魔王の城の外、結界に阻まれたその先に、まるでもう一つの太陽の様に輝く存在があった。
それは4つの顔と4つの翼を持つ、天使の上位第二隊。智天使(ケルビム)の姿であった。聖女であるメリザンドでさえ使役することは適わず、その気になれば己の力だけで現界できるほどの神威。
間違いなく、現在の天界で最上位に位置するであろう存在。それはすなわち、天から地まで全てを含んだ中での最強の存在を意味していた。
良かろう、地上最大の英雄の相手に相応しい
巨竜の身体へと向かうウォルフの前を一つの小さな影が遮った。
お手伝いできる事はございますか? ウォルフ様
手伝ってくれるか。お前の協力が得られるのならば、百人力だ。頼もう、獣の魔王よ
その名は好きではありません。私はただの牧場主の娘です
ミオはにこりと微笑んだ。
Ol様! 城の中に天使が!
制御を乗っ取られたか!
分娩室に駆け込み、報告する黒アールヴにメリザンドは舌打ちした。天の迷宮を守る天使達は完全に彼女の制御下にあるが、唯一の例外がある。更に上位の天使が、人の手を借りずに現界したときだ。
世界が神秘に溢れていた神代ならばともかく、この時代にはそんな事はそうそうあることではない。天界の余力的に考えても、今回が最初で最後だろう。
今、エレン様率いるアールヴと冒険者の皆様で抑えています。しかし、敵の数は莫大! 防ぎきれる量ではありません!
天の制御下に置かれた天使達は、周囲の理力を使って更なる増援を呼び寄せていた。空に浮かぶこの城は光に溢れ、それゆえに天使達は迷宮とは違いその力を十全に振るうことが出来る。
援軍にいくわ。あなた達はここの防衛をお願い
おう、任せとけ
妹の子には指一本触れさせん
頷く不死身と鉛、二人の英霊を頼もしく見て、リルとスピナは分身を作り部屋を出て行く。
そういえば
Olはふと、数が足りない事に気が付いた。今部屋の中にいるのはOlとメリザンド、不死身ことザンドとザイトリード、その妻ヒルダ。そして産婆や僧侶達だ。
マリーは、どこに行った?
ここはいきどまりだよ
軽やかにそう宣言する少女に、天使達は足を止めた。金の髪に青い瞳。絶世といっていいほどの美少女は、たった一人で通路に立っていた。
そこを退け。邪魔をするなら容赦は
槍を掲げ、宣言する天使の声は最後まで続かなかった。
その首が、刎ねられたからだ。
居並ぶ天使達は驚きに目を見開く。まだ幼い少女はその小さな身体をするりと天使達の列の間に滑り込ませると、両の手に持った二振りの剣を振るった。その一撃で、更に二つの首が飛ぶ。
二刀流か! 挟み込め! 同時に攻撃しろ!
二人の天使の槍を、マリーは剣で受け止めた。武器を封じられた彼女に、更に別の天使が突きかかる。
二刀じゃないよ
マリーは天使のように微笑み、囁いた。
彼女の剣を押し留める天使二人が、まるで見えない腕に振るわれるかのように宙を舞う剣に首を刎ねられ、消える。枷のなくなった残り二本の剣で、マリーは三人目の天使の槍をはじき、その左胸を突き刺した。
よんとーりゅーでした
馬鹿な、それはまさか
宙を自在に舞うその剣は、魔術で操られているものではない。
法術だ。腕を振るうように剣を動かす、という法をこの少女は作り出していた。その効果は単純だが驚異だ。法である以上、その剣を止めるすべはない。そしてこの神気に包まれた城の中では、殆ど使い放題に等しい。
それだけじゃないよ
マリーは更に二体の天使を屠りながら、呪文を紡いだ。彼女は無数の炎の矢を背負い、剣を天使達に向け、最後の一節を口にする。
穿て
炎の矢は彼女自身を避けて飛び、狙い違わず天使達の心臓を貫いた。それは回避も防御も不可能の、絶対必中の矢。当たるという結果を法によって定められた、魔術の炎の矢だった。
剣と、魔術と、法術を同時に使うだと!?
規格外の存在に、天使は叫んだ。理力と魔力はともに正逆。その身に両方帯びようとすれば打ち消しあい破壊しあう存在だ。そんな芸当が出来るわけはない。
しかし、世界で唯一、マリーにだけはそれが出来た。己の身に魔力を宿し、呪で繋がれた半身から理力をもらう。それはそのまま、この天と地のダンジョンで行われている事の縮図だ。
どいておれ
居並び戦慄する天使達を退け現れた、燃える輪を背負った天使にマリーは瞠目した。明らかに他の天使達とは格が違う。
我こそは天使九階位第三位。上位第三隊座天使(スローンズ)のヴィナエル。娘、貴様の名を聞こう
マリーちゃんです!
