相手は邪悪なる魔王、奸智に長け何も信じず寄せ付けぬ孤独な魔術師だ。そのような者に、真実の愛を抱くような人間が、居るはずがない。居てはならないのだ。
考えても詮無い事だと思考を切り替え、メリザンドは遠くに迫る巨人に視線を移した。とにかく今は、あれを何とかせねばならない。
鉛、やはり駄目か
ああ。あれは魔術ではない
魔術で動かしているものであれば、どのように巨大なものでも鉛の能力で無効化できる。そう踏んでいたメリザンドの期待は、あっさりと覆された。無明が言うには、信じ難い事にあの巨人は生き物であるらしい。
血の代わりに魔力が通い、心臓の代わりに核がある。すなわち、あの巨人は魔王Olそのものなのだ。全ての術を無効化する鉛の能力も、生き物の命を奪うことは出来ない。それは魔術ではなく、当たり前の法則だからだ。
どうしますボス。あのデカブツを黙らせるのはちょいとばかり骨ですよ
総攻撃、しかないだろうな
苦々しくメリザンドは言った。敵は兵器であると同時に本拠地だ。天使や英霊の力を持ってしてもあの巨人を破壊するのは困難を極める。破壊しつくす前に、首都は更地にされるだろう。
となれば止めるにはOl本体を叩くしかないが、その本人が巨人の中にいるときている。つまり、攻めて来る巨人の中に侵入し、その心臓部を破壊する。これしか手がない。
召喚できる全天使を呼び出す。総力戦だ
おーおー、凄まじい数だねえ
雲霞の如く群れを成す天使達の姿を見やり、キースは呟いた。魔王の膝元、Olタウンの案内役を買った盗賊の男だ。
ダンジョンを丸ごと巨人に仕立て上げた今でもその街は健在であり、今はちょうど巨人の左肩に当たる部分に位置していた。巨人は大地を揺るがし、自身も相当揺れているはずなのだが、巨人の上にいる分には普段と変わらず行動することが出来た。
魔王がなにやら細工をしたらしくノームがその原理を詳しく説明してくれたが、とにかく動けるのならば問題ない、というのが殆どの冒険者の共通認識だ。
巨人の腕がぶんと振られ、天使達の群れを払う。遠目には緩慢に見えるその動作も、目の前では巨大な壁が高速で迫ってくるのに等しい。何体もの天使が押しつぶされ地面に落ちて行く。しかし、それだけでは全滅させる事は難しいだろう。
実際、何百体と言う天使達がその攻撃を掻い潜ってこちらに向かってくる様をキースは眺めていた。
そろそろ準備しましょう
おう
下から声をかけられ、キースは教会の鐘楼からひょいと身を翻した。
大通りには、何十人と言う冒険者達がひしめいていた。元々この町にいた数に比べれば随分と減ったが、一人ひとりがどいつもこいつも金の為に己の命を賭ける、最低で最高の荒くれ者たちだ。
皆さん
しんと静まり返った広場で壇上に立ち、ノームは大きな袋をもちあげた。無造作にそれを地面に置くと、口から覗き見えるのは黄金の輝きだ。
魔王様は仰いました。この戦いで生き残ったものには、金貨100枚を与えると
おおーー!
冒険者達が腕を振り上げ、声をあげた。金貨100枚。それは、数年は遊んで暮らせる大金だ。ノームはもう一つ、同じような大きさの袋を持ち上げ、地面に置いて、言った。
そして私が追加します。さらに、100枚ずつを
うおおおおおおお!!
場は、大いに沸きあがった。
ようし野郎ども、金は死人にゃ使えねえ、あのお上品な天使共をファックしてさっさと金を頂くとしようぜ!
おおおおおおおお!!
キースの声に、冒険者達はときの声を上げ、剣を掲げる。
我らが財布と、明日の安酒のために!
クソッタレなあのダンジョンのために!
愛すべき我らが魔王様のケツを蹴り上げる日のために!
バラバラに、冒険者達は叫んだ。
全ての天使達がOlタウンに向かったわけではない。むしろ大多数の天使達は他の入り口から、第一層や第二層へと侵入していた。
ふん。ゴミどもが、汚らわしい
醜い悲鳴を上げて逃げていくゴブリンやオーク達を背後から切り捨て、カマセルは吐き捨てた。彼は天使の中でも中位第二隊、力天使(デュナメイス)に属する天使で小隊長を務めていた。上位の天使たちは神魔大戦で殆ど滅んでしまった為、実質彼は上から二番目の実力を持つカテゴリに入っている。
さあ、さっさとこの不愉快な洞穴を抜け、邪悪なる魔王を打ち倒すぞ
はっ!
