自分の魔力を全部吸われて、Olの魔力で身体を作って、思い出した。弟子を裏切り、悪魔に魂を捧げたラディクス・フルーメンは、魔界で悪魔にサキュバスになった
それは偶然と言えば偶然だったし、必然と言えば必然だったのかもしれない。ラズが自分に良く似た魔力を持つOlを拾い弟子にし、その魔力に良く似た性質のリルはOlに惹かれ使い魔となった。
でもね、それでも、私はラズじゃない。ラズの記憶は大半思い出したけど、私は私。あなたの使い魔の、リルシャーナだよ
Olは、短くそう答えた。ラズの死を引き摺っていた訳ではない。が、胸のどこかにつかえていた何かがゆっくりと氷解していくかのような、そんな気持ちを彼は感じた。
まあ、ラズは聡明で落ち着きのある大人びた女性だったからな。お前とは似ても似つかん
む、失礼なっ! ああ見えて結構背伸びしてたんだからね、あの女!弟子の前で良い格好してたけど、内心は滅茶苦茶オロオロしてたよ!?
おいやめろ、俺の思い出を穢すな
リルと言い合うOlは、久方ぶりに晴れやかな表情を浮かべた。そして、所在なさげに彼を見つめるスピナに無言で向き直り、歩を進めた。
そして拳を握って固めると、彼女の脳天にめがけそれをごんと振り下ろす。
帰るぞ、リル、スピナ
両手で頭をおさえ目じりに涙を浮かべながら、スピナは嬉しそうに頷いた。
そふぃ! ?
Olの迷宮へと戻り、スピナが姿を見せるとマリーは満面の笑みを浮かべ、彼女に駆け寄ろうとした。しかし、途中で足を止め、彼女は不審そうな表情でスピナを見上げる。
スピナがもはや人ならざる存在である事を、何と無く感じ取ったのかもしれない。
ほんとうに、そふぃ?
フォローしようとリルが前に出ると、マリーは怪訝そうな声で尋ねた。
まえより、おっぱいおっきくなってる
ピシリ。
音さえ立てそうな勢いで、スピナの表情が凍りついた。
い、一体何を言っているのですか。私は何もかわってなど
うそだー。まえよりぜったいおっきくなってる!
思わずOlはスピナの胸元に視線を走らせる。しかし、ローブに覆われた彼女の膨らみの大きさはいまいち判別できなかった。
な、なら、しばらく会わないうちに大きくなったのでしょう。何も不思議な事は
そんなわけないもん。いちねん、ずーっと、かわらなかったもん。いまさらかわるわけないもん
つまり、スライム化したのを利用してという事か
あー、まあスタイルくらい自由自在だよね
頑なに言い張るマリーに、Olとリルは納得してうなずきあった。それを聞いて、スピナの表情が氷を越え、修羅の様に変化する。
あっ、そふぃだっ
その表情を見て、マリーは嬉しそうに笑った。
あなたはっ! 何度っ! 私を辱めれば気が済むのです、マリィィィィッ!!
一瞬にして全身を粘液状に変化させ、触手を矢の様に伸ばすスピナ。マリーはきゃあきゃあと笑いながらそれを身軽にかわした。どうやら彼女にとって、スピナの異常は殊勝な態度と胸の大きさだけで、液状化するくらいは平常運転扱いらしい。
Ol
そんな様子を微笑ましく見ながら、リルはOlに声をかけた。
ラズはさ。最後まで、幸せだったよ
Olにとって、その言葉はそれほどの意味を持たなかった。もう、70年も前の話だ。ラズとの生活は随分と色褪せ、大切な、しかし遠い思い出と化している。
だから、Olは遠く先を見ていった。
してやる
ぽつりと呟いたOlの言葉を聞き損ね、リルは彼の顔を見て問い返した。
お前も、だ
うん!
花咲くような満面の笑みを浮かべ、リルは頷いた。
第16.1話 蛇に足を描きましょう
まあそれはそれとして、だ
Olは嬉しそうに笑うリルの頭をがしりと掴んだ。
お前が俺の頬を引っ叩けたのはどういうことだ?
え、えーと、それはほら、害を与える目的じゃないからノーカンっていうか
そんな論理が通じるか! 貴様、契約の一部が無効化されているな!?