ヴィナエルは背の輪を掴み、ぐっと前に突き出した。炎を纏ったその輪は高速で回転し、凄まじい速度でマリーへと投げ放たれる。
さらばだ
その破壊力は、主天使がその命をかけて放った錫の熱線にすら数倍する。仮にそれをかわすか、持ちこたえたとしてもすぐさまその身を切り裂こうと、ヴィナエルは油断なく剣を構えた。
マリーは四本の剣を並べ、それを迎撃しようとした。しかし、彼女はそれが無駄に終わることもまた、わかっていた。ユニスに教えてもらった剣。Olに教えてもらった魔術。メリザンドに教えてもらった法術。
その稀有な複合性と優れた師によって彼女はその年にしてはありえないほどの強さを誇ってはいるものの、その身は英雄ではなく、まだ技も身体も未熟だ。このような圧倒的な威力を持つ攻撃に対しては成すすべがなかった。
そしてそれとは別の理由で、マリーの行為は無駄に終わるのだ。幼い頃から彼女が困ったときにはいつも助けてくれた4本の逞しい腕が、軽々とその輪を止めた。
ありがと、ローガン
成長し、態度が少し素っ気無くなってもローガンはローガンだった。マリーが兄の様に慕う彼はいつも、彼女を助けてくれる。
我が車輪を止めただと!? 貴様、上級悪魔か!?
上位天使である座天使と比肩しうる悪魔は通常、この世界に姿を現すことなど出来ない。彼同様、非常に稀有な存在となっているからだ。人間界に呼ばれる中でもっとも位の高い下級悪魔でさえ、中位第一隊の主天使と同格。
この地上において、座天使が悪魔に遅れを取るはずなどないはずだった。
上級か。そんなわけないだろ
ローガンは天使の輪を投げ捨て、その炎によって焼け焦げた己が手の平を見つめながら言った。
俺はロリ魂を持ちながら、新しく生まれた子供が男だったという激しい怒りによって
進化した伝説の下級悪魔超下級悪魔ローガン様だ!!
いやそれ八つ当たりじゃん
進化してません。私達が手を貸しただけです
呆れた声で現れるのは、やはりマリーが姉同然に慕う三人のうち、二人。スピナと、リルだ。
ソフィ! リル!
師姉と呼びなさい。あなたももう魔術師の端くれなのですから
その手に魔力の刃を浮かべながら、スピナは言った。共にOlに師事する彼女は、マリーにとって姉弟子に当たる。
さぁって、お返しをどうぞ
改良した石火矢を構え、リルがにっこり微笑む。
狙いは頼むぜ、マリー。全力でいくからな
炎を纏い、ローガンが獰猛な笑みを浮かべた。
法術を練り、マリーは法則を作り出す。彼らを信じる心が力となり、マリーは一つの結果を導き出した。
ぜったいに、かつ!
そして放たれる無数の攻撃は、その通りの結果を導き出した。
英雄王はその背に獣の魔王を乗せ、鋼の翼をはためかせた。
でかいな
その視線の先にあるのは智天使。人、獅子、牛、鷲の4つの頭を持ち、4つの翼を持つ天で二番目に偉大なる天使だ。神代の神魔戦争を生き抜いた、恐らく天界随一の勇者だろう。
身の丈80フィート(約24m)を超える最古の竜メトゥスの身体でさえ小さく見えるほどの巨体が、宙を舞いOlの迷宮に迫りつつあった。
獣の顔を持つが、アレは操れぬか?
流石に無理です
英雄王の言葉に、ミオは苦笑していった。見た目こそ獣の姿をしてはいるが、その実は天使だ。流石に意思を通わせる事さえ出来ない。
それより来ます
ミオはウォルフの頭の上に立つと、その角を握り締めた。彼女の目が金に輝き、同調が始まる。ミオの視界がウォルフのものと重なり、周り一面に広がった。竜の瞳は360度隙なく見渡すことが出来る。ウォルフ自身は知覚できぬその視界を、ミオは得ることが出来た。
左舷、上方40度から隠蔽された理力の矢が飛んできます。3秒後接触、3,2,1回避しました
その視界は広いだけでなく、魔力も理力も正確に見通した。肉眼では見えぬその情報をミオはウォルフへと渡し、ウォルフは巧みに竜の身体を動かしそれをかわす。
心技体、すべてが別の存在からなる巨竜は、しかし一体の生き物としか思えぬ完成された連携で動いた。
体内の毒素を圧縮充填に10秒。10,9,8右舷、下方80度より理力の矢接近。避けられませんっ
ぬうっ!
