母なる壁。どうもそれがこの世界の宗教観であるらしい。文字通りの壁のことだけでなく、床や天井つまりはこのダンジョンを形作るもの全てに対し使う言葉だ。

普通に考えれば死体を放置していても腐るだけで石の床に吸収されることはないはずだが、何かしらの仕掛けがあるのだろう。

この先だな

被害者がいるということは、目的の特異個体とやらはそばにいるはずだ。Olが周囲を魔術で確認すると、すぐにそれらしきものが見つかった。

なに? わかるのか?

驚いたように目を見開くユウェロイに首肯しながら、Olは隠形の術をかける。そして進んでいくと、翼獅子はすぐに見つかった。

体長およそ十フィートこの世界の単位に直せば三メートル程度の獣だった。首の周りに長い毛が生えており、縞模様の入った身体を支える太い六本の足に、頭からは捻じくれた角。名前の通り背にはコウモリのような翼が生えていた。言うほど獅子には似ていないが、そこは翻訳の都合もあるのだろう。

いた! 何をボサっとしている!

動くな

その姿を見るやいなや全身を甲冑で覆い戦闘態勢に入るユウェロイを、Olは手で制する。

奴からは今、俺達の姿は見えていないし、声も聞こえていない

何?お前のスキルか?

そのようなものだと思え。だが大きく動けばこの隠形は解ける

ふうむ妙なスキルもあったものだな。だが動かねば戦えんだろう

どのみち同じことではないのか、とユウェロイは腕を組む。

戦わない。今回は情報収集に来ただけだ

何を馬鹿なことを敵を目の前にしていながら、尻尾を巻いて逃げるというのか!?

叫ぶな。大きく動けば術が解けると言っただろう

Olにしてみれば、能力も強さもわからない敵を相手に無策で挑むことの方がありえないことだった。ましてやあの翼獅子はどう見てもかなりの強敵だ。

貴様がそうしている間に、また民が死ぬのだぞ

民の事を案じていたのか?

だが、ユウェロイの口から意外な言葉が飛び出した。

他に何の理由がある?

正直、逃亡など誇りが許さないとかもっと馬鹿馬鹿しい理由であると思っていた。どうやらこの女のことを少々見くびっていたらしい、とOlは内心ユウェロイの評価を上げる。

だが無鉄砲に戦うわけにはいかんだろう。まずは相手の能力の見極めをだな

お前にやる気が無いのなら私が戦う!

しかし話もろくに聞かずに突撃する彼女に、上がった評価はすぐさま下降するのであった。

第8話セックスしないと出られない部屋を作りましょう-3

おおおっ!

ユウェロイは雄叫びを上げながら突進し、その手にはスキルによって大振りな突撃槍が生まれる。この時点でOlがかけた隠形の術は解け、彼女の存在に気づいた翼獅子は呼応するように大きく翼を広げた。

はあっ!

投げ放たれた槍は、しかし翼獅子の厚い毛皮に阻まれかすり傷さえつけることなく弾かれる。そしてお返しとばかりに、その口から猛烈な炎が吹き出してきた。

だがユウェロイは避けるどころか、むしろ加速して炎の中に突っ込む。

この程度か!

そして翼獅子の身体に触れると、その手足に甲冑を生成して拘束してみせた。

この程度か、じゃない。お前、俺が耐火の術を使わねば今焼け死んでいたぞ

フン。私の鎧があの程度の炎に負けるものか

なんとかギリギリ術を間に合わせたOlに、ユウェロイは平然とそう答える。鎧そのものは負けずとも中身は蒸し焼きだろうが、と思うが、この世界の無茶苦茶なスキルとやらならあるいは熱も防ぐのかも知れない。

と、その時。ユウェロイの背後でミシリと不吉な音が鳴った。

翼獅子が自身を拘束する甲冑をへし折りながら、その太い前足を振るう。Olは咄嗟に間に割って入り、ダンジョンキューブを展開する。元々壊れかけていたキューブはそれで完全に砕けてしまったが、かろうじて一撃を防ぐ役にはたった。

まさかこの私に背中を見せろというのか!?

