Olが警告の声をあげるよりほんの一瞬早く、翼獅子の呼吸音が変化した。それを寝息から唸り声へと変えながら、翼獅子はユウェロイの手をかわして身を翻す。そして天井近くまで舞い上がると、大きく開けた口からチカリと光が瞬いた。
寝たフリをしていたのだ。
それはモンスターとは思えない知能の高さだった。同じ階層のモンスターよりも大幅に高い能力を持つ特異個体とはいえ、Olの隠形を見破り、寝たフリをして騙して誘い込む。
更にはユウェロイの甲冑を作り出して拘束する能力すら把握している。そんな知能を持ったモンスターなど、今まで見たことも聞いたこともなかった。
死んだ、とユウェロイは思う。
彼女の神経は篭手を六つ作り出すことに集中しきっていて、全身の甲冑を作り出す動作に切り替えるのにほんの半瞬遅れた。しかしその半瞬で、炎はユウェロイを飲み込んで殺すだろう。忍び寄るのに邪魔になるからと防御を解いていたのが災いした。
彼女が完全に死を覚悟したその瞬間、しかし吐き出される紅蓮の奔流を遮るものがあった。
Ol!? 何をしている!
耐熱のローブと耐火の術を使ってこれか!
ユウェロイに覆いかぶさったOlは、苦悶の表情を浮かべながら彼女を守っていた。
何をしている!?
なに、良い女の頼みを聞いているだけのことだ
ニヤリと笑みを浮かべ、Olは虚勢を張る。
いいか、三つ数えたら、目の前に鎧をつけろ
目の前と言われても、そこにいるのはOlだ。炎を防ぐためにも甲冑を被せてやりたいところだが、着慣れてもいないものに着せてもロクに動けなくなるだけだ。炎は防げても爪や牙の餌食になるだろう。
俺を信じろ
だが、ユウェロイはOlの言葉に余計なことを考えるのをやめた。
3
Olの着ているローブの裾に、火が灯る。付与された耐熱魔術の限界を超えたのだ。
2
だがOlは慌てもせずに数を数える。ローブの炎が燃え上がり、彼の体を包む。
1
ユウェロイの視界が、独特の浮遊感とともに切り替わった。Olの姿が掻き消え、代わりに目の前に見えるのは翼獅子の背中だ。そしてそのときには既に、ユウェロイは全身甲冑のスキルを発動させている。
落ちろぉぉっ!
羽ばたく翼の根本を、ユウェロイは甲冑で覆った。その重みと拘束とで、翼獅子はバランスを崩し地面に落下する。
そしてすかさず、Olが迷宮の床石を紐のように引っ張り上げて、翼獅子の六本脚と口元に縛り付けた。母なる壁でできた口輪をつけられてしまえば、牙を剥くことも炎を吐くことすらままならない。
やれやれ、なんとかなったか
Olがなおも燃え盛るローブを脱ぎ捨てて、服に纏わりつくような炎をはたき落とすと、彼に燃え移っていた炎は掻き消えた。だが当然、無傷というわけにはいかない。そこかしこに火傷ができてしまっていた。
ああ。石さえ燃やす炎に焼かれた時に比べれば大したことはない
妙な冗談を飛ばしながら、Olは拘束された翼獅子を見やる。
で、拘束したはいいがどうする? 槍は通じんのだろう
捨て置けばいい。人を殺せなければモンスターはいずれ消える。その場合ドロップ品を回収できんのは業腹だがいや、フォリオの部下に腕持ちがいたか。奴ならば倒せるかも知れんが
とはいえ、恐らく回収に来る前に消えてしまうだろう、とユウェロイは言う。
無力化されてしまったモンスターは特にすぐ消えてしまうものらしい。
何にせよ今回はよくやった。Ol、お前のことを少しは認めてやる
笑みを見せ、素直にユウェロイはOlを労う。
ならば一つ、俺はお前に謝らねばならんことがある
そう切り出したOlに、自分を抱いたことを謝罪するつもりなのだろう、とユウェロイは思った。
成り行き上仕方なかったこととはいえ、確かにそれは謝罪して然るべきことだ。ならば寛容に許してやろう、とユウェロイは考える。昨日までのユウェロイであれば、ダンジョンの上下がひっくり返ってもそんな事を思いはしなかっただろう。このような変化が自身に訪れるとは、少し信じられない思いであった。
先程、お前を転移させただろう
ああ。まさかあのようなスキルがあるとはな
だが、Olは突然全く別の方向に話を飛ばした。とはいえ、先程の連携は即興にしては悪くないものだった。ユウェロイも快く話に乗ってやる。
あれは壁を動かすより遥かに少ない魔力で出来る
まあそうだろうな。母なる壁を動かすのに比べれば
そもそも絶対不変なる母なる壁を動かすなど、この目で目にしていなければ信じられないことだ。それに比べれば、瞬時にして移動するスキルくらいは他にもいくつか存在はしている。
うむ俺もうっかりしていた。酸素が足りず頭が回っていなかったのかもしれん
いつまで経っても本題に入らないOlにユウェロイが次第にイライラし始めたとき、彼はあっさりと言った。
アレを使えば魔力補給の必要はなかった
どうでしたか?