部下の能天使(エクスシアイ)達が返事をする。それに違和感を覚え、カマセルは後ろを振り向いた。
おい。減ってないか?
確か能天使は5人いたはずだ。それがいつの間にか4人に減っていた。
能天使達は互いに顔を見合わせた。カマセルはそれを見て舌打ちする。これだから、下位の者達は使えない。
はぐれたかまあ良い。汝ら、勝手な行動を取るでないぞ
釘を刺し、前に向き直る。どうせこの迷宮にすむのはケチで下賎な妖魔どもばかりだ。能天使といえどそうそうはやられたりしないだろう。
あの、カマセル様
なんだ。わざわざ手間を取らすな
それが、そのまた、減っているのです
不安げな表情で能天使の一人が言った。ほんの僅か目を放した隙に、能天使は残り3人になっていた。
勝手に動くなと言っておろうが!
カマセルは怒鳴りつけ、辺りを見回した。その視線の先で、ドアがパタンと閉まる。
あそこか。貴様らはここで待機せよ
カマセルは残る三人に待機を命じると、無造作にドアを開き声を張り上げた。
何をしている! さっさと隊列に戻れ!
しかし、彼の声はむなしく闇に響き渡るだけだった。ドアの向こうは何もない小さな部屋。能天使の姿どころか、他の道への通路さえ見当たらない。
ふん
鼻を鳴らしてドアを閉めようとし、カマセルは気付く。誰もいないのなら、何故ドアは閉まったのか?
オオオォォォオオォォオォォオオオ!!
彼が疑問を脳裏に浮かべると同時、巨大な髑髏が壁から飛び出してきた。
なっこれは!?
アアアアアアア
くぐもった唸り声をあげながら、次々に骸骨達が床や壁、天井をすり抜けて現れ、カマセルに襲い掛かる。
亡霊か! 舐めおって、このカマセルに貴様ら如きクズが
勇ましく言い放ち、剣を抜こうとする彼の腕には既に大量の亡霊がしがみついていた。腕が冷え、凍って固まったかのように動かなくなる。
待て、そんな、馬鹿なこの私が、亡霊ごときに、待て!
さらに大量の亡霊がカマセルに殺到し、その骨だけになったアギトを開く。
ぐしゃり、と何かが潰れる音と、ぐちゃぐちゃと天使の肉を食む咀嚼音だけが部屋の中に響いた。
天使といえど物量には勝てぬか
その様子を見つめ、亡霊は呟いた。
彼は、かつてゲオルグと呼ばれていた一人の男だった。Olに殺され、恨みを抱いて死んでいった彼は濃い瘴気を吸って亡霊となり、迷宮に囚われた。亡霊となった身体は、死んでも死に切れぬ。何度消されようが、解呪を唱えられようが、その度に迷宮は彼の魂を捕え、瘴気の肉体を与えて亡霊とした。
そんな彼を救ったのが、冒険者達だ。何度でも蘇り、生前は一流の剣の腕を持つ剣士だった彼を冒険者達は先生と呼び慕った。最初は揶揄を多分に含んだその名前は次第に尊敬の念を帯び、いつしか多くの冒険者達は本当に彼を師と仰ぐようになっていた。
多くの念は、それそのものが情念で出来ている亡霊に多大な影響を与える。尊敬の念はある種の信仰となり、やがて彼はある種の神と呼んでもいい存在にまで昇華していた。無論、神と言っても天に住む神とはあり方を完全に異にする、別種のものだが。
彼はダンジョンを愛し、ダンジョンを愛するものを愛した。かつて自らを殺した魔王の味方をするのは業腹ではある。しかし、それ以上に天使などと言う存在にこのダンジョンを荒らされるのは我慢がならなかった。
もはやここにいるのは妄執に囚われ恨みで凝り固まったゲオルグの霊ではない。冒険者達に愛され慕われる亡霊、先生なのだ。
さあ、行くぞ同士達よ! あの天使共を皆殺しにしてしまえ!
亡霊の軍団を率い、先生は雄叫びをあげた。
最終話地を這う者の意地を見せ付けましょう-2
カマセルの理力が消えた?
