Olはそこで、一度言葉を切った。ここまでは、キャスの報告書でも平静を保っていられた部分だ。あの激昂は、自分にさえ予測できないものだった。呼吸を整え、Olは言葉を続ける。

俺達の住んでいる塔はプラエティの兵士に包囲され、後は死を待つばかりだった。そして、ラズは俺に呪いをかけ、命令した。私の首を、兵士に渡して助命を嘆願しなさいと。俺は、その通りにした。この世でもっとも愛する人をこの手にかけ、兵士に媚び諂い、粗末な命を生き長らえさせた。自分の意思とは、無関係にな

思ったよりも遥かに、Olはすらすらとそう言う事が出来た。

これは単純な事実だ。愛情の素晴らしさを否定する気はない。信頼を無意味なものだと言う気もない。だが、それは力によって覆される。武力。知力。魔力。財力。権力。どのような愛も絆も、圧倒的な力の前には無力だ。どんなに相手を愛していようと、人は必ず、裏切る。その愛を越える力によってだ

Olは誰よりもラズを愛していた。その愛に、自信があった。己の全てを投げ打っても良い。例えどのような目に遭おうと、彼女だけは守り抜いてみせる。純粋で、世界を知らぬ少年はそう信じ抜いていた。

俺は世を拗ねている訳ではない。心的外傷(トラウマ)に引き摺られ他者との交流を恐れている訳でもない。そんなものは、20、30の頃にとうに克服しておる。ユニス。お前が俺の呪いによって俺を愛したように。それが兄によって踏み躙られたように。悪魔でさえ、神でさえ、時の中に滅び行くように。人は、この世に生きる全てのものは、暴力に抗う術はないのだ

それゆえに、Olは力を求めた。全てを解決できる、唯一のものを病的に求めた。そして実際に、力を持って信頼を引き裂き、友情を殺し、絆を断ち切り、愛を奪ってきた。

そう、だね

ユニスは、誰よりもそれを知っている。英雄として生まれた彼女はこれまで何人もの人を救い、そしてその何千倍もの死を取りこぼしてきた。

人ならざる力を手にし英雄と呼ばれようと、救えない人は無数にいる。人は必ず死に、死ねば思いさえ消え去る。

でも、それでもあたしは信じるよ。Olを。Olを愛するあたしを

揺るぎのない瞳で前を見て、はっきりと、ユニスはそう言った。

討つべき邪悪なのか、仕えるべき王なのか。そんな事は、話を聞く前から決まりきっていた。彼女が感じたOlからの愛と信頼が、嘘偽りでなかったとわかっただけで満足だ。例えそれが力に及ばぬ儚いものだったとしても、それは確かに存在していた。

呪いや暗示で植えつけられたようなものじゃない。あたしは、あたしの心で感じたOlを愛してる。だから、お願い。ちょっとでいいから、あたしの事も、信じててね

ユニスはOlに抱きつき、口付けた。反射的に抱きとめようとするOlの腕を、一瞬の迷いが止める。その一瞬でユニスは彼の腕の中からすり抜け、にっこり微笑んで、言った。

さよなら

冗談の様に血が吹き上がり、彼女の笑顔が反転する。

ごろりと転がるユニスの首。その向こうには、表情に一切の感情を宿さず血に濡れた剣を構えるザイトリードの姿があった。

第14話英雄を無残に殺しましょう-8

貴様!

激昂したいのはこちらの方だ。よくも妹をかどわかし俺に殺させてくれたな

崩れ落ちるユニスの死体を抱きかかえ、ザイトリードは怒気を孕んだ声をあげた。

全員嬲り殺しにしてやりたいところだが、本体は迷宮の中だそうだな。首を洗って待っていろ。今すぐに乗り込んで、肉の一片も遺さず磨り潰してやる

ザイトリードはそういい、剣を振るう。Ol達三人は一撃でバラバラの木片になって辺りに散らばった。

その必要はない。今すぐここで勝負をつけてやる

地面に琥珀色の光が瞬き、Olが迷宮から転移してくる。その腕には、一人の女が囚われていた。

あなた!

