ザイトリードは、ユニスを抱きしめた。巨躯を誇る彼の身体に対し、ユニスの身体はあまりにも小さく、儚いように思われた。
お前は、俺のたった一人の妹なのだから辛くなかった訳がないだろう。すまな、かった
ザイトリードは彼女と、彼女の腹の中の子を潰さぬ様細心の注意を払い、ユニスを抱きしめた。その頬を伝う涙を、見られぬように。
- 4 -
かつてはフィグリアと呼ばれた国の端、今は魔の国の中央にある小さな村の、更に外れ。ひと一人近寄らぬ何もない丘のふもとに、その小さな石は置かれていた。
よほど注意してみなければわからないほど無造作に置かれたそれは、しかし、確かに墓石であった。文字も何も書かれていないその石の前に、スピナは花を供えた。
その表情には、いかなる感情も浮かんでいない。怒りも、悲しみも、憎しみも、何も浮かんではこなかった。
ソフィ
そんな彼女の背中に、あどけない声がかけられる。かつてソフィアと呼ばれていた少女は振り返ると、金の髪を持つ幼い同郷の少女を目にした。
マリー
彼女がどうしてここに、と問う前に、マリーは墓石に視線を移し、尋ねた。
お母さん?
ええ
それは、スピナの母の墓だった。スピナを気味悪がった村人達に遠ざけられ、元から身体の弱かった母は満足な治療を受けることも出来ず、最後までスピナを憎み、恨みながら死んでいった。
何度も何度も、殺してしまおうかと思いました
しかし、それは結局成される事はなかった。実行に移す前に、彼女は勝手に死んだからだ。
ふーん
物騒な告白を、しかしマリーはあっさりと流した。
知っていますか?
スピナはそんな彼女の首に、指を回した。
あなたの事も、そう思ってたんですよ
うん、知ってるよ
しかし、マリーはそれにもあっさりと答える。
だってソフィ、いっつもわたしのこと嫌いっていってたし
半分スライムとなったスピナは、歳をとらない。そんな彼女に幼い少女は瞬く間に追いついてきた。そしていつか追い抜き、遠くへ行ってしまうのだろう。
スピナは指を外すと、話題を変える事にした。
ローガン。あなたがマリーを連れてきたのですか
スピナがそういうと、マリーの影がびくりと震えた。
仮にも魔術師の私から隠れられるわけがないでしょう
うるせぇ!
冷たく指摘すると、赤い悪魔はマリーの影から飛び出し、叫んだ。
このロリコン紳士ローガン様がだなぁ、13歳以上のババアの手助けをするなんて事が知れちゃあだなあ!
でも、ローガンわたしの事好きだもんね。ここまで運んでくれてありがと
その逞しい腕をぎゅっと握り、マリーはにっこりと微笑む。
いや、嬉しかねえ。嬉しかねぇぞ!
彼は何か、アイデンティティのようなものを賭けて戦っているようだった。
ちょうどいい。私も運んでください。お師匠様の手を煩わせるのは申し訳ありませんから
だからババアの手助けはしないっつっただろ!? 話聞いてましたキミ!?
ローガン、お願い
~~~~~~! 誰にも、言うんじゃねぇぞ!絶対だからな、これっきりだからな!?
両手を合わせておねだりするマリーに叫び、ローガンは彼女達を左右四本の腕で抱えた。
あ、そうだ
マリーはスピナの方を向き、にっこりと笑い、言った。
わたしは、ずーっとソフィの事、好きだったよ
そうですか。私はあなたが嫌いです。今でも
そっけなく答えるスピナに、しかしマリーは笑みを崩さない。
わたしだって、ソフイよりOlさまの方が好きだもん。Olさまいちばん、ソフィはにばん
その言葉に、スピナはムッと眉を上げて答える。
私だってあなたよりお師匠様をお慕いしております
その答えに、マリーはにんまりと笑った。
やった、じゃあわたしは二番だ
なっそういう意味では!
顔を赤らめ、スピナは否定する。マリーちゃんマジ小悪魔、とローガンは心の中で呟いた。
なあ、ちなみに俺は何番目なんだ
ローガンの問いに少し考え、二人は声を揃えて答えた。
迷宮に落ちてる石の次くらい
ひでえ!?