力天使アンドゲルは同輩の力が消えていくのを感じ、そう呟いた。魔王の迷宮は思った以上に危険なようだ。既に何人もの能天使たちが迷宮内で命を落とし、力天使さえ今散っていった。
とは言え、カマセルは少し傲慢で浅薄なところがあり、そこを突かれたのかも知れない。アンドゲルは慎重に縦穴を部下達と共に降下していった。
彼が見つけたその穴は、どうやら他の入り口よりも奥深くへと通じているようだった。時折空を飛ぶ魔獣たちが襲いかかってきたが、空中を自在に舞うことの出来る天使達にとっては大した敵ではない。容易く斬り捨てながら、彼らは地下第二層にたどり着く。
カマセルは愚かにも第一階層から降りていったが、アンドゲルはそこを丸々飛ばした。空を飛べぬ人間用の守衛も天使にとっては恐れるほどのものではない。このまま一気に最深部を目指し、魔王を討ち取ってやる。
そう意気込むアンドゲルの視界に、赤い光が見えた。
ジョー、ジョナサン、ジョアナ、ジョナス、ジャスティン、ジョセフ、ジョディ、ジョシュア、ジョアン、ジョタロ、ジョブ、ジューダス、ジュアニッタ、ジョスケ、ジュリアン、ジョセリン、ジュニアス、ジュリエット、ジョルノ、ジョーディ、ジョリーン、ジョエル、ジョニィ、ジョン、ジャイロ、ジョリオン、ジャスタス!
どこからか、若い娘の声が響いた。
全軍発射!
深い深い縦穴の底、横穴の中。そこにずらりと並び喉の奥に炎を湛えた、無数の魔獣。
それが、アンドゲルが下界で見た最後の光景だった。
どこにも明かりのない、果てしなく真っ暗な世界。それが、彼の知る全てだった。闇は均一ではなく、彼から離れるほどにその濃さを増す。いくらか進んだ先にある闇のわだかまりが、それ以上進めぬ世界の果てであると彼は認識していた。
世界は四角く正方形をしていて、動き回るのに問題はないがさほど広くは無い。そんな世界の中で、彼は闇の中でさえなお暗い漆黒の塊として存在していた。世界の中には、彼の手足として動かせる中位の闇が二つと、それにつながれた大きな闇。そして、自分。それだけだ。
時折、世界の外から侵入者が現れることもあった。侵入者は強さの差こそあれどれも光り輝き、彼にとって我慢のならない暖かさを撒き散らした。彼は手足となる闇を操り、その光をひき殺し、あるいは剣で斬り殺した。
侵入者の光によって、中型の闇は首のない馬、大型の闇はそれが引く馬車なのだと知れたがそれは彼にとって何の感慨ももたらさなかった。彼はただ、この小さな世界を守る為に戦うだけだ。彼はデュラハン。生前の名を、アランと言った。
そしてその日、彼の世界に今だかつてない量と質の光が入り込んできた。
不浄なるものよ、光の前に消え去るがいい!
そう声をあげ、天使達は襲い掛かってきたが、デュラハンがその言葉を理解する事はない。ただひたすらに、己の内なる衝動の命ずるままに戦うだけだ。
首のない馬がいななき、足を振り上げて走る。凄まじい速度で駆ける馬車は、一瞬にして能天使達を跳ね飛ばし、その車輪でずたずたに切り裂いた。
上だ、上を取れ!
デュラハンの部屋には馬車の高さの倍ほどの空間がある。天使達は羽ばたいて馬車の上を取り、槍や弓を構えた。
おぞましい亡者よ、塵に!?
弓を構えた力天使の目の前で、馬車の姿が掻き消えた。そして、その背後でギャリギャリと音が鳴り響く。振り返る彼の表情が、絶望と驚愕に歪む。
馬鹿な!
力天使は天井を走る馬車に弾き飛ばされ、虚空に消えた。デュラハンはその身、馬車から馬に至るまで全て実体のない怨霊だ。その走る道に上下の別などなく、壁だろうが天井だろうが自由に走り回ることが出来た。
コイツ!
馬車から距離を取り、弓を構える天使にデュラハンは手綱を放し、手をかざす。その掌からは稲妻が迸り、一瞬にして天使を黒焦げにした。
魔術まで使うぞ!
天使達は慌てふためき、逃げ惑った。近付けば馬車に引かれ、距離を取ればデュラハンの魔術。悪魔悪霊の類は得意とするはずの天使たちが、手も足も出なかった。
落ち着け! よく見れば動きは単純だ、距離を取りつつ包囲しろ!
そこに、天使の一人が声を張り上げた。彼は主天使(ドミニオンズ)中位第一隊、今回の戦いに派遣されている中ではもっとも位の高い天使の一人だ。