考えたくもないことだが、無いとは言えない。ユニスの性格からすれば転移を試みようとするのは半々といったところだろう。リルは止め、スピナは促すだろうか。いずれにせよOlにできることは、彼女の無事を祈りつつ帰還の方法を探ることだ。
Olあなたは、その壁の外というところから来たのですか?
ああ。まあ、そんなところだ
正確には月の上からなのだが、空すら知らない相手に月のことを説明しても仕方がない。
それでスキルのことを知らないのですね
先程も言っていたな。スキルとは何だ?
言葉のニュアンスは、先程食べさせられた石の効果なのかなんとなくはわかる。意味としては技術だとか技能というような言葉に近いが、それだけではないようであった。
実際に見せた方が早いでしょう。ついてきて下さい
そう告げて、フローロは部屋を出た。Olが彼女の後を追ってしばらく通路を進むと、フローロはやがて広間のような場所で足を止める。
?ここが目的地か?
それは奇妙な場所であった。三十フィート(約九メートル)四方程の広さがあるというのに調度品の類は一つもなく、人が使っている形跡もない。もしOlがこのような部屋をダンジョンにわざわざ作るとするなら、守衛を置くか大掛かりな罠を仕掛けるかのどちらかだろう。
警戒するOlの視界に、信じられないことが起こった。突如、なにもない空間にポンと音を立てて小さな獣が現れたのだ。
小さいといってもOlの膝の高さほどはある、ネズミともうさぎともつかない奇妙な獣であった。それは額に鋭い一本の角を持ち、一直線にフローロに向かって突進する。
フローロが服の裾から手のひら程度の鉄片を取り出すと、それは次の瞬間には7フィート(約二メートル)程の鉄棍に変化する。彼女はそれを両手で構えると、獣を思い切り打ち付けた。
ギャンと声を上げて獣は壁に叩きつけられ、絶命する。そして、青い石とパン、毛皮を残して消えた。
これがスキルです
毛皮でパンを包み袋状に結びながら、青い石をフローロは差し出す。
角兎の落とすスキルは突進ですね。あまり使い勝手の良いスキルではありませんが
待て。今、何が起きた?
驚愕に最大限まで目を見開きながら、Olは問うた。
先程の獣はどこから出てきた。そしてどこへ行った。その毛皮とパンは一体何だ!?
どこから、と言われましてもただポップして、殺したので素材をドロップしただけですが
戸惑うように答えるフローロに、Olは頭を抱えた。スキルなどというものよりも遥かに不可解なことが目の前で起こっていたが、フローロはそれに疑問や違和感を抱いていない。
つまり獣は、何もない所から現れて殺すと、その素材を落として、消える。それが、当たり前だというのだな?お前が特別になにかをしたわけではなく
はいモンスターですから。Olのいた場所では違うのですか?
モンスター?
Olの知る言葉で言えば、魔物に近い言葉。猛獣ではなく魔物だ。つまりそれが尋常ならざる生き物であるという認識はあるようで、Olは少しだけホッとした。
虚空から現れ、死んでも死体を残さず、素材とスキルを落として消える生き物。それが、モンスターです
それはOlにとって信じがたい話であった。だが、それが本当であるならば彼女の言う外のない世界にも説明がつく。虚空から資源が生まれるのならば、ダンジョンが閉じた世界であろうと何の問題もない。
ないわけが、ない。そもそもなぜパンを落とすのだ。パンとは小麦を挽いて粉にし、酵母などを加えて発酵させ、焼く事で出来上がるものだ。断じて、生き物を殺した時に発生するような代物ではない。
Olが目眩と頭痛をこらえている間にも度々不定期にフローロが角兎と呼んだ獣が現れ、彼女はそれを淡々と殺して素材を拾う。青い結晶や素材は必ず同じように落とすわけではなく、落としたり落とさなかったりするようだった。どちらかと言えば、落とさない場合の方が多い。
Olのように、素材から何かを作るスキルというのは極めて貴重なものです。モンスターからは手に入れることができませんから
ならばどうやって手に入れるのだ?
