周囲をぐるりと見回すOlにならうようにして、ザナは周りに視線を巡らせる。

なにもない、殺風景な景色だった。夜であったはずなのに、周囲は眩しい光に溢れ、その白い大地は果てまでくまなく見通すことができる。だと言うのに、真っ黒な空はなんとも奇妙だ。

見渡す限りは全て白い石で覆われていて、池どころか草も木も生えていない。延々と続く不毛の荒野だ。

まさか魔界?

それは、リルから話に聞いていた悪魔たちの住処に酷く似ていた。

当たらずとも遠からずと言ったところか

生の息吹を微塵も感じぬその光景に眉根を寄せるザナに、Olは告げる。

ここは、月だ

思ってもみない答えに、ザナは間の抜けた声を返した。

池に浮かべた月影に穴を穿ち、ミシャの力を用いて影と実体の境を消した。そして今、実体側から出てきたというわけだ

月の上は見えず触れぬ水で満ちている、という。故に身体は軽く、息は絶え、凍えるほどに寒い。

呼吸と温度は魔術で対策を施していたが、言葉を発せなくなる事にまでは気が回っていなかった、とOlは言った。

でも何だってこんなところに

嫌な予感を覚えつつ、半ばつぶやくように言うザナに、Olは当然のように言い放った。

お前が信仰を奉ずる月の女神、マリナに会うためだ

ああんた、なんかロクでもないことする気でしょ!?

さてな。それはあちら次第だ

Olは視線を巡らせて、それを見つける。小さな光が尾を引いて、白い荒野の上を走っていった。

どうやら歓迎してくれるらしい。いくぞ

光の線を辿り歩くこと四半刻ほど。純白の荒野の只中に、それはあった。

どこまでも殺風景な景色に似つかわしくない、美しい城であった。

なんかあれ、あたしの城に似てない?

というよりも恐らく、お前の城がこれに似ているというべきだろうな

違いは、城をぐるりと囲む堀がないことだ。

ねえ、これ、勝手に入って大丈夫なの?

光で案内があるのだ。勝手ではなかろう

しきりに周囲を気にしおどおどと見回すザナを尻目に、Olはすたすたと門をくぐっていく。

ようこそいらっしゃいました

入ってすぐの大広間。そこで迎え入れた女神の姿に、ザナは息を呑んだ。

すらりとした長身に、床に垂れ落ちてなお伸びる眩い金糸のような髪。この世の美を結集したかのような、端整でありながらもどこか儚い顔(かんばせ)。輝くような、それでいて控えめな月光を纏った白いゆったりとした衣装に身を包み、静かな凛とした光輝を纏った女性。

それはまさに、ザナが理想と描き続けていた女神の姿であった。

ただ一点。

女性らしい膨らみを一切持たず、絶壁のような胸元を除いて。

女神マリナと見受ける。我が名はOl。魔王を名乗るものだ

ええ。こうしてお会いするのは初めてですね、魔王Ol。まさか、こんなところまでやってくるとは、思いもしませんでした

穏やかに答えながらも、マリナの手に月を象った杖が生まれる。瞬間、ザナはOlの敗北を悟った。

彼がどのような策略を練り、いかな戦力を有していたとしても、マリナには敵わない。目の前の女神の神威は、強大な火山の神であるサクヤや広大な海を統べるタツキとさえ比べ物にならない。それが、肌に感じる程の圧力でわかった。

マリナは杖を手にしただけで、別段攻撃的な姿勢を見せてすらいない。だというのに、押しつぶされそうな程の重圧がザナの膝を折る。彼女は半ば無意識に、祈るように跪いていた。

さてあなたの手は知れています。騙し、惑わし、犯し、籠絡するどのような策を用意してきたかは存じませんが

女神マリナがザナに貸し与えた権能は、当然のことながら彼女自身も使うことができる。すなわち、あらゆる状況に対し最善の手を見出す力。運命の糸を紡ぎ、勝利を導く力だ。

それはOlの練ってきた策略を見通すことは出来ない。だが、見通さぬままに潰し、無効化する能力だった。

それを扱うのがザナであれば、まだ勝ちの目もあっただろう。只人たるザナには出来ることの限界があり、また、ザナの考える最善とマリナの考える最善が食い違うという欠点もある。