連続で放たれた不可視の矢を、ウォルフは右腕で防いだ。理力で出来た矢は鉄の槍でも傷一つ付かない鋼の皮膚を易々と引き裂き、腕を落とした。
毒素充填完了ブレス、撃てます
お返しだ!
ウォルフは口を大きく開くと、体内で圧縮された毒素の塊を撃ち出した。あらゆる生物を殺し、岩を割り、水を腐らせ、大地を砂漠へと変える強力な毒の塊は、一発の弾丸となって智天使に突き刺さった。
神代から通用する猛毒に、流石の智天使も苦悶の表情を浮かべ、もがき苦しむ。
よし、このまま
まってください、様子がおかしいです!
接近しようとするウォルフを、ミオは押し留めた。智天使はぐるりと顔を回転させると、獅子の顔を前面に出す。そして毒の影響を振り切ると、智天使は炎を吹きながら無数の矢を放った。
まだあのような力を残しているのか!
可視、不可視、矢は共に無数避けられません!
悲痛な声でミオは叫んだ。ウォルフは英雄としての冷静な判断をした。全力を振り絞り、一点突破すれば後一撃加えられる。しかし、ウォルフもミオも間違いなく死ぬだろう。
それによって彼の孫は守られる。そうすべきだと、彼は理解した。
ミオよ
そして彼は、覚悟を決めた。
お前だけはなんとしても守る。後は頼んだぞ
彼女を、そして魔王達を信じる。彼らなら何とかするはずだ。ウォルフは、そう決断を下し、彼女を守るべく翼を広げた。
おや、稀代の英雄王ともあろうものが随分弱気な事だ
そこに、小気味良い声がかけられた。聞き覚えのないしかし、どこかで聞いたことのある声。
いつの間にか、白い髪の男が彼の翼の上に立っていた。
私達に、お任せください
そしてもう片方の翼には、やはり白い髪の小柄な少女。
敵の核は、あの牛の頭その、眉間です
そして、奇妙な兜をかぶった騎士が、彼の背に乗っていた。
お前たちは! 魔弾、炎髪、無明か!
無粋な名だ
魔弾は髪をかきあげ、そう呟いた。
我が名はレックス。一発千中レックス・ザ・ウェイカーだ!
ずらりと矢を並べ、魔弾は矢を放った。矢は千の光の礫へと姿を変え、智天使の放った矢のことごとくを打ち砕いた。
では、私もそれに習いましょうか。我が名はヨハネ・アーク。全てを燃やし尽くすものです
炎髪の髪が渦巻き、炎となって智天使の吐き出す炎を包み込んだ。白い炎と赤い炎がお互いに舐めあい、それそのものを燃やし尽くしていく。
私は名乗るほどのものではありませんがね。盲目のガイウス。さあお嬢さん、これを
無明はミオの手を取ると、彼女の頭の中に智天使の核の正確な座標を送り込んだ。
ありがとうございます!
では、後は任せたぞ、竜殺し
魔弾はそういい、その姿は消えていった。それに倣うように、残り二人の英霊も姿を消す。理力に以前ほどの貯蓄はなく、その大部分をユニスの子を封じる事に使っている今、肉体を持たない彼らが力を保てるのはほんの僅かの時間だった。
竜殺しではない
彼らの協力に感謝し、ウォルフは吼えた。
我こそは英雄王ウォルフディール!いざ、参る!
二人の意思と竜の身体は統一され、純粋な破壊の意思となる。鋼で出来た身体が形を変え、刃となったその姿はまるで一振りの剣のようであった。
否。まさしくそれは、剣だった。
かつてウォルフが王となった時に賜り、メトゥスの心臓を刺し貫いた宝剣。
フラント!!
一振りの巨大な剣になった彼らは智天使の、牛の頭の眉間を貫いた。そのまま頭蓋を貫き、反対側まで突き抜ける。
どうだ!?
竜の姿に戻り、荒く息を吐きながら振り返るウォルフの目の先で、智天使は何事もなかったかのように振り向き大きくその口を開けた。
それが、彼のこの世界での最後の動作だった。