反射的に投げかけたOlの問いに、フローロは当たり前のように答えた。
人から、奪うのです
第2話奪われたものを取り戻しましょう-1
Ol。やっぱりやめましょう。危険すぎます
ええい、お前の判断など知ったことか。いいからその手を離せ
縋り付くようにして服の袖を引っ張るフローロを、Olは引きずるようにしてダンジョンの廊下を歩く。そうするうちに気づいたのは、少なくともこの辺りには扉というものが存在しないということだった。
フローロが言う通り、何かを作るという技術を持っている者は極めて少ないのだろう。木材を手に入れることはできても、それで扉を作ることが出来るものがいないのだ。
扉の代わりにボロ布のようなものがかけてあることもあるが、大半の出入り口はむき出しだ。であるが故に、部屋と通路、内と外というものが極めて曖昧であった。
Olのダンジョンであれば、誰か個人の部屋の内側と、そうではない共有の通路というのは扉によって厳密に隔てられている。しかしそれがないこのダンジョンでは、通る道を誰かが所有しているのか、誰も所有していないのかが非常に分かりづらい。
フローロにその辺りを尋ねると、最下層においてはそもそも何かを所有するという概念自体が希薄であるらしい。そこにある場所や道具は誰もが勝手に使うし、それを咎めるようなものもいない。
そんな場所において、はっきりと所有していると見なされるものが二つある。
一つは、スキル。
そしてもう一つは
奴隷は、まともに相手などして貰えません。大事なものを奪われるだけです
──奴隷。すなわち、人であった。
俺は奴隷ではない
いいえ。この最下層に降りてきた時点で、あなたは奴隷なのです、Ol。誰にも所有されていない奴隷は、何をされても文句は言えません
フローロは悲しげに目を伏せ、申し訳無さそうにOlに告げる。
あなたが元いた場所で高い地位にあったことは、着ているものを見ればわかります。けれどもうあなたは、奴隷なのです
それは彼を心配しているだけと言うには、あまりに親身な口調であった。まるで我が事のような。
おそらくは、そうなのだろう。
奴隷にしてはフローロの顔立ちは整いすぎているし、所作や口調も洗練されている。彼女自身がかつては高貴な立場にあり、そして何らかの理由でその身を奴隷に落とした。
Olに世話を焼いてくれるのも、似たような境遇と見た彼への同情故か。
例えそうだったとしてもだ
Olは奇妙な苛立ちを感じながら、フローロに言い放った。
俺は心根まで奴隷になるつもりはない。従って生きるか、従わずして死ぬかは己で決める
フローロはその言葉に驚いたように手を離すと、彼の顔をじっと見つめた。
感動的な言葉ですわね
突然、物陰からシュルシュルと聞こえてきた音に、Olとフローロは同時に目を向ける。
いかがなさいまして、フローロ?何か買い忘れですの?
それは大きな蛇が地面を這いずる音だった。
そちらの方は初めて見る顔のようですけれど
しかし現れたのは、女の姿。濃い紫の髪を長く伸ばし、豊満な胸元を惜しげもなく晒した美しい女性であった。ただし、それは上半身に限った話のこと。腰から下は鱗に覆われた蛇そのもの。
Olの知る亜人種ラミアによく似た姿の女であった。
お前がこいつの目を買い取ったという商人か?
ええ。ナギアと申します。どうぞお見知りおきを
ナギアと名乗った半人半蛇の女は、優雅に一礼して見せた。
Olだ。悪いがそいつを買い戻したい
あらあら。まあまあまあ。ではもしかして、あなたが言語スキルをお使いになった方ですか?
芝居がかった口調でナギア。
そうだ。何か不都合でもあるか?
いえいえ、不都合などございませんわ。けれどもわたくし、返品は受け付けておりませんの。改めて、別の物と交換という話であれば喜んで応じさせて頂きますわ
では、私の言語スキルと交換してください!
にこやかに答えるナギアに、フローロが割って入る。
申し訳ありませんが、フローロ。それでは足りませんわ
全く申し訳ないとは思ってなさそうな表情のナギアに、フローロは絶句した。さもあろう、とOlは思う。
何故ですか!?さっきはそれで交換してもらったではありませんか!