身体の組成自体を全て入れ替えた影響か、人間であった頃の記憶を呼び覚ました結果か。どうやら、リルを縛る契約は大分緩んでいるようだった。
まさかそのような回避方法があったとはな。契約事項を全部洗いなおすぞ。どのくらい緩んでいるのか確かめ、呪いをかけなおす
ちょ、ま、待ってよOl! 私はOlを裏切ったりしないってば。他の悪魔とは違うの、信じてよ
ああ、信じているとも
Olの言葉に、リルはぱあっと表情を明るくする。
が、それとこれとは話が別だ。俺が信じていようが、そんなもの世界は簡単に裏切るからな。お前の信頼と同様に何の保証にもならん
しかしそれは、続く言葉にすぐにげんなりと崩れ去った。
おい、スピナ、お前もだ。人間じゃなくなった上に魔力を吸収するなんて存在に、呪いが元のまま残っておるとは思えん
こちらは嬉しげに、Olの下へと擦り寄る。
じゃあ検査を始める。まずは第一項、攻撃範囲の確認からだが
Olはばさりと巻物を広げた。端が地面に落ち、ころころと伸びながら転がっていく。
Ol、それ、何項まであるの
流石に唖然とするスピナの隣で、リルはげんなりと尋ねる。
大体、1000くらいだ。多いんだからさっさと片付けるぞ
せっ!?
リルの声なき悲鳴が、迷宮にこだました。
彼女達が解放されたのは、それから三日後の事だった。
第17話天に弓を引きましょう-1
宗教国家ラファニス。
その首都の更に中央に王宮の代わりに建っているのが、大陸中の教会を統括する僧侶達の大本山。メリザンド大神殿だ。
聖女メリアはその神殿の奥で毎日豊穣と平和の祈りを捧げ、表に出ることは滅多にない。代わりに、政治を担当しているのは評議会と呼ばれる集団で、実権としてのトップは存在せず、提案された政策は常に評議会の多数決によって評決が下される。
癒着や汚職、不正などがあればそれは聖女によって見つけ出され、更迭される。これらの人事を決定する権利を持っているのは聖女のみであり、その決定は神託によってもたらされる。
すなわち、間接的にではあるが神によって統治されている国。それが、宗教国家ラファニスである。
国中にその名を知られ慕われている聖女メリアではあったが、表舞台に上がることは滅多にない。年に数度の人事異動と豊穣の儀式、そして数十年に一度の聖女の代替わりの儀式以外にはけして姿を現さない。
これは他国の侵攻や訪問があった場合ですら同様で、いずれも聖女の代わりに評議会の人間が代理として受け持つ。
人事異動や代替わりはいつ起こるのかは不定であり、また神殿内で執り行われるので一般の目に触れることもない。
唯一日程が決まっており、一般市民たちも聖女の姿を目にする事ができるのが毎年初春に行われる豊穣の儀式だ。
聖女は神衣をまとい、神殿の前にある祭壇の上で豊穣の舞いを踊る。それはただの儀礼的なものではなく、神の力である理力を帯びたものだ。この儀式によってラファニスは実際に豊穣の祝福を受け、常に豊作に恵まれる。
人々はその加護を受け田畑を耕し、富を築いてそれを聖女に、ひいては国へと返す。これが、ラファニスが大陸でも有数の大国になった秘訣だ。
そして今年も、その日がやってきた。
豊穣の儀式は一日がかりの大事だ。神殿の周りは青銀の鎧に包まれた聖騎士たちがくまなく警護し、詰め掛ける市民や不心得者達から聖女を守る。
街は聖女を一目見ようとやってきた旅人達で賑わい、男はその美しさに見惚れ、女はかつて見た夢に想いを馳せる。次の聖女は神官の中から神託によって選ばれる。世界に教会は多くあり、僧侶は更に無数にいるが、その中でも神官になれるのはほんの一握り。
そして、その神官の中から聖女になれるのはたった一人だ。齢20を越えたものが聖女に選ばれた試しはない。聖女に選ばれるのは常に、若い少女の中でも才能に優れ、見目麗しいものだった。
そして、およそ30歳程で次の聖女を選び、その任期を終える。
メリア様、綺麗ね
例外なく美しい聖女達の中でも、今期のメリアは特に美しいと誉れ高い。齢は今年で24、花の妖精も女神すらも彼女の前では霞むと形容されるその容姿は、確かにアールヴのような妖精と比較してなお美しいものだった。
光をそのまま束ねたかのような純白の髪は足元に届くほど長く滑らかで、澄んだ瞳は紫水晶を削りだし、100年間に渡って磨き上げた宝珠のよう。唇は熟れた果実の様に瑞々しく、手足はすらりと細く長い。その胸元には豊かな双丘をいただいていたが、劣情を抱く事が罪悪であると感じさせるような神秘的な美しさを湛えていた。
屈強で敬虔な聖騎士たちが隙なくその周囲を守ってはいたが、彼女に手を出そうなどと言う不心得ものはここ数十年一人たりとていない。祭りの雰囲気に羽目を外して泥酔した旅行客すら、その美しさの前には息を飲み、背を伸ばして居住まいを正すほどだ。
故に、その日は多くのラファニス国民によって、忘れることの出来ない日となった。
突如として轟音が辺りに鳴り響き、聖女の乗っていた祭壇が砂埃に覆われる。
何だ!? 一体何が起こった!?
