それじゃ、まるで
そう。私は悪魔ですよ
リルの言葉を引き継ぐ様に、マルクトは口を開いて笑った。
それが、悪魔の様に恐ろしげなものであれば、リルは何とも思わなかったかもしれない。しかし、人としての貌を無くしてもなお人間じみた微笑みに、彼女はかえって恐怖心を感じた。
馬鹿な事を言わないで! 悪魔が悪魔を召喚するなんてこと、あるわけ
言いかけて、リルは息を飲む。自分がローガンに対してやろうとしたことは、そういう事だ。方法が洗練されているかどうかの違いはあれど、自分はマルクトと全く同じ事をしようとしていた。
そう。私達は、御同類なのですよ
めきめきと音を立てつつ、マルクトの身体が異形へと変化していく。
といっても私の場合は、人のまま悪魔になった変わり種ですけれどもね
全体的な造形としては、ローガンよりよほど人に近い。ただ腕が六本に増え、こめかみと額から角が生えているだけで、体躯はそれほど元の姿とは違いない。
だが、その身体から感じられる覇気と魔力はローガンと比してもなお凄まじいものがあった。
嘘でしょ!?
これほど強力な悪魔は、魔界全土を探してもそうはいない。それが人のように現世に存在しているなんて、にわかに信じられることではなかった。
さあ、リルさん。参りましょう。この先に、教会があるのです
教会?
そう。我々の永遠の愛を誓い合う、神聖な場所ですよ
そういって、マルクトは部屋の奥の大扉を押し開いた。
その先に広がっていた光景に、リルは息を飲む。全体的な造りとしては確かに教会の聖堂に近い。細長く奥行きのある部屋の最奥に祭壇が設置されている。そして椅子の代わりに、無数の悪魔がまるでモズの早贄のようにその胸を貫かれ、飾られていた。リルと同様にその力を封じられ、死ぬことも生きることも出来ずにいるのだ。
どうです? 貴女の為に用意した光景は
趣味が良すぎて反吐が出そう
悪魔同士に仲間意識というものは希薄だ。しかしそれでも、良い光景とはとても言えなかった。
何、貴女もすぐに気に入りますよ。さあ、これを
マルクトは祭壇の上に飾られた一際大きな悪魔の胸に指を突き立て、心臓を取り出す。悪魔は苦悶の声をあげながら、びくびくと身体を痙攣させた。悪魔はそのくらいでは死なない死ねない。
同時に、リルはマルクトの異常な魔力量の秘密を悟る。
我々の愛を誓う証です。さあ
こいつは悪魔を、喰っているのだ。
お食べなさい
マルクトはどくりどくりと鼓動する心臓を差し出しながら、後退りするリルへと腕を伸ばす。
その腕を、別の腕が掴んだ。
悪いがこの女は売約済みだ
マルクトの腕を掴んだ男は、もう片方の腕を振るい、すさまじい早さで紋様を虚空に描く。
お前は雌のオークでも抱いていろ
至近距離で放たれた雷撃が、マルクトを襲った。
すまん、待たせた
ずるりとリルの影から身体を引きだして、Olは苦しげに声を出した。
馬鹿、何で来たの!?
リルの勘が当たっていれば、それは何よりも避けるべきことだ。
それは勿論、私がお呼びしたからですよ
マルクトは無傷のまま、澄ました顔でリルの影に指をさした。
そこの小悪魔を使ってね
俺にも気付いてやがったか
小さなローガンが舌打ちする。
ようこそいらっしゃいました、魔王Ol陛下。あなたが来るとわかってました。他にここに来られる人材はいないでしょうから
マントをばさりと翻し、マルクトは恭しく礼をして見せる。
あなたに恨みはない。むしろ、感謝しておりますよ、陛下。あなたのおかげで、ただのインプであった私はこれほどの力を手に入れられた
少しずつ、少しずつ。気取られぬ程度にOlの配下の悪魔を食べて、マルクトはここまで強大になった。それほど大量の悪魔を使役できる魔術師など、大陸中を探してもOlの他にはいない。彼こそが、マルクトをここまでの怪物に育て上げたのだ。
ですから非常に心苦しいのですがしかしやはり、恋敵にはご退場願わなければならない
マルクトのマントがばさりと翼のようにはためき、指先が魔法陣を描く。
駄目!
リルの制止の声も間に合わず、マルクトの指先から放たれた光がOlの胸を貫いた。
なんだ?