ユウェロイの腕を強引に引き、逃げ出すOl。流石に分が悪いと感じたのか、ユウェロイは舌打ちを一つして後に続いた。

翼獅子に絡みつかせるように展開されたダンジョンキューブがバキバキと破壊される音が背後から響く。少なくともブランの馬鹿力に匹敵する膂力を持っているということだ。これで仮に魔力があったとしても修復は完全に不可能になったな、とOlは内心でひとりごちた。

おい、行き止まりだぞ!

Olが逃げた先は、突き当りになっていた。背後からは翼獅子がすぐそこまで迫っていて、その口を大きく開ける。喉の奥からチカリと光が瞬いて、炎が吐き出されるその寸前、Olは壁を操作して翼獅子との間を遮断した。

ごう、と炎が吹き荒れ、壁に吹きかけられる音がする。しかし音はともかく、やはりダンジョンの壁は翼獅子でも破壊することはできないらしい。しばらく壁を引っかく音がしていたが、それもいずれ止んだ。

それで、これからどうするのだ

一つ、悪い報告がある

苛立った口調のユウェロイに、Olは平静な口調で告げる。

魔力が尽きた

何だ、それは

俺のスキルの源のようなものだ。それがなくては俺はスキルを使うことはできない

どういう理屈なのかわからないが、この世界の人間が使うスキルとかいう力には、元手が必要ないらしい。そんな訳はないと思うのだが、どんなに連発しても何かを消耗している様子はない。

ハッ。元々期待などしていなかったが、想像以上の無能だな。ブラン様には、やはりお前は何の役にも立たなかったと報告するとしよう

どうやってだ?

未だ状況を理解していないユウェロイに、Olは問う。

どうやってとは、何の話だ

魔力がないということは、この壁をどけることもできない、ということだぞ

Olは己が動かした母なる壁を拳で軽く叩く。

何? その魔力とやらは、いつになったら回復するんだ

しない

魔力は、体力のように自然と回復するものではない

勿論、Olが元いた世界であれば話は別だ。あの世界には魔力が満ちていて、呼吸しているだけでも自然とゆっくり回復していく。だがこの世界は違う。魔力はほとんどどこにも存在しておらず、Olの生命活動によって減りこそすれ、自然と増えることはない。

それはまさか、ここから出ることもかなわんということか!?

お前がこの壁を破壊できないのならば、そうだ

母なる壁だぞ!? できるわけがないだろう! 鉄腕でも無理だ!

Olが張った壁はごく薄い。だがそれでも、物理的な破壊は翼獅子にすら不可能だった。試すまでもなく、ユウェロイの槍でも無理なのだろう。

なぜ穴を開けておかなかった!?この無能め!

無茶を言うな。見ただろう。あいつは炎を吹くのだぞ。穴など開けたらそこから炎を吹き込まれて蒸し焼きだ。それともお前が真っ向から戦って殺されていた方がマシだったか?

Olの問いにユウェロイはぐっと呻く。彼女とて、あの場に留まっていれば自分が負けていただろうことくらいは理解はしていた。

何かその魔力というのを回復する方法はないのか!?

まあ、ないわけではないな

ユウェロイはOlに詰め寄り、その胸ぐらをつかむ。

隠し立てするな。さっさと吐け

酷く気が進まない方法なのだが

言え

釣り上げるようにしてOlの身体を持ち上げ、ユウェロイは槍を突きつけて凄んだ。

お前とまぐわえばいい

あまりに想定外の返答に、ユウェロイは理解が追いつかず呆けたような声を上げる。

魔力というのは誰でも多少は持っているものだ。無論、お前の身体の中にも存在している。俺の見立てではお前の持っている魔力の半分ほども使えば、この壁に脱出できる程度の穴を開けられるはずだ

だがOlが詳しく説明するうちに、ユウェロイはようやく自分が何を言われているかを呑み込むことができた。

貴様、ふざけているのか!? そんな事、できるわけがないだろう!

だから言っただろう。酷く気が進まない方法だと

吊り下げられ槍を喉元に突きつけられながらも、Olは腹立たしいほど冷静にそう告げる。

他に方法はないのか!

あっさりと断言するOlを放り出すように手を離し、ユウェロイは奥歯を噛み締め周囲を確認する。

我々が帰らなければ、ブラン様が救出をよこしてくれるはずだ

誰かが助けに来たとして、この壁をどうにかできるものはいるのか?