だがマリナ自身がその権能を振るうのであれば、それらの弱点は全て消え失せる。偉大なる女神が扱う限り、その権能は無敵だ。

それとも女神ごとき、組み伏せ陵辱してしまえばいかようにもなる、とでも思いましたか?数多の女たちにしてきたように。もしそうであれば──

マリナの放つ圧が増した。それに押されるように、がくりとOlの膝が折れる。

それは、心得違いというものです

穏やかな口調。しかしそこに込められた敵意と憎悪は、ザナには計り知れないほどの深さを覗き見せた。

女神、マリナよ

圧に耐えるようにOlは両手を床につく。

そして顔を上げ、マリナを睨みつけてニヤリと笑う──ザナは、そう予想した。だが違った。Olは圧力に屈するかのように、その頭を垂れたのだ。

伏して、俺は助力を請う。どうか、力を貸してくれ

だがそれも違った。Olは神威の圧に耐え、己の意思を持って、その頭を下げていた。さしもの女神マリナもこれには目を見開く。

月という巨大な天体を司る女神の放つ圧力の中、膝を屈さず見上げるのはそう出来ることではない。だが──己の力で頭を下げるのはその比ではなかった。そのまま床に押しつぶされる力に耐えながら、下げねばならないからだ。

まさか何の策も謀もなく、ここまで来たのですか?

女神マリナはその瞳を瞬かせ、信じられないと言わんばかりの声色で問う。

魔王であるあなたが、ただわたしに頭を下げるためだけに?

そのOlの言葉が本当であるか嘘であるか、判断する力はマリナにはない。だが、その言葉が彼女を破滅に導くのであれば、今この場で杖から発せられた熱線がOlの身を魂ごと焼き滅ぼしているはずであった。

俺の娘が、捕らわれたのだ。これを助けるのに、我が身には力が足りぬ。ならばこの頭一つ、下げることに何を躊躇うことがあろうか

Olは膝を伸ばし、立ち上がる。神威に反して立ち上がれば、圧に骨が軋み肉が引き千切られるような痛みが走るはずであった。それは物理的な重さではない。いかなる怪力無双であっても等しく感ずる、魂を押しつぶす圧力だ。

故にOlを立たせているのもまた、肉体の力ではない。そこに込められた、精神の──意志の力だ。

重ねて頼む。この通りだ

そして、信じがたいことに。直立した姿勢のまま、Olは頭を下げてみせた。

頭を下げる人間に、女神マリナはどうしたものかと頭を悩ませる。

いくら愛し子、ザナを預けた庇護者といえども、それは他に適当な相手もおらず方法もなかったがゆえの止むに止まれぬ事情からだ。別に、Olを気に入っているわけでも見込んでいるわけでもない。

己を軽んじ利用しようとましてや、かの火山の女神のように征服し支配しようなどという腹積もりであれば、最大限の苦しみと屈辱を与えた上で殺すつもりであった。

だが、正面から真っ正直に助力を請うてきたならどうするべきか。

こういうときに、彼女の権能は使えない。なぜなら、何を最善とするかをまず決めなければならないからだ。つまりOlに力を貸すのか、それとも見捨てるのか。その心持一つで、何が最善であるかは変わってしまうからだ。

いいでしょう。ですが無条件に許可するというわけにも参りません

そのような場合、神々にはある一つの決まりがある。

今からわたしが言うものを持ってこられたら、力を貸しましょう

人間に試練を与えるという、決まりである。

第17話反撃の準備を整えましょう-4

まさかあんたが何の策もなく真正直にマリナ様に頼み事をするとは思わなかったわ

月からダンジョンへと戻り、ザナはようやく重圧から開放されてため息を付きながら言った。

何を言う。無策で行くわけがなかろう

どんな策があったっていうの?