こんなに尽くしているのに、と心の中で泣きながら、ローガンは二人を抱えて空を駆ける。
残された墓前の花が、風に吹かれ小さく揺れた。
番外編5魔王の前日譚
-70 years
一筋の光も注さぬ、荒涼とした不毛の大地。人間が足を踏み入れればその足は竦み、重圧と瘴気に吐瀉物を撒き散らしながら息絶えるだろう。そんな魔界の片隅に、ゆらゆらと小さな灯火が舞い降りた。
その炎は小さく、琥珀色に輝いていた。それは人間の魂の輝きだ。炎は揺らめきながら周囲の魔力を纏う様に絡め取ると、ゆっくりとその輝きをなくし濁っていった。
そして徐々に膨張し、長く伸びる。楕円形の輝きはやがて頭と胴にわかれ、手足が伸び、まるで胎児が成長するかのように徐々に人の形を成していく。
やがて炎は闇の中で一際暗く闇色の光を放つと、蝙蝠の翼と山羊の角、見事なプロポーションを持つ女の姿へと変化した。
ここは私は?
女悪魔は戸惑うようにきょろきょろと辺りを見回す。
己が悪魔である事、淫魔である事は何と無くわかる。しかし、それ以外の記憶と言うものが完全に欠如していた。それも当然の事だ。彼女は今、生まれたばかりなのだから。
生まれたばかりのこの悪魔は、後にリルと呼ばれることになる。
-60 years
つまり、魔術をどれだけ使ってもこの世界から魔力が失われる事は無い。これを魔力量保存の法則と言う。つかわれた魔術はやがて魔力として発散し、雨などによって大地に吸収される。大地に宿った魔力は龍脈の流れに乗って世界中を流れ、それを吸って育った草木を鹿や鳥が食べる。その鹿や鳥を更に大型の獣が食べ、それらはやがて死によって大地に帰る。こうして、魔力は世界中を巡っているのだ
黒板に白墨で文字を書き連ねながら、彼は流れるように言った。最後の一節を言い終え、カッ、と音を立てて文字を書き終えた所で鐘が鳴る。いつも通りの、計算し尽くされた完璧な時間配分だ。
今日の講義はここまで。質問のある者は直接私の研究室まで来る事
彼は事務的にそう言い、ローブを翻して講堂を出た。
アイン先生!
その背を一人の女生徒が追いかけ、駆け寄った。
あの、講義で、わからなかった場所があるんですけど
頬を染め、緊張した面持ちでそう言う彼女を、アインは冷たい目で見つめた。
いいだろう。私の部屋にきなさい
んっ、あぁ、あ、あぁぁぁぁぁ!!
アインは、己の上で腰を振りたくり、気をやる女生徒の胎内にその欲望を存分に吐き出した。女生徒はぐったりと彼の胸に頬を寄せ、身体を預けながらうっとりと呟く。
まさかアイン先生とこうなれるなんて嬉しいです。とっても素敵でした
女生徒はそっとアインの頬に唇を寄せ、囁く。
愛してます、先生あなたの為ならこの命だって惜しくありません
その言葉に、アインはピクリと眉を上げた。
そうか。ならば
彼は枕元においたナイフを手に取ると、鞘から引き抜いて女生徒に渡した。
命が惜しくないというのなら、死んで見せろ
冗談、ですよね?
意を計りかね、女生徒は曖昧な笑みを浮かべて問う。アインは微笑んで頷いた。
もちろん冗談だ
ほっと胸を撫で下ろす女生徒に、アインは笑顔のまま言った。
本心はこちらだ。俺を殺してみろ
私を、からかっているのですか?
表情を曇らせ問う女生徒に、アインは首を横に振る。
いいや。今度は冗談ではない。本当に愛しているというなら俺を殺してみろ。それが出来ないのなら、死ね
失礼します!
女生徒はナイフを投げ捨て、ベッドの脇に落ちた自分の服を身に纏うと扉を乱暴に開け、涙を流しながら立ち去った。
何を、しているのだかな
ほんの少しでも期待したのか。それとも、別の答えを望んでいたのか。
後に魔王と呼ばれる若き魔術師は、ベッドに腰掛けため息をついた。
-50 years
やー!
まだ幼い、舌足らずな声。その掛け声と共に弾き飛ばされた木剣と己の手、そして己が息子を、フロスは交互に見つめた。
やった、やったぁ!
もちろん、幼い子供相手だ。手加減はしていた。しかし、傭兵として少しは名の知れた彼の剣を弾き飛ばす事など、大人の戦士にだってそうそうできることではない。ましてや、こんな幼い子供が。彼はまだ、5つになるかどうかと言ったところなのだ。
うちの子は天才だきっと誰よりも偉大な戦士になるぞ!巨人を倒し、竜を殺し、国を興すくらいに偉大な戦士だ!