痛みはない。苦しくもない。むしろ、力が溢れるような感覚に、Olは自分の両手を眺めた。そして一瞬の後に、何をされたのかに気付く。
魂を召喚したのか!
これであなたも、ただの人間と変わりません
Olは当然、魔術で作り上げた木人形、形代に宿った状態でここへと来ている。例え粉々に破壊されようと、魂が別の場所にあれば髪の毛一本切られた痛痒すらない。
だが、仮初めの身体であろうとそこに魂が入っていれば話は別だ。その状態で形代を破壊されれば、魂もまたそれにつられて砕け散る。
悪いが、ただの人間以上のものになったつもりなど一度としてなくてな
しかしOlはさして気にした風もなく、己の胸元に指を突き入れる。
べりべりと表面の皮を引きはがせば、木で出来たその身体には魔法陣が彫り込まれていた。探知を防ぐマルクトの術を無効化する為の、結界の中の結界。
古来より、怪物退治は英雄の仕事と相場が決まっておる
そこから光り輝く剣と共に、ユニスが飛び出してきた。
鋭く放たれる神速の一撃を、しかしマルクトは軽々と受け止める。彼の六本の腕には黒く輝く大剣と槍、そして片手剣と盾が掲げられていた。いずれも尋常のものではないと本能的に感じ、ユニスは身構える。
っていうか何なのここ、グロいよ!
周りの光景を見て、ユニスは悲鳴のような声をあげ、リルははっと気づいた。
しまった、ここじゃあ!
半死半生の悪魔が無数に散りばめられたこの場所は、魔界程ではないにしろ恐ろしく瘴気が濃い。それはOlの迷宮ですら比べ物にならない程だ。この場では悪魔であるマルクトは力を得、神性を帯びた英霊の力は減じられてしまう。
くっ、このっ!
そしてそれだけではなく、そもそもマルクトは強い。六本の腕を縦横に操る彼に、ユニスさえもが攻めあぐねていた。
スピナ!
ユニスの投げはなった小さな瓶から現れたのは、スピナだった。彼女は悪魔の天敵だ。魔喰いスライムである彼女は悪魔の身体を構成する魔力を喰ってどこまでも成長し、あらゆる魔術を無効化する。だが、それも。
知っておりますよ。あなたの弱点は
魔力そのものではなく、人であった頃の身体を元にした実体を持つマルクトには効果が薄い。その身の魔力を吸収されながらも、マルクトは手に瓶を取り出してスピナにふりかける。
彼女のスライム化が解除される条件塩水だ。それに気づいた時にはスピナの身体は即座に溶ける様にして、白い人の身体だけが残った。
危ない!
彼女に向けてぶんと振られる剣の一撃を、ユニスが受け止める。そこに、大剣と槍が突き刺さった。ユニスは目を大きく見開き、口から血が零れる。
ユニス!
貴女のお友達をあまり傷つけたくはない
優しい声色で、マルクトは甘く囁いた。ずるりと赤い糸を引きながら、ユニスの身体が崩れ落ちる。
貴女がこれを口にするなら、見逃しましょう。そうですね。私に愛を誓ってくれるなら、Ol陛下も生かしておいてもいい
マルクトの手の平からどろりと闇を滴らせながら、悪魔の心臓がどくどくと鼓動する。
Ol、私
よせ。下らんことは考えるな
悲壮な決意を瞳に宿すリルの頭を、Olはぽこんと拳で軽く殴りつけた。
悪魔を喰って強くなったつもりか。下らん
そしてマルクトを軽く睨み、溜め息と共に嘲笑する。
事実、手も足も出ていないではありませんか。陛下、彼女には貴方よりも私の方が相応しい。どうぞ、お引き取りください
Olの声を否定するかのように、剣が振られる。避けようもないその一撃は、しかし、空を斬った。
ユニス、スピナ、よくぞ時間を稼いだ
彼の身体は深く地面に沈み、マルクトの一撃を躱していた。否、地面が、床が、沈んでいるのだ。
お前はもう、俺の胃袋の中だ
Olが言った瞬間、無数の槍が地面から突き出てマルクトを突き刺した。
これはっ!
容易くそれを打ち払いながらも、彼は驚愕に目を見開く。
魔力も通らぬただの迷宮を手懐けるのは、さほど大した事でもなかったぞ
柱が、床が、壁が、天井が、部屋の全てがマルクトに牙を剥いた。
ぱっくりと口を開けた床のアギトが彼の脚をがぶりと噛んで、それを振り払う隙に壁から伸びた槍が全身を突き刺す。柱は大蛇の様にその身をくねらせて縛り付け、天井が轟音を立ててマルクトを押しつぶした。
小賢しい!