くそっ、聖女様は無事か!?
誰か、風を起こせ! この砂埃を消し飛ばすんだ!
聖騎士達が血相を変えて祭壇へと殺到し、魔術師達が必死に風を起こし砂埃を払おうとする。無数の悲鳴と怒号が辺りに響き渡り、恐怖に慄いて逃げようとするものと、何が起こっているのか把握しようとするもの、騒ぎを聞きつけ野次馬にやってくる旅行客で辺りは大混乱に陥った。
穴だ!
聖騎士の一人が叫ぶ。
巨大な穴が空いている! 縄を持って来い、不用意に近付くと落ちるぞ!
砂埃が晴れた後に姿を現したのは、祭壇全体を包み込むような巨大な穴だった。穴の底には僅かに祭壇の頭が顔を出しており、そこから横穴が見える。聖女は、浚われたのだ。
追うぞ!
何人かの騎士が魔術で風をまといながら、穴に飛び降りる。まだそれほど時間は経っていない。相手は聖女を連れているのだ、全力で駆ければまだ追いつけるはず。
そんな騎士達の思いは、ほんの数ヤード横穴を進んだところで脆くも崩れ去った。
坑道の天井が崩され、穴が塞がれていたのだ。逃走する際に崩していったのだろう。通れるように穴を掘るには、崩すのにかかる時間の何十倍も必要だ。追いつきようがない。
暗い坑道の中で、騎士達は己の不甲斐なさに膝を屈した。
どうやら上手く行ったようだな
己の部屋の中でじっと瞑目していたOlはぱちりと目を開いた。
で、何をしておる貴様らは
遠隔地の形代からもとの身体に戻ってみれば、彼の右腕をリルが、左腕をスピナが胸に抱きかかえ、膝の上にはマリーが乗っていた。
んー、英気を養ってる?
それと領地の確保でしょうか
なんも、してない、です!
娘達は口々に答えた。
お前達にはお前達で仕事があるはずだが?
大丈夫、問題ないよ。ほら
ひょい、とリルとスピナは移し身を作ってみせる。どちらも形代ではなく、独立した思考と統一した意思を持つ、もう一人のリルとスピナだ。
半スライムとなったスピナは魔力さえあればほぼ無制限に増殖する事が出来、ラズの記憶と知識を思い出したリルは魔力で自分の身体を作り出すことが出来る。これによって仕事の効率は大幅に改善していた。
ちなみにマリーにはそのような芸当は勿論出来ないが、元々何かの役に立っていた訳でもないのでなんら問題ない。
それにしても、いつの間にラファニスまでの坑道なんて掘ってたの?
ラファニスの首都は遠い。馬車でも丸々一週間はかかる距離だ。いかに石と鉄の申し子であるコボルトやドヴェルグの鉱夫をそろえているとは言え、一朝一夕に掘れる距離ではない。
大体、コボルトが迷宮に巣を構え始めた頃からだな
滅茶苦茶前じゃん! うちにエレンがきた頃だからええ、もう一年以上前!?
リルは指折り数え、驚きを通して呆れる。
そんな頃から、ラファニス攻める気満々だったんだ
だから言っただろう、いずれは攻めるつもりであったと
信じていなかったのか、とOlはリルを睨んだ。
時間もそうですが、精度の方が私には信じられません。コボルトならば、ピッタリと祭壇の真下まで穴を掘れるものなのですか?
途中で坑道の存在を知られる訳には行かないから、地上に穴を開けて確認する訳には行かない。地下や国外ならばともかく、ラファニス国内には聖女の結界がくまなく張り巡らされている。そんな事をすれば一発でバレる。