声を上げる彼を、周りの傭兵達は親馬鹿だと笑った。
笑っていられるのも今の内だ。いいか、強くなれ。誰よりも強い男にな。いいか、ウォルフディール!
赤い髪の少年は、無邪気に笑って頷いた。
-35 years
ガーゴイル?
ええ、良い出来でしょう?
村長は胡散臭そうに行商人を見た。琥珀色の髪をした初老のその男が馬車で運んできたのは、見事な細工の悪魔像だ。
へぇ、こりゃ見事だ
村長の息子が目を見開いていった。その精巧な石像は、まるで生きているかのような迫力を持っていた。
これだけ精巧なら、ゴブリンどもや狼はもちろん、疫病だって寄り付きませんよ
にこやかに言う商人をよそに、村長の息子はすっかりその悪魔像に夢中になっていた。こんな恐ろしげな怪物と、剣を持って戦ってみたい。そんな考えにすっかり取り付かれていたからだ。
しかしなあ、この村はあまり裕福ではないし
いえ、そこは勉強させていただきますよ。と言うのもですね、コイツは出来はいいんですが、物が石ですから運ぶのが大変でね。うちの馬も、私と同じでもう随分くたびれてしまっているものですから、ここらで処分してしまいたいのですよ
ほう、なるほどねえ
交渉を続ける親と商人をよそに、村長の息子、ゲオルグは像をぺたぺたと触りながら、空想の翼をはためかせた。彼が冒険者を目指し村を出るのはそれから3ヶ月の後。そして、村に戻り村長に就任するのは、更に20年後の事になる。
-32 years
いくぞ、トスカンッ!
ああもう、お前はいっつもそんなんばっかりだよな、ウォルフディールゥ!
向こう見ずに突っ込む相方にため息をつきながら、トスカンは帽子を押さえ杖を構えた。
くらいなッ!
美女を掴む巨人の腕に向かって跳躍するウォルフの足元に、トスカンは氷の弾丸を撃ち込む。ウォルフはそれを足掛かりにして再度跳躍すると、一撃で巨人の腕を切り飛ばした。同時に、その衝撃に耐え切れず、剣が粉々に砕け散る。
あーっ! また壊しやがった、ちったあ力加減考えやがれこの馬鹿力!
風を纏い、美女を助け起こしながらトスカンは叫んだ。
悪い悪うおっとぉ!
悪びれた様子もなく謝るウォルフを、巨人が殴り飛ばす。ウォルフはそれを真っ向から腕で受け止めた。
へへ、いいぜそういうのは、嫌いじゃねえッ!
ウォルフは己の数倍の大きさの巨人を殴り返す。そして、真正面からの殴り合いが始まった。
美女は目を丸くし、口をあんぐりとあけてその様子を見つめた。
あのっ、助けないのですか!?
あーなったら無理。馬鹿なんだ、アイツ
ウォルフは血塗れになりながらも、巨人の拳を受け、殴り返すのを繰り返す。それを数十分繰り返し、結局最後に立っていたのはウォルフのほうだった。
あなたは狂人なのですか!?
勝者となった英雄に、美女が最初に投げかけた言葉はそれだった。そして、血塗れの彼に駆け寄ると、ドレスが赤く染まるのを気にもかけずに彼の傷を治療する。
ちゃんと勝っただろ?
勝てばいいというものではありません! 大体、英雄が王女を助ける時は、もっとスマートに颯爽とやるものではないのですか!
その辺はずっと言い聞かせてるんだけど、実を結んだ事は一回も無いんだよなあ
怒鳴る美女、ユードラにトスカンはボヤいた。一方的に怒声を上げる彼女と、気にした風もなく笑う英雄が結ばれるのは、それから2年後の事だった。
-16 years
ユーディ!
そんな大声を出さなくても、聞こえていますわ
ウォルフは妻の手を握り締め、彼女の真っ白に血の気の失せた顔を見つめた。
あの子はあの子は、無事なのですか?
ああ。ザイトにそっくりな、赤い髪と緑の目をした、元気な女の子だ
そうですか
ユードラはそっと微笑んだ。
お前の体調が戻ったら、また昔みたいに冒険しよう。俺と、お前と、トスカンとザイトだって、もう十分に戦える。新しく生まれたあの娘が成長したら、親子4人でだっていい。だから
それは、楽しそうね。きっと、すごく、幸せ。そうできたら
できるさ。そうだろう?