焼けた石炭の様に爛々と瞳を光らせながら、マルクトはそのすべてを大剣で叩き伏せる。
坊や、お次はこっちだぜ
ローガンがおどけた口調で宣言する。Olが迷宮を掌握したという事は、その形を持って作られていた結界も効力を無くしたという事だ。
磔にされていた悪魔達が、恨みを晴らすべく一斉にマルクトに襲い掛かった。
この、雑魚共がァ!
槍が悪魔達を薙ぎ払う。しかし彼らは腕をもがれ、脚を斬られ、首だけになりながらもマルクトに齧りついた。そして奪われた己の魔力を取り返していく。
グ、ガ、ガ! 莫迦め、餌をわざわざ運んでくれるとはな!
マルクトの全身に牙が生え、彼は己に齧りつく悪魔達を逆に噛み殺そうと無数のアギトを広げる。しかしその動きは途中でピタリと止まった。
何だこれは!?
Olさまっ、結界張り直し終わったよ、ほめてほめてー!
マリー、あまりはしゃぐでない。それに結界の半分以上は私が張ったものだからな?
マリーとメリザンド、そっくりな姿の二人がきゃいきゃいとはしゃぎながらOlに駆け寄った。Olが迷宮を掌握した今なら、転移の魔法陣で幾らでも援軍を呼べる。
マリー、メリー、あんた達まで
きたのは勿論、わたし達だけじゃないよ
ゴキリ、ゴキリと、まるで牛の大腿骨を折る様な音が鳴った。
皆リルの事が大事だからね
それは、二人の巨漢が拳を鳴らす音だ。
まあそれもあるがそれ以上に、我が娘を
妹を、可愛がってくれた礼をしないとなあ?
あのー、お父様、お兄様、あたしは大丈夫だから、くれぐれも、くれぐれもやりすぎないようにね?
Olの魔術によってすっかり傷を治されたユニスが控えめに言うが、ウォルフとザイトリードの耳には届いたかどうか。
わかったか? お前は随分強くなったつもりのようだが、個の力など下らぬものだ
冥土の土産に、Olは死すべき運命の悪魔へと言葉を投げかける。
数の暴力にかなうものなど、いない
そこはせめて絆の力とか言いなさいよ!
リルの突っ込みと共に、どうと大きく音が鳴り響き。
怒れる英霊二人の立っていた場所より奥は、さらさらの砂になるまで、磨り潰された。
全く、無茶するんだから
自分の迷宮に帰った瞬間、Olは倒れるように眠りについた。魔界の瘴気はあらゆるものを蝕む。形代に入っていようと、悪魔ならざるOlが渡るのは強酸性の海を泳ぐような行為に等しかった。
死んじゃったら、どうするのよ
その琥珀色の髪をさらりと撫でて、リルは呟く。よほど消耗したのだろう。彼にしては珍しく、本来の肉体に戻って精神と身体を休めていた。
悪魔、か
リルの手の中には、鈍く輝く赤い宝石が握られていた。マルクトの心臓だ。英霊二人の攻撃で原型を留めていた頑丈さだけでも驚嘆に値するのに、彼は最後の最後、密かにそれをリルに渡した。
もし、彼と共に永遠の時を望むなら、これを食べさせなさい
そんな言葉を残して。
彼は人の記憶と意思を持ったまま、悪魔となった。もしOlもそれが可能だとしたらそんな誘惑が、リルの心の内を過る。
彼女はじっと、Olの唇を見つめた。規則正しく寝息を立てるそこは酷く無防備で、リルがそこに心臓を放り込むのを邪魔するものはいない。
やめた
しばし逡巡しいや、本当は、悩むまでもない。
Olにそんなものを食べさせる気は、さらさらなかった。ただ、もしそうだったらどんなだろうと、想いを巡らせただけだ。
何だ、食わせないのか
不意にOlがそう言って、彼女の手からマルクトの心臓を奪い取った。
という間もあればこそ。彼はそれをパクリと口に放り込んでしまった。
ふむ。別段変わった様子もないが
もぐもぐと咀嚼しながら、Olは呟く。と、突然、彼は大きく目を見開いた。
ぐ、あ!
そして呻きながら、地面にうずくまる。ばりっと背中を突き破って腕が生え、メリメリとその額から角が伸びていく。
またお会いできましたね、リル
そして、瞳を爛々と輝かせながらそう笑んだ。
その笑みが、スパンと真っ二つに、割れる。
え