある。その心中を読み取ることは出来るはずだ。その結果何も情報が得られなかったとしても、それはそれで意味がある。
Olが軽く手を振ると、部屋を覆う蔓がホスセリの身体を幾重にも覆った。手足を失った状態で縛っておけば、流石に逃げ出すことも出来ないだろう。流石に念を入れすぎかも知れないが。
テナの予知に踊らされて酷なことをしているのかも知れない。Olは芋虫のような姿で縛られるホスセリの姿を見て、ほんの少し胸を痛めた。
その次の日の朝。もぬけの殻になっている寝台を、目にするまでは。
第15話不滅の勇者を斃しましょう-3
馬鹿な!
確かにホスセリを捕らえたはずの寝台を確認し、Olは声をあげた。
彼女を縛り付けた蔦は、完全にそのままだ。千切られたり、外されたりした形跡はない。ユニスのように自在に転移でも出来なければ、こんな風に逃げることは出来ないはずだ。
ソフィア!ダンジョンの中にホスセリはいるか?それと、昨日落とした手足はどうなっている?
どこにも、いないみたいでも手足は残ったままだよ
何だと?
では、手足を失くしたあの芋虫のような姿のままで、どこかへと逃げたのか。
一体どうやって、とか、何のために、という思考を、Olは一旦捨てた。問題はどこへだ。
流石にあの状態で遠くまでいけるとは思えない。というか、いけるのなら直接Olの元へと飛んでいるだろう。しかしダンジョンの中にいないとソフィアが断言するのなら、それは確実なことだ。
ならば。
マリー!ガイウスを呼べるか?
うん。ガイウスさんいい人だからたぶん大丈夫ー
Olはマリーを呼ぶと、そう命じた。
来たりませ。聖なる槍の持ち手、真実を見通すもの、無明ガイウス!
マリーの青い右目が赤く輝き、金色の髪が枯れ草色に染まる。それはかつて聖者を槍で突き、その血を目に浴びて英雄となった兵士の男。盲目であると同時に千里を見渡す英霊、無明のガイウス。
その力はイェルダーヴの全知には遠く及ばないが、しかしヤマトの国を丸ごと見通すことくらいは出来た。
いたよ、Olさま。森の入口に立ってる
思ったよりも近くに待て。立ってる、だと?
思わず聞き逃しそうになる違和感に、Olは気づき目を見開く。
手足が、ついているのか?
うん。しっかりついてる傷跡も残ってないよ
ガイウスの千里眼は、この距離であればその筋肉の躍動一つ、心臓の鼓動の数までをも見通すことが出来る。その力を操るマリーがいうなら、それは治療や再生などと言った生易しいものではない。Olが技術の粋を尽くして神経を接いだとしても、数日は使い物にならないであろう傷は残る。それすらないというのだ。
入ってきたよ!
悲鳴のようなソフィアの声。同時に、その光景が彼女の力によってOlの眼前に映し出される。
森の道を走るホスセリの姿は確かに万全なもので、肉体どころかその纏った衣服にすら傷はなかった。
どういうことだ?
本人に聞くが早いでしょう。何、昨日の予定と変わりませぬ
困惑するOlの横で、ホデリが刃を抜き放つ。
同じ手では読まれましょう。ソフィア様、別の方角に落としてくだされ
今度は真横に開かれる道を、ホデリは歩いて渡る。
ホデリ
その背中に、Olは声をかけた。
心得ております。殺しはしませぬ
いや。気をつけろ。嫌な予感がする
Olにしては、漠然とした具体性を欠いた忠告。
御意
ホデリは一瞬不思議そうに瞬きするが、すぐに表情を引き締め頷いた。
殺さないという宣言に対し、気をつけろとの言葉。
それをホデリはこう解釈した。
油断なく徹底的に破壊せよ、と。
言われてみれば四肢を削いだ程度で油断してしまったのはホデリの非だ。身体があり、歯があり、目がある。どういった理屈で蛙のように手足を生やしたかは知らないが、そうして治す手段があるというならかえって好都合だ。
森の影から現れたホスセリに、ホデリは刀を構えた。相も変わらぬ、愚鈍な動き。かつての妹の俊敏さの欠片もなく、隠れ潜んで不意をつくような老獪さも感じられない。
ホデリは一歩踏み出すと、迷わずその目を狙って突いた。突きすぎればそのまま脳を破壊し殺してしまうだろうが、半寸ばかり突き入れたところで引けばよいだけのこと。ホデリにとっては呼吸をするのと同じくらいに容易い作業だ。
かわすことも出来ず、ホスセリはあっさりと眼球を貫かれる。だがその時、何やら妙な感覚がした。
思ったよりも、浅い。突きを僅かに変化させて切っ先で両目を同時に切り落とすつもりだったが、片目しか抉れなかった。眼窩から血を流しながら、ホスセリは傷に構う様子もなく長剣をホデリに振りかぶる。
技巧も何もない、単純な振り下ろしをホデリは重心の移動だけで脚も動かさずにかわす。同時、ホスセリの腕を狙ったカウンターの切り上げで、違和感は決定的なものとなった。
何っ!?