奴は最低の男です!今すぐ首を刎ねたほうがいい!
ブランが無事に特異個体の討伐から帰還したユウェロイに問うと、彼女は酷く憤慨した様子でそう言い捨てた。
あらまあ
ブランの前でユウェロイがここまで感情を露わにすることはなかなか珍しい。
ですが
あの男は一体何をしてのけたのだろうか、と首をひねるブランに、ユウェロイはポツリと口にする。
最低限の力はあるそれだけは、認めます
総合すると、役には立ったがユウェロイの気に入らなかった、という辺りだろうか。まあ、詳しいことは寝物語にでもゆっくり聞けばいいだけのことだ。
何にせよ、ご褒美をあげましょう。閨にいらっしゃい
そう思ってブランがいつものようにユウェロイを誘うと、彼女はいつものように喜びに表情を輝かせしかし、何かを思い出したかのように動きを止めた。
申し訳ありません、ブラン様。特異個体は思ったよりも強敵で少々疲弊しておりまして
そうでしたか。ならば無理はいけませんね
確かに思っていたより時間がかかったし、ユウェロイも随分くたびれた様子だった。
言われてみれば服の裾が焼け焦げているし、火とはなにか妙な匂いもしますね。よほど大変な相手だったのでしょう。しっかり休んでください
ブランがそう言うと、ユウェロイは顔を真赤に染めた。
し、失礼しますっ!
そしていささか乱暴に扉を閉めて立ち去る様子に、Olはよほどユウェロイを怒らせたらしい、と考えるのだった。
第9話部下の望みを叶えましょう-1
Olは一人、己の頬を撫でながら歩いていた。
篭手をはめたユウェロイに思いっきり殴られた傷は、身体に負った火傷と一緒に治し終わっているが、骨にまで響く痛みは後々まで尾を引くものだ。とはいえ、その痛みは払いすぎた駄賃のようなものだった。
ユウェロイを籠絡したのは彼女に協力させ、信頼させるのに必要なことだったが、あまり信頼されすぎても困る。なぜなら、その後ろにいるブランをどうにかする力を今のOlは持っていないからだ。
フローロを使った奇襲でなんとか認めさせはしたものの、打倒したとはとても言えない。ブランにとってOlは顎で使う存在でしかない。
厄介なのは、ブランが極めて武力を偏重する性格なのと、彼女が英雄並みの実力を備えているということだ。Ol自身が単独で倒す必要は恐らくないとは思うが、真っ向から戦って打倒しない限りそれも、一度限りしか通用しない搦め手ではなく、十度戦って十度勝てる手段を用意しなければならない。そうでなければ、ブランがOlを認めることはないだろう。
まずその第一歩として、Olは一人翼獅子の元を訪れていた。
未だ消えずにいた翼獅子は、Olを見るなり唯一自由な翼をバタバタと暴れさせ、六本の脚を突っ張り、恨みがましい瞳で見つめながら喉だけで唸った。紐状に伸ばした床石で封じられた口の隙間から、炎が立ち上る。こんな状態になってもまだ、戦うことを諦めていないのだ。ユウェロイが言うように消えてしまっていないのも、それが故だろう。
そう怒るな。俺はお前と、契約に来たのだ
Olがそう告げると、喉の唸り声は収まらないものの、翼獅子の様子はやや怪訝そうに様子を見るものへと変化した。やはり言葉はある程度通じている。
お前の望みを叶えてやる
そういった途端、翼獅子は大きく唸って身体を暴れさせた。俺の望みはお前をバラバラにすることだとでも言いたそうな態度だ。
お前の望みは殺戮と破壊。そして何より強者との戦いだろう?