ザナの見る限り、Olはただ真正直にマリナに頼み事をしたようにしか思えない。あるいは、愚直さこそ最善の策とでも言うつもりだろうか。

何のためにお前を連れて行ったと思っているのだ。月の上は人間が生きていける環境ではない。俺が魔術で保護していたから無事だったが、それが切れればお前は即座に焼け死ぬか溺れ死ぬかしただろう。故に、マリナは俺を殺せなかった

などと呑気なことを考えていたら、思っていたよりもかなりエグい手を使っていた。己が知らぬ間に人質にされていたと知って、ザナは絶句する。

奴の能力の欠点だな。最善は引けても、なぜそれが最善なのかを知ることは出来ない。俺を殺せないということは、殺さないことが最善であるのだと判断しただろう

あんたがそういう奴だっていうのはわかってたのに

まあ実際俺はマリナと敵対するつもりはないから、保険のようなものだ。気にするな

頭を抱えるザナに、Olはそんなことよりと話を切り替えた。

問題は奴に出された試練とやらだ。お前の能力で解決できるか?

できるわけ無いでしょ!

ザナの能力とは、要するにマリナの権能のことだ。マリナの出した試練をマリナの力で解決しては、マッチポンプもいいところである。非常識なOlの提案に、ザナは叫んだ。

そんな条件はつけられた覚えはないが仕方あるまい

っていうかあんた、マリナ様から要求されたのがなにか知ってるの?

知らん

月の女神が課した試練とは、五つの至宝を集めてこい、というものであった。

あんた、知りもしないで承諾したの?マリナ様が取ってこいって言ったのは、ヤマトの古い物語に出てくる宝物よ。あたしですら知ってるほど有名な話の

ほう。それほど有名ならば、大して労せずに手に入るのではないか?

Olの言葉に、ザナは深くため息をついて答える。

逆よ。手に入らなかったってことで有名なんだから。外つ国の聖者が持ち、自ら光り輝くという仏の御石の鉢。白銀の根と黄金の茎、真珠の実をつける蓬莱の玉の枝。火の中に入れてもけして燃えない火鼠の皮衣。龍の首の玉に、燕の産んだ子安貝。どれもどこにあるのかさえわからない代物よ

物語では、月に帰った姫君がこれらの至宝を求めたという。まさかマリナがその姫君の正体であったなどということはなかろうが、仮にも月の女神だ。何らかの関係はあるのかも知れない。

というかこれ、遠回りな拒否なんじゃないかしら

そんなことはない。拒否するなら、否と言えばいいだけのことだ

高貴な相手から求婚された物語の姫君の場合とは違って、立場はOlよりもマリナの方が上だ。確かにわざわざ達成不可能な条件を突きつけて諦めさせる必要はないように思えるが、だからといって手に入れることができるとはザナにはとても思えなかった。

なんでそんなに自信満々なのよ

にもかかわらずまるで思い悩んだ様子を見せないOlに問えば、彼は当然のように答えた。

ダンジョンには、すべてがあるからだ

とりあえず、思いつく限りのものを集めてみたよ

Olから命じられてから、一月ほど。ダンジョンに住まう者たちは、思い思いの品を手に集まってきていた。

とりあえず、火鼠という生き物は見つかりませんでしたので、代わりにこちらを

迷宮の食卓を支える大牧場の司。獣の魔王の二つ名で知られる侍女のミオがそう言って差し出したのは、体長一フィート(約三十センチ)ほどの小さなトカゲであった。と言ってもただのトカゲではない。その鱗が燃え盛る炎に包まれた、火蜥蜴(サラマンダー)だ。

代わりは構わんが、要求されているのは皮だぞ。なぜ丸ごと持ってきた

火蜥蜴の皮は殺して剥げば、炎は消える。だがもともと炎に包まれていたものだから火に投じても燃えてしまうことはないし、マリナの言う条件を満たしてはいるように思える。

だがミオが差し出したのは生きたままの火蜥蜴だ。石造りの迷宮に火災の心配は少ないが、それでも連れ回すようなものでもない。というか、なぜミオはそんな生き物を抱きかかえて火傷一つ負わないのか。

Ol様がお望みであれば、私もこの子も身を捧げることに躊躇いはありませんが。殺して皮を剥いでから、やはり不要だったなどと言われては可哀想じゃないですか

余計なものはちゃんと燃やさないよう躾けてありますからご心配なく、とミオは笑顔で言った。

まあ良い。次だ

はい。龍の首の玉ってこれでどうかな?

Olはユニスが差し出した宝玉をじっと見つめる。両手のひらにちょうど収まる程度の、真っ白な玉だ。見た目はつるりとしているが、触ってみると表面はややザラザラとしている。

これは真竜の骨を磨いたものか

ご名答!よくわかったね

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