後ろ手に縄で縛られ、突き出されたのはザイトリードの妻、ヒルダだった。

この女の命が

下らぬ真似を

Olが言い終える前に、ザイトリードは剣を一閃する。剣がヒルダの胸に突き刺さり、彼女は信じられないものを見るような目でザイトリードを見つめた。

あなた

口から血を吐き、ヒルダは地面に倒れた。途端、彼女の姿はヒルダとは似ても似つかない、見知らぬ女のものになる。

俺には一切の魔術は聞かぬ。それとも、幻影と知りながらも俺が動揺するとでも思ったか

剣を振り血を払い、ザイトリードはOlに侮蔑の視線を送った。

ああ。お前に一切の魔術は効かぬ。その剣に迷いなく、油断もなく、実の妹をすら手にかける

何が言いたい、何がしたい。魔術師の貴様が、俺に勝てるとでも思っているのか

油断がなく迷いもない。それが油断だと、言っておるのだ

Olはヒルダの死体を蹴り転がし、彼女の魂を掴み上げた。

あなた

虚空に浮かぶ亡霊に、ザイトリードは目を見開いた。その姿は紛れもなく、ヒルダのものだったからだ。

魂は誤魔化せぬ。お前にはこれが嘘偽りでなく、本物のヒルダの魂であることがわかるはずだ

馬鹿な!?

ザイトリードは身体を震わせ、食い入るように亡霊を見つめた。魔術による幻影ではない。他人の空似と見間違えるはずもない。正真正銘、彼女の魂、彼女の姿だ。

愚かな英雄よ。魔術を児戯と断じ、軽んずる貴様は己の目を信用しすぎたのだ。肉など、骨など、幾らでも姿を変えられる

肉や骨に傷をつけ歪ませ、固定した状態で回復魔術をかける。すると、肉や骨はその固定に沿って形を変える。Olはクドゥクの少女、Faroの胎内にやったのと同じ事を、浚ってきたヒルダの全身に施した。

更に喉を焼き声を変えた上で、元のヒルダの声形を幻術で上に被せる。幻影こそが真実だったのだ。

貴様ァァァッ!!

いいのか。俺ならば生き返せるのだぞ?

剣を投げ捨て、Olに掴みかかろうとするザイトリードの先手を打ってOlはそう言った。その指がOlをバラバラに引き裂く寸前で、ザイトリードの腕が止まる。

胸を剣で一突き。見事な腕だ。この傷であれば、まだ蘇生は可能だ。幸い魂もこうして保存している。傷を治して、魂を戻せばこの女は生き返る。魔術を使えば、だ

Olは己の身体にヒルダの魂を埋め込んだ。こうすればザイトリードは彼に手出しできない。

正直なところ、貴様はバラバラにしても飽きたらんしかし、その腕は惜しい。呪いを受け入れ、俺の部下になるのならば、妻を蘇生してやる

何だと

ザイトリードの鉛の呪いは、自らかけたものだ。その強さは、彼の信条すなわち、魔術と言うものが取るに足らぬ、下らないものであると言う価値観に依存している。彼が魔術の保護を欲し、受け入れ、妻を蘇生したいと願えば自然その呪いは解ける。

ザイトリードは悩みぬいた。ヒルダの死は、ユニスのそれとはわけが違う。

妹と妻の差ではない、英雄とただびとの差。いずれ非業の死を迎える運命にあるものと、安らかにこの世を去る可能性を残したものの差だ。

貴様の言う通りにすれば、ヒルダを助けてくれるのか

ああ。傷一つ残さず、元通り蘇らせて見せよう

次の瞬間、彼の身体は左右に別れ、ただの木屑に成り果てた。

お断りだ

それは彼にとって苦渋の決断だった。最愛の妻を殺し、その罪を背負う。そうあってでも、英雄であることをやめるわけにはいかない。そうでなければ、殺してまで英雄である事をやめさせなかった妹にも申しわけが立たない。

誰もいなくなったそこで、ザイトリードは虚無感に襲われた。

この世の悪を滅ぼし、理不尽と戦い、人を守る。それが、英雄に与えられた使命だ。しかし、彼はその使命に諾々と従ってきたわけではない。

妻が、妹が。守るべき物があったからこそ、彼は今まで戦い、数え切れぬほどの血で手を染めてきたのだ。だが、守るものはもう何もない。彼自身が、二人とも殺してしまった。

あなた!

だから、彼はそれに抗うことができなかった。

ヒルダ!?

駆け寄り、抱きついてくる彼女の身体を、ザイトリードは抱きとめる。柔らかな肌の感触、誰よりも愛しいその顔、聞き慣れた声。紛れもない、妻の姿だった。

無事だったのか?

ええっ!