いるわけがなかった。母なる壁は本来、どんな力を持っても不変であり不滅であるからこその母なる壁なのだ。それを自在に操作するスキルなど、目の前のふざけた男以外に見たことも聞いたこともない。

だが、お前はもっと自在に母なる壁を操っていたはずだ。なぜ一回壁を動かしただけで魔力が切れる?

補給を邪魔されたからだ。俺はフローロと交わることで魔力を手に入れている。だが今日に限ってそれを中断されたのでな

淡々と告げるOlに、ユウェロイは朝のことを思い出す。Olとフローロの情事を中断したのは他でもない、ユウェロイ自身だ。

ではフローロ殿下がここに救援に来たならば

仮にそうなったとしてもどうしようもない。壁を隔てて魔力を受け渡しするような都合のいい方法はないからな。そもそもそんな事ができるのならば、お前の魔力を離れた場所から受け渡しすればいいだけの話だ

ユウェロイはよろめくように数歩たたらを踏んだ。自分が追い詰められている事が、じわじわと理解できてきた。

つまりこういうことか?

彼女は呻くように、尋ねる。

お前とセックスしないと私達はこの部屋を出られず死ぬ

そういうことだ

思い違いであってくれ。そんなユウェロイの願いをよそに、Olははっきりと首肯した。

第8話セックスしないと出られない部屋を作りましょう-4

何だ妙に息苦しい

沈鬱な空気を、久方ぶりにユウェロイの声が震わせる。

固定空気だな

コテなんだと?

この密閉された小部屋を出るには、Olと交わる他ない。それを理解してからも彼女は決意することができず、Olもまた促したりする事もなく、無駄に時間が過ぎ去っていた。

空気とは通常目に見えず宙に漂っているものだが、中には木材や人の身の中に固定されているものもある。これが固定空気だ。火を燃やしたり、息を吐くとこの固定空気が放出され、通常の大気と混ざる。問題は、固定空気は生物にとって毒だということだ。広い場所であれば多少混ざっても問題にはならんが、これほど狭い部屋で密閉されていては溜まっていく一方だ

この固定空気は、実はOlのダンジョンにおいても問題となった物質だ。Olのダンジョンには外への出入り口が開いているとはいえ、最奥部まで風が吹き抜けていくわけでもない。そこに大量の生き物が住んでいれば、どうしても固定空気は溜まっていくのだ。

だからこそ、その果てに何が起こるかもOlは正確に知っていた。

喜べ。餓死するより、渇いて死ぬより先に、息が詰まって死ねるぞ

Olがそう告げると、ユウェロイの顔がさっと青ざめた。

貴様が、死ねば

少しは長生きできるだろうな。一日で死ぬ所が二日生きられるというわけだ。そうしたいならそうしろ

皮肉っぽく言うOlに、ユウェロイは突きつけた槍を力なく取り落とす。

なんとかしろ!

そう言われてもな。出来ないものは出来ん

それを何とかするのが貴様の仕事だろうが!

知ったことか。そもそも出来ることがあるのにせずにいるのはどちらだ?

唸る獣のようにがなり立てるユウェロイに対し、Olは淡々と返すのみ。

貴様、まさか最初からこれを狙って

そんなわけなかろうが。だいたい、止める俺を振り切って戦いを挑み、勝手に死にかけたのはお前の方だろう

全てはお前の策略だ、とばかりにユウェロイは噛みつくが、Olの放った正論にうっと呻いた。

さて、こうしている間にも民は死んでいくのだろうな。御大層な事を言ったときには少しは感心したものだったが、所詮は口だけであったか

ダメ押しとばかりにそう嘲るOl。安い挑発であるとはわかっていても、ユウェロイに避けるような余裕はあらゆる意味で残されていなかった。

わかった貴様の好きにしろ

とうとう覚悟を決め、ユウェロイは床に身を投げ出す。

背に腹は代えられん。貴様のその薄汚い、下衆な、魔力回復法とやらを行っていいと言っている!感謝しろ

察しの悪いやつだと言わんばかりの表情で、ユウェロイは吐き捨てる。

お前はまだわかっておらんようだな

だがそんな彼女を見て、Olは深々とため息をついた。

何をだ

言っただろう。酷く気が進まない方法だと

そんな事はわかっている!

いいや、お前は全くわかっておらん

首をゆっくりと横に振り。

俺は、お前など抱きたくないと言っているのだ

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