だが、続く言葉にその動きがピタリと止まった。
翼獅子に殺された八人の犠牲者は、見るも無惨にバラバラにされていた。
言い換えれば、それほどバラバラにされているのに、しっかりと人数がわかった。手も足も首も胴体も、どの部位もバラバラになってこそいるものの、一つも欠けてはいなかったからだ。
つまり、翼獅子は人を食わない。ただ殺すためだけに殺したということだ。
そしてOlとユウェロイが小部屋に籠もったあと、他の人間を殺さずに広間で待ち受けていた。二人を多少は骨のある敵と認め、力のない領民を殺すよりも優先したのだ。
俺と共に来るのなら、その望みを叶えてやろう。俺はこれからこのダンジョンに棲まう者全てを敵に回す。お前の持って生まれたその力、存分に振るい試すがいい
手を差し出すOlを翼獅子はしばらく思案するように見つめ──そして、やがて恭順を示すように頭を下げた。
お前の名はそうだな。アレオスとでも名付けようか
Olが翼獅子──アレオスの額に触れると、その巨体はまるで紙にでも変化したかのようにパタパタと折りたたまれていく。そして、一着のローブへと変化した。
ふむ。ちょうどよい
Olはすっかり焼け焦げてしまった元のローブを脱ぎ捨て、アレオスが変化したローブを羽織る。
そしてぐるりと後ろを振り向き、言った。
隠れてないで出てこい
ありゃりゃ、お見通しでしたか。さすがはOlサマ
柱の陰から姿を現したのは、緑の髪をした有翼の少女。ユウェロイの部下であり、今はOlに従っている翼族、フォリオであった。
白々しい。俺が気づいていたことも悟っていただろうが
エヘヘ。でも、ってことは聞いちゃってもいいんですね。それどういうことなんですか?ドロップ品じゃなくて翼獅子そのものが変化しましたよね
Olの反応如何では見なかったふりをするつもりだったのだろう。誤魔化し笑いをしつつも、フォリオは目ざとくそう尋ねてくる。
モンスターとやらは元々そういうものなのだ
Olとしては別に隠す情報でもないので、素直にそう答えた。
お前たちがドロップ品と呼ぶものは、モンスターのもともとの姿だ。それに術をかけて、怪物の姿に変化させているという方がむしろ正しい
何故モンスターが死ぬと道具や食べ物になるのか。それはこの世界において一番の疑問であった。だからこそ、Olはそれを最優先で調べたわけだが
モンスターとしての姿が破壊されると、元の本性を取り戻す。道具にスキルを与えて形を怪物に変えたものそれがモンスターの正体だ
わかってしまえば何のことはない、よくある変性術の一種であった。同じことならOlもできる。生き物を物質に変化させるのは難しいが、物質を生き物のように動かすのはさほど難しいことではないのだ。
で? そんな話をしに来たわけではあるまい
フォリオがOlのことを何かと探ろうとしているのはわかっているが、だからといって用もないのに付け回すほど暇でもない。
Olが促すとフォリオは心得ているとばかりに頷いて、答えた。
Olサマがご所望のアレ、集まりましたよ
ふむ。確かに揃っているな
がんばったよ、Olくん!
翼獅子のアレオスと戦った下層から中層にあるOlに割り当てられた部屋へと移動する。そこで待っていたのは大量のがらくたと、それを運び込んだユウェロイの部下犬のような耳と尻尾と性格を持つ牙族の少女、鉄の腕のラディコだった。
元は横になればそれで埋まってしまうほどに小さかった部屋だが、Olが無断で周囲の廊下を取り込み壁を押し広げたので、今ではユウェロイやブランの私室よりも大きくなっている。
こんなに集めてどうするんですか?
その部屋の中に所狭しと積まれたベッドや本棚と言った家具、そして大量の鉄の鎧を見てフォリオは首を傾げた。家具はまだしも、鎧を着る人間の当てがまったくないからだ。
こうするのだ
Olが家具に触れると、木板がバラバラになって崩れ去る。かと思えばひとりでに組み合わさって、巨大な蓋のない箱が出来上がった。