狼狽の声を上げ、ホデリは飛び退る。人間の肉ではなく、とんでもなく硬い鋼を打ったような感触が、ホデリの手のひらに残っている。
いや、彼の刀は鋼の柱ですら両断できる。しかしホデリの一撃はホスセリの腕を覆う篭手を切り落としただけで、その肌には毛ほどの傷もつけてはいなかった。
どういう、ことだ!?
狼狽えつつも、二撃、三撃と閃光のようにホデリの刀が振るわれる。しかしそれは防具を切り裂き衣服を両断しながらも、ホスセリに傷をつけることは一切なかった。
唯一効いたのは、最初に狙った左目のみ。それとて今思えば、尋常な瞳に比べ異様に硬く、片方を切り裂くに留まった。
もう片目を狙った突きは、直前でホスセリの手のひらに阻まれた。防具に覆われてすらいない柔らかな手のひらが、しかしホデリの渾身の突きを受け止め掠り傷すらつかない。
殿御免!
ホデリはぐいと刀を押して、反射的にその切っ先を掴もうとするホスセリの呼吸を外して引いた。そしてその指先が虚空を掴んだ瞬間を狙って、もう一度神速の突きを放つ。
それは狙い違うことなくホスセリの唇の間をすり抜けて、喉の奥を突き貫く。肌の表面と違って、流石に口の中までは刃を弾くほどの硬さは持ち合わせていなかった。
ホスセリの項から銀の刃が突き出して、ごぼりと血が吹き出す。ホデリがずるりと刀を引き抜くと、ホスセリは倒れ、地面に転がった。即死だ。
申し訳ありませぬ、殿。某の未熟な腕では、殺さずに止めることが出来ませなんだ
いやそれは仕方あるまいが待て!
ソフィアの映し出した光景越しに、Olは目を見開いた。地面に倒れたホスセリの死骸が、すうと消えていってしまったからだ。血の跡や千切れ落ちた衣服の端切れなどは残っているが、死骸はどこにもない。
ど、どこにもいないよ!
というか、少なくともヤマトにはいないみたい
Olの言葉にソフィアがそう答え、ガイウスをその身に降ろしたままのマリーがぐるりと周囲を見回して言う。
ホスセリは、確かに絶命していたはずだ。
ホデリ程の使い手が、はっきりと殺したと言ったのだ。見誤るはずがない。
Olの目から見ても、ホスセリは間違いなく死んでいた。
消えたということは、あるいはリルの分身のような偽物なのかも知れない。その考えを、Olはすぐに振り払う。ホスセリの喉を突いて吹き出した血液は、紛れもなく本物だった。
それが分身であれば、血など出るはずもない。材料が何であれ、Olの形代のように元の材料に戻って破壊されてしまうはずだ。血と肉とを本物の人間と同様に備えているなら、今度は逆に消えてしまう道理がない。
ならば消滅ではなく、転移。
だが、かと言って、死んだ後に転移の術を使うことなど出来るわけがなかった。
ソフィア、マリー、他に不審な影はあるか!?
ううん、何もいない。誰か他の人が転移させたわけじゃないと、思う
やや自信なさげに、ソフィアが眉を寄せる。
無明の力でも怪しいものは見つからないよ。無明の力の範囲外から転移させたなら、わからないけど
そんなことが出来るはずあるまい。無明の能力が見渡せるのは、六百マイル(約千キロメートル)程。いかなる弓矢も届かぬ超長距離だ。そんな遠くから力を届かせるものなど、いるわけも
そこである可能性に気づき、Olの言葉は途切れた。
テナ。お前の予知は、どうなっている?
ある意味で全てが変わり、ある意味で全てが同じじゃ
Olの問いに、難しい表情でテナは答える。