フローロ。それが商いというものなのです。同じ価値のものを交換しても得にはなりません。あなたの瞳と交換ともなればその十倍は価値あるものを頂けませんと
やはり、フローロは相当買い叩かれたらしい。奴隷をまともに相手してくれる者などいない。奇しくも彼女が先程言った通りの事が、フローロの身に起こっていた。
どいていろ、フローロ。そいつの言うことはもっともだ
とはいえ、商取引において利益を出そうとする姿勢そのものは商人として当然のことである。
わたくし、物分りの良い殿方は好きでしてよ。では、Ol。あなたは何を対価として差し出して頂けるのでしょうか
ナギアがすっと目を細め、Olを見つめる。
その瞬間パチリと音がして、ナギアは痛みを堪えるように目を閉じた。
っ!?今のは!?
何やら悪さをしようとしたようだな?
顔を押さえるナギアに、Olはニヤリと笑みを見せる。彼女は何らかの術をOlにかけようとした。しかし、Olが張った魔術防護がそれを防いだのだ。
素晴らしいですわ!わたくしのスキルを防ぐスキルなんて、聞いたこともありません!
ナギアは興奮した様子でそうまくしたてる。
いかがでしょう。そのスキルを頂けるのならば、フローロの瞳をお返しいたしますが
いけません、Ol!ナギアの言うことに耳を貸さないでください!
ぐいぐいと袖を引っ張るフローロを無視して、Olは少し考える素振りを見せた。
構わんが俺のこれはスキルとやらではない。術だ。それでもいいか?
術ですか?よくわかりませんが承知いたしましたわ
不思議そうに首を傾げつつも、ナギアは頷いた。生まれ持った視力を奪えるのだ。別に特別な能力でなくても、手に入れることができるのだろう。
では交換だ。念を押すが、この術だけを奪い、フローロの目を返すという事でよいのだな
ええ、もちろん。商いで嘘はつきませんわ
にっこりと微笑むナギアに、嘘だな、とOlは直感した。
駄目です、Ol!
では受け取れ
止めようとするフローロをぐいと押しのけ、Olは告げる。
では、失礼致しますね
ナギアがするりとOlの胸に向かって手を伸ばすと、その指先が彼の身体の中にずぶずぶと埋まっていく。痛みはないが、頭の中を探られているような奇妙な不快感があった。
これは凄いですわね
ややあって、ナギアはその中から小さな宝石を取り出した。フローロがOlに食べさせたものより小さいが力強く光り輝いていて、尖ったところの全く無いつるりとした真球の形をしていた。
これほど見事に磨き込まれたスキル、初めて見ましたわ
その輝きをうっとりと眺め、ほう、と溜息をつくナギア。
なるほど抜き取られるとこうなるのか
一方でOlは、奇妙な感覚を味わっていた。
己の中から、魔術防護に関する知識や記憶がすっぽりと抜け落ちている。確かに知っていたはずの事が、どうしても出てこない。それでいて、そこに無くしたものが存在していた事自体は認識しできている。
忘れたこと自体も思い出せない記憶操作の術とは全く違う、不思議な状況だった。
名前:ナギア
種族:尾族
性別:女
年齢:16歳
主人:サルナーク
所持スキル:締め付け剣技LV2突進言語隠形LV1スキル結晶化鑑定
Olがその感覚を検証していると、不意に彼の視界にそんな文字が現れた。
妙な術だな。これが鑑定とかいうスキルか。しかしお前、思ったよりも若いのだな
驚愕するナギアに、目の前の文字を眺めつつOl。てっきり二十代の半ばくらいはいっていると思っていた。そう思わせるだけの色香と豊満さである。もっともOlの知る暦と同じ早さで歳を取るとは限らないか、と思い直す。
何をしたんですの!?このスキルはしっかり奪ったはずですのに!
スキルではなく術だと言っておるだろうが。そして、俺が持っている術はそれだけではない
ナギアが手に入れた魔術防護は、直接的に干渉してくる術に対する手段としてはもっとも基本的、かつ低級のものだ。意識せずとも常時展開していられるが、その代わりに防ぐことのできる術には限りがあり、どのような術をかけられたかもわからない。