涙を浮かべる彼女を抱きしめ、ザイトリードはそっと妻に口付けた。多幸感が彼の胸を満たし、安堵が心を埋め尽くす。悪い夢だったのだ。妻を殺したのも、妹を殺したのも。そうして、彼は無意識に幻影を魔術を受け入れた。

幸福の中、英雄の心臓は動きを止めた。妻の姿をした淫魔に、その命を全て奪われて。

ふぅ

リルは姿を元に戻しながら、息を吐いた。英雄の生命力は流石と言っていい上質な味を備えていて、いつもなら軽口の一つでも叩きたいところだが、ユニスの首が転がっている横では流石にそんな気分にはなれない。

Olー、さっさとこの子蘇生してあげてよ

木陰から現れたOlの形代に、リルはユニスの体と頭を渡した。Olがその首の断面に手を触れると、血の跡も残らずに彼女の首は元通りつながる。しかし、Olは表情を変えぬまま、ぽつりと言った。

無理だ

え?

聞き返すリルに構わず、Olは歩を進め、ヒルダの死体に手をかざす。こちらも、胸に開いた傷は瞬く間に元に戻った。ついでに顔の時を遡らせ、元の顔に戻してやる。

無理って、どういうこと

淡々と死体を処置していくOlに、リルは尋ねた。

英雄を蘇生する事はできない。死体をよく見てみろ

嘘。魂がない!

言われた通りに死体に目をやって、リルは叫んだ。魂がなければ、蘇生は不可能だ。身体をどれだけ元に戻しても、それは空っぽのただの入れ物に過ぎない。

英雄の魂は、死ねばすぐさま天へと還る。そういう決まりになってる

それって

殆ど同じような現象に、リルは覚えがあった。

英雄と言っても何のことはない。悪魔と契約した魔術師と、大差はないんだ

言葉を失うリルにOlは頷き、吐き捨てた。

第14話英雄を無残に殺しましょう-9

ザイトリードが負けただと?

恭しく頭を下げる宰相トスカンに、ウォルフは自らの豊かな髭をしごき、考えた。

相手をするまでもない小物と、ただの魔術師であると、ザイトリードは言っていた。魔術を受け付けぬ稀代の英雄である彼が、生半可な方法で負けるわけはない。

期待できるやもしれんな

陛下

思わず笑みを浮かべるウォルフに、トスカンは咎める様な声をあげた。

ユニス様は姫様は、一体何のために!

トスカンよ。お前の怒りはもっともだ

命を賭して言い募るトスカンに、ウォルフは鷹揚に答えた。

だが、英雄として産まれたものには、英雄としての価値観がある。死ねるのならば、疾くこの世を去った方が幸せなのだ

私にはとてもそうは思えませぬ

ウォルフは頷く。

お前のその実直な所が、俺がお前を傍においている理由だ。しかし、いずれわかる日が来よう

陛下。ご報告がございます

なおも食い下がろうとするトスカンの言葉を、伝令兵の報告が遮った。

申せ

は。王都の北部、10マイルほどの平野に魔王軍3000が出現。先の戦とは異なり、妖魔が殆どのようです。現在一直線に王都を目指しており、恐らく一刻程度で王都にたどり着くかと

伝令兵は跪き、落ち着いた声で報告した。一体一体が人を凌ぐ妖魔と言えど、3000では勝負にならない。

王都の門を閉め、全軍を持って防衛に当たれ

篭城で、ございますか?

伝令兵は王の言葉に驚き、思わず問い返した。そのような対応をする相手ではない。急ぎ1万も兵を出し、平野で決戦を行えばいいだけの話だ。篭城となれば時間も設備も兵も使う。篭城と言うのは普通は、戦力で負けている側が相手の物資が尽きるか、援軍を待つときの手段だ。

そうだ。全軍、10万を持って全力で当たれ

はっ!

伝令兵は敬礼し、素早くその場を後にした。異例の命令に思わず聞き返してしまったが、本来一平卒である彼が王の命に疑問を差し挟む余地などない。

それよりも、出陣の準備を先に進めている騎士団に命を知らせ、防衛の準備をせねばならない。

さてこちらは全力を出してやる。3000の兵でどう出る、魔王Olよ

ウォルフはそう、呟いた。

篭城の構えだと?

Olは門を閉ざし、守りを固める敵軍を見て怪訝な声をあげた。

今度は舐めてはいないようね

その背にふわりと浮かび、リルが硬い声で言う。

だとしても、作戦は変わらぬ

今回用意した戦力は巨人やリザードマン、ケンタウロスと言った亜人を中心にした、Olの迷宮でも精鋭中の精鋭だ。錬度はグランディエラの正規兵に比しても遜色なく、種族自体の能力の高さでそれに勝る。

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